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三の丸尚蔵館皇居三の丸尚蔵館TheMuseumoftheImperialCollections,SannomaruShozokan皇居三の丸尚蔵館は、皇室に代々受け継がれた絵画・書・工芸品などの美術品類に加え、故秩父宮妃のご遺贈品、香淳皇后のご遺品、故高松宮妃のご遺贈品、そして三笠宮家からのご寄贈品を収蔵しています。shozokan.nich.go.jpへ行ってきました(^_^)/現在開催中なのは、開館記念展皇室のみやびー受け継ぐ美ー第3期「近世の御所を飾った品々」
式子内親王の悲運な生涯を辿る前回では、それまでの仮住まいから、やっと大炊殿に身を落ち着けることができたまでをお話ししました。前回引用した、『源家長日記』の御殿の庭の記述からは、内親王が、平安な暮らしをようやくにして得たことがうかがえます。しかし、それは長くは続きませんでした。重い病が内親王を襲うことになるのです。それが、明らかになるのは、定家が『明月記』正治元年(1199)五月一日の次の記事からです。「大炊殿ノ女房告ゲ送リテ云ハク雑熱ノ事御ハス之間、医師等ヲ召スト云々」2018年に評
細川城(三木市細川町高篠字かまへ)細川城は細川荘を支配するために公家が造った城である。細川荘は、藤原定家を先祖とする歌道の名門下冷泉家代々の荘園で、歴代の当主は細川と京を往反する生活をしていた(『公卿補任』)。応仁の乱勃発に伴う京都の荒廃により、冷泉政為(下冷泉家の当主)が細川に下向、細川荘を治める拠点として細川城を築いたようである。細川城は、政為以後の当主(為孝-為豊-為純-為勝)の居館で、在荘の期間を通じて徐々にこの居館の城郭化を進めている。最後の城主冷泉為純は、子為勝と共に三木合戦開始
*:..。o○○o。..:*リーディング短歌書き下ろしLINE@始めました・*:.。おみくじ、占い感覚でどうぞ執筆、講義のご依頼はお気軽に・*:.。→★(執筆関係)→★(講義関係)*:..。o○○o。..:*恋歌とてよめる帰るさのものとや人のながむらむ待つ夜ながらの有明の月藤原定家新古今和歌集恋三、1206【口語訳】有明の月よ。あなたはほかの女性と睦み合い、その帰りに別れてきたその人を想ってこの月をしみじみ眺めているのか。
◆◆◆くじょうみやび日録第二期◆◆◆日本書道史に関するビジュアル本から、面白い発見がありました。藤原定家の独特の書風は、「定家様(ていかよう)」と称され、特に江戸時代の茶人らに珍重されたりしています。どうみても「美文字」とは言い難いこの造形、実は「用」を重視したものというのです。「平生所書之物、以無落字為悪筆之一得」『明月記』(寛喜3年<1231>8月18日条)悪筆ながら落字の誤りをしないこと――定家自身が、自らの筆蹟について自負しています。あーなる
2024.5.5のブログを一部訂正致しました。『表と裏の顔を持つ...男が詠んだ歌...②』『表と裏の顔を持つ...男が詠んだ歌...①』『2024.1.23チノポス書道史③「趣味が功を奏して…」』前回のブログでも記載した通り三筆「嵯峨…ameblo.jp前回のブログで小倉百人一首に、選歌されている「小野篁(参議篁)」の歌に関して記載しました。実は、二十年位前、百首、暗記していました。*現在は、反復していないのですっかり忘れています...(^^;
*:..。o○○o。..:*プロフィール小説リリースLINE@おみくじ、占い感覚でどうぞ生き様で語るプレゼン大会11月23日登壇無料和歌茶会、11月24日*:..。o○○o。..:*冬御歌の中に村雲のたえまの空に虹たちて時雨(しぐれ)過ぎぬるをちの山の端藤原定家玉葉和歌集冬847【口語訳】村雲と村雲の切れ目より覗く空に鮮やかに虹が立った。時雨の過ぎ去ったばかりのはるかかなたの山の端に。(訳:梶間和歌)【本
恋心まだ衰えず定家葛(こいごころまだおとろえずていかかずら)コロナ禍のせいで、近くを散歩することが多くなったが、最近よく見かけるのが、今日取り上げる「定家葛(ていかかずら)」である。疏水に掛けられた橋の袂に植えてある灌木にまとわりついて、今多くの花を咲かせているが、見るたびに増えてきている感じである。*「かずら」は、旧仮名遣いでは「かづら」。ところで、「定家葛」の「葛(かずら)」は、蔓性植物であることを示すが、「定家(ていか)」とは何を意味するのか。ご存知の方も多いと思
7.いきなり将軍将軍就任という大事を「僕も春から老中になるから、君は将軍、よろしくね♡」とかるーく歌にした曲。なんでやねん、と。「ちょっと待って心の準備がまだ♪」と言いつつも「この先よろしく幕府ふゥウゥゥゥゥ♪」と歌い上げ「フユ、フフツフフユー♪、フユ、フフツフフユー♪」と口笛吹いて終わるこのお気楽モードが良い。【歴史解説】「将軍」とは一般的には軍隊の指揮官のことだが、日本史的には蝦夷(東方)を征伐する官職「征夷大将軍」。中世以降、武家の棟梁がその官職を担い、源頼朝の鎌倉時代
*:..。o○○o。..:*梶間和歌プロフィール小説梶間和歌YouTubeチャンネル歌集『生殖の海』のご購入はこちら歌をやり取りするfacebookグループ*:..。o○○o。..:*近日中にインスタグラムにて読者プレゼントを始めます*:..。o○○o。..:*蘭省(らむせい)の花のにしきの面影にいほりかなしき秋の村雨藤原定家拾遺愚草員外雑歌330三十一字歌藤原定家全歌集3121【現代語訳】宮中で図書を司る蘭省の、錦のごと
こてふにも似たるものかな花薄恋しき人に見すべかりけり紀貫之(拾遺集)平安期の和歌で蝶を詠んだものを、かってチェックしたことがありますが、この歌は入れておりません。紀貫之(870頃~946)が蝶を詠んでいるとなればすごいのですが。歌意①蝶に似ているものだなあ。花薄は。恋しい人に見せるべきです。と素直?に解したいですが、すすきが蝶に似ているとは違和感もあります。歌意②
藤原定家は興味深い和歌を詠んでいます。時雨時を知る私家偽(いつわ)りのなき世なりけり神無月誰(た)が誠(まこと)より時雨(しぐれ)そめけん(『拾遺愚草』下冬、『続後拾遺(しょくごしゅうい)和歌集』冬415)(この世は偽りばかりだと思っていたが、神無月になり季節を忘れることなく降りはじめる時雨は、いったい誰の真心が表れているのだろう。そう思うと、この世は決して偽りばかりではなかったのだ。)定家にとっての「偽り」とは、一体何だったのでしょうか?「神
平安期の蝶を詠った和歌をみてきたので、まとめとして作者と作品を年代順に並べてみます。平安前期①僧正遍照(816-890)ちりぬればのちはあくたになる花を思ひしらずもまとふてふ(蝶)かな後期②大江匡房(1041-1117)百年は花に宿りて過ぐしてきこの世は蝶の夢にぞ有ける③源仲正(1095六位蔵人ー1135頃引退)面白や花に睦るる唐蝶のなればや我も思ふあたりに④西行(1118-1190)籬(ませ)に咲く花に睦(むつ)れて飛ぶ蝶の羨ましきもはかなかりけ
ご訪問ありがとうございます東京世田谷区田園都市線桜新町日常がちょっと豊かになるお花ハンドメイド教室CasaLibreカサリブレを主宰します吉沢か津子です今日の未明、ふたご座新月だったようですねしっかり願い事、書きました📝叶ったテイで、ね✨【コレなんていう花?③】「テイカカズラ定家葛」道沿いの生け垣に絡まるようにして咲いていましたジャスミンのようなイイ香り♡なんだけど、実はキョウチクトウの仲間なので毒があるそうで
歴史系図トリビアこれは楽しい!おもしろい!そう感じるような歴史上の人物の系図を紹介していきますみなさんこんばんは(´Д`)。本日は歴史好きなぶたさんの大好物!楽しい歴史系図でございます(´Д`)!ぶたさんは歴史上の人物の系図がとにかく好きなんです。はい(´Д`)。今回は大河ドラマ『光る君へ』でお馴染みの藤原道綱・藤原道長兄弟の共通子孫の話をしていきたいと思います。まず藤原道綱は道長の異母兄で、母親は『蜻蛉日記』の作者・道綱母です。道綱母・道綱の子孫には、『讃岐典侍日記
またNHKの番組の紹介です😅テレビばかり見てる?その通りです…「グランメゾン東京」や「同期のサクラ」も見てたし(両方とも面白かったー)、バラエティも見てるしお正月は特に日本のテレビ漬けでした😥😥でも、そんな中でも歴史・教養番組はホントに知らなかったことを教えてくれて知識欲を満たしてくれるものが多いですねータイトルに挙げたNHK英雄たちの選択「百人一首〜藤原定家三十一文字の革命〜」はお正月スペシャルとしてドラマ仕立てで、とても面白く藤原定家のことや百人一首編纂のことを描い
『表と裏の顔を持つ...男が詠んだ歌...②』『表と裏の顔を持つ...男が詠んだ歌...①』『2024.1.23チノポス書道史③「趣味が功を奏して…」』前回のブログでも記載した通り三筆「嵯峨…ameblo.jp前回のブログで「小野篁」に関して、記載しました。その続きです。参照チャンネルむっちゃん百人一首篇【11番】---ある日、右大臣・藤原良相(藤原良房の弟)は死の淵に立たされその時、閻魔大王と謁見した。この時点で、地獄行きが確定