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Amazonkindleで2019年に発売され、加筆修正されて書籍化されたものだそうです。ずっと気になっていたので、書籍化されて良かった帯にはこう書かれています。「これは、あなたの歴史の常識への挑戦です。」神道とはなにか?天皇家の正統性とは?日本人はどこからきたのか?読む前から、ワクワクが止まりません。アマテラスの暗号〈歴史ミステリー小説〉Amazon(アマゾン)1,250円Amazon(アマゾン)で詳細を見る楽天市場で詳細を見る元ゴールド
2024年4月24日元伊勢籠神社の葵祭でした。曇り空で、時々、小雨になりましたが、神社の外周を回る時には何とか傘を必要としない状態でしたが、2時20分からの祈祷が始まったら雨降りになりました。不思議な神計らいにも思える天候でした。二時二十分からの祈祷が始った頃から本降りになりました。雨に濡れながら舞う子供達が頼もしく可愛かったです。今年も御幣を手にして歩いて何か清まった気持ちになりました。御出会いした皆様、ありがとうございました。
(丹後国籠神社)◆椎根津彦命(倭宿禰)考~2~1の記事の続きです。『◆椎根津彦命(倭宿禰)考~1』(大和国山邊郡大和神社)◆椎根津彦命(倭宿禰)考~1この記事はこれまで当ブログ内で行ってきた一般的な神名紹介記事とは異なり、個人的思量を綴る記事とします…ameblo.jp当初は1記事で済まそうかと思っていたのですが、予想より長くなり文字数オーバーの心配が出てきました。あまりに記事作成に時間がかかるため、間に合わない心配もあったりと。ま…ブレイクを挟むべきでしょうね。
こんにちは。昨夜は満月でしたね🌕さて、わたしは満月と新月に元伊勢・籠神社と真名井神社を参拝すると、天地万物の生成の御神威が高まるとされる、「むすひ詣り」に行って参りました。ここは京都、天橋立にある丹後国一宮、籠(この)神社です。♪伊勢へ詣らば元伊勢詣れ♪♪元伊勢お伊勢のふるさとじゃ♪ですね😆✨ものすごくむすひ詣りで盛り上がってました👀「え、満月に何かあるの?」とみなさん首を傾げてましたが、満月と新月は、太陽と月と地球が一直線上に並ぶ日なのです😅それはそれはすごい潮汐力によ
笶原神社(やはらじんじゃ)丹後国加佐郡京都府舞鶴市紺屋29(駐車は写真通り境内に)■延喜式神名帳笶原神社の比定社■祭神天照大神豊受大神月夜見神「笶」が「笑」と間違えられ、「笑原神社」などとされてしまっている社。Googlemapも間違えていれば(最近訂正された)、古文書でも多々間違えられているとか。地元でも「やはらじんじゃ」では通じず、「えばらじんじゃ」でないと通じないようです(通り名は「神明神社」)。◎元伊勢「吉佐宮」の候補地の一つ。最有力はもちろん眞名井神社であり、他
天橋立昨年は本当に試練の年でした。いろんな意味で。そして7月から風向きが変わり始めます。こんなだったのが、こんな感じに。是正される、理不尽なものが終わる、正しい評価がされる、のような風向きになってくるようです。それは追い風でしょうか、向かい風でしょうか。昨年は神社めぐりに関しても、ミッションが次々でてました。まず鹿の杜ミッションで、東国三社巡りと九州・志賀島へ行きました。そして福井~天橋立~兵庫~京都市街を一週間使って巡
近くにある道の駅へ行ったり、前を通り過ぎたことはあったのですが、カエサル、50才にして初めて天橋立へ行ってきました!最近、旅日記を出せずにいます。書くのが面倒になっちゃって……(笑)めちゃ写真とか溜まってるけど、この先、消化できる目途はないです。いっぱい書こうとすると手が止まるので、もうサラッと写真出して、サラッと書くべし、ですね。朝の6時に自宅を出発!途中、滋賀県で、良い感じのカフェを見つけました。前泊するのもいいけど、早朝出発する旅もオツですなぁ。そして、
昨日、天橋立に行ってきました。2月ころから、実は、行きたいと思っていました。何故かと言いますと、3年くらい前に、肉まんアトムさんの元伊勢ツアーに行った時に、いただいてきた元伊勢籠神社の奥宮の真名井神社の桃守を、失くしてしまっていたのです😭アトムさんが、これはいただいたらいいと教えてくれたのが、桃守(ももまもり)でした。なるべく、いつも身につけていようと思って、携帯のケースにいれていました。それが、自分の不注意で気がついたら、失くなっていて、大ショック😭
ある本📕からの抜粋↓↓↓【二人の初代】…日本の天皇家は、「王の子が王になる」家系。そして、それがユダ族のダビデ王朝が断絶されたとされる当時から今でも続いている世界唯一の家系-賢司は血統を絶対原理とした日本の皇位継承の発想が、世界を見渡しても異常なくらい独特なものであることに氣づいた。男系の世襲こそが唯一の正統性の源泉であり、それ以外は一切許さない。何か宗教的なものさえ感じる-一方、西欧で皇帝はもともと血統というよりは実力者への継承で、王権も女系や他家に移ることもあった。中国では数千年の歴
過去記事「秦氏の正体と伊勢神宮の秘密」http://s.ameblo.jp/happylife3749/entry-12038566612.htmlにも出てきましたがユダヤ人原子キリスト教徒である秦氏が京都太秦(うずまさ)に創建した神社、木嶋坐天照御魂神社、通称「蚕の社」には三柱鳥居がある事で有名です。次の京都旅行では、是非ともこの眼でこの三柱鳥居を確認したいと思っている英子です。さてさて今回は、秦氏であると言われている初代天皇、神武天皇の秘密に更にフォーカスしていきます。
こんにちは😃わたしは京都の元伊勢、天橋立の近くにある、丹後国一宮、籠(この)神社を参拝しました✨※天橋立ここは、伊勢神宮と酷似する神明造りの元伊勢となります。しかし、西暦717年にこの場所に移ってくるまでは、籠神社はこちらの場所にありました。※真名井神社(これより先は撮影不許可エリア)奥宮、真名井神社ですね。そうです、籠神社は、もともと真名井神社から移ってきたのです。ここにいらっしゃるのは、外宮の女神さま、豊受大神(トヨウケオオカミ)ですね✨※籠神社「吉佐宮(よさのみや)」
宮津市籠神社真名井神社が奥宮とのことですが、、、個人的な感覚では、霊統が異なるような気がしました。水は正直神社の左奥方向へ少し歩いたところから、ケーブルやリフトに乗り、天橋立を眺めることができます。
(大和国山邊郡大和神社)◆椎根津彦命(倭宿禰)考~1この記事はこれまで当ブログ内で行ってきた一般的な神名紹介記事とは異なり、個人的思量を綴る記事とします。一般的な「椎根津彦」の紹介記事は→こちらの記事にて日頃より、あまりに根拠薄弱な論文や研究書等をこき下ろしていますが…例えば…関裕二氏など…。(最近は多少勉強もなされているようですが)自身のこととなるとまた別問題で、世間にはまったく影響力の無い…1記事につき100件程度の閲覧に終わるようにしているし…これでお金儲けをし
何がかくされているのか元伊勢籠神社・眞名井神社の続きです。前の記事は下に貼っておきます。籠神社、ご祭神は彦火明命。社家は海部家。そして昭和62年に、2000年間封印されてきたご神宝を公開しました。公式サイトでご覧ください。宝物|丹後一宮元伊勢籠神社(このじんじゃ)奥宮真名井神社(まないじんじゃ)海部家に伝わる神宝や籠神社に伝わる宝物をご紹介致します。神宝海部氏伝世鏡邊津鏡(学名内行花文昭明鏡)息津鏡(学名内行花文長宜子孫八葉鏡)昭
旅の記録をX(@RIK27626781はたりえこで検索してください。)に残してあります。京丹後、眞名井神社、籠神社、についてはこちらから👇https://ameblo.jp/nada-manihoujiyu/entry-12849323148.html『京丹後奥宮眞名井神社籠神社』京丹後に行って参りました。歴史に詳しい方のナビゲートで、奥宮眞名井神社、籠神社、とその他の元伊勢も周りました。https://www.motoise.jp/a…ameblo.jp鞍馬寺①はこちらから👇
もともと伊勢神宮があった場所京都元伊勢籠神社⛩️を初参拝🙏🏻過去の過ちを浄化し未来を切り開く力を与えてくれるご神徳が特徴らしいです🙇🏻♂️たしかに伊勢神宮外宮と同じ優しく温かい空気感を感じます♪バリバリ龍神系の神社なのに不思議な感じです~境内は全て撮影禁止されていましたので鳥居の中は写真を撮ってないです鳥居の中はもっとすごかったですよ✨写真に龍が写り込みましたやはり籠神社もバリバリ龍神系神社ですねこのまま奥社へ向かいます🚶
神戸の六甲比命神社。この神社を知ったのは、謎解きで有名なハリー山科さんの動画。こちらの動画に登場する、地元の歴史研究家の方とハリーさんの話を簡単にまとめてみたい。-----六甲山にある六甲比命神社には、六甲比命大善神という巨大な磐座がある。瀬織津姫を祀っているらしい。その磐座は兎の形をしていて、頭が北西を向いているとのこと。その頭が指し示す方向を辿ると京丹後市峰山町の久次岳にあたるらしい。久次岳の頂上は、豊受大神が籠った場所とされていて、山麓の比沼麻奈為神社には豊
日本には、神社が8万社以上もある。その数はコンビニよりも多いらしい。『保久良神社』は兵庫県神戸市、金鳥山の中腹に鎮座する。その主祭神のひとり、『椎根津彦命』。神武東征において、船路を先導した人物。なんと、亀に乗っております🐢椎根津彦命は元々、『珍彦(うづひこ)』のいう名だった。『渦』、つまり↓『カタカムナ』のことですよね~。※カタカムナはあまり調べ過ぎると消されてしまうらしいので、喋り過ぎないようにしよう。珍彦は亀の背に乗ってやってきた。『浦島太郎』っぽいと言えば簡単だが、
「日本」を封印した「聖徳太子」その13聖徳太子と蘇我馬子は、推古天皇のもと共同で政治を行ったとされている。二人は親戚関係にあったが、その仲については政敵でライバルだったという説と協力者だったという正反対の説が存在する。だが、これまで見てきたように、聖徳太子は滅ぼした相手の物部守屋を祀るなど、常に太子の影には物部氏の存在が登場する。それはまるで太子を守護しているかのようにである。◆「聖徳太子」の母方の出自「厩戸皇子」(うまやどのみこ)と呼ばれた太子は、蘇我氏と強い血縁関係にあった
天橋立のすぐそばにある元伊勢籠神社に行ってきました。こちらは新月と満月の日だけ授与されるお守りがあります。「むすひ詣り」新月(朔)と満月(望)には、古来より大切にしてきた天地・万物を生成・発展させる霊妙な力(むすひ)の御神威があり、この縁の日に天橋立を南に望む真名井原に鎮まる籠神社・真名井神社を参拝することを「産霊詣り」と言います。皆様が大神様の御加護によりこの世に生をうけ、豊かな恵みのなか生かされている事に感謝し、希望ある明日が切り開かれるようご祈念致します。(公式HPより
人気ブログランキング私が初めて古代の神話に興味を持ったとき、初代天皇である神武天皇よりも前に大和の王だったという饒速日(ニギハヤヒ)のことがとても気になりました。その饒速日(ニギハヤヒ)の存在はのちに、封印されていたようです。京都に籠神社(このじんじゃ)という古い神社がありますが、↓↓主祭神の彦火明命はその饒速日(ニギハヤヒ)と言われています。籠神社の社家「海部氏」は、饒速日(ニギハヤヒ)から続く
丹後国一ノ宮籠神社◆丹後の原像【80.古代海部氏の系図~1】「丹後叢書」の現代語訳に飽きてきたわけでもないですが…一時中断します。そして新しい題材「古代海部氏の系図」をしばらくは綴っていくことにします。詳細は本文にて。~*~*~*~*~*~*~*~*~*~■過去記事『◆【丹後の原像】過去記事一覧』新井崎神社の鳥居越しに仰ぐ「冠島」「沓島」これまで本編記事内に過去記事一覧を設けていましたが、記事数も50本を超え煩雑になってきました。そこで別記事を上げてお…ameblo.j
封印された超古代史「古史古伝」の謎:その44神代文字で記された「竹内文書」を書いたのは、正確には誰かは分からない。武内・建内・竹内の3つの名でその正体を隠した武内宿禰(たけのうちのすくね)自身が書いたものとはどこにも書かれていないからだ。その宿禰の末裔たちが代々保管してきたその内容について、歴代の竹内家の宮司たちは「時いたれば秘史を皇室に奉還せよ」と子々孫々に伝え、それが『竹内文書』となって世に出たのだが、その内容に注目したのは、酒井勝軍や山根キクといった人たちだけでなく、後の首相の東
和泉沙夜(いずみさや)です。11月23日(祝)開催!!日本最古最強のパワースポットで、お金が磁石のようにくっついてくる波動を自動インストール®︎しよー事前動画セミナーもガイドを依頼した大銅さんから届いたよー!!前回の参加者様から、引き寄せ報告が続々と届いています癌が消えて、完治した方やお金さんを引き寄せた方しかも、ひとりじゃない願い事個別作成セッションをオプション追加のお客様は、引き寄せ金額も桁が違ういつも
2019/11/27いよいよ龍の玉をもらいに元伊勢、籠神社⛩へ行くことに。何の下調べもせずに、mapアプリに神社名だけ入れて急いで行ってきました。行ってみたらビックリ💦龍の玉をもらいに行くって、ドラゴンボールみたいでアニメか😂って思ってたんですが、ヒョエ〜本当に玉があった‼️本宮の裏手になんと5色の玉が‼️その5色の座玉がコレ↓撮影禁止なので神社HPから拝借。伊勢神宮と元伊勢だけしかないとのことお招き頂いたご挨拶を済ませ、お守り買おうと見ていたら産霊守というのが目
こんにちは。サイキックチャネラーキュアサロンマナです。キュアサロンマナとは?キュア:治す、治療する、癒すサロン:部屋を意味する言葉マナ:超自然的または神の力、奇跡の力奇跡の力で、あなたの心と体を癒しますイベントを一覧にしました。(マナも覚えられなくなりました)内容はクリックしてね。マナのイベント一覧(若干修正有るかも)5月12日(日)丹生川上神社3社一気巡りツアー5月24日(金)川
籠神社の名誉宮司海部光彦氏が11/8未明に永眠なされました。御歳91歳であったとのこと。早々に籠神社よりお葉書が届きました。これほどのお方になるととてもじゃないですがお話をできるほど私も図々しくはありません。境内でお見掛けしても、最大限の笑顔で会釈するのが精一杯。(顔をこわばらせながら…)神々しいオーラを放っておられました。神社を拝する作法というか…間合いみたいなものは、海部光彦氏をマネたものにしています。柏手を打つ仕草は人それぞれで正解というものなど無いのでしょうが。
10/15・・丹後・丹波の黒枝豆狩りでお出かけでしたがブログのタイトル前に訪問順に番号を載せてます。スタートはコチラでした↓『★(Ⅰ-1)丹後国一之宮元伊勢籠神社in京都(宮津)』丹波篠山へ毎年恒例の黒枝豆狩りへただでは動きません何度も行けないし向かう前に丹後の一之宮へ御朱印丹後国一之宮元伊勢籠神社スタートの写真は鳥居と駐車場…ameblo.jp着いたのは9:00前で御朱印は両宮(本宮と奥宮)・本宮の2種類良く分からずに2種類お願いして授与時間まで
さぁさぁ!前回の仙酔島の続きです!!!このトトロの道から山へ・・・でしたね途中所々にあるベンチが“瞑想用として、、としか!思えんよね~”ってひでちゃんと違うやろ。ちょっと休憩、もしくは景色堪能してくださいベンチやろ。どんどんどんどん上へ!山の上から魅せてくれる景色がまた・・・とてつもなく美しい!!!まるで樹がアーチを創ってくれてるかのよう♡この“山”の部分では、本当に人の気を全く感じなくって。
藤社神社です。「藤社」と書いて、「ふじこそ」と読むようです。比沼麻奈為神社と縁がふかく、一説にはここも元伊勢だと言われています。比沼麻奈為神社と、久次岳の山頂と藤社神社を結ぶと、正三角形ができる、という話しもありますが、傾斜もあるので、よくわかりません。「藤(ふじ)」はこの土地の古名の「比治(ひじ)」の転化だといいます。「社(こそ)」は人名につける敬称だという話もあるのですが、籠神社の「籠」を「この」と読ませるのにも似ていますし、籠神