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裏神道「陰陽道」その33『小倉百人一首』とは単なる和歌集ではなく、「古今和歌集」に書かれている歌の秘密の解釈を口伝、切紙、抄物のいずれかの形で弟子に伝えるための方法「古今伝授」の一種であった。さらに『源氏物語』『伊勢物語』など他の古典書も、我々の認識している内容とは異なる秘密が隠されているというのだ。◆秘儀『古今伝授』の「三木三鳥」「古今伝授」の中核とされている「三木三鳥」(さんぼくさんちょう)の秘伝には、ユダヤ密教「カッバーラ」が用いられている。この「三木三鳥」の秘伝とは
裏神道「陰陽道」その32たとえそれが「紙」に書かれたものであれ、「放送」されたものであれ、民の安寧を祈るものであれ、誰かへの呪詛であれ、天皇陛下の「言葉」は「預言」であるため実現してしまう。第二次世界大戦の時、アメリカ軍の上層部は「日本は1億総玉砕と言っているのだから、見事玉砕させてやろう」と考え、日本の主要都市へ既に製造済みだった19発の原子爆弾を投下して日本人は滅ぼされる危機にあった。だが、それを救ったのが昭和天皇陛下の玉音放送である。まさか単なるラジオ放送で戦うことを止めてしま
イギリスの文物を楽しむのには、シェイクスピアを知っておくほうがいいと思うのだが、さて、日本ならばどうだろう?『源氏物語』だと、私は考える。平安時代に54帖にも渡って書かれた、古い、長い、物語である。日本で作られた文物には、なにかしらその影響が見てとれる。『「由美は私が創りあげた女なんです。そうです、そういっても間違いはないでしょう。私はあれを九つのときから手塩にかけたのです。・・・・・・最初から私はあれを、成人したら自分の妻とも愛人ともするつもりでした。・・・・・・それは、学生時代
昨日のブログ記事とつながりますが↓【京都】古今和歌集の注釈書藤原定家の自筆の原本発見|NHK【NHK】鎌倉時代を代表する歌人、藤原定家が古今和歌集についての解釈を書き込んだ注釈書「顕注密勘(けんちゅうみっかん)」の自筆の原本が京都で発見される。www.nhk.or.jp今でもこうした「国宝級の歴史資料」が見つかるというのが興味深いと思います。史料が見つかったのが冷泉家なのであり得る話ではありますが自然災害はもちろんですが
式子内親王の悲運な生涯を辿る前回では、それまでの仮住まいから、やっと大炊殿に身を落ち着けることができたまでをお話ししました。前回引用した、『源家長日記』の御殿の庭の記述からは、内親王が、平安な暮らしをようやくにして得たことがうかがえます。しかし、それは長くは続きませんでした。重い病が内親王を襲うことになるのです。それが、明らかになるのは、定家が『明月記』正治元年(1199)五月一日の次の記事からです。「大炊殿ノ女房告ゲ送リテ云ハク雑熱ノ事御ハス之間、医師等ヲ召スト云々」2018年に評
平安期の蝶を詠った和歌をみてきたので、まとめとして作者と作品を年代順に並べてみます。平安前期①僧正遍照(816-890)ちりぬればのちはあくたになる花を思ひしらずもまとふてふ(蝶)かな後期②大江匡房(1041-1117)百年は花に宿りて過ぐしてきこの世は蝶の夢にぞ有ける③源仲正(1095六位蔵人ー1135頃引退)面白や花に睦るる唐蝶のなればや我も思ふあたりに④西行(1118-1190)籬(ませ)に咲く花に睦(むつ)れて飛ぶ蝶の羨ましきもはかなかりけ
本日の機材その①:PENTAXK-5ⅡS+FA50mmF1.4カスタムイメージ雅今日は午前中快晴。ぶらぶら歩きながら拾い撮りしたんだけど、こってりした色の乗りといい、まるで銀塩時代のリバーサルフィルムで撮った写真みたい杉の木に絡まって野生化したフジ。少しだけ花が咲いてたけどまだ香るほどじゃなかった。これは『テイカカズラ』。毒があるつる性植物でジャスミン香(要するにいい香り)の花が咲く。見栄えはあまり良くない花なんだけど、芳香がそれを補って余りある生け垣に使われることが多
一昨日の「くさい」、昨日の「発音変化」からの連想で思い出したんですが、「香り」の歴史的仮名遣いを「かほり」と思っておられる方が多いようです。実はこれ、「かをり」が正しい仮名遣い。といっても、少しややこしい事情がありまして。藤原定家(ふじわらのさだいえ、通称テイカ)と言えば、多くの方がご存知でしょう。平安末期の代表的な歌人で、その家系は「歌の家」として公認され現代にまで続いています。この定家さんが生きた平安時代、国語には大きな転換がありま
本日もお読みいただきありがとうございます😊前回の続きです。蘆山寺を出て、お向かいの梨木神社へその前に。ちょっと時間は前後しますが、寺町通りを廬山寺に向かって歩いていると、右手に京都市立京極小学校その敷地に藤原定家一条京極第跡の碑寺町二条にも、藤原定家邸宅跡という碑があったように思うのですが❔その辺り一帯だったということでしょうか?いやいやそれにしては敷地が広すぎますよね〜。邸宅を複数所有していたということかしらん。通り沿いのマンションの敷地の植物に何の実でし
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきますみなさんこんばんは(´Д`)。本日は歴史好きなぶたさんの大好物!楽しい歴史系図でございます(´Д`)!ぶたさんは歴史上の人物の系図がとにかく好きなんです。はい(´Д`)。今回は大河ドラマ『光る君へ』でお馴染みの藤原道綱・藤原道長兄弟の共通子孫の話をしていきたいと思います。まず藤原道綱は道長の異母兄で、母親は『蜻蛉日記』の作者・道綱母です。道綱母・道綱の子孫には、『讃岐典侍日記
6thアルバム『二十才前…』で、宏美さんの新たな側面を見せる軽快なポップチューンである。作詞作曲が「どうぞこのまま」の丸山圭子さん、編曲は佐藤準さん。丸山さんと佐藤さんは元々仕事仲間で、この「季節のかほり」の頃に結婚され、お二人のお子さんがいらっしゃるが、その後離婚されたらしい。宏美さんは当時からこの曲を気に入っていらして、紙ジャケ時のライナーノーツでも、レコーディングスタジオに丸山圭子さんがいらしたことを懐かしそうに回想している。また、デビュー5周年記念のアルバム『宏美』にも、「季節
嵯峨野にある常寂光寺です。小倉山常寂光寺という日蓮宗の寺。安土桃山時代の慶長元年(1596年)、大堰川の開拓を行い嵯峨野に邸宅を所有していた豪商・角倉了以が本圀寺16世・日偵に寺領の寄進を行い、創建されました。小倉山中腹に位置、境内は藤原定家が「小倉百人一首」を撰んだと伝わわる小倉山の山荘・時雨亭跡地ともされています。仁王門。南北朝時代に本圀寺南門として建造されたものを、元和2年(1616年)この地に移築したもの。安置されている仁王像は、若狭国・長源寺から移されました。
7.いきなり将軍将軍就任という大事を「僕も春から老中になるから、君は将軍、よろしくね♡」とかるーく歌にした曲。なんでやねん、と。「ちょっと待って心の準備がまだ♪」と言いつつも「この先よろしく幕府ふゥウゥゥゥゥ♪」と歌い上げ「フユ、フフツフフユー♪、フユ、フフツフフユー♪」と口笛吹いて終わるこのお気楽モードが良い。【歴史解説】「将軍」とは一般的には軍隊の指揮官のことだが、日本史的には蝦夷(東方)を征伐する官職「征夷大将軍」。中世以降、武家の棟梁がその官職を担い、源頼朝の鎌倉時代