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※和意谷池田家墓所「三のお山」左(手前)が池田光政公、右(奥)が勝子の墓です池田光政公、勝子の墓1️⃣戦国武将の墓・供養塔シリーズ戦乱の時代は、おおまかに言うと応仁の乱(1467年応仁元年)から大坂の陣(1615年)までで3つのカテゴリに分類されると思います。1️⃣戦国時代応仁の乱(応仁元年1466年)から室町幕府の滅亡、織田信長政権の成立(天正元年1573年)2️⃣安土・桃山時代織田政権(天正元年1573年〜天正13年)豊臣政権(秀
期間:2024/04/30〜05/08天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額薬)阿茶局:雲外暁光覇)足利義輝:剣気森然戦)江:大猷の抱き守戦)徳川秀忠:精励の大器覇)徳川家光:泰平の礎武)羽柴秀次:黒衣の番将©コーエーテクモゲームス
ブログテーマ『城郭建造物の「櫓」の内「平櫓(一重櫓)」』にスポットを当てて、具体的なお城の写真をお届けしています。「平櫓(一重櫓)」については、「はじめに」をブログで掲載していますのでどうぞご覧ください。「平櫓(一重櫓)」の「はじめに」↓『城郭建造物『全国「平(一重)櫓」を巡る”はじめに”』』今回からのブログテーマを城郭建造物の「櫓」の内「平櫓(一重櫓)」に絞ってお届けしようと計画しています。過去に、全国「復元、復興、模擬」の「天守シリーズ」「三…ameblo.jp※全国
さてさて………………【仁和寺】から次の目的地へと向かう道中鳥居が見えてきたぞっここはノーマークだったその場所は…………………【福王子神社(ふくおうじじんじゃ)】京都府京都市右京区宇多野福王子町52せっかくなんで、もちろん参拝させていただいます光孝天皇の女御で、宇多天皇の母である班子皇后を祀る宇多天皇が【仁和寺】を開いたことから、【仁和寺】の鎮守社とされる由来によれば、前身は延喜式に名前が見える【深川神社】だったが、「応仁の乱」で焼失(1468年)したその後の寛永21年(16
期間:2024/04/23〜05/09天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額戦)徳川秀忠:仁孝恭謙の徳呪)徳川家光:大権現の尊崇戦)徳川家康:天下泰平の志武)松平信康:三郎の尊影射)督姫:神君の血縁戦)江:大猷の抱き守星2戦)酒井重忠:奇襲©コーエーテクモゲームス
☆主は変わってもそこに咲く桜の花*天下一・高遠(たかとう)の桜(伊那市)高遠城址1500本の「コヒガンザクラ」その美しさと南アルプスを望む眺望は”天下一”二代将軍・徳川秀忠には、三代将軍となる「家光」のほか、側室に男児がいたが、極秘裏に信州・高遠城で育てられていた。家光は、将軍になってから始めて、弟の高遠藩主「保科正之」の存在を知る。
4月19日AM9時の開門と同時に撮影。1627(寛永4)年に上野恩賜(おんし)公園の中に創建された上野東照宮。「東照宮」と言うと、日光東照宮が有名ですが、江戸時代遠く日光まで参拝に行けない江戸庶民の人々のために、三代将軍徳川家光が日光東照宮に準じた豪華な社殿を建立したとされています。ちなみにこの社殿、関東大震災や第二次世界大戦でも崩壊せずに残ったようです。上野恩賜公園に来たら、ここには是非とも寄りたい場所ですね😊上野恩賜公園内のツツジも撮影してきました🌺
只今、ブログテーマを城郭建造物の「櫓」の内「平櫓(一重櫓)」に絞り、具体的なお城の写真をお届けしています。「平櫓(一重櫓)」をスタートするにあたっては、「はじめに」をブログで掲載していますのでどうぞご覧ください。「平櫓(一重櫓)」の「はじめに」↓『城郭建造物『全国「平(一重)櫓」を巡る”はじめに”』』今回からのブログテーマを城郭建造物の「櫓」の内「平櫓(一重櫓)」に絞ってお届けしようと計画しています。過去に、全国「復元、復興、模擬」の「天守シリーズ」「三…ameblo.jp※
只今、ブログテーマを城郭建造物の「櫓」の内「平櫓(一重櫓)」に絞り、具体的な写真をお届けしています。「平櫓(一重櫓)」をスタートするにあたっては、「はじめに」をブログで掲載していますのでどうぞご覧ください。「平櫓(一重櫓)」の「はじめに」↓『城郭建造物『全国「平(一重)櫓」を巡る”はじめに”』』今回からのブログテーマを城郭建造物の「櫓」の内「平櫓(一重櫓)」に絞ってお届けしようと計画しています。過去に、全国「復元、復興、模擬」の「天守シリーズ」「三…ameblo.jp※全国の
こんにちは、エリりんです。3月中旬のことですが、日光へ行ってきました(今頃)。泊まりがけで行くのは、えーっと、30年近くぶり?えっ?ホント?まあ日帰りでも行けるからなあ。まずは東照宮。ちょうどスギ花粉がピークの頃にスギ並木に突っ込んでいきました笑。わーい。ひさしぶり。もうスギだらけでどうでも良くなってきました。東照宮って小学校の修学旅行で行ったけど、全然興味なかったよね。大人になってからよ、ちゃんと見るようになったの。あ
東叡山寛永寺(台東区)の御朱印です。9回目開山堂(両大師)根本中堂限定復刻版『徳川切り絵御朱印』東叡山寛永寺宗派・天台宗関東総本山本尊・薬師如来創建・寛永2年(1625)開山・天海開基・徳川家光
上野にある寛永寺江戸城を守る鬼門除けとして天海が創建しましたしかし家光の頃から別の意味も持つようになります天海を信頼していた家光は自分の葬儀は寛永寺で行い家康が眠る日光に埋葬してほしいと遺言を残しますその後増上寺と同様に徳川歴代将軍の霊廟としての役割も担うようになりました非公開ですがここには4代家綱5代綱吉8代吉宗10代家治11代家斉13代家定の6人が眠っていますそして家定の御台所・篤姫(天璋院)も<大河ドラマ
東京都港区にある「狸穴町」は「まみあなちょう」と読み、正式には「麻布狸穴町」。外苑東通りより古川(渋谷川)の谷へ向かう斜面に位置する町であり、傾斜部の大部分はマンションや住宅などが並ぶ住宅地となっている。アナグマが棲む穴があった場所ロシア大使館の東隣にある狸穴坂に由来する。坂の名前は猯(アナグマやタヌキのこと)が棲む穴「猯穴」があったことに由来する説がある。1644年(寛永21年)、将軍・徳川家光がこの穴の視察を命じたという話も残っている。他にも、魔魅(人をたぶらかす魔物の類)が住むよう
2月4日の木の芽春立つ日に開催したサイバー鈴木の『小江戸川越開運ツアー』今日は一年前の川越ツアーでも訪れたこちらの有名寺院さんです✨☆慈恵堂(本堂:県指定有形文化財)『星野山無量寿寺喜多院』別称:川越大師ご本尊元三大師創建天長7年(830)開基円仁天台宗寺院の喜多院のご本尊は元三大師。慈覚大師が天長7年(830)に淳和天皇の命で創建したのが始まりとされます。当時のご本尊は阿弥陀如来だったそうです。その後、平将門の乱や比企の乱により衰退しますが、鎌倉時代後期の永仁4年(
Longlongago京都・西陣の八百屋の娘「お玉」が徳川家光の側室となり五代将軍の綱吉の生母になったことから女性最高位の「従一位」になり女性の異例な出世を「玉の輿」と呼ぶようになりました。その後1905年1月20日京都・祇園の芸妓の「お雪」がアメリカの大財閥のモルガン氏の甥ジョージ・モルガンと結婚した1月20日を「玉の輿の日」と呼び女性が大金持ちと結婚することを「玉の輿」と呼ぶようになりました。大谷翔平選手のお相手「田中真美子さん」は現代版の「お雪さん」だよな。一生涯、
こんばんは、アナログです。フジテレビ版の「大奥」、ちょっと見るのが辛くなって来ました徳川家治の息子である家基が後継ぎと目されながら早世したのは事実ですが、史実では彼はその時満16才と、当時の成人男子の年齢になっていて、幼い時に亡くなったのではない。また、その突然の死から暗殺説が根強くありますが、それも毒殺説が主です。松平定信が黒幕だったとか、猿吉が実行犯だったとか、家治の出生の秘密とかはストーリーを面白くするための演出としてまだ許容範囲としても、史実をねじ曲げてまで話を無理やり作るのは如
2024.1.7質素ながらも豪華日光東照宮の次は輪王寺に参拝(2年連続の参拝です)輪王寺の創建は奈良時代にさかのぼり、近世には徳川家の庇護を受けて繁栄を極めました。日光山内の社寺は、東照宮、二荒山神社、輪王寺があり、これらを総称して「二社一寺」と呼ばれています。東照宮は徳川家康を「東照大権現」という「神」として祀る神社である一方、二荒山神社と輪王寺は奈良時代に山岳信仰の社寺として創建されたもので、東照宮よりはるかに長い歴史をもっています。「二社一寺」がこのように明確に分離するのは明治
さて、前回に引き続き、お江の方から天皇陛下に至るまでの流れで、今回は3代将軍徳川家光時代劇に登場する頻度も高い人物この方、若い頃は男性が好き(今なら非難される事ではないけど、家という価値観が絶対的だった当時はおおごとだった)当時の言い方をするなら男色にふけるって事で、これは徳川幕府にとって一大事と、乳母である春日局が躍起になったそうして、最初にお手がついたのが、公家の六条有純の娘で尼僧だったと言われるお万の方次が、蒲生家に仕える岡吉右衛門の娘、お振の方吉右衛門の母は石田三成の娘と言
🐲辰2024🐉0352023年09月16日(土)『2023年秋東海道の御朱印巡り&仲間との再会』4年ぶりの仲間との再会を前に東海道沿線の御朱印巡りをしますつづいては徳川3代将軍家光公が創建日本三東照宮瀧山東照宮※瀧山寺・瀧山東照宮「瀧山寺・瀧山東照宮」の情報は「岡崎おでかけナビ」で。瀧山寺は1300年前に開かれた古刹。天武天皇の勅願により薬師如来を祀り、吉祥寺と名乗ったのが始まりとされています。寺の裏には家康公が建立し、家光公によって再建されたといわれる日吉山王社もあります
まなちゃんのパパ👨だよ(芦田愛菜だよ)見るの忘れたんだよねあまり把握出来ていない番組のスケジュール🗓️どちらの局なのかもあまり知らないまなちゃんのパパ👨は竹千代改め3代将軍徳川家光(を、演じていました)まなちゃんのパパ👨の徳川家光さんが結構好きなんだ大奥第一章のね上様芸能人のなりすましアカウントが増えていて民が怯えております
東京都豊島区にある「目白」はJR山手線の駅を中心とした町で、娯楽施設は少なく、ほとんどが閑静な住宅地で、高級住宅街の一つでもある。皇室一族の多くが通う名門の学習院大学がある。白い名馬、目白不動尊に由来するこの地で生まれた白い名馬に由来するという説がある。他にも、三代将軍徳川家光が鷹狩りの際に、目黒に対してこの地を目白と呼むように命じたという説や、目白不動尊に由来する説がある。江戸開府の際、天海(慈眼大師)がこの地を守護するための5体の不動の像をつくり、目の色を赤・黒・青・白・黄にしたこと
東京都杉並区にある「高円寺」は杉並区の北東部にあり、駅周辺は商店街が多く、それ以外は閑静な住宅街である。学生向けのアパートやワンルームマンションが多く、古着屋や雑貨店、小さなライブハウスなどがあり、独り暮らしの若者に人気がある。また阿波踊りでも有名。徳川家光がよく訪れた場所文字通り、寺の名前に由来する。この町はかつて「小沢村」と呼ばれていたが、三代将軍徳川家光が武蔵野へ鷹狩りに行く際、この地にあった高円寺(高円寺南四丁目)をよく訪れたので、この周辺が「高円寺」と呼ばれるようになったという
なんとなく気が悪いところがわかりますし知っていますが上野が外人さんだらけでここはどこなの?状態ぎゃーぎゃーばかり聞く👂ぎゃーぎゃーぎゃー😱アメ横もすっかり変わってしまってそれはもう数年思っていましたがぎゃーぎゃー日本語じゃないやつが多い治安がほんと心配です上様に言ってみる?春日局バージョンでいきましょう上様お国の気が乱れておりまするこのままでは民が乱れます不安無き安寧の世が続きますよう何卒よろしくお願い申し上げます🙇お爺ちゃん👴(徳川家康公)が
本日はわかどしよりです!若年寄(わかどしより)とは江戸幕府の職名。老中に次ぐ重職であった江戸幕府の若年寄全国支配の担当である老中に対し、旗本や御家人の支配を軸とする将軍家の家政を担当した寛永10年(1633年)に3代将軍徳川家光が、松平信綱・堀田正盛・三浦正次・阿部忠秋・太田資宗・阿部重次の側衆6名を日常の雑務を扱う六人衆としたことを嚆矢とするこのうちの4名がその後老中に昇進したためこの制度は慶安2年(1649年)に廃止され、その職掌は老中に移管された
昨年のことです。日御碕神社にて芸術奉納をさせていただきました。ご訪問ありがとうございます。一般社団法人八百万一般社団法人日本SBNR協会代表理事妃谷朱理です。このご奉納に関しては私のエゴが噴出してきてここに辿り着くまで紆余曲折、大変でした。いつもの如く「あ、音楽と舞のご奉納をする。物語に乗せて」というメッセージが来たのですがそこに純粋に実直に向き合えなかった自分が出てきて悶絶する流れから始まりました。責任このふた文字が私に重くのしかかり気がつくと、い
令和6年2月24日(土)今回は午後から久しぶりに二条城に行くことにした。京阪電車(三条)⇒地下鉄東西線(二条城前駅)二条城は徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするため築城したものとされている。《世界遺産二条城》東大手門。東南隅櫓。宣伝用の屏風。城内図。唐門。二の丸御殿(国宝)。二の丸庭園(特別名勝)。本丸櫓門。梅林。梅林。内堀、天守閣跡。本丸御殿。天守閣跡からの眺望。本丸御殿・本丸庭園。遠くに比叡山と大文字山。清流園。香雲亭。結
静嘉堂文庫美術館に行ってきました。こちらの建物も重要文化財。静嘉堂文庫美術館といえば、東洋の至宝中の至宝、曜変天目茶碗が展示されてます。中国南宋時代に、福建省の建窯(けんよう)で焼かれた茶碗です。曜変天目茶碗は、国宝で、現在3点しかなくここに展示されているのは1番美しいそうです。また徳川家光が、春日の局に贈った茶碗とも言われてます。残念ながら、写真はNGです。。また今回は、岩崎家のお雛さまが展示されてました。さて、我々の狙いは、曜変天目のぬいぐるみです。人気でなか
現在、根津美術館では、2つのやきもの展が同時開催されています。(注:展示室内の写真撮影は、特別に許可を頂いております。)1つは、“魅惑の朝鮮陶磁”。根津美術館のコレクションを中心に、朝鮮陶磁の名品の数々を紹介する展覧会です。それらの中には、貴重な5世紀の陶質土器や、車輪双口壺朝鮮・三国時代(伽耶)5世紀個人蔵特に民藝運動の作家たちに愛された白磁、白磁壺広州官窯朝鮮・朝鮮時代15~16世紀秋山順一氏寄贈根津美術館蔵
大河ドラマ「どうする家康」の総集編ということで「”家康”のでき事と所縁ある”お城”を振り返ろう」シリーズを只今進行中。途中何度かの中断があり2024年に突入していますが、引続き最後まで完結したいと思いますので、「家康ファン」「どうする家康ファン」「戦国時代ファン」の方は暫くお付き合いください。<「家康」等の出来事>前回の「津城」に引続き、「家康」は城郭づくりに手腕を発揮していた「藤堂高虎」に、「伊賀上野城」の強化を命じて修築をさせました。またこの時期(1610年)には、「名古屋城」
🍀2月14日🍀スタンプラリー参加中💜六所神社一の鳥居💜石段💜六所神社楼門💜5万石以上の大名だけが登ることを許されたという石段を上がった先にあるご極彩色の楼門徳川家光によって建てられた。国の重要文化財に指定されており昭和48年より51年かけて大修復工事が行われ往時の絢爛豪華な姿に蘇った。