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徳川家康の重臣、本多佐渡守正信が、秀吉恩顧の七将を懐柔するために茶席を開いたという噺がございます。その武将とは細川忠興、加藤清正、池田輝政、浅野幸長、黒田長政、加藤嘉明、福島正則という、錚々たる顔ぶれ。いずれも猛将ですが、細川忠興以外は茶の作法など全く知りません。すぐに身に着けられるものでもありませんから、作法を知る細川を正客として、皆は順々に隣の人を真似ることとしました。亭主である佐渡守の邸宅を訪れ、一行は茶室へと向かいます。皆の手本たらんと細川が先頭を歩くのですが、細川には戦の古傷があ
亀居城1977年(昭和52年)に大竹市による公園整備調査中に地面の下から姿を現した城です。約400年の眠りから覚めた。関ヶ原の戦いで防長二州に減封された毛利氏の後に広島城に入った福島正則によって築城された。5年かかって1608年に完成するも、3年後には破却された。その理由は謎のまま…。一国一城令の4年前のことです。城山の標高は88m。5年振りの「登城」です。右に墓地が見える。ぼちぼち登ってゆきます^^「大手門」ではないようですが…この辺りから本格的な石垣がはじ
天海(152)「慶長五年五月三日、徳川家康、陸奥会津ノ上杉景勝ノ老臣直江兼続ノ答書ヲ見テ怒リ、諸大名ニ出征ノ令ヲ下ス、徳川家康、下野ノ士伊王野資信ノ、陸奥会津ノ形勢ヲ報ゼシニ答ヘ、守備ヲ厳ニセシム。」(「史料綜覧」)直江状に目を通すと、家康は激怒し、直ちに景勝の征伐を決意した。ただし、ここまでは家康の想定通りである。景勝は前田家のように、戦わずに屈することはないであろうと考えていた。家康の頭の中には、秀吉が行った「四国征伐」や「九州征伐」の光景が浮かんでいたので
今回は、戦国時代の福島正則親子です。福島正則の母親は、豊臣秀吉の母大政所になります。福島正則とは安土桃山時代の武将。永禄4年尾国海東郡二寺村に生まれる。幼名市松。父は正信、母は豊臣秀吉の叔母木下氏という。家業は桶屋であったともいう。幼少より秀吉に近侍。1578年(天正6)秀吉の小姓衆として播磨国三木城攻略に従軍、初めて功名をあげた。その後も秀吉の旗下として山崎の合戦、賤ヶ岳の合戦、小牧・長久手の合戦などで武名をとどろかす。1585年従五位下左衛門尉に任ぜられ、以後左衛門大夫正則と名の
先日の観た結構お気に入りの歴史番組「敗北からの教訓」のテーマは「福島正則」でした。福島正則といえば大河ドラマでは加藤清正と大抵セットで出てくるイメージ。それでいて清正よりかはなんか二番手というか。(因みに熊本出身のダンナによると熊本県民にとって地元の殿様と言えば細川さんではなく「そりゃせいしょこさん(清正公)でしょ、熊本城作った人なんだから」なのだそうです。)※あくまでダンナ談ですがこの番組見てそんな彼のイメージ変わりました。関ヶ原で東軍に味方についた後も大阪方の生き残りの為に奔走
【問題】福島正則の養子である福島正之の実父は、次のうち誰か?【選択肢】香宗我部親泰別所重宗稲富祐直小早川秀包【正解】別所重宗【解説】福島正之は播磨の別所重宗(重棟)の子として生まれた。母が福島正則の姉であった縁から、嗣子が夭折していた正則の養子となり、福島正之を名乗った。
天海(132)「是ヨリ先、石田三成、大隅帖佐ノ島津義弘ノ子薩摩鹿児島ノ同忠恒ノ、老臣伊集院幸侃(忠棟)ヲ誅スルヲ責ム、是日、島津氏ノ老臣、三成ニ陳辨ス、尋デ、所司代前田玄以等、忠恒ヲ山城高尾山ヨリ、伏見ニ迎ヘ歸ル。」(「史料綜覧」)三成は忠棟誅殺に激怒し、義弘を呼び出した。義弘は、伏見の出来事であり、詳細について不明である、調査して後日報告すると告げたが、三成は納得しなかった。例によって、頭ごなしに義弘を𠮟りつけたのである。「このようなことをしでかして、島津家が
昨夜は久しぶりに、大手のビジネスホテルに泊まりましたが、宿代は値上がりしていたのに、アメニティ類や朝食が、乏しくなっていました。業界の厳しい現状がある?のでしょうが、少し寂しい気もしました。朝早く目が醒めたので、早朝に「天守台」の所から、出発し街道筋の「本町通り」を進んで行きます。昔ながらの商家が散見されました。大通り(県道)と交差する手前に「宗光寺」があるので参拝しました。寺は「三原城築城」に際し、西の防衛を兼ねて、小早川隆景の旧城「高山城内」にあった「毛利元就夫婦を弔う
広島県の旅~...日本百名城巡りの61城目は広島市の「広島城」です。1588年毛利輝元が築城開始し1599年に完成。1600年には関ケ原の合戦に貢献した福島正則が入城、その後浅野氏が城主となる。木目が美しいお城ですね。ここが、福島正則がお叱りを受けた石垣の修復跡とのこと。
期間:2024/03/15〜03/22天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額武)前田慶次:天華乱墜の漢戦)竹中半兵衛:天賦王佐武)服部半蔵:神君の狼牙呪)斎藤小少将:紅顔翆黛の頂戦)黒田如水:豊州の名賢武)福島正則:賤ヶ岳の蛮勇武)松平信康:三郎の尊影射)水心:魚水の契り星2戦)大崎義宣:疑心暗鬼©コーエーテクモゲームス
眼科手術のあと、元通りにはならんでも幾らかの回復期待市とったけど、なかなかな事で思ったようにはいかへん。そんな情けない目ん玉に変わって記録しときたい思てカメラも買うたけど未だに使い方判ってへん。それでもたとえちょっとでも見れるうちに見とかんと思て初公開やいう西小天守に行ってきた。ここな。図で見たら矢印の順路で大天守から反時計回り。3つの小天守は地上3階建て、それぞれの天守を繋ぐ渡り櫓は2階建て。2階部分を見学して、西小天守のみ3階も見学できるん。普段非公開のとこやから築城当時の手斧
リブログ元記事URL:https://ameblo.jp/hakata1212/entry-12843701908.html『”ワクチン接種6日後に死亡した男性検視結果の開示はほとんど“黒塗り”「夫はなぜ亡くなった”』ameblo.jp皆さまも、お大事に。
京都大学名誉教授の福島雅典氏が新型コロナワクチン後遺症の調査結果についての論考を月刊「文藝春秋」4月号で発表したことがニュース記事になっていました帯状疱疹、リウマチ、血管系障害、心筋炎……「コロナワクチン後遺症」驚愕の調査結果を京大名誉教授が発表(文春オンライン)-Yahoo!ニュース京都大学名誉教授の福島雅典氏が新型コロナワクチン後遺症の調査結果についての論考を、月刊「文藝春秋」4月号で発表した。福島氏は2023年6月、「ワクチン問題研究会」という学術団体を有志の医師らと立
長野観光最終日は、一日目に見に行った、北斎館を見た後に、やっぱり岩松院の葛飾北斎筆八方睨み鳳凰図を見たいね!という話になって、朝一に行ってきました。3日目ということで、皆さんだいぶ疲れがたまってきています。。(笑)朝も何とか起きて、食欲がない中、おやきを頑張って食べ、(私はお湯のみ。。)まずは岩松院に向かいます!仁王門です。なんとなくかわいらしいお顔の仁王像ですね!立派なお寺の岩松院です。拝観料は500円です。御朱印
おぃ!主ちゃん!どういう了見だぁ!('ω')犬千代どしたの?どうしたもこうしたもねぇ!三月三日のゆーちゅーぶのこめんとに『秀吉を筆頭に朔夜、犬千代はお笑い要素強め』って書かれてるじゃねーか!?えっ?わんこくんはともかく、俺は毎回真面目なんだけど…お笑い系って言われるのが不本意秀吉…お前はまごうことなくお笑い系だぞしかも主ちゃんのオカン…この駄犬が何を言う!秀吉を愚弄するとは不届き千万!たたっ斬る!ねぇねぇそれよりも正則さまの作ったちらし寿司美味しいわよ()ˇωˇ(
「「歴史に見る勝つリーダー」中村彰彦著文春文庫」本の題名は、ちょっと二の足を踏んだんです。なんかビジネスリーダー養成自己啓発系の本かもしれないと思ったからです。しかし、本屋でパラパラとめくってみるとそうではない。島津義弘、大村益次郎、秋山真之など、興味深い名前がたくさん載っていたので、躊躇なく買いました。大体知っている話だったのですが、福島正則には、「へーっ」と思いました。猛将というイメージがあるのですが、実は、部下の諫言にも耳を貸す度量のある人だった様です。安芸広島城主
現在、広島城天守内での企画展、「広島城の石垣」展をしています。広島城には毛利輝元、福島正則、浅野長晟が入城していますが、それぞれの時代の石垣の積み方や変遷などがわかりやすく解説してありました。安芸、備後の廃城の石垣も写真で展示してあり、石垣フェチとしてはたまりません。瀬戸内海の島から石を運んでいるため、たまに牡蠣殻などついた石があります。刻印も。はつった石がたくさんあり、手間暇かけているのがわかります。わざと向きや形を変えています。石工さんの技、さすがです。そのほかにもゆっくり見て
2024年--------------------------------------------良き時代に生きています。ご先祖様に感謝ですよね。2023年--------------------------------------------時代の流れを感じていたのですね。人生は残酷であり、それも真実のひとつなのですかね。ゆっくり過ごせる時代になったのは良きことかと思うしかないですよね。愛蔵版戦国名将一日一言Amazon(アマゾン)2,826〜3,410円
古戦場巡り東軍から前回の続きです。岐阜関ヶ原古戦場記念館を出て、古戦場を巡ります※記念館で貰った史跡巡りのパンフレットまずは南側の東軍を中心に巡りました↓この辺り本多忠勝陣跡JRの関ヶ原駅からスタート駅前に観光施設がありますが、平日だったので休みでした、残念気を取り直し、本多忠勝陣跡へ向かいます。ちなみに本多忠勝といえば、徳川四天王の1人。有名なこの肖像画有名なのは、鹿の角🫎をあしらった「鹿角脇立兜」。何枚も和紙を重ね黒漆で塗り固
徳川家康は二条城を再建しますが立ち寄った気配がありません。では、京都上洛の際にどこにいたのか、、それは、伏見でした。家康は1590年の関東転封から1616年まで死去の9670日の4分1にあたる2587日を京都で過ごしました。家康は関ヶ原の戦いに勝ちましたが、福島正則や加藤清正など大領土を得た豊臣恩顧の大名がいましたので、西日本の大名を監視、その動向を抑える意味合いもありました。秀吉は伏見を武家の都として位置づけて、現に五大老を伏見に置き、伏見には武家政権がありました。秀吉も
2024年1月27日--------------------------------------------年齢を重ねたら、若い人にまかせます。2023年1月27日--------------------------------------------潔さ。なかなか、そうはなれません、、、とほほ。愛蔵版戦国名将一日一言Amazon(アマゾン)1,894〜3,410円
天海(60)副将として参加した四国征伐後、近江八幡を与えられた秀次は、八幡山城を築城し、城下町を整備した。領内の統治は優れていたようで、善政を敷いたと言われている。秀次は最初の敗戦が応えたようで、弓や鑓、馬術には師匠を招き鍛錬に励み、剣術も究めたという。文化面では、茶道は千利休に師事し、連歌、能楽、謡曲を学び、日本の古典にも通じていたという。これもすべて、天下人である秀吉に認められるためであった。秀吉もまた、このような努力を評価していたのであろう。いつしか、秀次は秀長と
こんにちは、たけちです。令和6年(2024年)1月5日金曜日、みなさん、いかがお過ごしですか?たけちは、今日も実家でゴロゴロだらだらしています。休暇明けは3連休後仕事始めがこわい😱さて、今日は新年1発目広島の100名城のひとつ広島城について紹介します。『2023年城納め後編』おはようございます、たけちです。令和5年大晦日、みなさん、いかがお過ごしなりますか?今年もなんやかんやありましたが、今日という日を乗り切れば、明日からは2…ameblo.jp【広島城表御門】広島城は輪郭式平
徳川家康は1603年に江戸幕府を開きましたが、2年後には3男秀忠に将軍職を譲り、大御所と呼ばれ名目上は引退します。関ケ原で勢力が減退したとはいえ、まだまだ権威の象徴である豊臣氏に対して、将軍職は世襲制であることを内外に示しました。秀忠は家康の3男でありながら、将軍になれた理由についてですが次男結城秀康は早くから豊臣秀吉のもとで育ったため、いざというときに巷間では豊臣に味方すると言われていました。また秀忠の母が正室に近い位置づけにいたからと言われています。もちろん、母の出
名古屋城:愛知県名古屋市名古屋城は1610年(慶長15年)御三家筆頭・尾張徳川家の居城として築城された城です。1607年(慶長12年)に清洲藩主になった徳川家康の9男「徳川義直」は土地が狭く、水害の遭いやすい清洲では尾張を統一することは不便だと感じていました。徳川義直から相談を受けた徳川家康は大坂で勢力を持つ豊臣秀頼や豊臣家の家臣を牽制するためにも天下普請として名古屋城の築城を開始。築城にあたっては「加藤清正」をはじめ、「福島正則」や「池田輝政」など西国や北国
[嬲り殺し]にされた[反核平和主義]者は数知れず。小西ひろゆき議員:安倍総理がひたすら国会で[虚偽]答弁を行なっていたことの[物証]。これを放置しては[議会制民主主義]は[崩壊]する。つまり…https://blogtag.ameba.jp/news/否認のツケは大きい《日本人の集合的無意識》には、[陰陽五行]は[思想]として[作用]します。コレガ《心霊》上の《観察事実》と[認識]するコトは、“神さまの[愛]”を説くのと同じコトです。“陰陽五行は思想”として[作用]する
福島正則
あゝ…https://ptsd.red/2021/06/08/台東区で元交際相手を殺害のptsd解離性ストーカー/#comment-35125台東区で元交際相手を殺害のPTSD解離性ストーカー女性(45)逮捕|翠雨PTSD予防&治療研究所ptsd.red元記事ご紹介の動画からスクショ:リブログ元記事URL:https://ameblo.jp/seiko-2022-11/entry-12831355696.html関連記事URL:https://ameblo.jp/aya-qua
☆福島正則と北信濃(おぶせ町&たかやま村)「NHK大河・どうする家康」に登場した「真田昌幸・幸村・・真田の庄」「徳川秀忠の上田合戦・・小諸城址」そして第三弾の最終は、「秀吉の西軍から家康の東軍へ=”福島正則の関ヶ原”」終の棲家は「北信濃」!高井橋高山村にある山田温泉の入り口「高井橋」*福島正則賤ケ岳七本槍
2023年11月26日--------------------------------------------諫言、聞くのは大変ですけど、聞きましょうね。2022年11月26日--------------------------------------------諫言。命懸けですよね。天晴、大橋さん。愛蔵版戦国名将一日一言Amazon(アマゾン)1,894〜3,410円