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京丹後に行って参りました。歴史に詳しい方のナビゲートで、奥宮眞名井神社、籠神社、とその他の元伊勢も周りました。https://www.motoise.jp/about/okunomiya/奥宮眞名井神社|丹後一宮元伊勢籠神社(このじんじゃ)奥宮真名井神社(まないじんじゃ)御祭神磐座主座豊受大神とようけおおかみ産業、衣食住の神様。月神の一面をお持ちであり、天御中主神と同神であると伝えられる。御神徳五穀豊穣衣食住守護・諸業繁栄相殿罔象女命みづはのめのみこと彦火火
◆籠神社誕生祭(令和六年)今年も籠神社にて御祈祷頂き御守護の自祓串や撤饌(てっせん)等が送られてきました。これは崇敬会会員の特典の一つ。「饌」という字が読めないという情報を知り、送り仮名を付加しました。日頃より当たり前のように使っているため、大人なら誰でも読めるものと…。先入観とは怖いものです。ちなみに「饌」という字の本来の読みは「け」。古代には音読みは存在しないため。「御饌(みけ)」などとして使われます。「撤饌」という言葉は、訓読みができてからの言葉でしょうね。撤饌の
ある本📕からの抜粋↓↓↓【二人の初代】…日本の天皇家は、「王の子が王になる」家系。そして、それがユダ族のダビデ王朝が断絶されたとされる当時から今でも続いている世界唯一の家系-賢司は血統を絶対原理とした日本の皇位継承の発想が、世界を見渡しても異常なくらい独特なものであることに氣づいた。男系の世襲こそが唯一の正統性の源泉であり、それ以外は一切許さない。何か宗教的なものさえ感じる-一方、西欧で皇帝はもともと血統というよりは実力者への継承で、王権も女系や他家に移ることもあった。中国では数千年の歴
籠神社(このじんじゃ・かごじんじゃ)丹後国與謝郡京都府宮津市字大垣30(P有、有料500円)■延喜式神名帳籠神社名神大月次新嘗の比定社■社格等[旧社格]国弊中社、官弊大社[現在]別表神社丹後国一ノ宮元伊勢吉佐宮の論社■祭神彦火明命[相殿]豊受大神天照大神海神(ワタツミノカミ)天水分神神代の頃より当社奥宮である匏宮(よさのみや、表記は「與謝宮」など多くあり)から、和銅六年(719年)に遷座された社。その匏宮では豊受大神を、天照大神の孫神である彦火明命
丹後国一ノ宮籠神社◆丹後の原像【80.古代海部氏の系図~1】「丹後叢書」の現代語訳に飽きてきたわけでもないですが…一時中断します。そして新しい題材「古代海部氏の系図」をしばらくは綴っていくことにします。詳細は本文にて。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事『◆【丹後の原像】過去記事一覧』新井崎神社の鳥居越しに仰ぐ「冠島」「沓島」これまで本編記事内に過去記事一覧を設けていましたが、記事数も50本を超え煩雑になってきました。そこで別記事を上げてお…ameblo.j
『卍(まんじ)のルーツとムー大陸の内緒話』『ホピ族と太陽十字の内緒話』『沖縄のロゼッタストーンとホピの予言の内緒話』『ロゼッタストーン』。エジプトの「ロゼッタ」という町で発見された古代エジプトの文…ameblo.jp↑のつづき。『十種神宝(とくさのかんだから)』。天地開闢から推古天皇までの歴史が記されている『先代旧事本紀』では、「天璽瑞宝十種(あまつしるし-みずたから-とくさ)」として登場する10種類の宝物。記述によると、『饒速日命『ニギハヤヒ』が天降りする際に『天神御祖(
何がかくされているのか元伊勢籠神社・眞名井神社の続きです。前の記事は下に貼っておきます。籠神社、ご祭神は彦火明命。社家は海部家。そして昭和62年に、2000年間封印されてきたご神宝を公開しました。公式サイトでご覧ください。宝物|丹後一宮元伊勢籠神社(このじんじゃ)奥宮真名井神社(まないじんじゃ)海部家に伝わる神宝や籠神社に伝わる宝物をご紹介致します。神宝海部氏伝世鏡邊津鏡(学名内行花文昭明鏡)息津鏡(学名内行花文長宜子孫八葉鏡)昭
◆丹後の原像【31.謎の大宮売神社にじわりと…5】令和二年12/7~8に再び丹後を訪れました。旅行の最後に参拝したのが大宮売神社。宮司さんがたまたまおられ、資料館の展示物を見学、長時間に渡り多くのことを教わりました。一旦終了させた大宮売神社シリーズですが、追加記事を。既に資料館の展示物をアメンバー限定にて記事を上げています。展示物の写真を載せた程度で詳しくは触れていません。「スピリチュアル系を気取る輩」「仏教関係者」「未だ記事を上げていない方」「その他、相応しくない記事を
今回、海部氏の系図をかなり参考にし、尾張氏の系図に手を加えました、精査して分かったことは、「尾張氏、海部氏、和邇氏」の三氏族は同族として活動していた事が分かるものでした。現在はそれぞれに別々の氏族の様に思われていますが、少なくとも雄略朝頃までは同族として活動していた事が、代々の宮司の名前から分かります。基本は丹後の家から出しますが、跡継ぎが途絶えたり何かあった場合には他家から宮司を迎えている様子が残されていました。尾張氏からは、十世孫小縫命十四世孫小登與命十五世
妙見信仰の続きですが、妙見神とは、神仏習合になっており、天帝とよばれた星は動いていない(ようにみえる)ため中心を司る最上とされました。その周りを巡回してまわっている北斗七星が一昼夜でその周囲12方向を指すことから、時間に現わされる。さて、今回は、伝説と縄文遺跡との関係なのですが、妙見菩薩が「カカセオの化身」と伝わる秩父妙見があります。この話は、後で登場しますのでその時に詳細かきますが、「星は石」と考えると、カカセオなり妙見菩薩とは「隕石」ではないか?と思ってしまう伝説が埼玉県
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その44神代文字で記された「竹内文書」を書いたのは、正確には誰かは分からない。武内・建内・竹内の3つの名でその正体を隠した武内宿禰(たけのうちのすくね)自身が書いたものとはどこにも書かれていないからだ。その宿禰の末裔たちが代々保管してきたその内容について、歴代の竹内家の宮司たちは「時いたれば秘史を皇室に奉還せよ」と子々孫々に伝え、それが『竹内文書』となって世に出たのだが、その内容に注目したのは、酒井勝軍や山根キクといった人たちだけでなく、後の首相の東
さぁさぁ!前回の仙酔島の続きです!!!このトトロの道から山へ・・・でしたね途中所々にあるベンチが“瞑想用として、、としか!思えんよね~”ってひでちゃんと違うやろ。ちょっと休憩、もしくは景色堪能してくださいベンチやろ。どんどんどんどん上へ!山の上から魅せてくれる景色がまた・・・とてつもなく美しい!!!まるで樹がアーチを創ってくれてるかのよう♡この“山”の部分では、本当に人の気を全く感じなくって。
天橋立のすぐそばにある元伊勢籠神社に行ってきました。こちらは新月と満月の日だけ授与されるお守りがあります。「むすひ詣り」新月(朔)と満月(望)には、古来より大切にしてきた天地・万物を生成・発展させる霊妙な力(むすひ)の御神威があり、この縁の日に天橋立を南に望む真名井原に鎮まる籠神社・真名井神社を参拝することを「産霊詣り」と言います。皆様が大神様の御加護によりこの世に生をうけ、豊かな恵みのなか生かされている事に感謝し、希望ある明日が切り開かれるようご祈念致します。(公式HPより
藤社神社です。「藤社」と書いて、「ふじこそ」と読むようです。比沼麻奈為神社と縁がふかく、一説にはここも元伊勢だと言われています。比沼麻奈為神社と、久次岳の山頂と藤社神社を結ぶと、正三角形ができる、という話しもありますが、傾斜もあるので、よくわかりません。「藤(ふじ)」はこの土地の古名の「比治(ひじ)」の転化だといいます。「社(こそ)」は人名につける敬称だという話もあるのですが、籠神社の「籠」を「この」と読ませるのにも似ていますし、籠神
天橋立昨年は本当に試練の年でした。いろんな意味で。そして7月から風向きが変わり始めます。こんなだったのが、こんな感じに。是正される、理不尽なものが終わる、正しい評価がされる、のような風向きになってくるようです。それは追い風でしょうか、向かい風でしょうか。昨年は神社めぐりに関しても、ミッションが次々でてました。まず鹿の杜ミッションで、東国三社巡りと九州・志賀島へ行きました。そして福井~天橋立~兵庫~京都市街を一週間使って巡
■今回のリトリートの主目的である真名井神社と元伊勢籠神社へ。まずは真名井神社からお参りします。真名井神社は豊受大神元津宮とされています。伊勢神宮にならって、こちらでも外宮にあたる真名井神社からお参りします。狛犬ならぬ狛龍が迎えてくれます。この先は撮影禁止なので写真はありません。あ、ご神水はいただいて飲みました!そして、籠神社へ。主祭神は彦火明命(ひこほあかりのみこと)。なぜ元伊勢の主祭神が彦火明命なのか。メルマガにも書きましたが、これが日本の
我が社は長年勤続した人には特別休暇が与えられる。5月でその期限が切れるので、昨日西国礼所めぐりをしてきた。2017年くらいからやっているのだが、北のほうとか、南のほうとか東のほうとか湖の中とかが後回しになっていた。今回は北のほうの宮津にやってきました。腹ごしらえ(宮津漁師町ととまーと)天橋立駅近くに車を置きおみやげ智恵くらべさんでレンタサイクルをする。3時間500円そして、天橋立を自転車でこぎ対岸の元伊勢籠神社まで行き、そこの駐輪場にチャリ
少し走って、次は籠神社に。ここまで来たら、やっぱりこちらにも伺いたいです。こちらも元伊勢になります。吉佐宮(籠神社)は天照大神様と豊受大神様が出会い、伊勢に鎮まる前に留まった場所だそうです。今の御祭神様は、彦火明命様でこの地で豊受大神様を、お祀りされていた神様だそうです。83代にわたり直系で世襲されてきた宮司が、社を守っていることでも知られてるそうですね観光バスも停まっていて、けっこうな人だったので本殿でお参りだけさせて頂いて、境内もわちゃわちゃしていたので、先に籠神社の奥宮といわれる
籠神社本殿から歩くこと5分ほど、、、奥宮の眞名井神社へ到着です🚶おおおおーさらに空気感が澄んでます✨龍神系独特のキリリとした鋭い気ではなく丸い温かい優しい空気感です♪伊勢神宮や貴船神社と同じ空気感が伝わってきます眞名井の清水や狛龍で有名なパワースポットですすでに観光地化されてしまったようで残念ですが、、荒らされたくない聖地です🙏🏻人生初の籠神社を参拝ができて感無量でした🙇🏻♂️
「日本」を封印した「聖徳太子」その13聖徳太子と蘇我馬子は、推古天皇のもと共同で政治を行ったとされている。二人は親戚関係にあったが、その仲については政敵でライバルだったという説と協力者だったという正反対の説が存在する。だが、これまで見てきたように、聖徳太子は滅ぼした相手の物部守屋を祀るなど、常に太子の影には物部氏の存在が登場する。それはまるで太子を守護しているかのようにである。◆「聖徳太子」の母方の出自「厩戸皇子」(うまやどのみこ)と呼ばれた太子は、蘇我氏と強い血縁関係にあった
日本には、神社が8万社以上もある。その数はコンビニよりも多いらしい。『保久良神社』は兵庫県神戸市、金鳥山の中腹に鎮座する。その主祭神のひとり、『椎根津彦命』。神武東征において、船路を先導した人物。なんと、亀に乗っております🐢椎根津彦命は元々、『珍彦(うづひこ)』のいう名だった。『渦』、つまり↓『カタカムナ』のことですよね~。※カタカムナはあまり調べ過ぎると消されてしまうらしいので、喋り過ぎないようにしよう。珍彦は亀の背に乗ってやってきた。『浦島太郎』っぽいと言えば簡単だが、
おはようございます昨日は暑かったですねー、もう初夏なの?まだ夏は来ないで欲しいです西国三十三箇所を回っている時に、天橋立に寄りました。といっても天橋立傘松公園にいって上から眺めました。登る時はケーブルカーに乗って。私は27年前くらいに行ったことがありました。股のぞき?を凄くやりたくなかったけどみんなかやるんだからやるように言われて嫌だわーと思いながらやった覚えがあります。今でも、普通に見た方が綺麗だなーと思います。通り道に、籠神社がありました。え!?籠神社?この神社って
もともと伊勢神宮があった場所京都元伊勢籠神社⛩️を初参拝🙏🏻過去の過ちを浄化し未来を切り開く力を与えてくれるご神徳が特徴らしいです🙇🏻♂️たしかに伊勢神宮外宮と同じ優しく温かい空気感を感じます♪バリバリ龍神系の神社なのに不思議な感じです~境内は全て撮影禁止されていましたので鳥居の中は写真を撮ってないです鳥居の中はもっとすごかったですよ✨写真に龍が写り込みましたやはり籠神社もバリバリ龍神系神社ですねこのまま奥社へ向かいます🚶
籠神社の名誉宮司海部光彦氏が11/8未明に永眠なされました。御歳91歳であったとのこと。早々に籠神社よりお葉書が届きました。これほどのお方になるととてもじゃないですがお話をできるほど私も図々しくはありません。境内でお見掛けしても、最大限の笑顔で会釈するのが精一杯。(顔をこわばらせながら…)神々しいオーラを放っておられました。神社を拝する作法というか…間合いみたいなものは、海部光彦氏をマネたものにしています。柏手を打つ仕草は人それぞれで正解というものなど無いのでしょうが。
みなさま、こんばんはツヤ子です٩(•ᴗ•٩)昨日のダンス動画楽しんでいただけたでしょうか〜未だに荻野目ちゃんのダンシングヒーローがずっと頭から離れず困ってますwww話は変わって〜少し前、ツル専務は広島のネイルサロンsquare(スクエア)の方々と天橋立神の三部作参りに行ったそうですお天気はあいにくの雨だったようで…アリャ〜ところで天橋立神の三部作参りとは…1日で籠神社真名井神社天橋立神社の3つの神社を参拝する事だそうですそして何でもお参りの仕方があ
今、私たちは西暦が始まってからの約2000年、神武天皇即位からの2680年程の終わりに立っています。人類史から見れば、2000年とは直近の時代とも言えますが、さらに遡ったところからみても、この時代を目指して私たちは生命を繋いできたようです。私自身の古い記憶の中から、親和性のある歴史を紐解くように促され、2015年あたりからようやく核となる人達にお会いすることが出来るようになり、その方たちの尽力もあり、どんどん過去が開示されるようになってきました。それは、言ってみれば、人類のもう一つの物語
籠神社(このじんじゃ)・狛犬狛犬と言えば先ず思い浮かぶのが、丹後国一ノ宮・籠神社の狛犬。国指定の重要文化財で、「日本一の名品」とも言われる狛犬です。「狛犬」は阿形と吽形一対の霊獣と思われていますが、実は一方が獅子でもう一方が狛犬なのだそうです。以前、狛犬マニアの方とお互いのブログを通じて交流していたことがあります。一言で「狛犬」と言っても実はいろいろな種類があるそうです。形、産地、材質、蹲踞(そんきょ)型や構え型などの姿勢の違いや作られた時代に
似非歴史学者、ヤマグチポッターですm(__)m天橋立への旅行の後、あらためてこの丹後地方の歴史深さに感銘を受けています。そこで、番外編として歴史モノを上梓します。今回の記事は、天橋立のある丹後国そしてその一の宮たる籠神社(このじんじゃ)にまつわる歴史のお話です。まあまあ長くて、古の日本の歴史に興味がないとかなり退屈です(^^;)先に謝っておきます(笑)以前もお話しましたように、そもそもは北側から見たこの眺望がいわゆる天橋立でした。その天橋立のある丹後とはいかなるところ
ハッピースマイル瑠良香の虹の魔法24日は、丹後一宮籠神社の祭礼地元では葵祭と呼ばれています。午前は曇りでしたが午後2時ごろから雨だんだん雨足強くなり3時過ぎについたので雨強め太刀振り、雨でも奉納満月でもあり満月の日しか売ってない産霊守りも売られていました。お神輿は宮入りした後でした。清々しいわ平日でしかも雨なので人は少なめ、太刀振りを見ている方が多くて、本殿はお参りする方は数人だけゆっくりお参り出来ました。本殿横の恵美須神社へもお参りしました。ゆっくりお参
10/15・・丹後・丹波の黒枝豆狩りでお出かけでしたがブログのタイトル前に訪問順に番号を載せてます。スタートはコチラでした↓『★(Ⅰ-1)丹後国一之宮元伊勢籠神社in京都(宮津)』丹波篠山へ毎年恒例の黒枝豆狩りへただでは動きません何度も行けないし向かう前に丹後の一之宮へ御朱印丹後国一之宮元伊勢籠神社スタートの写真は鳥居と駐車場…ameblo.jp着いたのは9:00前で御朱印は両宮(本宮と奥宮)・本宮の2種類良く分からずに2種類お願いして授与時間まで