ブログ記事1,243件
先日のお食事後半〜甘ぁ〜いトマト🍅鮑〜ここからお寿司🍣茶碗蒸し海老やら鱧やら穴子やら美味しいもん食べると一番の幸せを感じる私かんぴょう巻き鮪など何個か撮り忘れ只今、カウンターのみの営業で10席満席遠くはなんとっ!ドバイからお越しの熟年カップルさんが羨ましい限り〜週末はなんと10月まで予約取れずの人気店前を通ってたのに全然気がついてへんかったこちら。お客様と会話が楽しく色々と学ぶ事が出来た素敵な時間でした平日は1ケ月待ち程なのでまた伺
『予約が3ヶ月先まで埋まるセラピストmayumiの考えてること』セラピストmayumiのインスタ堺北花田サロン玄関にはお客様へのメッセージや予約状況など。。3ヶ月先まで予約満室です。以前は南海線から中百舌鳥で乗り換え…ameblo.jpちょっと普段かけない事書いてみました皆様のおかけで今の私があります昔からのお客様も新規のお客様にもご紹介やお会いできなくてもブログやLINEを見て下さるお客様。本当にありがとうございます😭時に迷う時もあると思うでも芯は変わらず
セラピストmayumiのインスタここは堺北花田サロン普段梅田サロンと出張主にですがこんなんもあります。玄関にはお客様へのメッセージや予約状況など。。お陰様で3ヶ月先まで予約満室です。以前は南海線から中百舌鳥で乗り換えて御堂筋線から梅田まで来店のお客様が多数おりました…でもなかなかコロナで外出ができず梅田にも不安で来店できない中堺の北花田に会員制のプライベートサロンを急遽つくりました😌月一度の身体と心の解放日この時間があるからまた1ヶ月頑張れるお客
高槻市の最北端にあって、京都府亀岡市に接する樫田地区標高360mの田能盆地を中心に、周りを山々に囲まれた自然の中に今でも農山村が残っています。その中央を流れる田能川は芥川の最上流の支流のひとつで、川沿いを丹波街道が通っています。盆地最奥の尾根上に樫田を見守るように樫船神社がある亀岡盆地が湖だった頃、国作りのプロジェクトの一環として保津峡を開削して、赤い波の立つ湖(丹の湖)の水を嵐山へ抜き、湖を肥沃な大地に変えようというプランが「神原」の地、京都の徳神社でブレス
天満市場で鴨肉を見ていると、珍しい物を見つけてしまった!カンガルー肉?ワニ舌?って。。しかも奉仕品表示で安くなっている。何かしらお料理チャレンジャーな私の調理心がくすぐられてしまった。買ってみるか!だが勇気が要る、そして手に取って悩む。置く、手に取って悩むを繰り返して購入。調べてみるとカンガルーは高タンパクで低カロリー鹿肉のような感じ、ワニ舌はぼんじりみたいだと書いてある。焼き鳥みたいにしよう。食べれないときの安全策としてネギマを付けたらバッチリだ!さらに蕗を葉付きでもらったので韓国風の蕗の
日吉ダムから北上、県道19号線を上り500mほどで「日吉町木住」方面へ右折し2km長閑かな谷間の集落の車通りの少ない道沿いに一の宮神社があります。背後に見事な磐座があり地域の人々にとって神道以前のプリミティブな信仰の跡を示しているように思える一の宮神社いちのみやじんじゃ京都府南丹市日吉町生畑主祭神応神天皇日吉町生畑に鎮座する社。社前を木住川が流れ、幹線道路沿いにひっそりと佇んでいます。創建由緒等は不明、一ノ宮八幡神社とも称され、ご祭神は「応神天皇と思われる。ご
美山からの帰り道に偶然見つけた神社です。日吉ダムの天若湖の北桂川の支流にあたる木住川沿い、周辺には10数軒の民家がある山合のわずかな平地に鎮座する社。多治神社。山を挟んだ地域にある多治神社から多治神社から勧請されました。そちらの神社へもいずれお参りしようと思います。桜の季節で無ければ立ち寄ることは無かったそんな気がしますが赤い橋に鳥居そして桜その姿は箱庭のように美しい緩やか坂を登って境内から山間の田畑を望むと小さな風穴をつくるこの場所に緩やかな風が春の息吹を
中国の伝承五行思想に現れる黄色の黄龍。黄金に輝く竜であると言う異説もある。「老いた応龍は黄龍と呼ばれる」とある揚子江からの大陸の季節風によって黄砂が日本列島を包みます。このときの西日本の夕陽は霞にかかりぼんやり大きくその姿を映す。その姿は美しいだけで無く人々の身体に悪影響を及ぼします。子供の頃は目の周りが赤くなって春季カタルと診断されたことがある最近ではPM2.5などの影響で環境を脅かすことが懸念されています。自然と生命はいいところで折り合いがつけば良いバランスを取
美山町を代表する観光スポット「かやぶきの里」町内には数多くのかやぶき民家が現存していますがその中でも、「北」集落には50戸のうち39棟がかやぶきの屋根で、伝統的技法による建築物群を含めた歴史的景観の保存度への評価も高く国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。1年を通じ日本の原風景、美山町の観光スポット。知井八幡神社を訪れた後その地域の山手にある鎌倉神社をお参りしました。古い石段に鳥居があり小な社に木洩れ日の刺す美しい景観はこの地域に妙に馴染んでいる。
美山かやぶき由良里街道は、南丹市美山町にある大野ダムから日本の原風景「かやぶきの里」から自然豊かな芦生へと至る由良川沿いのルートです。府道綾部宮島線や府道和泉宮脇線、府道園部平屋線、国道162号、府道京都広河原美山線の5つの路線、約36kmが登録され、かやぶきの里や田畑など日本の原風景とも言える農村風景や美しい由良川の河川風景など風光明媚な景観を沿道から眺めることができます。若狭街道沿いに開けた美山町には独特の建築物や文化が伝わる。そのひとつがかやぶき屋根の家。
国道27号線から府道12号線を美山に向けて走っていると、大野ダム湖越しに茅葺き屋根が見えてくる。由良川を堰き止める大野ダムの一つ上流側に架かる橋向山橋を渡った先に、この土地「向山集落」の鎮守瀧神社が鎮座している。本来は瀧の近くにあったことが由来で瀧神社と呼ばれています。大野ダム建設に伴いこの場所に遷座されて元々は茅葺き観音堂の境内です。境内のカシの木と茅葺き屋根が春先の芽吹く緑とマッチして素敵な雰囲気を作り出す。夏に新緑、秋に紅葉と四季折々の風景を楽しめるそ
美山町樫原は大野ダムがある集落で、和知側から美山町に入って最初の集落にあたる。美山町域内では由良川の最下流に位置します。そんな場所に飛鳥時代、五穀豊穣、安産の神伊邪那美命を祀るために建てられた丹波六社の一つ大原神社参道の一の鳥居には、ケヤキの大木があり、大きな幹が手を広げ迎えてくれる。御神木として崇められているケヤキは府の名木に指定されています。春秋には例祭があり、春の大祭には「お砂」を受けて苗代にまく風習があります。文政6年(1823年)に本殿を火災で
兵庫県中東部に位置する丹波篠山市は2019年(令和元年)5月1日より、市名が「篠山市」から丹波篠山市に変更された。兵庫県丹波篠山市後川上後川は「しつかわ」と読む。後川はその丹波篠山市でも最も山深いところにある集落谷間に開けた狭い平地に沿って、細長く複数の集落があり丹波篠山市は古くは春日大社の荘園だったことから春日神社が多く存在する。そのなかのひとつ龍神春日神社を訪れてみました。奈良春日大社より勧請し、原谷の奥で祀っていましたが、上村と中村に分けて当地に遷座し
平家の落武者が源氏追われこの山の中で湧きだしている温泉を見つけて傷を癒し一帯は平家の残党が隠棲をした場所という言い伝えがある篭坊温泉には、とても古い歴史があります。奈良時代にはこの後川(しつかわ)のあたりは東大寺の荘園、「後河荘(しつかわのしょう)」がある歴史のある温泉場で、篠山盆地から南の山里にあり、阪神間からもすぐの場所。現在は後川新田という地名だが、昔は塩ヶ崎と呼ばれていたため、塩ヶ崎温泉とも呼ばれていた。40年くらい前までは冬になると“ぼたん鍋”といえ
年齢を重ねる毎に気になるマリオネットラインやほうれい線、眼瞼下垂。原因は顔だけでは無く後頭部から首、肩のこり、肩甲骨、デコルテラインまでの骨格及び筋膜と筋肉の相互の関係が正常に機能して無い為にできるものです。私自身もそのことで改善施術を研究してきましたが、この度その悩みを一気に解決する施術が完成致しました。これは私の感想ですがお顔の筋膜を正常化させることで身体中の筋肉が共鳴し代謝を上げ内蔵の活性化を促すのでは無いか?そう推測ができます。実験的に間食などしていますが若かった頃のようにキチンとデ
淡路島の西側にある海岸線サンセット通りの名前がつくほど晴れていればどこからでも美しい夕陽を見ることができる最近では有名なスイーツ店やお洒落なカフェなどできて賑わっています。そんな場所に淡路島最古の神社があると聞き早速訪れた西濱大明神淡路市明神の明神岬国生みの神イザナギ、イザナミを祭る西濱大明神は、県指定文化財として保存されているイブキ群落があり、奇岩が転がる景勝地淡路島の超パワースポットとして紹介されています。そこに子宮のような形をした岩場があり胎内くぐり
龍宝寺山の入り口の淡路島の隠れた桜の名所龍宝寺の桜を見ました。黄砂でスッキリしない青空ですが桜は元気に咲き誇り参拝する人の目を癒しています。龍宝寺りゅうほうじ兵庫県洲本市五色町鮎原葛尾淡路四国八十八ヶ所霊場番外札所✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎Profile神奈木有紀(かんなぎゆき)大阪市で広告ディレクターから2014年に独自理論による神奈木流体バランス法を作りセラピストに転身。神奈木流の成果http://ame
淡路島の五色町神戸淡路鳴門自動車道の津名一宮ICの南西の鮎原の海の側にある五色町役場から、都志川を南東に遡った場所にある川上神社天満宮境内は南向き、神門をくぐると、天神川にかかる橋を渡る。境内後方には天神山がある。情緒溢れる太鼓橋は何処か懐かしい昭和の観光地風情がある。境内に入ると子供達が何人も鬼ごっこをしています。左手に消えた子が右手から出てくる初めて見る子は決まってすれ違いざまに挨拶してくる懐かしい昭和の神社の風景を思い出させてくれるノスタルジー三丁目
国道28号を南兵庫県南あわじ市へ県道31号線の交わる八幡交差点から北へ300m程行くと左手に鳥居が見えて来ます。賀集八幡神社4月中旬「春祭り例大祭」がある桜の名所としても広く知られ桜の花が見ごろを迎えるこの季節、境内にはたくさんの参拝客が訪れ、賑わいを見せています。中でも一番の見せ場は、14台もの鮮やかなだんじりが、参道を駆け上がる勇壮な姿は、見る人を魅了します貞観2年(860)の創建と伝わる古社。暦応3年(1340)に足利尊氏の命により阿波から入島した細川
淡路島の南東端に位置し、高台から大海原に浮かぶ友ヶ島や紀伊半島を望める生石岬岬のすぐ背後には生石山がそびえ、一帯は瀬戸内海国立公園に指定されている。現在、生石岬と生石山一帯は『生石公園(おいしこうえん)』として整備されていて、約2㎞におよぶ自然遊歩道や複数の展望台が設置されています。生石公園の自然遊歩道を西へ歩いていくと小さなお社の出石神社があります。日本書紀にも記述がある由緒ある神社で『出石の刀子』という神宝が自ら淡路島へ来たそれを見つけた島民が神としてこの
国道28号を南下して洲本の岩戸川を越えてスグを山側へ暫く進むと知る人ぞ知る安乎八幡神社です。3月に開催された春祭りが終わると次は桜の季節になります。こちらの安乎八幡神社では春になるときれいな桜が咲くことで地元では有名のようです。美しい境内に見応えのある社殿そして最近整備された磐座群さらに桜で彩られた参道とても有り難いく思えるのは地元に長く、そして深く愛された証なのではないでしょうか?安乎八幡神社あいがはちまんじんじゃ洲本市安乎町平安浦主祭神応神天皇配祀神
淡路ワールドパークONOKOROの山側にある地域は細い路地が入り組んでいる農地を縫うよう進むと松尾神社がある。京都の松尾大社と同じく酒、醤油等醸造の神、大山咋命を主祭神とします。拝殿の裏に磐座がお祀りされこの磐座が御神体のようです。淡路島には磐座信仰が盛んで沢山の磐座があります。派手な磐座では無いものの拝殿を要し神聖な空氣感がある。訪れた朝の境内は清々しい手前の池が鏡のような透明度で澄んだ空氣と水が朝の光によって交わっている貴重な時間でした。松尾神社まつ
国道28号の道路脇にある七福神の大黒天信仰で知られる八浄寺から山道へいくつものカーブを抜けた瞬間、急に目の前に現れる桜の景色淡路島の自然に囲まれた長閑な田園風景にあでやかなサクラの花をまとい、幻想的に浮かびあがる古刹八浄寺の奥の院「円城寺」サクラの名所として知られており、多くの見物客が訪れます。ソメイヨシノやヤマザクラなど約10品種計約400本が山肌を薄紅に染め上げている。八浄寺から坂道を徒歩20分ほど境内から大阪湾方面を臨む風景は「淡路八景」の一つに数えられ
丹後半島浅茂川の福田川沿い河口かつての入江であった場所は浅茂川湖と称されていました。今では浅茂川港があり浅茂川温泉「静の里」がある。その旧浅茂川村の氏神さん、日吉神社。日吉神社の総本宮は滋賀県大津市坂本にある日吉大社古事記によると大山咋神、亦の名を山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐しと書かれています。日枝の山(ひえのやま)というのは比叡山のこと。平安京の遷都によって、大津の日吉大社が京の鬼門と言う事になり、鬼門除けや災難除けの社として崇敬され
丹後半島豊岡、久美浜、峰山を結ぶ国道の北側は、海岸段丘がよく発達し、東に行くに連れ海面より高くなっている。そのなかで最も北に位置する京都府京丹後市網野町大字磯日本海に面する。山陰海岸国立公園にあたる、集落は小さな宅地が重なりあって一塊となり、崖にへばりつくように建てられ磯に嫁入りするには梯子を忘れるなと言われていたようです。静御前の生誕地として知られ、多くの関連史跡が残るここは静生誕の地とされています。静御前の母、磯禅師の磯は、この地名に由来している磯禅
かつて京都府熊野郡にあった久美浜町。丹後地方や京都府北部に位置し北側は日本海に面し京都と兵庫の県境に位置する。2004年(平成16年)4月1日に周辺市町村と合併して京丹後市が発足した久美浜の一番の北西になる。四神ヶ嶽の手前から左にはいり峠を越すと蒲井という地域に入る。カマヤ海岸のカマの地名は急峻な崖を意味し後三方から山がせまる風光明媚な海岸になっているかつて久美浜原発の建設予定地とされたところで、「金は一時、土地は万年」を合い言葉にした地元の反対運動で30年
山陰本線・城崎温泉駅の南東3kmほどの畑上県道9号線と11号が交わる交差点から気比川に沿って南下。京都府との県境の村・畑上集落は山の中の谷間であり、気比川の上流にある。集落の奥の細い道を進むと川の合流点に重浪神社がある。境内の中に四脚鳥居。鳥居の奥に、割拝殿がある。正面に覆屋の中に納まった本殿。本殿の扁額には上津大明神とある。社殿の左手には大きな磐座は御船岩と呼ばれている。貴船の御船型石のようです。雪除けにムシロを被った灯籠と狛犬さんがとても可愛い雪深いこの地
城崎大橋を渡り楽々浦から気比を通り三原峠を越えれば京丹後市です。浮島弁天は楽々湾中央部の浮島にあり、安芸の宮島に似た厳島神社楽々宮村人の話では、この島は幾度かあった洪水でも浸かったという事はないそうです。その事から浮島弁天と呼ばれる。楽々むら特別養護老人ホームの裏側に位置し施設の敷地のように思い少し入り辛い雰囲気がありますが傍の参道を通れるようになっている長閑な楽々浦湾に浮かぶ鳥居小鳥の囀りに気持ちが穏やかになる厳島神社楽々宮いつくしまじんじゃらくら
兵庫県豊岡市にある。豊岡駅の北13kmほど、日本海に臨む津居山湾に流れ込む気比川の河口の奥にある気比神社通称は、「大気比さん」と呼ばれ一説に、神功皇后が敦賀から穴門へ向う途中、若狭、加佐、與佐、竹野の海を経て、この地から円山川を遡ったときに兵食を取った場所とされる。気比の由来としては、『古事記』では御食津から「気比」に転訛したという。『古事記』の伝承に加え、古い表記の「笥飯」は当て字ながら「箱中の飯」を意味することから、「食(け)」の「霊(ひ)」、すなわち食物
豊岡気比の浜から気比川沿いを遡って戎岩を見てさらに気比川沿いの細い道を進むと墓地へ渡る橋を過ぎ暫くするともう一つの橋が見える橋を渡って害獣避けの柵を超えて直ぐ右手の山の尾根先端が河川とぶつかったところに、高さ約4mの磐座があるここから銅鐸4個が出土したことで知られる。発見された銅鐸は完形で保存状態も良く、現在東京国立博物館に所蔵されている。この一帯は岩盤が露出しており、採石作業中に銅鐸が見つかった。岩盤には3体の仏像と「南無阿弥陀仏」の字が刻されていた。こ