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・4月10日(月曜)(VAC21日目)入院日なのに、今日は朝から体が重くて仕方ない😢座ってから立上がる時は「ヨッコラショ!」と何かに捕まって気合いを入れないと立ち上がれない😓母が「病院までついていこうか?」と心配していたが「電車乗ってるだけだから1人で大丈夫。」とスーツケース押しながら病院へ向かう。今回はいつもの病棟で、差額無しベットだった😄ラッキー✨入院にもすっかり慣れてしまい、手際よく荷物を片付けパジャマに着替え、あっとゆー間にする事がなくなった😅採血&尿検査をし結果は問題なく
2022年8月11日〜14日昨日の今日で気持ちの整理はつくハズもないが、全員PCRは陰性で、夏休みだし、私を励ます為に実家に来てもらったんだからと、毎日出かけた。(私には思い出作り‥そんな気分だった)毎年お盆時期は、実家に弟家族・妹家族も大集合し、子供達も従兄弟と遊べるので大喜びだった。本来なら今年もそうで、皆でプールに行ったりするハズだったのに…。万が一私にコロナが移ると、15日の大事な病院にも行けなくなるため、みんな自粛してくれた。妹はこの夏の私の癌騒動で、就職が決まっ
1クール目は特に変わりなかった。最初の1クール目については、シクロホスファミドの分量を少な目にするらしいのでそのせいかなと思う。私自身は抗がん剤を体に入れたことがないので、抗がん剤を投与したらいきなりゲーゲー吐いたりしちゃうのかな、とか思ってたけどそうでもなかった。子供は割と平気な子もいると、聞いた。ただ少しやっぱりだるいのか、普段は小児病棟のプレイルームにいつも行ってた娘ちゃんがこの週はほとんど行かず、部屋のベッドで横になってYouTubeを見ていた。10/5(木)
ニッチな記事ですが横紋筋肉腫については情報が少なく治療について書いて欲しいというリクエストがあったので『横紋筋肉腫の標準治療』ブログで書いて欲しいがんについて以前募集をしたところ…『【募集】ブログで書いて欲しいがんがあれば』先週までの膵臓がんシリーズが終了し来週もしばらくは乳癌学会の…ameblo.jp『横紋筋肉腫で期待される治療①』こちらの続きです『横紋筋肉腫の標準治療』ブログで書いて欲しいがんについて以前募集をしたところ…『【募集】ブログで書いて欲しいがんがあれば』先週
2022年8月15日ホテルを出る前に旦那に「きっと大丈夫だ、治療方法はあるから」と落ち着くようにハグしてもらった。こんなことは何年ぶりだろうか。初めて〇〇病院の腫瘍内科を受診した。妹も来てくれ3人で話しを聞いた。診察室には先生と看護師さん1人がいた。「横紋筋肉腫にも型がいくつあるので、どの型か調べるために胃カメラで生検します。」「治療方法はあるのですか?」「ありますよ。抗がん剤が何種類かあります。」この言葉を聞き、私はホッとした。「遠隔転移しているので、完治、根治はあ
・3月6日(月曜日)(VAC7日目)朝から体が重い。動けないがジーラスタ注を打ちに行った。週末楽しい事をして過ごすと、こうゆう日の午前中は寂しい気持ちが押し寄せてくる。いつまで旅行行けるかなぁとか、来年の今頃もまだ動けてるかなぁとか考えてしまう。こうゆう時は小さな幸せ探ししなきゃだ!「今日も食欲あった」「2人とも元気に学校行った」「子供達と穏やかに過ごせた」・3月7日(火曜)(VAC8日目)朝から泣いてしまう。午前中、妹から電話あり。「来年の今頃もお姉ちゃんは元気でいる気が
・4月6日(木曜)(VAC17日目)今日は風がとても強い。そのため、散歩はやめておく。次男は、運動公園で野球仲間と野球するため自転車で出掛けた。休みの日にゲームやYouTubeで1日過ごすよりずっと良い😄健康的でgood👍😄自転車に乗れるようになり行動範囲も広がり、運動公園まで自転車で行き来するのが当たり前になってくれて良かった😄2人とも明日が始業式なので、制服がない!なんてことにならないうちに、長男の制服の丈出しの直しを忘れないうちに取りに行ってきた。思いのほか、長男の身長の
耳鼻科で食道の腫瘍を指摘されてから数日後、消化器内科を受診した。「まずは生検してみないと何とも言えないから胃カメラで生検しましょう」「腫瘍がかなり大きいので、うちよりも大学病院の方が良いと思う。」「どちらにせよ、生検は必要だからすぐに胃カメラの予約入れます。大学病院にもなるべく早く行った方が良いから、こちらから最短でいつ診てもらえるか確認します。」と先生が言った。後日、胃カメラをした。腫瘍の場所が食道の入口だったらしく、胃カメラ中、ウェッウェッとなり生検がスムーズに出来ないため、途中
●退院後2日間(抗がん剤6日、7日目)朝から食欲もあり、納豆ご飯が美味しい〜と朝からそれだけで感動して泣いていた。手伝い来てくれている母とランチにも行く元気があった。もちろんランチも美味しく完食。また母と元気に来れたらいいな。●4日目(抗がん剤8日目)この日から体調が悪化してきた。自分で運転も出来ない。体がとにかく重い‥上手く表現出来ないが体が地球の中心に引き込まれていくような重さで、初めて体験する感覚で怖い。1クール目からこんな感じでこれから続けていけるのか…こんだけ辛いんだ
●退院後数日は元気に動けていた。日用品を買いに出かけたり、フルウィッグ購入したり、エコキュートの見積もり取ったりと動けていた。旦那は呑気にエコキュートは壊れてないからまだいいじゃん。と言っていたが、コロナ影響で、いざ壊れた!となった際には数ヶ月待ちらしい💦壊れてからじゃ遅いのだ!先手先手で何でも計画する私の性格上、エコキュートを購入する事に决めた。割と疲れやすいけど動いても大丈夫だった。●VAC療法7日目は外来受診日。母と妹が付き添ってくれた。血球少ないが外来で抗がん剤投与出来
前回のブログに、子供に何かあれば心配だからすぐに病院に連れて行くと書いた。そのくせ、自分のことは後回しだった。普段からジョギングをし、ヨガにも行き、体は同年代の人より柔軟である自信もあった。私だけ玄米を炊いて食べていた時期もあったし、毎年受けていた健康診断の数値も特に問題なく、自分は病気とは無縁な健康体だと思っていた。だから、喉が何かおかしくても、体調が悪くなってきても、胃カメラ2回もやったんだし、癌じゃありません!と言い切られてるんだから大丈夫なんだろうと、CTを撮ることを考えなかった
抗がん剤後も体調の悪化はなく過ごせていたため、予定通り8月30日に退院が決定した!同室の仲良くなった方も退院していき、私とめちゃめちゃ明るい方が残っていた。隣のベットの空いてたところに、新しい方が入院してきた。私とめっちゃ明るい方が仲良くお喋りしているのを見て、新しく入院してきた方もすぐに打ち解け、自らの入院事情を話してくれた。もちろん打ち解けたくない方もいらっしゃって、食事中はもう少し静かにして欲しいと言われ、それからはカーテンを閉めて静かに食べていた。私の隣のベットの方は歳も近く、
◎4月17日(月曜)(VAC7日目)長男が一昨日から喉が痛いと言っていたが悪化した様で喉が真っ赤だ。熱はないが痛くて仕方ないらしく、自ら学校を休むと言ってきた。急いでかかりつけ小児科をネット予約した。私がもし居なくなった後、こうゆう時どうなっちゃうんだろう?年に何回もある事ではないがやっぱり困るし、子供達だって体調悪い時に頼れる人が近くに居ないというのは、心細く寂しいもんだと思う。いずれウチの子供達にそんな思いをさせてしまう事を本当に申し訳なく思う。春っぽい明るめの服をZOZOTOW
●VAC療法4クール目に突入のため今日から入院(10月31日)母と妹も入院だけなのに、荷物重いだろうから‥と一緒に来てくれた。子供達は私の不在にも段々慣れてきている様子。「ママ今日からいないけど、3日には帰ってくるからね」と言ったら「うん、分かった」と1言のみ。まぁ、子供達もそう言うしかないか…。母が来てくれているので、何故か子供達は自分の部屋ではなく、わざわざ部屋からマットを下ろしてきて、ばぁちゃんとせま〜い和室で3人で寝ている。下で寝る方が遅くまでゲームやYouTube見れるから
本を読んで、少しだけ今の状況を把握?受け入れられる?様になってから、ほんの少しだけ周りが見えるようになり、私が入院している間、家族の手を借りまくっていることに目を向けられるようになった。他県の実家から高齢の母が足の痛みに堪えながら来てくれ、母と入れ代わりで他県の義姉も来てくれ、2人で交互に家の事、子供の食事、小3息子の学校の送り出しをしてくれた。夏休み中だったので、宿題のポスターやリコーダーの練習もあり、義姉が一緒に付き合って面倒見てくれ、立派なポスターが出来上がり写メが送られてきた。高齢
このブログを始めたきっかけ私と同じ病気の人が余りにも少ないため、交流を始めるきっかけが欲しかったこと。私はメンタルが超超弱く、昔からすぐに諦めてしまうタイプの人間なので、おなじ宣告を受けていらっしゃる方がどのような気持ちで日々過ごされているのか、どうすれば諦めない気持ちが生まれてくるのか、自分を強く持てるのか、アドバイスやご意見を伺いたかった事が1つ。もう1つは、子供に向けてだ。子供の成長を見届けたいし、もちろん頑張るつもりでいる。だがそれは叶わない可能性の方が高い。私の延命治療に対
子供たちの夏休みが始まりました。我が家はコロナうつしあいしてます。娘→息子→私の順番にうつってしまい、1週間ほど辛い生活を送っていました。先週火曜日、娘の外来化学療法があり、その翌日の夜から嘔吐して、熱を測ると38度の高熱。抗がん剤の翌日に熱を出すことがあるので、副作用だと思っていたのですが、息子も熱が出たので、病院に連れて行ったところ、コロナ陽性でした。私も娘の隣にいながら看病していたので、完璧にうつってしまいました(;;)順番にうつったこともあって、私
2022年8月10日旦那と子供達は朝イチでPCR検査に行き、検査3日目のため私は父と病院へ向かった。病院の診察が始まる前に、先生から私の携帯に電話がかかってきた。「今日は誰と病院に来られますか?」「もう着いてます。父と一緒です。」「ちょっと込み入った話しになるのですが‥」絶対転移の話しに違いない!「主人を呼びます。1時間くらいかかるので診察時間過ぎてしまうのですが、大丈夫ですか?」「時間は大丈夫です。ゆっくり来て下さい。着いたら受付に声かけて下さい。」私はまたもやパニクり旦那
・3月26日(日曜)(VAC6日目)寝ている間、楽しい夢を見ていた気がする。けど、目を覚ました途端「あー、やっぱりこれが現実なんだ…」と瞬で思った。何も変わってない…。今日から感染予防の抗生剤服用開始。こうなると、しばらくは下痢が続くためマグミットの出番は次のVAC後までなくなる。フラつきが多く、起きているのがダルく、せっかく帰省したのに寝ている方が体が楽だ😢しかも朝から雨降りだり、夢との落差もあり、気持ちは朝から重く安定剤服用する。帰省しみんなで過ごしていると、今までと何も
同じ病室の空いたベッドに、とーっても明るい方が入院してきた。その方は私よりも先に入院していたが、ベッドの空きがなく、違う階に入院していたらしく、やっと本来の階に移れたとのこと。廊下でその方が、他の患者さんと話されているのを何度か見かけて、何でこんなカーテン仕切ってる様な状況で、元々知り合いでもないのに他の方と親しそうに話せるタイミングがあるんだろう?と不思議でもあり、その方と知り合いになりたいな‥と思っていたら、なんと同じ病室に引っ越してきてくれた!カーテンを閉めきっているので最初は気付か
帰省中。洗顔した後、坊主になりリビングの窓際で化粧水とかつけていたら、父が言った。「誰が来るか分からないから帽子かぶっておけ!」と。田舎だし、父や母の友達はピンポンなんか鳴らさずに「こんちわ〜」といきなり家の中に入ってくるし、子供の頃からそんな風景は慣れっこだった。だけど…私の坊主はそんなに他人に見られたくないもの??母も私の癌の事は、本当に親しい数人に話しただけで、近所の友達には言ってない。母が私の所に手伝いに来てくれ、不在続きだから、どうしたのか心配した近所の友達が母の携帯に
VAC療法3クール後の経過●VAC療法5日目〜7日目docomoへ名義変更と長男が壊したiPhoneの修理依頼に行ったり、購入したフルウウィッグの気に入らない部分のカットに行ったりと必要最低限な用事しか動けず、とにかくダルい!家の階段の登り降りさえキツくなり、手すりにつかまらないと無理なほどだった。平熱が普段は35℃後半で低めなのだが、37℃前半が続いていた。母が来てくれているので、食事や洗濯等家事は全てお任せ出来たので、寝ているだけで済んで助かった。●VAC療法8日目(10月18日
5月中旬の胃カメラ後、先生に「大丈夫、癌じゃありません!」とはっきり言われたので安心していた。逆流性食道炎の胃薬の服用は続けていた。たが‥症状はどんどんひどくなってきた。●薬を飲むのもひっかかる●薬2錠がイッキに飲み込めない●焼きそばやパスタは水がないと飲み込めない●咳が出すと止まらない●ランニング中に呼吸で喉がつまるような時がある6月に久しぶりに実家の家族に会った。一緒に食事をしたが、お寿司や天ぷらが飲み込みずらい私を見て、「絶対おかしいよ!!しかも喉が凄い腫れてるよ!
2022年8月9日検査2日目。今日は胃カメラで生検だ。名医で腕に自信がある先生だから、喉と食道の境目の1番ウェッーとなる所だが、鎮静剤は使わずに、早めに終わらせてくれるとのこと。その点は心配していない。お腹のしこり…胃カメラ前に、先生に昨夜お腹のしこりに気付いたことを伝え、しこりを見せた。先生は、しこりを触って、CT画像を見ながら「んー、違うと思うけどなー。まだ何とも言えない。」「とりあえず、触らないで。触ると大きくなるから。」と言って、胃カメラに移った。肉腫かかなり硬い
※ブログ入力と実在日が近くなってきたので、細かく日記を入力しようと思う。私のブログは子供達が後々読めるようメッセージとして残しているだけのものであり、日常をただツラツラと書いてるだけです。・3月12日(日曜)(VAC13日目)次男の試合を見に行けた。久しぶりに会うママや新しく入団した子のママも居て、私が元気だったら長男の時の様にきっと仲良くなれただろうと思う。次男はサード、ファースト、ピッチャーをやった。打撃も良かった。次男からしたら鬼コーチが「もっと自分の判断に自信を持て!」と次男
◎10月9日(月曜)朝から雨。天気も影響するのか、目覚めた時から昨夜とは気持ちが違った。やっぱりな…。絶望感、恐怖感が襲ってきた。明日は休みだから…と次男は夜ふかしすると言って昨夜は0時過ぎまで長男と起きてた様だ。どうせ、ユーチューブやゲームだろう。だから2人とも今朝は朝寝坊している。子供達が起きてこない隙に、旦那と母に不安、恐怖や不満をぶちまけた。2人の答えは聞かなくても分かっている。だけど、私の気持ちを言わずにはいられない。子供達の前ではこんな事話せない。「何を思って
紹介状を持って大学病院の消化器内科を受診した。女医さんだった。「腫瘍はかなり大きい。悪性の可能性が高いと思う。何回も胃カメラするのは可哀想だけど、うちでも生検します」「CTとPET検査の予約も入れましょう」「食道癌には3種類のタイプがある。ほとんどが扁平上皮癌、5%くらいが外人がなりやすいタイプの癌、ほんのわずかな確率で肉腫もある。でも、大抵が扁平上皮癌だから、それだと思いますよ。」「手術となると、声帯に近い場所だから声帯も一緒に取ることになると思う。それは声を失うってこと。」「今後
長男〇〇〇へ今日は2023年、5月1日。ホントにどーでもいい内容だし、日常会話のなんてことのない一コマだけど、なんか今朝、妙にママ嬉しかったから書き残しておくね!今日の朝ごはん、昨日の体育館のお昼ご飯に持ってったのに、ほぼ食べ残してきたカレーを2人で食べたでしょ。ばーちゃんが作ってくれたサラダ、「俺朝からこんなに食えねー」って言ってサラダは食べず、カレーもいつもの様に最後の一口分残してたよね😅ママさ、「ママなんか、朝からサラダも全部食べてるし、カレーも全部食べたよー。〇〇〇より沢山食
入院してから数日間の私のメンタルはボロボロで、考えては泣いて過ごし、家族に電話やラインで色々言われても、自分でどう考えたらよいのか分からないままで、全く変わらなかった。なんで私なの、なんで希少ガンなの、なんでもう治らないの‥と状況を受け入れられず、死ねばもう考えなくてすむから死にたい‥と何回も思った。でも、その度に子供達の顔が浮かび、「ママがこんな病気になっちゃってごめんね。まだまだずっと君たちと一緒にいたいよ。」と子供達の笑顔を思い出し、自殺はダメだ!と何回も思い直した。臨床心理士さんと
・3月22日(水曜)(VAC2日目)24時間点滴は7時には終わり、気持ち悪さも落ち着き朝食は食べられた😄朝49.3kgで利尿剤無しでOK。1週間程前にフライパンで火傷した傷がなかなか良くならず、感染症をおこさないようプロスタンディン軟膏とワセリンをが処方されており、普通の絆創膏よりキズパワーパッドの方が良いと主治医に言われたため貼っていたが、良くなってこない😢しかもキズパワーパットにクリームと一緒に使わないとの記載あるが、塗り薬と併用して良いのだろうか?悪化だけはさせないよう、まぁ適