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雑感。私達は江戸を生きた人から五代目にあたります。つまり、完全なる隔世の世代です。荷風や潤一郎のように、江戸のシッポもなければ、懐古も感傷もありません。(杉浦日向子1984年のエッセイより)確かにそのとおりとも思うのですが、同時に日本の近代の始まる動乱のこの時期から、いろいろなものが現代にまで実は繋がっているように思います。そしてそれらは幕末より150年余り経ち、金属疲労、もしくは老朽化している部分も多くなったとも。たまたまですが同世代の国会議
週末に水戸の二の丸角櫓(にのまるすみやぐら)を見学にいってきました天狗の乱のYouTubeから水戸の歴史を改めて見学したりしていますここは開発された綺麗な場所学校があるのでお城が復元されていないのは残念ですがなかなかそれも難しいのでしょう日曜日なのに無料駐車場は空いていました立派な大手門をくぐり学校の間に作られた細い路地をあるいていくと真新しい二の丸角櫓が見えてきました中に入るとまだ新しい木のにおいがします敵を見張ったり攻撃したり武器を仕舞ったりしてたのでしょうか観光
江戸椿/春の台harunoutenaうす紅色の地にひかえめな縦縞、ほっそりとした雄しべ群、その形の美しさ、漂う気品は江戸椿中一、二を争う名花です。.この花がはじめて文献にあらわれるのは、安政6年の「椿伊呂波名寄色附」ですが、そのころ江戸は尊王攘夷の嵐の真っただ中。翌年の安政7年には桜田門外の変がおきています。政治の世界と園芸は別とはいっても、やはり影響を受けないはずはない中で、著者はどのような心境で、椿専門の文献を刊行したのか......タイムスリップしてお
大地が動き出したみなさん、おはようございます靖國神社春季例大祭第二日祭、直会です東京九段を遥拝しましょう四国は大雨警報に注意のようです土用ですから大地は荒れていますそして大地は動き始めましたご先祖様の意向を尊重しましょうアリガトウ「4月23日」の國史です「井伊直弼、大老就任」安政5年(1858年)大老は老中の上に置かれた最高の職です井伊直弼は日米修好通商条約の調印と将軍の後継ぎ選定に挑みました直弼は、彦根藩主・井伊直中(なおなか)
江戸幕府の大老の井伊直弼が江戸城の城門で暗殺された1860年の桜田門外の変で、直弼が刀でなくピストルで殺された文書が注目され、4月10日放送分の「歴史探偵」で大きく紹介された。2010年代から長く着目されている説だが、鳥取県立博物館が2022年3月21日に発表した古文書が大きく特筆されていた。古文書は暗殺を指揮した「桜田十八士」の関鉄之介が、逃亡先の鳥取で水戸へ遊学していたことのある藩士の安達清一郎(清風)に救援を求めたもの。関は事件2か月後の聞き取りに応じ、直弼が「ヒストン」(ピストル)
NHK歴史探偵、桜田門外の変でした。https://www.nhk.jp/p/rekishi-tantei/ts/VR22V15XWL/歴史探偵佐藤二朗が探偵社を結成、歴史に挑む新感覚番組。現場調査、科学実験、シミュレーションを駆使。古代、戦国、幕末、あの大事件の真相に迫ります。www.nhk.jpまさかの井伊直弼銃殺説。面白かった〜
「短歌でダンス?💃」(375)アルバイター歴史の中に彦根藩この大老に逃げるお供よ※おとも
先日の日曜日に横浜に用があり、生麦に先に行き、桜🌸がまだ見られるか掃部山公園(かもんやま)に寄りました。桜は終わりかけていましたが、まだ咲いていたので嬉しかった😊掃部山公園には名前のごとく井伊直弼(掃部頭)像が横浜の港に向けて設置されてます。井伊直弼は彦根藩主で、徳川幕府を水戸藩と支えていましたが、開国派の井伊直弼と尊王攘夷派の水戸藩で対立し、160年前の3月3日の将軍に挨拶する日の雪の日に大名行列にて、江戸城からわずか400メートルしか離れてない彦根藩屋敷から60名の大名を従えて、籠に
この日は4月2日火曜日でした。入谷のバイトが終わって豪徳寺に行きました。豪徳寺には皆んなが行くことがある動物病院があります。この日はルリちゃんの💊を貰いに行きました。郵送でも良いけれど、余り嵩むと支払う時が怖いので、前回の支払いをして今回の💊を頂きます。豪徳寺駅前には満開とは言えないけれど、立派な桜が8分咲きでした。
桜田門外の変-歴史探偵桜田門外の変。新史料が発見され、従来のイメージが大きく変わろうとしている。井伊直弼暗殺にかかわったピストルと事件直後に起きた内戦の危機。幕末の大事件を調査する。www.nhk.jp今夜は、NHKの「歴史探偵」で桜田門外の変が取り扱われますね。桜田門外の変といえば、幕末の万延元年3月3日、江戸城に登城中の彦根藩主・大老の井伊直弼の行列が水戸藩浪士(薩摩藩浪士・有村次左衛門も参加)に襲われ、井伊直弼が暗殺された幕末の大事件ですね。この際
祖父母宅の奥の間の袋棚のなかに無造作に押し込まれていた掛け軸が、この桜田門外烈士水戸藩士混書石板でした曽々祖父の字で↓書かれてありました。おそらくは、桜田門外に際して、水戸藩士たちが書いたのであろう辞世の句、手紙や、漢詩など寄せ書きのようなものの写しと思われますが…祖父母共に他界し、残された親族の誰も何も、この掛け軸について知っているとごろか、在ることすら、私以外の人は知りませんでしたので、誰にも聞くことはできません…アプリなど使っても、すべ
ありがたやありがたや無編集で時系列無視、説明ほとんど無しこんな失礼なブログがありますかでもわたしは幸せな日だったので、ブログに残します眼福というべきでしょうこんなお雛様、なかなか見えないですからねぶっしんじゅうまんほうかいにおいてふげんいっさいしゅうじょうのまえ聴樹庵…木の声を聞く庵これが口福(舌福)お昼はとっておきの旬菜のお店3月25日にオープンしたばかりhttps://www.instagram.com/sugibayashi2024?igsh=bW55anRybmc1
『江戸狂歌125選』(長生馬齢/愛育社)より選句狂歌落首Rakushu三月は雛の祭りか血祭りかあけに染めたる桜田の雪安政7年3月3日、大老・井伊直弼は、江戸城桜田門外で襲撃され、暗殺された。雪の積もった明け方であった。狂歌の本歌は、次の和歌か?OnMarch3,Ansei7,TairoIiNaosukewasattackedandassassinatedoutsidetheSakuradamongateofEdoCastle.Itw
どうも、みけねこです。「それで?ローニンの方は…」「どこまで進んだの?」「横浜編のラストイベント【桜田門外の変】で井伊直弼+青鬼と殺りあって…」「で、なんやかんやあって」「大久保利通や勝海舟等と知り合って」「そんで、徳川/江戸幕府と戦ってるってとこ」「ふ~ん…」「つーか、井伊直弼の剣術…」「見てると草生えるんですよね」「どうして?」「必死だったから、断言はできないが」「【パッと見幕末バージル】。これで伝わるだろ?」「あぁ、そりゃ草生えますわ」「戦国無双のキャラかな
3月24日の今日は「桜田門外の変」が起きた日だそうです1860年3月24日大老井伊直弼が江戸城桜田門外で水戸・薩摩の浪士達によって暗殺された日幕末史を飾る事件が転機となって、幕藩体制が徐々に崩れ、世の中が変わり、現在に至ったということなのでしょう日本の未来に大きな影響を与えた事件の一つですが、未来から見た現在は、どのような日になるのでしょう?一日一日を大切に、未来に繋げなければ!ですね
3月24日の出来事1185年(元暦2年/寿永4年2月21日)治承・寿永の乱:屋島から敗走する平氏軍を源氏方が追撃。(志度合戦)1336年(建武3年2月11日)足利尊氏が豊島河原合戦に敗れ、九州に落ち延びる。1603年(慶長8年2月12日)徳川家康が征夷大将軍に就任する。1860年(安政7年3月3日)桜田門外の変が起こる。MANTANTVさんが2010/10/13に公開映画「桜田門外ノ変」(10月16日公開)の予告編http://youtu.be/
「江戸城めぐり」の第10回。今回は「桜田門」。2024年3月21日。快晴。北風が強く寒い。すごいのに外国人がいない門これが「桜田門」。江戸城=皇居でもっと南にある門と言っていい。外側の小さな門をはいって内側から撮るとこうなる。右に直角に折れると内側の大きな門がある。江戸城の門の多くはこういうパターンになっている。「桜田門」は、日本人にとっては、おそらく、もっともよく知る門だろう。門の前は、大老井伊直弼が討たれ、泰平の世がひっくりかえった場所であり、毎日一
明治維新の「志士」とは何だったのか?徳川幕府の「御家人」とは1980年代、インターネットの黎明期、日本はパソコン通信の時代だった。電話回線を使いダイヤルアップ接続でtextの世界だったが「電子掲示板」が人気だった。当時の接続プロバイダーはNifty、Pc-VAN、アスキーネットがあり、掲示板の各種(政治、経済、歴史、科学、文化、芸術etc、etc・・・・)会議室では会員たちの熱く深い真摯で激しい議論が盛んだった。日本史の会議室では、古代、中世、戦国、江戸、明治維新、近現代と
桜田門外の変に関する小説を読みました。井伊直弼を襲った水戸藩士と薩摩藩士はほぼ全員が斬首か切腹。さらに井伊直弼の護衛についていた彦根藩士も守れなかったという罪で斬首か切腹となりました。これ一体だれが加害者なんでしょうか。全員が被害者に見えて仕方がない。争いの理由はいろいろありますし歴史なんかは諸説あるのでなんとも言えません。しかしよく考えると今起きている戦争も含めて明白な”加害者”は存在しないのではないかと思うのです。当事者はお互い相手が加害者で自分が被害者だと思っているでしょう。
霞が関ランチに「桜田門外の変」撤退相次ぎ先輩に「お先にどうぞ」https://news.yahoo.co.jp/articles/c311585d94a201149f49fd67e97b188017858b11官僚たちの“サクメシ”https://www3.nhk.or.jp/news/special/kasumigaseki/article/article_200210.html
保和苑のすぐ近くに回天神社があります。のどかな雰囲気の保和苑とは一転、身の引き締まる思いがする場所です。水戸の志士を祭っています。回天神社«水戸市の観光情報サイト「水戸旅」【公式】水戸観光コンベンション協会(mitokoumon.com)この神社には、天狗党の人達が福井県敦賀市で捕縄された際に押し込められた16棟の鰊倉の1棟が移築され、回天館という名前で保存されています。その倉の中に、天狗党の歴史についての展示がありました。私の前に見学していた人が、「見終わっ
※こちらの記事は、令和3年6月4日に書かれたものです。皆さんこんばんは。今回は令和3年の大河ドラマ『青天を衝け』第9回に関しての楽しみ方を解説したいと思います。大河ドラマを見てみたけれど、歴史もよくわからないし、どう楽しんでいいのかわからない。歴史には興味あるけど、自分では積極的に勉強する気になれない、という方必見です!※記事下部に武家や公家の人物名の読み仮名を載せています。【『青天を衝け』の楽しみ方】・第1回―渋沢家について・第2回―身分秩序について・第3回―平岡家について
昨年末に東京に行ったとき訪れた桜田門昨日は、桃の節句に起きた大事件桜田門外の変を詠んだ漢詩をガラスペンで紙に書いてました姉がくれたガラスペンで漢詩や万葉集の歌を書くと雰囲気が出て気分も高鳴ります✨とくに村上仏山が詠んだ桜田門外の変は迫力があって臨場感もあって好きなんです♡『無題』村上仏山落花紛紛雪紛紛雪を蹈み花を蹴り伏兵起つ白昼斬取す大臣の頭噫噫時事知る可きのみ落花紛紛雪紛紛或は恐る天下の多事此に兆すかと井伊直弼亡き後彦根藩は天下の情勢を
元禄の赤穂事件から320年(吉良上野介と大石内蔵助、没後320年)。安政の桜田門外の変から163年。昭和の二・二六事件から87年。令和5年3月3日tw〔午前0:55·2023年3月3日〕3月2日は陰暦の/#遠山の金さんの日/で、/#天保レトロ/の日だった。次は/#安政レトロ/の日。遠山の金さんは安政2年没。杉良太郎、高橋英樹は井伊大老を演じた。中村梅之助の息子・梅雀も井伊大老を演じた。/井伊直弼没後163年(陰暦)|虚実歴史のブログ(ameblo.jp)/
ひな人形は男女同列に並ぶ男女平等の社会ですみなさん、おはようございますひな祭り、桃の節句です桃で邪気を払いましょうひな人形を見てください男女が同列に並んでいます世界の国々が建国する前から男女差別は日本にはないのですアリガトウ「3月3日」の國史です「桜田門外の変」安政7年(1860年)大老・井伊直弼は安政の大獄で一橋派の諸大名を次々に処罰します橋本左内、吉田松陰は死罪になります井伊のあまりに残虐な行いに人々の怒りは井伊
昨日も寒い1日でした。寝坊しました。ガソリンを入れに行ったら、行きは行列ができていたのでお散歩に。三木市の防災公園の梅は紅梅が散り始めていて、ピンクと白梅が見頃でした。丈の低い水仙も咲き始めていてかわいかったです。地面からブルーのオオイヌフグリやピンクのホトケノザがびっしりと生えていました。サザンカは盛りが過ぎてきて大ぶりのピンクのオトメツバキが咲き始めていました。ハクモクレンのふわふわのネコヤナギみたいなつぼみはずいぶん大きくなってきました。お帽子みたいなつぼみの先がパカンと
新潟では平野部で、50cm積もったら大雪となるけど、首都圏では1cmでも積もれば大雪。関東から九州にかけての太平洋側で、周囲が白く積もれば大雪となるけど、首都圏以外ではそんなに報道されないような。東京キー局の放送が他県にも垂れ流しなことが多いんで、なおのこと感じてしまう。関東域の放送で留めても十分な内容だ。偶然なのか、今回のサザエさんがカツオくんが雪が積もってほしいと喜ぶ内容。今も昔も小学生以下の子どもは、雪が積もると喜ぶのであろう。増してや学校が休みになればなおのこと。歴史上の事件
久しぶりの雨明日は雪?でもクルマ通勤がない今は花粉襲来!が気にかかるんですなぜなら家の周りの杉の木たちはくっきりはっきりと緑からREDに変身!!そこで2月に入り昼間のオープンエアは厳禁体制へ「花粉対応モード」に突入しました※一説では花粉飛散の1日のひどい時間帯は11時ごろから14時ごろと夕方から19時ごろの二度あるらしく温度が急に上がる時、下がる時大気が混ぜ混ぜするらしい…3年ほど前からやっている花粉対策それは…家の中に極力
(133)雪解けの足音彩り豊かに紅葉していた木々が、すべての葉を落として寒々しい木枯らしに吹かれています。冬木立色ある者はなかりけり正岡子規雪に埋もれる冬木立近江湖西マキノにて厳しい寒さにもかかわらず、人々の美意識は冬枯れの景色にも情緒豊かな趣きを感じています。山里は冬ぞ寂しさまさりける人目も草もかれぬと思へば源宗于朝臣(みなもとのむねゆきあそん)(百人一首28、古今和歌
「坂下門外の変」無駄な時間は少なくしたいみなさん、おはようございます百田尚樹さんは手術をして「無駄なことをやる時間はない」対して高須院長は「難しいことを考えずに楽しくやれ」と何となく言わんとすることがわかりますアリガトウ「1月15日」の國史です「坂下門外の変」文久2年(1862年)老中・安藤信正が水戸藩の脱藩浪人6人に襲撃されました桜田門外の変(1860年)で大老・井伊直弼が安政の大獄の報復で闇討ちされますその後、大名の警備は厳しくなっ