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義母の祖父M.T.氏(ダンナのひいおじいさん)は、地域で有名な反ファシスト派の活動家でローマのある地域の設立者であったそうな。(ウィキペディアイタリア語版にも載ってる。)今日は4月25日はイタリア解放記念日で、祝日である。”ムッソリーニが率いたファシスト党からの解放を記念する日。””記念日は1945年4月25日に抵抗勢力のパルチザンらがミラノなどからナチス・ドイツの支配下にあったファシスト勢力を追い出したことに由来する。イタリアは米英の連合軍が南部シチリア島に上陸した
昨年から公開されていた映画です。映画の内容に文句をつけるつもりは毛頭なかったのですが、お涙頂戴の映画だと思っていて、観に行く予定はありませんでした。しかし、訳あって今頃になって駆け込みで池袋の映画館まで行きました。映画のサイトより拝借(映画は上映していましたが、時期外れだったのでポスターもパンフも全く無い上映館でした)主人公は二宮和也君、妻役は北川景子さん(👍)です。「ラーゲリ」とは強制収容所と言うロシア語です。満鉄の職員だった山本幡男氏(劇中では二宮和也君)がソ連軍に連行されてスパ
いつもありがとうございます。ハッピーダイエットの船田です。アメリカ軍がコロリに向けて訓練していた!これは12年前の動画ですが、今回の予行演習をしていたのですね!これなら戦闘機パイロットが辞職するのは当然でしょう。以下、シェアします。投稿者ひとりのちいさな手日時2009年9月18日一部転載http://www.asyura2.com/09/buta02/msg/332.html注射針付きの”うで輪”でワクチン強制接種、拒否者をバスで強制収容所へ、兵士の告発ビ
おはようございます。ご覧いただきありがとうございます<(__*)>苦手な方は、このタイトルの記事はスキップしてください。(この記事には、グロい写真はありません)点呼場囚人たちは、毎朝毎夕、点呼場に集合しなければならなりませんでした。朝夕、天候に左右されることなく点呼を強いられ、約1時間、動かずに立っていなければならなりません。時には死者さえも死者を引きずり出し、点呼の場まで引きずり死者まで数えることもありました。なぜなら、もし点呼の囚人の数が公式の人数と一致しない場合、こ
こんばんは。ご覧いただきありがとうございます<(__*)>いいね、コメントありがとうございます♡この日に訪れたのは、ダッハウ強制収容所苦手な方は、このタイトルの記事はスキップしてくださいSS衛兵所ビジターセンターの西側には、メインSSガードハウスの基礎の残骸があります。1936年以降、この門の建物はSS敷地内にある司令部の正面玄関を形成していました。ここは、囚人の警護を担当する収容所SSが宿舎としていた場所です。到着した囚人たちが最初に強制収容所に入るのは、この親衛隊のメイン・
こんばんは。ご覧いただきありがとうございます<(__*)>いいね、コメントありがとうございます♡ミュンヘンからダッハウ強制収容所までのアクセスは、Sバーンでミュンヘン中央駅(MunchenHbf)S2のAltomünsterまたはPetershausen行きにダッハウ(DachauBahnhof)まで約20分乗りそこからバスに乗ります。アウシュビッツは、その名前を知らない人が多いと思いますが、ダッハウは、ミュンヘンから15kmほどしか離れていないところにあり、初期に作られ
「トゥルーノース」を観てきました。ストーリーは、1950年代から始まった在日朝鮮人の帰還事業により北朝鮮に渡ったヨハンの家族は、両親と幼い妹とともに金正日体制下の北朝鮮で暮らしていた。しかし、父親が政治犯の疑いで逮捕されたことにより、母子は強制収容所に入れられる。極寒の収容所での苛烈な生活に耐え忍びながら、家族はなんとか生き延びていたが、収容所内の食料確保によるトラブルによって母が殺害され、自暴自棄となったヨハンは次第に追い詰められていく。そんなヨハンは、死に際に母が遺したある言葉により
アウシュヴィッツ強制収容所内部を中谷剛さんの案内で見学する・・・。(2022.09.24)悪名高き、『ARBEITMACHTFREI』、労働は自由への道働けば自由になるのスローガン。『ArbeitMachtfrei』は強制収容所建設か
先週末イタリア人の友人とポーランドの古都クラコフに行った。そのメインイヴェントとしてナチスの強制収容所跡地のアウシュビッツービルケナウ行きツアーに参加。テーマが重いので翌日から書き始めたのになかなかブログが進まず、今頃になってしまった。これまでの人生の中で一番衝撃を受けた旅行だったので備忘録として残すことにする。アウシュビッツでは英、独、伊、仏など言語によるツアーに参加するのが普通で英語版に参加した。まずツアーでないと現地に行くのに一苦労だし、更に展示物の意味が分からないので、早々に
主人公が、ダモイの列車から、降ろされ、洗脳の強制収容所行きと、なった、謎が分かった!!主人公の元上司、旧満州鉄道の所長が、主人公の出張を、諜報活動と、ソ連側に、嘘の密告をしたのだ!!!
トロントには「HighPark(ハイパーク)」という桜で有名な公園があります。個人が自分の土地をトロントに寄贈した東京ドーム約34個分の広さの公園です。ダウンタウンから少し西に行った所にあるのですが毎年4月下旬から5月上旬にかけて、たくさんの人々が花見に訪れます。第二次世界大戦の時敵国とされた西部に住む日系人は財産すべてを没収された上、インターンメント・キャンプへ強制収容されました。解放後は日本へ帰国か、東部へ移動のどちらかを強要され、故郷であるBC州に
時間がなくゆっくり見て回れずもう走り回ってます🏃アウシュヴィッツ初期の頃は藁の上に重なりあって夜を過ごしていました。写真にあるように収容者古参者が排泄の時間を短くしたりなど様々なルールを作って命令したりもしました。虐げられている人たちの中でまた虐げる順位を作る。排泄場所は収容人数に比べて不足していました。衛生設備も十分ではありませんでした。秩序維持責任者、なんと古参の収容者いわゆる棟監の住居です。奴隷の中でも奴隷を統括し始め主人に手なづきおこぼれをもらう。私も命のためならしないと
ツィクロンB使用済みの空き缶の山です。親衛隊員がガスマスクをしてツィクロンBをまくとそこにいた人たちは呼吸困難をきたして死亡します。ガス室に入る全裸の女性の写真です。ガス室に入る前に全裸にさせられていました。死体を移動させて焼却するのはユダヤ人収容者が特命労働体として担わされていましたがそのユダヤ人収容者が命がけで隠し撮りしたものです。アウシュヴィッツ収容所博物館では『14歳未満の子どもの入場はすすめておりません』と注意書があります。これは成人の(しかもシニアの)私にもショックが大き
DVDで「ムカデ人間」(2010年)を見る。ずっと二の足を踏んでいたが、やっと見る気になったオランダ製の奇想天外なホラー映画。ヨーロッパを旅行中の二人のアメリカ人女性が乗った車が故障する。彼女たちが助けを求めた一軒家に陰気なドイツ人の男がいた。その男に薬で眠らされた二人が目覚めると、地下室のベッドに日本人男性とともに寝かされている。男はマッド・サイエンティスト。彼は人間の口と肛門を結合させる"ムカデ人間"を作ろうと、三人の"結合"に着手する。この内容を知れば、アナタもわたしが二の足を踏んだ理
アウシュビッツ-1から3kmほど離れたところにアウシュビッツ-2/ビルケナウ収容所は立地している。1941年にソ連軍捕虜収容所として開設されたビルケナウは40km四方を超える広大な敷地にアウシュビッツ−1より明らかに粗末な平屋建煉瓦造(写真下)の小屋と木造バラックが並ぶ。ビルケナウ近郊に住んでいたポーランド人を追い出して、彼らの家から煉瓦を再利用し収容所を造り始めたが、建設途中で没収煉瓦が尽きてしまい、木造に変更したという。冬には零下20℃を下回るポーランドの地で、断熱もなく、小さい暖炉
シベリア抑留の実態はモンゴルからウクライナまで広範囲に連行された。ウクライナでも旧日本軍兵士5000人以上が強制労働させられ餓死、凍死、事故死で211人(推定)亡くなっている。この写真はウクライナの東部アルチョモフスクという強制収容所の日本人被害者。ウクライナの戦後復興は日本人がやったようなもの。ウクライナ人は当時、国を持たない民族でソ連兵として日本兵に襲いかかった。ウクライナにも日本人強制収容所が多数存在した。東部ハリコフにも存在した。戦後75年間平和が保たれていたのは憲法九条の存在