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・3月29日(水曜)(VAC9日目)今回の帰省で1番楽しみにしていた、結婚前の職場の同期2人と会った。かれこれ、この2人とはもう28年の付き合いになる。夏に癌が発覚し遠隔転移が分かり私が錯乱状態だった時、入院中に気持ちが落ち込んでどうしようもなかった時、子供達を残して死にたくないのにどう考えて気持ちの整理をつけってたらよいか分からない時、鬱になった時、この2人に泣いて相談していた。私にとっては数少ない死ぬ前に会いたい人の2人だ。今日も泣いて話せないかと思ったが、1つも涙流すことなく、最
5月中旬の胃カメラ後、先生に「大丈夫、癌じゃありません!」とはっきり言われたので安心していた。逆流性食道炎の胃薬の服用は続けていた。たが‥症状はどんどんひどくなってきた。●薬を飲むのもひっかかる●薬2錠がイッキに飲み込めない●焼きそばやパスタは水がないと飲み込めない●咳が出すと止まらない●ランニング中に呼吸で喉がつまるような時がある6月に久しぶりに実家の家族に会った。一緒に食事をしたが、お寿司や天ぷらが飲み込みずらい私を見て、「絶対おかしいよ!!しかも喉が凄い腫れてるよ!
2022年8月9日検査2日目。今日は胃カメラで生検だ。名医で腕に自信がある先生だから、喉と食道の境目の1番ウェッーとなる所だが、鎮静剤は使わずに、早めに終わらせてくれるとのこと。その点は心配していない。お腹のしこり…胃カメラ前に、先生に昨夜お腹のしこりに気付いたことを伝え、しこりを見せた。先生は、しこりを触って、CT画像を見ながら「んー、違うと思うけどなー。まだ何とも言えない。」「とりあえず、触らないで。触ると大きくなるから。」と言って、胃カメラに移った。肉腫かかなり硬い
紹介状を持って大学病院の消化器内科を受診した。女医さんだった。「腫瘍はかなり大きい。悪性の可能性が高いと思う。何回も胃カメラするのは可哀想だけど、うちでも生検します」「CTとPET検査の予約も入れましょう」「食道癌には3種類のタイプがある。ほとんどが扁平上皮癌、5%くらいが外人がなりやすいタイプの癌、ほんのわずかな確率で肉腫もある。でも、大抵が扁平上皮癌だから、それだと思いますよ。」「手術となると、声帯に近い場所だから声帯も一緒に取ることになると思う。それは声を失うってこと。」「今後
2022年8月11日〜14日昨日の今日で気持ちの整理はつくハズもないが、全員PCRは陰性で、夏休みだし、私を励ます為に実家に来てもらったんだからと、毎日出かけた。(私には思い出作り‥そんな気分だった)毎年お盆時期は、実家に弟家族・妹家族も大集合し、子供達も従兄弟と遊べるので大喜びだった。本来なら今年もそうで、皆でプールに行ったりするハズだったのに…。万が一私にコロナが移ると、15日の大事な病院にも行けなくなるため、みんな自粛してくれた。妹はこの夏の私の癌騒動で、就職が決まっ
◎10月12日(木曜)❷14時から主治医の話があり、旦那が仕事を抜けて来てくれた。入院時にPETの結果は聞いていたから、もう覚悟は出来ていた。喉と腹部はホントに赤く光ってた。再発確定。腹部の生検結果も出て横紋筋肉腫で確定。なので、明日からIE療法を始める事になった。明日は内視鏡検査もあるから、魂が抜けた様にボーッと過ごしてられるのも今日までか。入院してて何にもない日は心がザワザワするから、1日でも早く治療を始めて落ち着きたい。お腹のシコリは日に日に増大してて、お腹を目視すると、
がん家系ってあるのでしょうか。。私はトリプルネガティブ乳がんと判明してからすぐに乳がん卵巣がん症候群を調べ陰性と判明しました。乳がんも卵巣がんも親戚にはいないので、違うかなぁと思いながらも安心したかったのと、次女も小児がんサバイバーだったので、がんに関することをよく調べていました。それで気づいたのが『リ・フラウメニ症候群』という遺伝の病気でした。むずかしくて余り理解できないのですが、ざっくりいうと・46歳未満でLFS腫瘍スペクトラム(閉経前乳がん,軟部肉腫,骨肉腫,中枢神経(CNS)腫
●退院後2日間(抗がん剤6日、7日目)朝から食欲もあり、納豆ご飯が美味しい〜と朝からそれだけで感動して泣いていた。手伝い来てくれている母とランチにも行く元気があった。もちろんランチも美味しく完食。また母と元気に来れたらいいな。●4日目(抗がん剤8日目)この日から体調が悪化してきた。自分で運転も出来ない。体がとにかく重い‥上手く表現出来ないが体が地球の中心に引き込まれていくような重さで、初めて体験する感覚で怖い。1クール目からこんな感じでこれから続けていけるのか…こんだけ辛いんだ
ここ最近の不調、悪化を先生に話した。先生は「12月の胃カメラで異常はないし、耳鼻科でも何にもなかったんでしょ?それぞれの先生を僕は信用してるから、腫瘍が出来てるとは思えないし、ストレスじゃないなら逆流性食道炎だとは思うけどねー」と。でも喉の痛みが尋常でない、やっぱり何かおかしいと思い、自ら胃カメラを志願した。「鎮静剤使って眠りながらやる方法と喉の局所麻酔とどちらがいい?うちは鎮静剤の方が楽だから人気だけど」と仰るので鎮静剤使う方選んだ。いよいよ胃カメラ当日。鎮静剤使ったので、起こされた
胃薬飲んでも喉の違和感は続いていた。消化器内科の町医者の先生に「胃薬飲んでも症状変化ない」「先生が仰っているようなストレスは特にない」と伝えてみたものの、「ストレスからくる喉のつかえ感はちゃんと病名もしっかりあるし、胃カメラで異常ないんだからストレスでしょ」と言われた。そうなのかなー、でもなんだかやっぱりおかしよなーと耳鼻科受診もし、ファイバースコープで喉も見てもらったが、やはり異常なしとのこと。そんなこんなで数ヶ月、ストレスからくるもの‥と言われ続け、消化器内科の町医者で胃薬をもらって飲
●退院後数日は元気に動けていた。日用品を買いに出かけたり、フルウィッグ購入したり、エコキュートの見積もり取ったりと動けていた。旦那は呑気にエコキュートは壊れてないからまだいいじゃん。と言っていたが、コロナ影響で、いざ壊れた!となった際には数ヶ月待ちらしい💦壊れてからじゃ遅いのだ!先手先手で何でも計画する私の性格上、エコキュートを購入する事に决めた。割と疲れやすいけど動いても大丈夫だった。●VAC療法7日目は外来受診日。母と妹が付き添ってくれた。血球少ないが外来で抗がん剤投与出来
横紋筋肉腫だった次女は、しばらくして出た病理検査の結果、胞巣型の横紋筋肉腫と診断されました。横紋筋肉腫でも、胞巣型は予後不良と言われていて、30年以上治療が変わっていないと言われました。しかも、前腕にできていたので、これも予後不良部位と言われていました。胞巣型横紋筋肉腫は、手術で取り切れていたとしても、放射線は必須だそうで、放射線をすることで将来腕の長さに違いが出てくるといわれました。次女は、ありがたいことに顕微鏡で確認しても手術でがん細胞が取り切れていたので、ステージ2のグループ1と
前回のブログに、子供に何かあれば心配だからすぐに病院に連れて行くと書いた。そのくせ、自分のことは後回しだった。普段からジョギングをし、ヨガにも行き、体は同年代の人より柔軟である自信もあった。私だけ玄米を炊いて食べていた時期もあったし、毎年受けていた健康診断の数値も特に問題なく、自分は病気とは無縁な健康体だと思っていた。だから、喉が何かおかしくても、体調が悪くなってきても、胃カメラ2回もやったんだし、癌じゃありません!と言い切られてるんだから大丈夫なんだろうと、CTを撮ることを考えなかった
◎5月29日(月曜)(VAC7日目)今日も昨日と変わりなく、体がキツイ。トイレ以外寝っぱなし。今日は息苦しさも感じる。こんなにキツイと、もう死んでしまった方が楽なんじゃないか…とアタマをよぎる。一瞬、本当に本当にそう思う。もう死んじゃってもいいかなと。だけど、携帯で撮った次男の運動会の写真を見て、考え直す。まだこの笑顔を見てたいから、泣き顔に変えたくないから、頑張らないとな…と。もし、万が一、来年の運動会にママが居なかったとしても、今年と同じ笑顔で運動会を過ごしてほしい。友
2021年秋頃から、ちょっとした飲み込みにくさを感じていた。11月に町医者の消化器内科を受診。来月健康診断で胃カメラの予定があると話したら、その結果を持ってまた来て下さいと言われ、胃薬だけ処方された。健康診断で胃カメラ受ける際にも飲み込みにくさがある事を先生に伝えた。「良く見てみますねー」と言って見てくれ結果は「特に異常なく気になる箇所はない」とのことで安心した。健康診断のデータを持って町医者へ。画像見ながら「大丈夫だね」「飲みにくさはストレスからくることもあるし、胃薬だしておくね」
◎10月3日(火曜)(VAC113日目)再発してた。お腹のシコリは3週間前は変化なかったのに1cmくらいになってた。VACからたったの3ヶ月、113日で再発確定。早すぎる、いくら何でも早すぎだ。明後日PETで10日に入院して細胞診で、そのまま入院して上手くいけば13日頃から新しい抗がん剤を始める予定。喉は画像上何ともない。私もつかえ感は感じてない。「なら、今はお腹の所だけでしょ?そしたらお腹だけ切って下さい!」と先生に言ったが、「他の所にもまだ見えてないだけで癌が潜んでる可能性
◎10月10日(火曜)❷入院に関してはもうベテランの域なので、病室に入ってからの片付けはあっと言う間に終わりパジャマになっていた。12時50分から生検。1年2ヶ月前にもこの生検部屋に入ったな。まさか、たった1年2ヶ月でまた生検やるとことになるとは…。先の事って本当に読めない。分からない。ウトウトする薬を使ったので、ちゃんと目覚めたのは16時半。生検後気持ち悪くなり、制吐剤を点滴してもらった。生検を行っている最中に、癌友達が差し入れを持ってきてくれた。履き心地の良さそうな靴下と御
2022年8月8日。手術に向けての検査1日目。心電図、心臓超音波検査、呼吸機能検査をした。検査は滞りなく終わった。腫瘍のせいで飲み込みにくいせいもあり、食欲はなかったが、栄養つけなければダメ!と先生に言われていたので、母が色んなバージョンでお粥を作ってくれ、無理やりにでも食べていた。夜、お風呂に入ろうとした時に、お腹にポコッと丸い出っ張りを見つけた。ん?何コレ?鏡で見ると丸い大きなしこりがはっきりと確認出来た。今まで気付かなかったぞ。何だコレ??食欲無く、体重も4キロ近く落ちて
◎9月20日(水曜)(VAC100日目)朝、癌仲間のグループラインが鳴った。旦那さんからの訃報の連絡だった。今朝の4時頃息を引取った…と入ってた。その瞬間からもう涙が止まらなくなった。私が去年今の病院に転院し延命治療で抗がん剤開始のために入院し、絶望の日々から救い出してくれたのは、この人だった。癌なのに本当に羨ましくなるほど明るくて、看護師さんや他の患者さんや誰とでも仲良く話しが出来て、前向きな人だった。すごく美人で笑顔が素敵で太陽みたいな人だった。コロナだからカーテン閉めきりだ
耳鼻科で食道の腫瘍を指摘されてから数日後、消化器内科を受診した。「まずは生検してみないと何とも言えないから胃カメラで生検しましょう」「腫瘍がかなり大きいので、うちよりも大学病院の方が良いと思う。」「どちらにせよ、生検は必要だからすぐに胃カメラの予約入れます。大学病院にもなるべく早く行った方が良いから、こちらから最短でいつ診てもらえるか確認します。」と先生が言った。後日、胃カメラをした。腫瘍の場所が食道の入口だったらしく、胃カメラ中、ウェッウェッとなり生検がスムーズに出来ないため、途中
・4月2日(日曜)(VAC13日目)次男はWBCに関わって以来、野球スイッチが入り「プロ野球選手になる!」と言い始めた😅あるあるだが‥😅午後から練習のため、午前中は旦那とキャチボールしたり、WBCの録画見たり、YouTubeで投げ方、打ち方の動画見たり、やる気スイッチが半端ない👏長男は1日練習。今夜から2泊、野球仲間の家にお泊まりに行くので、ルンルン🎵練習後、急いで身支度し出かけて行った。ちゃんと勉強道具も持ったようだ。今年は受験だから頑張れよー👍😉日中、ネットで遠隔転移あ
2月6日(月曜)今朝の便も普通の色😅イカスミが原因かと思われるが、予定通り胃カメラ検査。頸部食道の癌の箇所もどうなっているか見てもらうため、鎮静剤を使用しての胃カメラだった。もうイカスミが原因と思っていたので、癌の箇所がどうなっているのかが私は1番気になっていた。ウェ〜ッとならないから、胃カメラは鎮静剤使っての方が断然良いと思う。私は麻酔が効きやすいタイプなんだろう。まだ始まらないのかな?なんて思っていたら、終わって10分位経っていた。CTも撮り今日の検査は全て終了。主治医が
●入院4日目(抗がん剤13日目)本来なら昨日が1クール目の2回目の投与日だったが、当然できるハズもなく…でも下がってた血球は上がってきたと先生からの嬉しい報告。肝臓の数値が高値となっており、高いままだと抗がん剤の量を検討する可能性もあると言われたが「それだけは嫌です!」と伝えてみた。どうか肝機能、改善してくれ!シャワーしたら髪の毛が絡んで団子状態になり、自分で解けずどうにもならない!院内の床屋さんに連絡してもらい、もう面倒くさいからマルコメにしてもらった。落ち武者状態からスッキリ!
生検の結果がついに出た。型が分かった。先生が今後の治療も含め、詳しく説明したいとの事なので、旦那と妹に同席してもらった。久しぶりに2人の顔を見ると、これからの説明の不安と安心とで大泣きしてしまった。やはりコロナでカーテンを締め切り、看護師さんと先生だけしか話せない毎日はメンタル的に相当やられる。私以外の人はどうなんだろう?ここまで結果が全部悪かったから、最悪なケースしか考えられなくなってる。癌になった、普通の癌じゃなかった、手術できると思って望みかけて大学病院行ったら転移してて手
他県の転院先の病院へ行く8月4日の朝。手術前の元気な私と子供達の写真を残しておきたいと思い、家を出る前に写真をたくさん撮った。思春期中2息子も、普段なら有り得ないが文句も言わず何枚も一緒に写真に写ってくれた。小3息子は、私にギューッと抱きついてきたり、お腹に顔をくっつけてきたり甘えてきた。本当にかわいい大切な息子達だ。数ヶ月の間、旦那には大変な思いをさせてしまうが、「こっちの生活は大丈夫だから、自分の体の心配だけしていればいい。」と言って、私を安心させようとしてくれた。本当に有り難い
手術に向けての3日間連日の詰め込み検査が始まった。両親が病院に付き添ってくれた。検査を待っている間、傷病手当の事を調べたり、もし私が働けなくなった場合のお金のやり繰りなど、まだそんな事で頭がいっぱいだった。「そんな事心配しなくても、今までの貯蓄もあるし、パパはしっかり働いているんだし、お金なんてどーにでもなるから!そんな心配しなくて大丈夫だから!」と両親に言われたが、全くそんな言葉は私の心に響かず、子供に不自由させたくない、やりたい事は全部やらせてあげたい、塾だって今まで通り通わせた
このブログを始めたきっかけ私と同じ病気の人が余りにも少ないため、交流を始めるきっかけが欲しかったこと。私はメンタルが超超弱く、昔からすぐに諦めてしまうタイプの人間なので、おなじ宣告を受けていらっしゃる方がどのような気持ちで日々過ごされているのか、どうすれば諦めない気持ちが生まれてくるのか、自分を強く持てるのか、アドバイスやご意見を伺いたかった事が1つ。もう1つは、子供に向けてだ。子供の成長を見届けたいし、もちろん頑張るつもりでいる。だがそれは叶わない可能性の方が高い。私の延命治療に対
◎9月28日(木曜)(VAC108日目)今朝、癌仲間のグループラインが鳴った。先日連絡をくれた息子さんからだ。嫌な予感しかしない。『今朝方、母が天に召されました。』と入っていた。『みなさまのメッセージは最期まで本人は見ておりました。』とも。〇〇〇〇に続いて□□ちゃんまで…。まだ8日しか経ってないのに…。悲しみと恐怖と不安で固まってしまい、ソファーから何時間も動けなくなった。『なんで?なんでよー!』と涙が止まらなかった。2人とも去年の今頃は、笑って食事しなから普通に生活してた
2022年8月10日旦那と子供達は朝イチでPCR検査に行き、検査3日目のため私は父と病院へ向かった。病院の診察が始まる前に、先生から私の携帯に電話がかかってきた。「今日は誰と病院に来られますか?」「もう着いてます。父と一緒です。」「ちょっと込み入った話しになるのですが‥」絶対転移の話しに違いない!「主人を呼びます。1時間くらいかかるので診察時間過ぎてしまうのですが、大丈夫ですか?」「時間は大丈夫です。ゆっくり来て下さい。着いたら受付に声かけて下さい。」私はまたもやパニクり旦那
整形外科に移動すると、すぐに緊急枠でCT検査をしてくれました。整形外科での診断はグレー骨肉腫などが代表される肉腫である可能性も視られるとのこと。「皮膚科では血管腫と言われましたが。。」そう伝えると、CT画像をみて、「それはないですね」このとき、一瞬で世界が真っ暗になりました。自分が乳がん告知された時の比ではないくらいにただ、やはり手術して病理検査をしないと診断ができないとのことでした。この病院でもできるが、希望があれば他の病院に紹介状書きますと言われ、悩みましたが高速使って4