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気がつきゃこれも今日まで。ああ、忙しない。先ずは阿茶局さん。敵全体術ダメ0.90味方全体回復0.40全敵味方溜め解除このターン現代兵器使用者溜め付与(2.0)まあ、色々する人だねぇ……しかもそれが全部高度にまとまっている。術ダメは威力十分……星4ならペナルティ付くレベルの数値。そして……全体回復0.40ってマジ?凄くないか、これ?攻撃のついで(?)に出すレベルじゃないぞ。しかも敏捷依存だから工夫次第で便利かも。溜めの解除と付与については……まあ、複雑に見えて素直なもんだ
品川宿ミニツアー、続きです売り物件じゃなくて。。。土蔵相模跡土蔵相模とは、幕末~明治にかけて存在した、相模屋という妓楼です。土蔵造りの建物であったため、通称「土蔵相模」と言われていたそうです。安政6年(1860)、「桜田門外の変」の前夜、水戸藩士たちが今生訣別の酒宴を張った場所でもありまた、文久2年(1862)、「英国公使館焼き討ち事件」を起こした長州藩士たちが集結したのが、ここでした。この事件は、品川御殿山に建設中の英国公使館を、攘
期間:2024/04/30〜05/08天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額薬)阿茶局:雲外暁光覇)足利義輝:剣気森然戦)江:大猷の抱き守戦)徳川秀忠:精励の大器覇)徳川家光:泰平の礎武)羽柴秀次:黒衣の番将©コーエーテクモゲームス
期間:2024/04/23〜05/09天井:300(100&200時に星4と交換可)倍率:2倍初回:半額戦)徳川秀忠:仁孝恭謙の徳呪)徳川家光:大権現の尊崇戦)徳川家康:天下泰平の志武)松平信康:三郎の尊影射)督姫:神君の血縁戦)江:大猷の抱き守星2戦)酒井重忠:奇襲©コーエーテクモゲームス
『寛永御前試合』というのを知っていますか?時代劇好きな私はよく『時代劇チャンネル』をよく見ます。で、先日放送されていたのが里見浩太朗主演の『寛永風雲録激突!知恵伊豆対由比正雪』物語は『寛永御前試合』をもとに作られた荒唐無稽の話です。『寛永御前試合』というのは講談の題材の一つで江戸時代の寛永年間に武芸好きと言われた三代将軍徳川家光が上覧の御前試合が行われたという設定で語られる架空の話です。もちろん史実に基づくものでなく講談師によって登場人物・対戦する武芸者の組み合わせも
さてさて………………【仁和寺】から次の目的地へと向かう道中鳥居が見えてきたぞっここはノーマークだったその場所は…………………【福王子神社(ふくおうじじんじゃ)】京都府京都市右京区宇多野福王子町52せっかくなんで、もちろん参拝させていただいます光孝天皇の女御で、宇多天皇の母である班子皇后を祀る宇多天皇が【仁和寺】を開いたことから、【仁和寺】の鎮守社とされる由来によれば、前身は延喜式に名前が見える【深川神社】だったが、「応仁の乱」で焼失(1468年)したその後の寛永21年(16
う、産まれる。もう、すぐに。中世肥前の雄『有馬』の地、現南島原市に。『馬が有る・有馬』の名と誇りを復活する者が。み、見える。その者、龍の力を借りて、火の鳥のように、地球一の麺を作る男なり。誕生は、もう、|諫早神う、産まれる。もう、すぐに。中世肥前の雄『有馬』の地、現南島原市に。『馬が有る・有馬』の名と誇りを復活する者が。み、見える。その者、龍の力を借りて、火の鳥のように、地球一の麺を作る男なり。誕生は、もう、目の前じゃ。あの戦で今もさまよう者共よ。もう、安ぜよ。|諫早神note.comおい
誰の作品?将軍様の作品でしたか。徳川家光さん、将軍様だ。武断政治の人だな。改易の連打!この人、絵が下手というか、味のある絵をたくさん残している。おかしいよな、徳川家って。狩野派の画家から絵を習ってるはずなんだよ。確か、綱吉や吉宗は絵が上手い。家光の描くウサギやニワトリを観る機会があれば。ぜひ、ご鑑賞を!
名古屋城の本丸御殿(後半)本丸御殿の廊下や天井などにも見どころはたくさんあります。次は徳川家光上洛時に増築された上洛殿です。絢爛豪華に飾られた城内から外に出ました。金のシャチホコが見えます。不明門。御殿椿。名残惜しいので何回も天守を仰ぎ見ます。足もとにこんなものがありました。(撮影:2023.10.16)
※和意谷池田家墓所「三のお山」左(手前)が池田光政公、右(奥)が勝子の墓です池田光政公、勝子の墓1️⃣戦国武将の墓・供養塔シリーズ戦乱の時代は、おおまかに言うと応仁の乱(1467年応仁元年)から大坂の陣(1615年)までで3つのカテゴリに分類されると思います。1️⃣戦国時代応仁の乱(応仁元年1466年)から室町幕府の滅亡、織田信長政権の成立(天正元年1573年)2️⃣安土・桃山時代織田政権(天正元年1573年〜天正13年)豊臣政権(秀
☆主は変わってもそこに咲く桜の花*天下一・高遠(たかとう)の桜(伊那市)高遠城址1500本の「コヒガンザクラ」その美しさと南アルプスを望む眺望は”天下一”二代将軍・徳川秀忠には、三代将軍となる「家光」のほか、側室に男児がいたが、極秘裏に信州・高遠城で育てられていた。家光は、将軍になってから始めて、弟の高遠藩主「保科正之」の存在を知る。
徳川家の菩提寺、大樹寺徳川家・松平家の菩提寺、大樹寺にやってきました。この山門は、1641年に徳川家光が建立したものです。中に入ると、すぐ右に鐘楼が見えます。正面の本堂に向かいます。1475年に松平親忠が創建しました。その後、火災で焼失したため、1857年に徳川家定が再建したものです。多宝塔は1535年、松平清康が建立しました。本堂の中を拝観しました。徳川家康の座右の銘とされる「厭離穢土、欣求浄土」の8文字がいろいろなところで見られました。その後、大樹寺をあとにし
今日のブラタモリは「松本城」。まず、この松本城が国宝指定されたのはその複雑な形状ゆえだった、と説明がありました。合計5つの天守と櫓がつながって、いろいろ付け足しされているような形です。その特殊な形状は、武田信玄、石川数正、松平直政の3人の手を経て増築された結果でした。下の写真は、緊急事態宣言が解除され感染者が落ち着いた頃に日帰りで行った松本城。今年は夏休みなしだったけど、その前に行っておいてよかった。去年11月に計画を立てながら、感染者が増加傾向で諦めた、そのリベ
こんにちは、今日もご訪問いただきましてありがとうございます(^^)/AnnieKです前回のつづきで日光東照宮の(その2)です。(その1)は、こちらをご覧ください。次は薬師堂「本地堂」へ行くのですがその前にちょっと「へー!」なお話を日光東照宮の五重塔、唐門、陽明門などに施された彫刻はなんと5,173体もあると言われています。そして、前回もお話したとおり、すべてに意味があります。動物の
先日の、くさせんり師匠との島原ドライブの続きです。松倉重政と板倉重昌ってどんなイメージの人物でしょうか?松倉重政は、島原藩初代藩主。キリシタン弾圧の名目で、住民に暴政を敷き、重税を課して息子の松倉勝家の時代に島原の乱が勃発する遠因を作った人物。そして、板倉重昌は勃発した島原の乱を鎮圧する為に幕府軍を率いて原城を包囲するも、功を焦って戦死した人物。どちらも、地元・島原の目線からすると、外部からの忌むべき侵略者のようにも受け取れるようにも思えます。そんな二人が期
久能山東照宮は48年ぶり日本平ロープウェイに乗って久能山に向かいます。久能山東照宮は48年ぶりです。楼門から中にはいります。鼓楼です。さらに階段をのぼって拝殿に向かいます。以前来た時は海側から1159段の階段を上がりました。今回はロープウェイを利用したので老人向けのコースだといえます。(撮影:2023.10.17)
ブログテーマ『城郭建造物の「櫓」の内「平櫓(一重櫓)」』にスポットを当てて、具体的なお城の写真をお届けしています。「平櫓(一重櫓)」については、「はじめに」をブログで掲載していますのでどうぞご覧ください。「平櫓(一重櫓)」の「はじめに」↓『城郭建造物『全国「平(一重)櫓」を巡る”はじめに”』』今回からのブログテーマを城郭建造物の「櫓」の内「平櫓(一重櫓)」に絞ってお届けしようと計画しています。過去に、全国「復元、復興、模擬」の「天守シリーズ」「三…ameblo.jp※全国