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私が第三子を出産して幸せだった頃。半年ぶりに会いにきた、夫の両親。今回は見事に別々に会いにきました。夫の父は、この頃はまたお酒の量が増えていました。確か、去年の10月頃は「もうやめた」と言っていたのですが…。夫が朝早く、近くに用事があり出かける際に、夫の父はついていき、戻ってきた時は、夫は父親にお酒を買わされていました。夫はイライラした表情で戻ってきました。「朝8時にもうビールを飲み始めたよ…。」夫は夫の父が飲んでいても、お酒を飲みませんでした。禁酒命令のことよりも「妻が出産し
1月に入ってすぐでした。ホリデーシーズンも終わり、米軍も通常業務に戻りました。かおりちゃんに会いにいこう…そう考えていました。私と子供3人の車旅。『のぞみちゃん』私の書き込み。「米軍人の夫が市販薬の薬物依存性です。軍警察に連行されました。どのような情報でも良いので教えていただけませんか。助けてください。」イジワルな回答…ameblo.jp『かおりちゃん』2番目に返信をくれた、かおりちゃん。「こんにちは。私の夫も現役軍人で、市販薬を乱用しています。今はマリファナも吸います。私は今、アメ
精神科の緊急保護施設を出た日の夜。私は子供たちを連れて、ハロウィンのお菓子をもらいにご近所を回りました。子供たちがクリスマスと同じように大好きだったハロウィン。もうこんな風に過ごせるのはいつまでだろう…。私は決心しました。このままでは夫は死んでしまいます。だから、米軍に、夫の薬物依存症を相談をします。そして夫に治療を受けさせたいです。軍人の健康保険では、軍人は勝手に民間の病院へ行くことができないからです。米軍病院に、夫の薬物依存症を相談すれば、米軍病院のお医者様が軍医でも軍
夫の母に、夫の薬物依存性の相談をしました。夫の母は、「咳止めの依存性?…そんなのないわよ。市販薬で依存性なんて聞いたことない。」アメリカでも市販薬の依存性は深刻な社会問題です。知らないはずはないです…。市販薬依存症の本も沢山、出版されています。↓↑BBCニュースでは、アメリカの咳止め依存性のドキュメンタリーもありました。「お義母さん、夫の目を見てください。目の瞳孔が開いて、左右にガチャ目になっています。呂律も回っていません。」「…いや、普段通りの私の息子よ?」何
11月のある日、Familyadvocacyという軍の支援団体の女性たちが我が家に来ました。「私たちがあなたを助ける。全部話して。」私は何とか助けてほしくて、すべてを話しました。Familyadvocacyは数回来てくれました。ただやはり、ホームシックや子育てストレスなどの相談とは異なり、誰かに話してどうにかなる問題ではありませんでした。それに「助け」ってなんでしょうか?誰かがどうにかできる問題ではないんですよね…。私がひたすら話して、Familyadvocacyがメモ
ダイニングテーブルでボーッと座っていた私は、つけっぱなしで温めておいた油からいきなり、ボンッと火が上り、我に返りました。火事!やってしまった!油に水は厳禁なことはわかっていましたが、以前、“大きめのバスタオルを水に浸し、覆い被せば良い”という実験映像をテレビで観たことがあり、それだ!と、走って咄嗟に洗濯室のバスタオルを取り、水浸しにして…ドキドキしながら、こわい、こわい、と思いながら、何とか投げてみたら、ああ…半分も覆い被せず。その場合どうなるの?もうパニックになり
私は夫の上官に、夫の薬物依存症について相談をする準備をしていました。口頭で言っても仕方がないので、恐ろしい動画も用意しました。私がスマホで撮影した、夫がオーバードーズをしている恐ろしい動画。決してオーバーではなく、本当に本当に恐ろしいです。夫の目が左右にガチャ目になったり、白目を向いたり、体は左右にユラユラと揺れ、呂律が回らず…会話はしていますが、全く会話のコミュニケーションは取れません。【怖すぎる】危険ドラッグ衝撃ビフォーアフター映像集手を出しちゃダメ‼️絶対‼️株式
クリスマスになり、何故か夫に、なかなか話をしてくれない夫の父。私は焦っていました。何よりも困ったことは、夫の父のガールフレンドであるペニーさんが、ひたすら話し続けるんです。「息子の同級生のジェイは、銃で自分の頭を撃って自殺した。ブランドンは、ドラッグのオーバードーズで死んだ。」アメリカのパンクロックバンド、ザ・オフ・スプリングの歌詞「Thekidsaren’talright」のようなアメリカの実態。TheOffspring-TheKidsAren'tAlr
衝撃的なタイトルで失礼します。率直な思いです。私はその後、慌てて「風邪薬咳止め乱用」「風邪薬咳止め依存」などを調べました。覚醒剤よりもおそろしい街中のドラッグストアやアマゾンで販売されている市販薬エスエスブロン当時、夫が始めたのは、アメリカ版のブロンですが、結果的に日本のエスエスブロンでめちゃくちゃにやられたので、こちらはブロンにします。覚醒剤の方が良かったです。警察に電話して、逮捕して刑務所へ行けるからです。そしたら、その期間はクスリをやめられますよね。
精神科の緊急保護施設でのお医者様は、インド系アメリカ人の40代くらいの男性でした。「看護師から聞きました。あなたはどう見てもstableだからここで保護する必要がないと。」「はい、その通りです。」私はお医者様に全てを説明し、「今日はハロウィンだから帰らせてください。子供たちには私がいないといけません。」「しかしこの緊急保護施設は最低3日間は保護する必要があります。その規則は変えられません。」「その規則は自殺の恐れがある患者さんに対してですよね。お医者様も見てわかるでしょう、
僕は覚醒剤取締法違反で逮捕された、元教員です。今日は金曜日。土曜は不定休なので、明日も普通に仕事なのですが、それでも金曜日というのは嬉しいものです。昨日はどういうわけか、本業も副業もうまくいった気がして、スッキリしています。やっぱり仕事に捉われがちだな、と思います。働いていたら、誰でもそうですよね。その対価として給料をいただいているわけですから…僕は、いわゆる回復施設(ダルク)に入りませんでした。一番の理由は、お金です。ダルクに入る多くの人は、さまざまな理由で生活保護を受けます
ある日、児童相談所の職員キャリッサが我が家に遊びに来てくれて、(=家庭訪問)「凜、米軍病院と保険会社であなたの子供たちの通院記録を見せてもらったけど、子供たちは歯医者さんへ歯科クリーニングとフッ素を塗りに行ってないね…。」「行ってないよ。アメリカの歯科保険のシステムがよくわからなくて…。」「アメリカではね、だいたい半年に一回、子供たちを連れて歯医者さんへ歯科クリーニングとフッ素をぬりに行かなければならないのよ。知らなかった?」「知らなかった…。どこの歯医者さんで予約できるのかな?」
クリスマス、夫の父との話し合いは不調に終わりました。クリスマスも終わり年の暮れ、私はもう一人、助けを得ることにしました。それは…夫の母。夫の母と私は、友達みたいに仲良しでした。1965年生まれ、当時49歳の若いアメリカ人おばあちゃん。一昔前の日本や韓国のお姑さんとは異なり、優しく、お姉さんみたいな感覚でした。何より、夫の母は、配偶者の薬物依存性、アルコール依存性で苦しんできました。配偶者の薬物依存性何より私の苦しみを理解できる存在でした。私は年の暮れ、夫
2番目に返信をくれた、かおりちゃん。「こんにちは。私の夫も現役軍人で、市販薬を乱用しています。今はマリファナも吸います。私は今、アメリカの◯◯基地にいます。私には未就学児の子供が1人います。夫の薬物乱用を何とかやめさせようと、必死であの手この手を尽くしましたが、もうどうしようもできなくて、めちゃくちゃです。私も何か情報が欲しくて…ご連絡いたしました。よろしくお願いします。」私と同じく、かおりちゃんのご主人は現役軍人でアメリカの基地に住んでいました。私と同じく、未就学
夫に、今までどこにいたのか、何がどうなったのか、そしてこれからどうなるのか、車を飛ばしながら聞きました。すると…「僕には、君と子供に対する接見禁止命令が出ていた。(※Militaryprotectionorder=MPOと呼ばれていました。)だから…バラックと呼ばれる独身寮から、仕事に通っていた。」…は?(驚き①)「…で?」「なに?」(その①)「『なに?』って、薬物依存症の治療は受けられたの?」「尿検査は毎日されたが、薬物は検出されなかった。」「…だか
ご訪問ありがとうございますシングルマザーのすばるです本業はコックさんスポーツ万能の長男ダイちゃん6万人に1人のレア障がい児タンタンと3人暮らし元ダンナはアルコール依存症で、養育費調停中養育費は自分で稼ぐ!がんばります!速報で飛び込んできた、田代まさしさん再逮捕のニュース…驚きました。Eテレのパリパラなどにも出演して、依存性回復施設で職員として頑張っていると聞いて応援してたのになぁ、残念です。依存性は脳の病気自身の意思ではどうにもならない
夫が軍警察にされ、これからどうなるのか苦しい時、ギターを弾きました。アメリカの精神科には「音楽療法」があります。楽器を弾いたり歌ったりして、精神疾患を治すもので、医学的根拠はあるそうです。欧米では「音楽療法士」が国家資格の国も多く、大学には音楽療法士を目指す学部もあります。アコースティック・ギターは2013年の春、私が夫の薬物依存性に気づいた直後、死ぬほど心配した私に、夫が買ってくれました。あの時期、「アメリカの楽器屋さんに行ってみたい。」と言う私に、夫は、「最近、君にたくさ
私の現在、中学生の第一子は、以前、住んでいたお家が事故物件だったことは知りません。しかしずっと「あの家で多分、人が死んだ。オバケがいたから。」と言っていました。私はあえてその話を詳しく聞きませんでした。子供が詳しくその話をすることにより、子供の中でこの出来事が「確定」になりそうで、心配だったからです。だから「オバケなんてこの世にいないよ。」と言い続けていました。しかし今年の子供の誕生日パーティーの後、子供がまだその話をするので、(今でも年に数回してきます。)冗談っぽく、「どんなオバ
ブログを書いて、少しは楽になるかと思っていましたが、辛いですね。私はもう元気になれないのかもしれません。下の子供が大学を出たら、もう私は死ねばいいです。それを思うと楽になります。孫の顔まで見る気力はありません。子供たちにも充分にしてあげられませんでした。もっともっと愛情を与えたかったのですが、気力がありませんでした。子供たちが苦しい結婚をしませんように。私みたいな母親になりませんように。依存性になりませんように。子供たちが私と夫のことを忘れるくらい、幸せな大人になってほしい
私の第1子の子供が、「これパパのお薬、ママが困ってる。」と警察官に夫が乱用している咳止め薬の空箱を渡しました。どうやらソファの隙間に、咳止め薬の空箱を大量に隠していました。夫は薬をオーバードーズした後、必ず空箱を捨てないんです。そこまで気が回らなくなるのでしょう。だから手当たり次第の場所にとりあえず隠すんです。後で調べたら、大きなソファの境目から、空箱は…何十箱も出てきました。何よりビックリしたことは、第1子が知っていたことです。こんな状況でも子供たちは、元気いっぱい、
2つ目の違和感、それは…夫の自尊心が低かったこと。夫はハンサムでした。高校ではイケメンコンテストに選ばれたらしいです。しかし夫は自分が不細工だと本気で思い込んでいました。私はそんな夫を「謙虚な人」と思い込んでいました。しかし謙虚と、自尊心は違いますね。逆に私は、母や祖父母から「美人だ、美人だ」と言われて育ちましたが、中学生になり、私の親友が美人でとてもモテて、「あれ、私は美人じゃなかったのか(笑)」とがっかりしました。私の祖母は、「私の孫息子(私の兄)はとてもハンサムで、反町隆
仕事から帰ってきた夫に、夫のポケットの中から見つけたレシートを見せました。「こんなに沢山、ブロンを飲んでるけど、依存してるの?」単刀直入に聞きました。同じく、ご主人がブロン依存性で、奥様が問い詰めるブログを読み、奥様は一生懸命、言葉を選んでいましたが、私にはできませんでした。超どストレートに聞きました。夫は、キョトンとした顔で、「え?風邪をひいたから飲んでいただけだよ?」「風邪…ひいてなかったよね。」「実はひいてたよ、君を心配させたくなかっただけ。」「風邪薬や咳止めって、依存
翌日の月曜日、グラッド先生の診察がありました。私は夫のオーバードーズの話をしました。教会に連れて行った話をしました。そこで神父様が何を言ったかも話しました。「神様に頼りましょう。あなたが本当に薬しかなくて苦しい夜、そこに精神科医は駆けつけてくれますか?本当に苦しい夜、あなたの隣には、あなたの苦しみを背負う神様がいる。神様に頼りなさい。そして私は、いつもこの教会にいる。私の元に来なさい。私は精神科医ではないが、司祭として、多くの薬物依存症者をみてきている。ほとんどの
7月、8月は日本への赴任の準備で米軍の手続きが沢山ありました。しかし…気づいたら9月が終わり、なんと10月下旬になっていました。この頃、夫はよく行方不明になりました。iPhoneで夫の居場所は見れましたが、米軍専用ストアの前。この頃の夫はお金を持っていなかったはずですが…。ある日、ケンカしておいた際に外した結婚指輪は、いつの間にか消えていました。夫が買ってくれた結婚指輪。夫のiPhoneを見ると、質屋へもよく行っていました。こんな生活いやだ、早く日本に帰りたい。でも今、騒
11月。本来、8月あたりに転勤で日本に帰れるはずが、夏は終わり、ハロウィンも終わり、ハーヴェスト(収穫祭)の秋になりました。アメリカでは、11月に感謝祭、12月にクリスマス、1月にお正月、一年で一番盛り上がるホリデーシーズン。しかし私は苦しくて仕方がありませんでした。不安で不安で、夜は眠れなくなり、昼間は子供たちが起きているので私も起きていないといけませんが、いつもリビングのソファで横になり、子供たちを”見ている”ことが精一杯になりました。年が近い3人だったので、
当時、アメリカで大人気のドキュメンタリー、10代で出産した若いママのリアリティ番組、「Teenmom」(ティーン・ママ)を観ていました。シングルマザーで3人の娘を育てるリアさんは薬物依存性になってしまいました。子供2人は双子で、双子のうちの1人は世界に数名しかいない難病を患い、視力も弱く、いずれ立てなくなる病気でした。リアさんは、「子供を育てる為に、向精神薬を服用した。あの薬があれば、朝、起きてテキパキと子育てと仕事が出来るから。しかし次第に薬の量が増えていき、薬がないと逆に体が
軍の警察に、両手に縄をにかけられ、連行される夫の姿…ああ、とうとうきてしまったんだな…ショック…というより、とても悲しかったです。あんなに一生懸命、自分の人生を切り開こうと、18歳で入隊したのに。あんなに一生懸命、毎日働いていたのに。あんなに一生懸命、勉強して昇格したのに。夫は軍人でなくなったら、死ぬだろうな。薬物依存がもっとひどくなり、命を落とすだろう。命を落としてでも、薬を選ぶだろう。米軍をクビ(不名誉除隊)になったら、アメリカでの再就職は厳しい。もう夫
私は拘置所の電話で、夫に向かって、「ふざけるなー!!!」「ご、ごめんなさい!」「何でこの私が逮捕された!?お前は自分でその鼻を殴っただろ!」「いや、そんなことはしてない!」拘置所で大声を出すとに大問題なります。看守が来てしまう…その時、私の肩を叩いたのは、看守ではなく、黒人の50歳くらいの女性。「Hi,私の名前はティナ。さあ、電話を切って。私の部屋に行こう。」私に向かって足早に歩いてきた看守に向かって、その黒人女性は、「私がtakecareするから。大丈夫、
精神科の予約は、2週間に一度。3回ほど通い、もともと温暖な地域だった州は、春になりました。私は焦っていました。何故なら、本当のことを話せていないからです。グラッド先生にとっては、私は”海外赴任妻あるあるのホームシック”や、“乳幼児のママあるあるの子育ての悩み”など、「大丈夫だよ、みんな一緒だから。」みたいなノリでした。確か3回目の診察が終わる5分前、私は賭けに出ました。グラッド先生は、軍医さんではありませんが、米軍病院のお医者様。私が夫の薬物依存症の話をすれば、グラ
すっかりちょっと楽しい海外生活ブログになってしまいましたが…。どん底のようなブログですが、楽しかったアメリカ生活も書きたかったのです。そしてどん底のような私ですが、本来の私は楽しい人だということも書きたかったのですようやく本来の配偶者の薬物依存性ブログに戻ります。ちなみにタイトルを「夫」ではなく「配偶者」と表現したのは、奥様の依存性問題でお悩みの方にも読んでほしかったからです。話は戻り、2014年の暮れ。アメリカではクリスマス・シーズンに近づき、街で移動遊園地が開催されました。