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県庁所在地の大津市。宿場町でもあり明治以前より4箇所の遊郭があった。その中の2箇所上柴屋と下柴屋と呼ばれた長等商店街に隣接した柴屋町遊郭。ここは滋賀県で一番有名だと言っても過言ではない遊郭があった場所。Googlemapでも水月楼と名前がでてくる。遊郭は経営者がよく変わるので時代によって楼名がちがうのもよくある話です。しかし私が訪れた6月またしても1ヶ月ほど前に解体されたであろう更地に。全国の遊郭ファンの間では知らない人はいないであろうこの遺構。見ることができず。幸
旧東海道水口宿「宿場町」をぶらり歩きしました東海道五十三次50番目の宿場『水口宿』宿場町と城下町、両方の名残がある水口宿。水口宿は「街道一の人とめ場」と言われるほど、人々が訪れ栄えていました。名物は「水口かんぴょう」「江戸口」と呼ばれている水口宿東見附跡あっ!家康公が逃げたwww水口宿脇本陣跡水口宿本陣跡高札場跡歩いていると、曳山の飾りをぶら下げているお家やお店をチラホラ見かけました問屋場跡大池町のからくり時計「からくり人形」もバッチリ見れました
GWの前半戦は、いろいろあって中々出かけられず、STAMP-SHOWにも行けませんでした。それでも29日の昭和の日にちょっとだけ出かける時間ができました。家からは路線バスで出かけます。途中で、モバイルSUICAの”のんびりホリデーSuicaパス”を購入しておきます。上野東京ラインの普通電車で出発。高崎から神保原まではSUICAで別清算です。東京まで100km以下となる新町からグリーン車利用します。出たのが遅かったので、もうお昼です。久しぶりに、”たるま弁当”を食べ
こんばんは!榎本家の野田藤を見た後は、信達宿を巡ります。ここは、熊野街道の信達宿です。その昔、大坂の天満橋から熊野三山に通じる熊野街道の宿場町でした。常夜灯江戸時代、明かりがなかった街道筋に建立され、宿場の目印、安全見守りとして、地元の人々により今に伝え守られています。本陣跡江戸時代中期以降、参勤交代で江戸に向かう紀州徳川家一行の宿。残念ですが、この日は中に入れませんでした。真如時(しんにょじ)本堂さざれ石貝塚いぶき徳川吉宗公が紀州藩主を務められていた際に真如寺に御宿泊
連休初日の昨日は早朝から妻籠宿へ。妻籠宿は長野県の南木曽町に位置する中山道42番目の宿場町。隣の馬籠宿や奈良井宿などと共に木曽路を代表する観光地です。昼間は車両通行禁止の観光客で賑わう古い町並みの通りですが、朝晩は通行可能となります。ということで早朝6時から愛車のシトロエンC4ピカソと古い町並みの写真を撮影しに行ってきました。江戸時代の雰囲気を残す宿場町とフランスのモダンデザインのコラボということで完全に自己満足の世界です(笑)
大田原宿の一番中心の「金龍灯」交差点(昔から、奥州街道の夜を照らす「灯火」だったそうだ)この交差点を右に曲がり、那須塩原市に入り、西那須野駅へこの大田原の中心地から、西那須野駅に向かう間の県道が、一番にお店などが多かった。元々、大田原の街の方が中心地であったはずが、、、鉄道開通の際に「蒸気機関車の煙害」などの危険性から、町の中心を走らせられず、、、街外れの小高い丘の上を走るようになり、そちらが、この地域の交通拠点となってしまい、、、元々の「街道宿場町」が衰退していってしまったことに
皆さん、こんにちは。本ブログは「嶺南若狭町熊川宿旅行記【上ノ町編】」です。❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖❖本ブログを通して、「福井県嶺南地方の魅力」をお届けできたらと思います。※この旅行記は緊急事態宣言が発令されていない2022年8月前半の内容です。※3回目のPCR検査を済ませてからの旅行になります。前回は「熊川宿に向かう道中及び道の駅」をレポートいたしました。未読の方はこちらから読んでいただけると幸いです。↓
****今回は横浜の弘明寺から一転して東京、それも足立区である足立区最大の町といえば江戸四宿のひとつの北千住であることは、どなたもご存じのことと思う江戸四宿といっても、品川はともかく板橋や内藤新宿は、さほど大きな町とはいえず(江戸という尺度において)、その規模は甲州街道の八王子宿と五十歩百歩だ、というより、むしろ八王子のほうが大きな町だしかし、千住は江戸のころから、北と南を合わせて人口一万を越える文字通りの大都会であった。現在、東京都の
隠れた名作だと思っている『無用ノ介』(日本テレビ系列で1969年3月1日~9月20日放送)の第9話~14話を紹介。第9話「やってきた無用ノ介」片腕勘兵衛(安部徹)と呼ばれるショボクレ賞金稼ぎが、無用ノ介(伊吹吾郎)が倒した海坊主を自分がやっつけたと馬子(河原崎健三)に自慢したことから、故郷で英雄に祭り上げられます。そこに、海坊主の仲間三人が、復讐のために勘兵衛のいる宿場町にやってきて……今回からオープニングが全面的に変更。無用ノ介が野良犬殺法で3人の侍を倒すスローモーション映像に、芥川隆行
陰陽を結ぶ特急やくもの根雨駅での列車行き違いを国道180号富士見跨線橋から見る。根雨の中心市街も一望。播磨国姫路を起点として出雲国松江を終点とする出雲街道に20ある宿場町のひとつ「根雨宿」。米子から上ってきた出雲街道は、津山へと向かう本線と、新見、高梁を経て倉敷、岡山へと向かう日野往来に当地で分岐することから交通の要衝として栄えた。江戸時代、松江藩主松平公が参勤交代の際、根雨に本陣を置いた。また、奥日野タタラ製鉄の一大産地として、巨万の富を築いた鉄山
続き何の予定も立ててなかった2日目。どこへ行こう追分宿へ行ってみました。車を停めた町営無料駐車場に枝垂れ桜が咲いてた。この辺り、車で走ってたら、まだあちこちで枝垂れ桜を見られました。では、旧中山道を歩いてみよう。ここにも桜。これは何桜かな浅間神社をお詣りして旧中山道をテクテク。歩き始めるがイメージしていた宿場町とは全然違ーうもっと、江戸時代のような街並み。建物が残ってる
今週末は一泊で長野県の奈良井宿→妻籠宿→松本、の旅です。今朝は4時起きで電車を乗り継ぎ、まず奈良井宿へ。こんなに早く起きたのは何年ぶり?5時半の電車に乗って、JR中央本線の奈良井駅に到着したのが11時半。奈良井宿は江戸時代に整備された五街道の一つ、中山道のちょうど真ん中にある宿場町。全体像はこんな感じ。メインの通りに当時の街並みが残っているのですが、思ったより長い通りでした。日本最長の宿場町だとか。(南北約1km、東西約200m)趣のある街並み。江戸時代にタイムスリップしたよう。
過ぎ去った時間に会いたくて馬籠宿から中山道を歩いてきました。懐かしい友人と再会し中山道を珍道中。今はまだ会って話せる人が限られている中で、久しぶりに元気にしてるかな?と思い出したので私の方から連絡を入れてみました。年賀状のやり取りで夫が亡くなったことを伝えていたので、私のことを気にかけてくれていたみたい。久しぶりに会おうってことになりました。再会の場所になぜ中山道を選んだのか…古い町並みを歩きながらおしゃべりしてお蕎麦を食べてカフェでお茶
先週15日から17日まで長野方面を旅行してきました以前から行きたいと思っていた阿智村の花桃の里。阿智村は、日本一美しい星空でも知られているところです。たくさんの輝く星を見ながら息子の事を偲びたいとも思っていました。そんな折り、4ヶ月ぶりにうちに来てくれた親友と話していたら、一日早く長野県に旅行に行くというのです。親友夫婦は14日に蓼科に泊まり、15日に安曇野に行く予定、その日はそんなに急がなくてもいいので、私たちが15日に行こうと思っていた高遠城址公園で会うことにしました。高遠城址公
この日は、福島県側から...宮城県白石市羽州街道(七ヶ宿街道)は今も藩政時代の往時を偲ぶ事ができます奥州街道と、山形・秋田へと続く羽州街道の分岐点(追分)が桑折最大の難所とされていた小坂峠を登りきると萬蔵稲荷神社が在ります100本以上の赤い鳥居が立てられています寄進すると誰でも立てられるのかな...大きな看板が立ってますこの旅館の歴史はまだまだ新しく1994年(平成6年)~一軒宿です入浴料700円(値上がりしましたね)奥へ突き当たりが温泉水を汲める場所5つ在るカ
友人のテレビ放映のお知らせになります。明日27日土曜日夜6時テレビ朝日系番組名は、人生の楽園下呂市金山町で、民泊を経営している佐藤文さんが登場します彼女は、山形県出身でイギリスに留学したりアフリカ大陸に行ったり見聞録の豊かな人です。そんな彼女が金山町を気に入り民泊つむぎを作り地元の交流する場や空き家の改修イベントなど金山町に新しい風を吹かせてくれています。金山町の新しい可能性を感じさせますお時間のある方は是非、番組をご覧ください
岐阜大垣夜城園岐阜県大垣市墨俣いつぞやの合併フィーバーで大垣市になったこの美濃路の宿場町。長良川と揖斐川に挟まれつつも重要な宿場町として栄え遊郭も繁栄したようです。墨俣といえば加藤藤吉郎が一夜城を築いた場所で有名ですが実際はお城ではなく砦で7日かかったと言われてます。あちこちで遊郭跡の解体が進んでいるのでどうしても現存する姿が見たくて行ってきました。大垣市ではあるものの飛地のため開発も進まず古い街並みその楽しめますが市民センターの並びにあったモザイクタイルのステキな銭湯
前の続きですまごめやでお蕎麦を堪能後腹ごしらえを兼ねて馬籠宿を散策です中山道は厳しい道ですのでしかも暑い😅妻籠宿まで歩くのは無理かなひたすらテクテクこの日は急に暑くてなって夏に戻った?て感じでテクテクあんちゃんもあえなくダウン抱っこ攻撃に負け坂道を抱っこで歩きましたが途中で挫折ワンコOKのお土産屋さんに逃げ込みました途中こんな無人売店んもありましたよ安いでも既に完売状態ですけどね紅葉には少し早かったので景観はイマイチでしたけどいい汗かいたよ・・・・紅葉の時期に
2017年11月5日この日も、JR東海主催のさわやかウォーキングに参加しました。愛知県からJR中央線を北上して「藪原駅」までやってきました。休日だと「青空フリーパス」が使えるので、お安く往復出来るのが魅力でした。藪原は、長野県西部にある木祖村の中心集落です。鳥居峠の南麓にあり,北麓の奈良井とともに中山道の峠越えの宿場町として賑わっていました。「きそむら」といいますが、「木曽村」じゃなくて「木祖村」でしたよ。いつもは静かな木祖村にも、この日ばか
今日から2泊3日で福島県内をマイカーでめぐる旅行にきました。最初の目的地は大内宿でしたが、あいにくの雨でした。江戸時代に栄えた宿場町とのことですが、かなり山あいの奥まった場所にぽつんとあるので、ビックリです。車でも大変なのに昔の人は本当にこんな不便な場所を歩いたのでしょうか?お昼時に着いたので、ここの名物のねぎそばとイワナのセットにしました。作法?に従ってねぎ一本を箸代わりにして3口ほどは食べましたが、やっぱり無理なので箸に変えて、ねぎはそばを食べつつ齧りました。次の目的地は日本100名
飛騨街道の起点となる下呂市飛騨金山宿場町と栄えました。現在筋骨巡りとゆう古い街並みを楽しむ事ができます。飛騨金山のホームページに詳細があります。ガイドもお願いできるようです。高山をお昼に出て飛騨金山に着いたのは3時だったか。ドライブイン飛山に車を停めて散策。このドライブイン子どもの頃から高山に行った時はよく休憩に止まったけど自分の記憶からすると40年近く経過しているのでとても寂しい感じになってきてる。こちらはハウルの動く城の様な家がある。筋骨巡りとはこの辺りの細
中山道奈良井宿にはたくさんのお蕎麦屋さんがありますが本日の昼食は相模屋さんで頂きましたそば定食麦とろご飯が美味しかったです再び街並み散策いい雰囲気のくぐり戸高札場隣の宮の沢水場
高森は旧山陽道の宿場町だったらしく、ゆっくり歩くその名残が散見されます。まず町の規模に比較して寺が多く、しかも立派。吉田松陰宿泊之地!は石碑だけ(笑)。高森本陣跡は門が残ってました。そして高森小学校隣の八幡宮。比較的平らな盆地内に小高い山が目立って、ワシの中では高森のランドマーク。この階段は無理じゃわ。何段あるんじゃろうか。ブラタモリ的散策が好きなんです。
気持ちが動いたので過ぎ去った時間に会いたくて中山道の馬籠宿に向かいました。夫のことを知る私の友人と再会しました(同級生で同期の子)確かにあった時間。私はすっかり忘れていたけれど、夫とその子とのやりとりを彼女は覚えてくれていて夫も彼女のことをよく覚えていて時々話題にも出ていたの。それで夫が彼女と再会させてくれたのかな楽しい時間でした馬籠宿お蕎麦屋さんスタートは腹ごしらえから中山道の馬籠宿でお蕎麦を食べましたかけそばよし!歩こう旅は、続きま
鳥取県を南下して岡山県に入り道の駅山陽道やかげ宿へやってきました。日本海側にあった道の駅から瀬戸内海側へ一気に走ってきたわけですが、距離にして148km、時間は3時間10分程かかりました。”岡山県矢掛町”は岡山県の南西部にある町で、人口は1万3400人ほどです。かつて大阪と小倉を結ぶ旧山陽道五二次の内、一八番目の宿場「矢掛宿」として栄え、参勤交代で大名らが宿泊した本陣などが、今も健在で残っています。ここに道の駅が誕生したのは2021年3月28日です
熊川宿街道若狭地区に宿場町が作られたのは天正17年のこと。秀吉公から若狭領主に命じられた浅野長政が、軍事と交通の要所であると考えて宿場町をつくったのです。それまでは40戸ほどの小さな村だった場所に200超の住居を構える賑わいのある宿場町に育っていきました。コーヒー飲んでここでの目的の一つはコンニャクの買い物です主人が天の
さて、ホテルをチェックアウトして一路国道19号にて南下します。途中の道の駅に各駅停車しながら辿り着いたのは奈良井宿。古き良き時代の風景が残っています。一応スタートから終点まで歩きました。私は撮り鉄ではありませんが、ついつい撮っちゃいますね。1時間ばかり滞在の後、また御影の駅巡りを。奈良井宿からのんびり移動して、道の駅に立ち寄りながら2時間ほどで妻籠軸到着。円安のおかげかもしれませんが、外国の方が何処も多いですね。ここには今でも営業されている宿がありますので、空いていれば泊まるこ
昨日今日は涼しくて、この夏以来初めてエアコンなしで過ごせました。このまま秋になってくれればいいんだけど、予報によると火曜日からまた暑くなるらしい。あと一週間で10月だけど、秋はほんとにやってくるんだろうか?そんな私の今日のブログは今から4カ月ほど前のお話。47都道府県全部行ったつもりでしたが、福島県に行った記憶がない。バスで通ったとかそういう記憶すらないので、これは行ってないのかもと思い福島県に行くツアーを探してみました。ということで、5月の半ば過ぎ、久しぶりにクラブツーリズ
宿場町の中のカレーやさん。100年前のコーヒーに添えたコスモスも素敵
前日の海からなるべく早寝して深夜2時に出発し木曽の宿場町の奈良井宿へ向かいました。先週の忍野はノンビリ走っても2時間程度ですが、今回は3時間以上の長距離運転中央道走行中の途中で走行距離が234567キロ達成奈良井宿の道の駅には6時半頃に到着先ずは私だけ単独で早朝の写真撮り。。。この時のレンズは24〜105mm人気ない静寂感タップリ。。。一旦車に戻って9時過ぎて奥様、長女と散策、レンズを変えて50〜500mmを装備