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2023年5月5日(日)こどもの日のこの日こどもの日とは関係なく鳥取に遊びにいきました朝10時に思い立って岡山出発昼12時頃到着!持ってった弁当、風に吹き飛ばされそーになりながら、必死でたべる智頭宿散策夜岡山の産直で鯖寿司と野菜買って帰る智頭宿人気のパン屋のタルマーリーさんやお土産屋さん、カフェなどがある風情のある宿場町?なのかな突然見つけて訪れたものですから、、めっちゃ癒やされるー🌠そびえ立つ山々が最高❕杉の木がグリーングリーンしていてなんだかまどろんだ町で
穂高から、木曽路に向かい出発した。ルートを選ぶ時点で、距離と有料道路を選択すると、上高地を入る道の前を通ったので大渋滞だった。上高地には車を置いて、駐車場からバスで移動するらしい。駐車場までの道はノロノロずっと渋滞は続いている。それを横目で見ながら、木曽路に進む。そこから、ずっと山道を走る。木曽路は本当に山の中だった。まず、目指すは寝覚の床浦島太郎の伝説があるところ景勝地河原に降りて、岩の上に登っている人たちも沢山いた。どうやって、この風景が成
東海道、池鯉鮒(現在の知立)宿。知立古城址から少し西へと進むと、すぐにこの“池鯉鮒大明神”と書かれた灯籠が。↓↑ここを右折。灯籠脇を歩くのは、いつも“歴史のお話”の裏方一切を仕切る、実は名ベーシストの人神人(ヒトシンド)君と、その弟子。やがて見えてきたのは、知立神社。↓↑祭の準備が始まっている。鳥居の篇額。↓手水舎。↓神池。↓↑この池に鯉や鮒が居るので、池鯉鮒(ちりゅう)という表記がされるようになったとか。拝殿。↓主祭神は、ウガヤフキアエズノミコト
前回の記事から早半年笑ご無沙汰してます皆さまお元気でしたでしょうか。遠野では春のお祭りがつい先日終わったばかりのようです。行かれた方は楽しんで来られた事でしょう!ではだいぶ昔の写真になりますが、続きですキレイなカンナガラですね〜その昔はカンナガラという言葉すら知りませんでしたが、語源は何なのでしょうね音の響きも良いですね〜神社の奉納が終わると町中をお囃子にのせてパレード。モフモフの獅子が練り歩きます改めて、面白い形ですついついシャッターをきってしまいます初めて見る方の感想
実は東海道五十三次のファン。美術系のことにはまったく疎いのだけれど、広重の浮世絵は好きなのだ。私の小さな夢のひとつに、東海道五十三次を制覇する!ってのがあって。それを後押しするかのように用意された御宿場印帳というものがあるのよ。行きやすいようで、なかなか来なかった東海道の出発点・日本橋。ようやく宿場印getです何が楽しいかっていうと、浮世絵と現代の姿の違いを見比べること。ずいぶん変わった景色もあるのだろうけど、ほぼ江戸時代と変わらない場所もあ
旧東海道水口宿「宿場町」をぶらり歩きしました東海道五十三次50番目の宿場『水口宿』宿場町と城下町、両方の名残がある水口宿。水口宿は「街道一の人とめ場」と言われるほど、人々が訪れ栄えていました。名物は「水口かんぴょう」「江戸口」と呼ばれている水口宿東見附跡あっ!家康公が逃げたwww水口宿脇本陣跡水口宿本陣跡高札場跡歩いていると、曳山の飾りをぶら下げているお家やお店をチラホラ見かけました問屋場跡大池町のからくり時計「からくり人形」もバッチリ見れました
大田原宿の一番中心の「金龍灯」交差点(昔から、奥州街道の夜を照らす「灯火」だったそうだ)この交差点を右に曲がり、那須塩原市に入り、西那須野駅へこの大田原の中心地から、西那須野駅に向かう間の県道が、一番にお店などが多かった。元々、大田原の街の方が中心地であったはずが、、、鉄道開通の際に「蒸気機関車の煙害」などの危険性から、町の中心を走らせられず、、、街外れの小高い丘の上を走るようになり、そちらが、この地域の交通拠点となってしまい、、、元々の「街道宿場町」が衰退していってしまったことに
過ぎ去った時間に会いたくて馬籠宿から中山道を歩いてきました。懐かしい友人と再会し中山道を珍道中。今はまだ会って話せる人が限られている中で、久しぶりに元気にしてるかな?と思い出したので私の方から連絡を入れてみました。年賀状のやり取りで夫が亡くなったことを伝えていたので、私のことを気にかけてくれていたみたい。久しぶりに会おうってことになりました。再会の場所になぜ中山道を選んだのか…古い町並みを歩きながらおしゃべりしてお蕎麦を食べてカフェでお茶
気持ちが動いたので過ぎ去った時間に会いたくて中山道の馬籠宿に向かいました。夫のことを知る私の友人と再会しました(同級生で同期の子)確かにあった時間。私はすっかり忘れていたけれど、夫とその子とのやりとりを彼女は覚えてくれていて夫も彼女のことをよく覚えていて時々話題にも出ていたの。それで夫が彼女と再会させてくれたのかな楽しい時間でした馬籠宿お蕎麦屋さんスタートは腹ごしらえから中山道の馬籠宿でお蕎麦を食べましたかけそばよし!歩こう旅は、続きま
現在の東武鉄越ケ谷駅開設記念越谷駅東口市街地は江戸時代から日光道中の越ケ谷宿として栄えた宿場町である。1899年(明治32年)東武鉄道が開通する以前から大規模な集落が形成されていた。しかし東武鉄道が開通した当初は、越ケ谷宿北端に位置していた大沢町に越ケ谷駅武州大沢駅に改称を経た現在の北越谷駅が開業した。越ケ谷町には駅がなかった。当時の越ケ谷町(現.越谷市)は新駅を設けるように、町全体を挙げて熱心な誘致活動を行った。6つの条件を提示された。主なものとして、東武鉄道
GWの前半戦は、いろいろあって中々出かけられず、STAMP-SHOWにも行けませんでした。それでも29日の昭和の日にちょっとだけ出かける時間ができました。家からは路線バスで出かけます。途中で、モバイルSUICAの”のんびりホリデーSuicaパス”を購入しておきます。上野東京ラインの普通電車で出発。高崎から神保原まではSUICAで別清算です。東京まで100km以下となる新町からグリーン車利用します。出たのが遅かったので、もうお昼です。久しぶりに、”たるま弁当”を食べ
奥州街道は、やはり、田園地帯であった。田園地帯を歩いて行ったら、やっと、宿場町へ。旧・陸羽街道「鍋掛宿」到着。ただまぁ、ご覧の通り、何にも残っていない。と言うか、現在の「国道4号線」「東北本線」から、かなり、「東側」を走っている関係で、「お店」も、「コンビニ」も無いありさまで、、、様々な「旧街道」を歩いてきた中で、観光資源化しないで、駅や現在の国道から離れた形で「旧街道」があると、これほど、衰退してしまうんだ、、、って、事に、気付かされてしまいました。今まで撮ってきた写真を「Ph
(作文09号2017-04-3000:41:41)※当方からのイイね!が何故か反映されません《'240424…グ↻地図の左上写真クリックで【世界遺産迎合をしたりレトロスタバやレトロモダンショップでの観光レトロ化横丁ではない(«スタイルの否定ではありません)、本物の高部宿の町並みを観て見ました※日本津々浦々、ありのままの宝遺産の朽ちた部分の修繕とココ宅の木質での新追加を、地道にして行くモデルとなれればイイですね※茨城県常陸大宮市高部奈良県に少し傾いたままの茶屋が在る
4月14日日曜日北杜市白州台ヶ原宿という宿場町パンを買って帰ろうと思ったのですがすでに売り切れだったようでお店は閉まっていましたなので珈琲でも国道20号はよく通りますが台ヶ原宿に寄ったのは初めて七賢とか金精軒などがあって結構な賑わいでしたいつも国道を通過するとき、ここにこんなに人が集まっているなんて思ってもいませんでした(笑)そんな賑わいにヒッソリとたたずんでいるボロ家、、、もとい古民家?哀愁がありますブレヴィカウレさん
会社に行かないと一日に2000歩すら歩かない。栄養士さんから運動しないと。と言われ、、、苗木市を見ながら蕨の和楽備神社まで歩きました。股関節が痛くて大変でした、、、、車では通りますが、お詣りは初めて辰年だからか蕨は中山道の宿場町今でも旧中山道にはがあります。
昨日は地元・蕨の「苗木市」でしたので散歩がてら行って来ました。国道17号から一本それて並行している旧中山道で毎年行われています。蕨は日本一小さな市ですが、江戸時代には中山道の日本橋から二つ目の宿場町として大いに栄えていたのだそうです。埼玉にあった浦和宿、大宮宿、熊谷宿など9つの宿場の中では最も大きかったそうです。なんか信じられないなあ。苗木市が開催された昨日は、とてもいい天気で人もたくさん出ていました。道の両脇には屋台がずらりと。どの屋台も大繁盛。晩ごはん用にと、炊き込みご飯(2
高校生になって、自宅にいる時間が短くなりました普段の週末だと慌ただしくなかなかお出かけする気にもなれないけれど3連休なのでようやくお出かけしましたよ暑いけれど、良い天気☀️中山道の宿場町を散策したり、浮世絵美術館で浮世絵体験をしたり…我が家のお出かけ、相変わらずシブい上手にできました美味しいものもモチロン🎵栗パフェと五平餅久しぶりのお出かけは、地味だったけれど混雑もせずのんびり楽しみましたムスメは残りの時間は宿題したり、のんびり〜ハハは気になってもなかなか出来なかった
こちらをクリック近代と江戸時代が共存する元宿場町
中山道五十二番/六十九次宿場町鵜沼宿令和6年4月20日(土)江戸から京都を結ぶ中山道は、江戸時代に整備された5街道の内の1つに数えられ、全長135里32丁(約534km)の重要な街道で69の宿場町が置かれていました。鵜沼宿は、岐阜県内の美濃地方を東西に横断する中山道17宿の一宿です。岐阜県の街道ルートは、江戸方面の「馬籠宿」から京都方面の「今須宿」まで126.5kmが通り抜けています、11:10ⓅⓅや宿場は、思っていた
さて、ホテルをチェックアウトして一路国道19号にて南下します。途中の道の駅に各駅停車しながら辿り着いたのは奈良井宿。古き良き時代の風景が残っています。一応スタートから終点まで歩きました。私は撮り鉄ではありませんが、ついつい撮っちゃいますね。1時間ばかり滞在の後、また御影の駅巡りを。奈良井宿からのんびり移動して、道の駅に立ち寄りながら2時間ほどで妻籠軸到着。円安のおかげかもしれませんが、外国の方が何処も多いですね。ここには今でも営業されている宿がありますので、空いていれば泊まるこ
中山道奈良井宿にはたくさんのお蕎麦屋さんがありますが本日の昼食は相模屋さんで頂きましたそば定食麦とろご飯が美味しかったです再び街並み散策いい雰囲気のくぐり戸高札場隣の宮の沢水場
今日は地元、草津宿場祭りアングル同じですみません🤣
出雲街道の宿場町でもあった勝央町勝間田地区、歴史的な建物もあちこちに見られますがその間の旧家の庭や玄関先にもきれいな花が見られます。国道を離れて中の旧道を歩くといろんな出会いがあります。ナガミヒナゲシスノーフレーク花ニラ八重咲スイセン口紅スイセンフサザキスイセンオオアマナネモフィラ糸葉水仙ヒメキンギョソウビオラライラック?忘れな草白スミレミモザ、最近増えてきている気がします。こ
大津温泉おふろcaféびわこ座「大津温泉おふろcaféびわこ座」は、滋賀県大津市に2019年11月下旬オープンの全国で6店舗目となる「おふろcafe®」。「東海道五十三次の宿場町」をコンセプトにした温浴施設に加え、「大衆演劇」も楽しめる多くの世代の方に愛される施設を目指します。ofurocafe-biwakoza.comGW初日三女の希望で嫁さんと3人で大津温泉お風呂cafeびわこ座に行ってきました!アソビューで22%OFFのチケットを購入【最大798円割
宮城県富谷市「とみやど」富谷宿観光交流ステーション内ケ崎醤油店跡地にあり観光交流等の拠点宿場町の歴史文化を伝えています。地域経済の活性化を目指しています。☆4月27日「パンと珈琲と生はちみつの日連休など面白いイベントいろいろやっております。ぜひ訪れて魅力を感じて下さい!
こんにちは。琵琶湖湖北の街「海津」に行ってまいりました。海津「海津」は滋賀県高島市マキノ町の東部にあります。琵琶湖に面しており、湖上交通の要衝として栄えた宿場町であり港町です。マキノサニービーチJRマキノ駅横に無料駐車場があります。まずは、駅前からまっすぐに伸びる「アクアパレス通り」を琵琶湖に向かって歩きます。やがて湖につきあたります黄砂のせいか、この日は日差しがあっても景色は霞んでいました。マキノサニービーチa.
友人のテレビ放映のお知らせになります。明日27日土曜日夜6時テレビ朝日系番組名は、人生の楽園下呂市金山町で、民泊を経営している佐藤文さんが登場します彼女は、山形県出身でイギリスに留学したりアフリカ大陸に行ったり見聞録の豊かな人です。そんな彼女が金山町を気に入り民泊つむぎを作り地元の交流する場や空き家の改修イベントなど金山町に新しい風を吹かせてくれています。金山町の新しい可能性を感じさせますお時間のある方は是非、番組をご覧ください
高森は旧山陽道の宿場町だったらしく、ゆっくり歩くその名残が散見されます。まず町の規模に比較して寺が多く、しかも立派。吉田松陰宿泊之地!は石碑だけ(笑)。高森本陣跡は門が残ってました。そして高森小学校隣の八幡宮。比較的平らな盆地内に小高い山が目立って、ワシの中では高森のランドマーク。この階段は無理じゃわ。何段あるんじゃろうか。ブラタモリ的散策が好きなんです。
ブログにご訪問下さりありがとうございます♪更新しないと、しないのが普通になってしまいますね下書きに入れた記事3つめでございます先週は、仕事がある日もなんやかんやと、午前中出かけたりして、とても行動的に精力的に過ごしておりました。母の実家のご近所の木造三階建の建物とお庭が、昨年天然記念物に指定されて、先週末の一般公開日に見に行ってきました。茨城県常陸大宮市の高部宿です。(旧那珂郡美和村高部)昔は宿場町で栄えて、母の子供時代は旅館が3つもあったらしいのですが、時代は変わり、たばこの産業
今日から2泊3日で福島県内をマイカーでめぐる旅行にきました。最初の目的地は大内宿でしたが、あいにくの雨でした。江戸時代に栄えた宿場町とのことですが、かなり山あいの奥まった場所にぽつんとあるので、ビックリです。車でも大変なのに昔の人は本当にこんな不便な場所を歩いたのでしょうか?お昼時に着いたので、ここの名物のねぎそばとイワナのセットにしました。作法?に従ってねぎ一本を箸代わりにして3口ほどは食べましたが、やっぱり無理なので箸に変えて、ねぎはそばを食べつつ齧りました。次の目的地は日本100名