ブログ記事1,851件
僕は覚醒剤取締法違反で逮捕された、元教員です。今日は金曜日。土曜は不定休なので、明日も普通に仕事なのですが、それでも金曜日というのは嬉しいものです。昨日はどういうわけか、本業も副業もうまくいった気がして、スッキリしています。やっぱり仕事に捉われがちだな、と思います。働いていたら、誰でもそうですよね。その対価として給料をいただいているわけですから…僕は、いわゆる回復施設(ダルク)に入りませんでした。一番の理由は、お金です。ダルクに入る多くの人は、さまざまな理由で生活保護を受けます
1月に入ってすぐでした。ホリデーシーズンも終わり、米軍も通常業務に戻りました。かおりちゃんに会いにいこう…そう考えていました。私と子供3人の車旅。『のぞみちゃん』私の書き込み。「米軍人の夫が市販薬の薬物依存性です。軍警察に連行されました。どのような情報でも良いので教えていただけませんか。助けてください。」イジワルな回答…ameblo.jp『かおりちゃん』2番目に返信をくれた、かおりちゃん。「こんにちは。私の夫も現役軍人で、市販薬を乱用しています。今はマリファナも吸います。私は今、アメ
夫の母に、夫の薬物依存性の相談をしました。夫の母は、「咳止めの依存性?…そんなのないわよ。市販薬で依存性なんて聞いたことない。」アメリカでも市販薬の依存性は深刻な社会問題です。知らないはずはないです…。市販薬依存症の本も沢山、出版されています。↓↑BBCニュースでは、アメリカの咳止め依存性のドキュメンタリーもありました。「お義母さん、夫の目を見てください。目の瞳孔が開いて、左右にガチャ目になっています。呂律も回っていません。」「…いや、普段通りの私の息子よ?」何
クリスマス、夫の父との話し合いは不調に終わりました。クリスマスも終わり年の暮れ、私はもう一人、助けを得ることにしました。それは…夫の母。夫の母と私は、友達みたいに仲良しでした。1965年生まれ、当時49歳の若いアメリカ人おばあちゃん。一昔前の日本や韓国のお姑さんとは異なり、優しく、お姉さんみたいな感覚でした。何より、夫の母は、配偶者の薬物依存性、アルコール依存性で苦しんできました。配偶者の薬物依存性何より私の苦しみを理解できる存在でした。私は年の暮れ、夫
クリスマスになり、何故か夫に、なかなか話をしてくれない夫の父。私は焦っていました。何よりも困ったことは、夫の父のガールフレンドであるペニーさんが、ひたすら話し続けるんです。「息子の同級生のジェイは、銃で自分の頭を撃って自殺した。ブランドンは、ドラッグのオーバードーズで死んだ。」アメリカのパンクロックバンド、ザ・オフ・スプリングの歌詞「Thekidsaren’talright」のようなアメリカの実態。TheOffspring-TheKidsAren'tAlr
①で少しだけ触れましたがクスリ絡みで捕まった人は、他の仮釈の人よりしばりが多いんです。ダルクへ通うことが条件私は、クスリ絡みではないんですが聞いた話だけなんですけどね。ダルク以外にも月1か2のペースで保護観察所へ呼ばれ聞き取り調査。。+尿検査をするそうです。そこで引っ掛かると仮釈取り消しになる人が多いみたいです。下手したら逮捕ってことかもですけどクスリ絡みの人は、やめたいと思っていても辞めれないのが現実みたいなんですけど立
※現在の話です。子供たちの学校イベントである卒業式、入学式、体育祭、合唱コンクール。習い事のピアノの発表会や、部活のバスケの試合。親の私にとっては楽しみで楽しみで仕方がない子供たちの行事。夫がいなくなり、ひとりで行くのがこわかったです。ちなみに私はママ友とつるむタイプではないし、一人でも全然平気なタイプです。しかし何故か、子供たちの行事に夫なしで行くのがこわかったです。以前、第2子の小学校卒業式では、第1子が中学校を遅刻してまで、わざわざきちんと制服を着て、私と一
12月のある日、児童相談所の職員キャリッサから…「凜、あなたのご主人に何度かお会いしたんだけど、あなたのご主人…双極性障害ではないかしら?」「双極性障害?躁鬱の?…うーん、いや、一見、夫が躁鬱状態に見えるのは、双極性障害ではなく、薬物乱用のせいだと思うけど…。」しかしプロのキャリッサから見たら、夫は双極性障害に見えるらしいです。プロから見た方が正しいのかな…?いや、私は夫とほぼ毎日一緒におり、夫の薬物依存性ビフォー・アフターを真隣で見てきました。私が知る夫は、双極性障害
夫が突然、「僕は薬物依存症だ。」薬物依存症は否認の病といわれ、「絶対に自分は依存性ではない。」と死ぬまで言い続ける人もいます。夫もずっとそうでした。私は夫の口から、夫が薬物依存依存症であることを認めた発言を聞き、驚きました。しかし夫の話を聞いてあげたいと思い、冷静に相槌を打ちました。私は、車を運転しながら、「うん…。」と答えると、夫はもう一度、「僕は薬物依存症だ。しかもかなり重度の。」(Veryveryheavyone.)Veryを二度と、ゆっくり言いま
夫が行方不明になった翌朝の昼、夫がやってきました。私が出かける準備をしていなかった為、(夫は行方不明になることが増えました。だから来ないかもしれない、と準備をしませんでした。…というより気力がありませんでした。)出発は遅くなってしまい、近くのファストフードで子供たちに昼食を食べさせました。皆さまは、昨日の出来事を流してしまった私に驚くでしょうが、内心、一晩中、とても腹が立って眠れませんでした。しかしもう夫には腹を立てても、どこに行ったのかを問い詰めても無駄でした。夫は薬物依
子供たちを連れて歯医者へ。ちょっと遅れてしまい、慌てて駆け込みました。アメリカの歯医者さんは予約時間に遅れたら容赦なくキャンセルされ、キャンセル料も請求されます。女性の歯医者さんに、「では、お子さんたちを預かります。お母さんは待合室でお待ちください。」「え…。いや、うちの第1子はジッと待てないので、私が付き添います。」「…もう5歳でしょ?大丈夫よ。」「いや、うちの5歳児は大丈夫ではないと思うので…。」「私たちはプロフェッショナルよ。私に任せて。」「…わかりました。」不安
夫に、今までどこにいたのか、何がどうなったのか、そしてこれからどうなるのか、車を飛ばしながら聞きました。すると…「僕には、君と子供に対する接見禁止命令が出ていた。(※Militaryprotectionorder=MPOと呼ばれていました。)だから…バラックと呼ばれる独身寮から、仕事に通っていた。」…は?(驚き①)「…で?」「なに?」(その①)「『なに?』って、薬物依存症の治療は受けられたの?」「尿検査は毎日されたが、薬物は検出されなかった。」「…だか
ある日、児童相談所の職員キャリッサが我が家に遊びに来てくれて、(=家庭訪問)「凜、米軍病院と保険会社であなたの子供たちの通院記録を見せてもらったけど、子供たちは歯医者さんへ歯科クリーニングとフッ素を塗りに行ってないね…。」「行ってないよ。アメリカの歯科保険のシステムがよくわからなくて…。」「アメリカではね、だいたい半年に一回、子供たちを連れて歯医者さんへ歯科クリーニングとフッ素をぬりに行かなければならないのよ。知らなかった?」「知らなかった…。どこの歯医者さんで予約できるのかな?」
すっかりちょっと楽しい海外生活ブログになってしまいましたが…。どん底のようなブログですが、楽しかったアメリカ生活も書きたかったのです。そしてどん底のような私ですが、本来の私は楽しい人だということも書きたかったのですようやく本来の配偶者の薬物依存性ブログに戻ります。ちなみにタイトルを「夫」ではなく「配偶者」と表現したのは、奥様の依存性問題でお悩みの方にも読んでほしかったからです。話は戻り、2014年の暮れ。アメリカではクリスマス・シーズンに近づき、街で移動遊園地が開催されました。
2番目に返信をくれた、かおりちゃん。「こんにちは。私の夫も現役軍人で、市販薬を乱用しています。今はマリファナも吸います。私は今、アメリカの◯◯基地にいます。私には未就学児の子供が1人います。夫の薬物乱用を何とかやめさせようと、必死であの手この手を尽くしましたが、もうどうしようもできなくて、めちゃくちゃです。私も何か情報が欲しくて…ご連絡いたしました。よろしくお願いします。」私と同じく、かおりちゃんのご主人は現役軍人でアメリカの基地に住んでいました。私と同じく、未就学
あの頃、保育園へ着いた瞬間、喜んでお友達の輪の中へ走っていく第1子、第2子。不安ながらも、先生のことは大好きな第3子。私は子供たちを保育園へ連れて行った後、1人になり、肌寒い初冬の朝、ソニック(ファストフード)へ。300円の朝ごはんセット、フレンチトーストとコーヒーをひとりでのんびり食べました。何も考えずにひとりで。離れたテラス席で、日本人ママグループがいました。日本語で話していました。久しぶりに聞く日本語。楽しそうに子供の話や、米軍の話。私と同じく、米軍のご主人がいる
ご訪問ありがとうございます。依存症から人生回復を目指す元アルコール&ギャンブル依存症者ガネーシャです私が依存症から回復するにあたって大きかったのはこの本から依存症は脳がぶっ壊れる病気と知ったことだ。大丈夫。人は必ず生まれ変われる。Amazon(アマゾン)依存症になるのは意思が弱いからじゃなくて脳がぶっ壊れるから意思の力が働かなくなる病気だからだ。それから人は自分よりもっと悪い境遇にある人が回復した事実を知ることできっと自分にも回復できる
突然、現在のことを書きます。私のブログは、2012年10月に始まった夫の薬物依存症について書いています。同じく2012年に産まれた第三子は今年で12歳、もうすぐ小学校6年生です。ダントツ一番辛かったのは、去年、そして現在です。私はこのことを友達の誰にも話していません。友達とは連絡を断ちました。友達に元気なフリをするのが辛かった、家族みんな元気だとウソをつきたくなかった、誰にも会いたくなかった、そして友達の多くはまだ私がアメリカにいて幸せに暮らしていると思っています。2013
Rさんとの出会いはなんと10年前ですか2014年エルマンゴで行われたセルフストーリーオペラその様子はDVD(CD)にもなっております。ワタクシもオープニングアクトで絵本を読ませていただいたところからのご縁その後、とっても仲良くさせていただいて。ダルクのフォーラムにも呼んでいただいたりダルクの研修旅行にも、帯同したり。たくさんのことを学ばせていただいております。Rさん…精神保健福祉士&保護司にもなっちゃいました。
山梨県都留市にある都の杜「うぐいすホール」で開催された一般社団法人富士五湖ダルク主催「第1回富士五湖ダルクセミナー『依存症者とその家族たち』~失ったつながり、手に入れた居場所~」に参加しました。近年、様々な依存症が社会問題となっています。このセミナーは、依存症者とその家族が抱える苦しみや依存症という病への理解を深める機会となり、地域におけるネットワーク作りのきっかけになるようにと開催されました。公益財団法人住吉偕成会住吉病院の田中久雄医師から基調講演『依存症との関わり』をお聴きしました。
アメリカのインターネットで「薬物依存症治療」を検索すると、沢山ヒットする、「ご家族の依存症でお困りなら、今すぐ私たちにお電話を!私たちが今すぐ助けます。」と書かれたフリーダイヤル。↑写真の通り、アメリカでも違法ドラッグだけてはなく、市販薬や処方薬の依存性がとても多いです。電話をしました。ご親切なオペレーターに15分ほど相談をすると、「さあ、本題に入ります。あなたのご主人を、私たちの依存症専門施設へ入所させましょう。施設には精神科医、心理士、沢山の専門家もいます。」「は
11月のある日、Familyadvocacyという軍の支援団体の女性たちが我が家に来ました。「私たちがあなたを助ける。全部話して。」私は何とか助けてほしくて、すべてを話しました。Familyadvocacyは数回来てくれました。ただやはり、ホームシックや子育てストレスなどの相談とは異なり、誰かに話してどうにかなる問題ではありませんでした。それに「助け」ってなんでしょうか?誰かがどうにかできる問題ではないんですよね…。私がひたすら話して、Familyadvocacyがメモ
夫が軍警察にされ、これからどうなるのか苦しい時、ギターを弾きました。アメリカの精神科には「音楽療法」があります。楽器を弾いたり歌ったりして、精神疾患を治すもので、医学的根拠はあるそうです。欧米では「音楽療法士」が国家資格の国も多く、大学には音楽療法士を目指す学部もあります。アコースティック・ギターは2013年の春、私が夫の薬物依存性に気づいた直後、死ぬほど心配した私に、夫が買ってくれました。あの時期、「アメリカの楽器屋さんに行ってみたい。」と言う私に、夫は、「最近、君にたくさ
【依存症】104…「ハートネットTV映像アーカイブ⑱2022年9月27日(火)」@NHKハートネットこれって“依存症”?|NHK福祉ポータルハートネット依存症を理解するための基本情報と「大切なこと」がまとめてあります。あなたが楽になるきっかけが見つかることを願っています。www.nhk.or.jp依存症・アディクション-テーマ別情報・窓口|NHKハートネット「依存」の種類依存とは、特定の物質や行動にのめりこみ、心身の健康や生活を脅かしているにも関わらず、やめることができない状態
ダイニングテーブルでボーッと座っていた私は、つけっぱなしで温めておいた油からいきなり、ボンッと火が上り、我に返りました。火事!やってしまった!油に水は厳禁なことはわかっていましたが、以前、“大きめのバスタオルを水に浸し、覆い被せば良い”という実験映像をテレビで観たことがあり、それだ!と、走って咄嗟に洗濯室のバスタオルを取り、水浸しにして…ドキドキしながら、こわい、こわい、と思いながら、何とか投げてみたら、ああ…半分も覆い被せず。その場合どうなるの?もうパニックになり
家に夫はいなくなりました。子供たちは、相変わらず朝早くから元気に走り回っていました。私は夜、眠れなくなりました。ご飯が食べられなくなりました。夜、眠れなくても、ご飯が食べられなくても、昼間は子供たちの育児をしなければなりません。本を読んであげたり、一緒に走り回って遊んであげたり、お菓子を作って食べさせてあげたかったです。一番、楽しい時期ですよね。かわいい幼児たち。私はその場にいるものの、いつもボーッとソファに座っていました。それでも子供たちはニコニコして、私に抱きついてきてく
夫はパトカーに乗せられ、私はパトカーの中にいる夫に声をかけることなく、警察官に抱えられていた、泣いて追いかけた第1子を抱えて、家に戻りました。それから家で第1子は軍警察に遊んでもらい、すでに気持ちを切り替えて、大はしゃぎで、軍警察ときょうだいと、部屋で走り回っていました。(↑本当に第1子には脱帽。これから先、とんでもない父親の姿を見ても、冷静に対処して、のちにネタにして笑う強さがありました。)子供たちが軍警察と走り回って遊んでいる中、最初に私と話してきた軍警察が、改めて私と
軍の警察に、両手に縄をにかけられ、連行される夫の姿…ああ、とうとうきてしまったんだな…ショック…というより、とても悲しかったです。あんなに一生懸命、自分の人生を切り開こうと、18歳で入隊したのに。あんなに一生懸命、毎日働いていたのに。あんなに一生懸命、勉強して昇格したのに。夫は軍人でなくなったら、死ぬだろうな。薬物依存がもっとひどくなり、命を落とすだろう。命を落としてでも、薬を選ぶだろう。米軍をクビ(不名誉除隊)になったら、アメリカでの再就職は厳しい。もう夫
私の第1子の子供が、「これパパのお薬、ママが困ってる。」と警察官に夫が乱用している咳止め薬の空箱を渡しました。どうやらソファの隙間に、咳止め薬の空箱を大量に隠していました。夫は薬をオーバードーズした後、必ず空箱を捨てないんです。そこまで気が回らなくなるのでしょう。だから手当たり次第の場所にとりあえず隠すんです。後で調べたら、大きなソファの境目から、空箱は…何十箱も出てきました。何よりビックリしたことは、第1子が知っていたことです。こんな状況でも子供たちは、元気いっぱい、
11月。本来、8月あたりに転勤で日本に帰れるはずが、夏は終わり、ハロウィンも終わり、ハーヴェスト(収穫祭)の秋になりました。アメリカでは、11月に感謝祭、12月にクリスマス、1月にお正月、一年で一番盛り上がるホリデーシーズン。しかし私は苦しくて仕方がありませんでした。不安で不安で、夜は眠れなくなり、昼間は子供たちが起きているので私も起きていないといけませんが、いつもリビングのソファで横になり、子供たちを”見ている”ことが精一杯になりました。年が近い3人だったので、