ブログ記事1,518件
時間がなくゆっくり見て回れずもう走り回ってます🏃アウシュヴィッツ初期の頃は藁の上に重なりあって夜を過ごしていました。写真にあるように収容者古参者が排泄の時間を短くしたりなど様々なルールを作って命令したりもしました。虐げられている人たちの中でまた虐げる順位を作る。排泄場所は収容人数に比べて不足していました。衛生設備も十分ではありませんでした。秩序維持責任者、なんと古参の収容者いわゆる棟監の住居です。奴隷の中でも奴隷を統括し始め主人に手なづきおこぼれをもらう。私も命のためならしないと
こんばんは。ご覧いただきありがとうございます<(__*)>いいね、コメントありがとうございます♡ミュンヘンからダッハウ強制収容所までのアクセスは、Sバーンでミュンヘン中央駅(MunchenHbf)S2のAltomünsterまたはPetershausen行きにダッハウ(DachauBahnhof)まで約20分乗りそこからバスに乗ります。アウシュビッツは、その名前を知らない人が多いと思いますが、ダッハウは、ミュンヘンから15kmほどしか離れていないところにあり、初期に作られ
先ほどのこちらの記事の続きです。『「フッ素加工フライパンは危険ではない」という説を信じてこれまで使っていましたが…(_私は、フッ素加工されている、焦げ付かないフライパンが使いやすくて気に入っていたので、長く愛用してきたのですが、「買うな!使うな!身近に潜むアブナイものPART…ameblo.jp「買うな!使うな!身近に潜むアブナイものPART2」という本から引用させていただきながら書いています。フッ素中毒の労災認定裁判フッ素は自然界にある元素の一つで、きわめて反応性が高く
ワシントン州からGoodMorning(最高気温15℃最低気温2℃)家を出発してからオレゴン州ベーカーシティに着くまでにツインピークスで有名になったスノコルミー滝に寄ったよネイティブアメリカンスノコルミー族の神聖な場所。さ・・・寒いワンセルフィー棒を使ってみんなで記念写真
1975年に成立した、カンボジアのポル・ポト政権。崩壊までの1362日間に、少なくとも120万人の自国民(クメール人)を抹殺しました。そんなカンボジアを取材して来た、新聞記者の著作です。なぜゆえに、国家が崩壊してしまう様な政策を、当時の政権は推し進めたのやら?この本を読んでも、なんだかモヤモヤして判りませんでした。ともかく、誰もが強制収容所送り。すなわち、死刑宣告。またほぼ、国としての機能を果たさない鎖国状態の謎の国内、僅かに50年にも満たない昔の出来事なんだよね。実際に監視役等に使
こんにちは。ご覧いただきありがとうございます<(__*)>いいね、コメントありがとうございます♡クタクタ過ぎて、いつも以上に頭が回りません眠れないって、こんなに体力を奪うものなのですね。このままだと倒れそうだったので、活蔘のお世話になりました。まだ目眩がするのは、ストレスかな。内容が雑で申し訳ないですコロナ禍だからか、来ていたのは学生の社会科見学のみ。かつて、ここにはたくさんの人が囚人として捕らえられた、過酷な人体実験などをされていました。人はここまで残酷になれるのかとは
『7才の娘と1ヶ月のヨーロッパ周遊旅から帰国しました。【前編】』9/2、無事に帰国しましたアメブロが勝手にログアウトになっていて全然書けませんでしたが…(ログインにはyahooを通して元の電話番号からSMS受信のパスコード…ameblo.jp『7才の娘と1ヶ月のヨーロッパ周遊旅から帰国しました。【後編】』『7才の娘と1ヶ月のヨーロッパ周遊旅から帰国しました。【前編】』9/2、無事に帰国しましたアメブロが勝手にログアウトになっていて全然書けませんでしたが…(ログ…ameblo.jp1ヶ月も周遊
アウシュヴィッツ強制収容所内部を中谷剛さんの案内で見学する・・・。(2022.09.24)悪名高き、『ARBEITMACHTFREI』、労働は自由への道働けば自由になるのスローガン。『ArbeitMachtfrei』は強制収容所建設か
こんばんは。ご覧いただきありがとうございます<(__*)>いいね、コメントありがとうございます♡この日に訪れたのは、ダッハウ強制収容所苦手な方は、このタイトルの記事はスキップしてくださいSS衛兵所ビジターセンターの西側には、メインSSガードハウスの基礎の残骸があります。1936年以降、この門の建物はSS敷地内にある司令部の正面玄関を形成していました。ここは、囚人の警護を担当する収容所SSが宿舎としていた場所です。到着した囚人たちが最初に強制収容所に入るのは、この親衛隊のメイン・
NYといえば、アメリカでコロナパンデミックが始まった時に一番多くの被害者を出して、世界を震撼させましたよね。NY在住の日本人女性が、日本に住む日本人に対して、「コロナなめたらあかん」という警告動画がユーチューブで何百万回も再生されたりしましたね〜今では懐かしいあれから2年、、、今ではアメリカは普通の生活に戻り、あの異常だった光景も遠い過去の記憶となりつつあります。日本だけなぜか未だに騒いでますけど私、実は16年前までNY州に7年間住んでました。主人の仕事のオフィスは元々
今日は最大のユダヤ人殲滅施設、アウシュヴィッツへ。クラクフからバスで1時間40分、オシフェンチム(当時はドイツによりアウシュヴィッツと名付けられた)にあるアウシュヴィッツ強制収容所に到着です。バスの中ですでにこうやって連れてこられたユダヤ人の絶望を感じます。アウシュヴィッツIで暫定入場し本屋で日本語ガイドブックを購入し、アウシュヴィッツIIにバスで向かいます。1941年秋にアウシュヴィッツIから3キロメートル離れたブジェンカ(ドイツ語でビルケナウ)村の近くにポーランド人の村民を強制追放し
DVDで「ムカデ人間」(2010年)を見る。ずっと二の足を踏んでいたが、やっと見る気になったオランダ製の奇想天外なホラー映画。ヨーロッパを旅行中の二人のアメリカ人女性が乗った車が故障する。彼女たちが助けを求めた一軒家に陰気なドイツ人の男がいた。その男に薬で眠らされた二人が目覚めると、地下室のベッドに日本人男性とともに寝かされている。男はマッド・サイエンティスト。彼は人間の口と肛門を結合させる"ムカデ人間"を作ろうと、三人の"結合"に着手する。この内容を知れば、アナタもわたしが二の足を踏んだ理
「トゥルーノース」を観てきました。ストーリーは、1950年代から始まった在日朝鮮人の帰還事業により北朝鮮に渡ったヨハンの家族は、両親と幼い妹とともに金正日体制下の北朝鮮で暮らしていた。しかし、父親が政治犯の疑いで逮捕されたことにより、母子は強制収容所に入れられる。極寒の収容所での苛烈な生活に耐え忍びながら、家族はなんとか生き延びていたが、収容所内の食料確保によるトラブルによって母が殺害され、自暴自棄となったヨハンは次第に追い詰められていく。そんなヨハンは、死に際に母が遺したある言葉により
ツィクロンB使用済みの空き缶の山です。親衛隊員がガスマスクをしてツィクロンBをまくとそこにいた人たちは呼吸困難をきたして死亡します。ガス室に入る全裸の女性の写真です。ガス室に入る前に全裸にさせられていました。死体を移動させて焼却するのはユダヤ人収容者が特命労働体として担わされていましたがそのユダヤ人収容者が命がけで隠し撮りしたものです。アウシュヴィッツ収容所博物館では『14歳未満の子どもの入場はすすめておりません』と注意書があります。これは成人の(しかもシニアの)私にもショックが大き
貯水槽、下水槽です。これらのバラックは、周辺のポーランド人を追放し奪った家屋のレンガで作られました。収容施設のほかにじゃがいも皮むき作業場、厨房、浴場、新来者受付場などもありました。収容施設の1つの内部です。1つのバラックにこのような3段の蚕棚が60あり、180の寝台は4人用でしたが、実際は6、7人を入れていました。寝返りもうてません。洗面所。浴場施設。こちらは13番バラック、子どもの棟です。この絵は収容者の子どもがのちに描いたものだそうです。収容者は藁の上に枕なしで寝ました。