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大量出血により夜間病院へ。しかしピヨちゃんはしっかりとしがみついてくれていました。振り返り記録、前回の記事⑩大量出血、そして病院へ死産までの振り返りまとめはこちら◆◇死産までの振り返り◇◆12週を超えると流産の心配はぐっと下がります。妊婦ならきっと誰もが一度は耳にした言葉。「12週の壁」流産する時期は93%が12週までに起き、12週以降の流産は7%以下になる。さすがに7%の方には入らないだろう。あんな大量
迷うことなく室内飼育人間というリーダーがしっかりと守るそして導く明るい温かい波動の中で・・・・元猟犬だったキタローは愛されて愛されて仲間という家族とともに愛されて愛されて過ごしました1年9カ月・・・・この子にしてくださるすべてが愛にあふれ想いにあふれていた小さな子にも優しいですと・・・みんなでおやつをおねだりしてる順番も待てるんだねみんなをちゃんと見てるんだね
7月に入りました。一年前、旦那が新しい赴任先に移動になった日です。この時は、まさか、こんなことになるなんて、夢にも思ってなかったなあ〜。今日しみじみ思うところです。旦那と知り合ったのは、二十歳の時。はじめて手を繋いだのは、お祭りの人混みの中。離れないように、わたしの手をとって引き寄せて歩いてくれました。背が高く、知的な人。誠実で嘘のつけない人。つけない嘘をつくから、わたしにバレバレで、不倫がわかったわけですが。不器用で、二股を上手にできる人ではない!そこにわたしは騙されました
結局私はレオとラブホへ行くことを選んでしまったやめとけばいいのに、、、レオはこの前よりもいいお部屋を取ってくれた前と同じようにソファからのお姫様抱っこでベッドに運ばれる前回は前戯もたっぷり時間をかけてくれて、甘い言葉もたくさんかけてくれたけど、今回はどちらも少なく、あまり愛情を感じなかった今、これを書いてても悲しくなる泣全く感じなかったわけじゃないでも、前回と比べると比べ物にならないぐらい愛情は少なかったと思うそして終わった後も腕枕はしてくれるものの、レオはもういつでも寝そう
たまちゃんの流産についての記事はこれで最後です。今回、たまちゃんは、私に沢山のことを教えてくれました。・私がお母さんになれる可能性があること。・実は、つわりで結構辛かったこと。たまちゃんが居なくなってから、体が軽くなり、ご飯が美味しくなって…吐きはしなかったけれど、つわりで体はキツかったんだって事が分かりました。「ママ、頑張り過ぎだよ」って…。だから次の妊娠では、辛かったら気のせいや我慢しないでちゃんと休もうと思います。・たくさんの頑張りをくれました。たまちゃんは、ただひたすらに
1984年9月17日に生まれて、2008年2月27日に逝って・・・。この23年間・・・。ゆうくんは幸せだったんだろうか今思うと・・・。ゆうくんに対して一番悪かったと思う事は・・・。母親と離婚した事かな・・・。ゆうくん自身、母親は恋しかったと思う。両親揃った状態で逝かせてあげれば良かった。これも・・・。俺が選んだ人生だから・・・。ゆうくん・・・。ごめんねゆうくん・・・。性格は優しかった学校でも泣いてる子がいたら、そばに行って頭をなでたりしてた。まぁ、俺に似たのかなぁ(
「これががいいの?」「うん」最初はやっぱり普通のが好き💕だって顔見たいもん。「痛くない?」「つらくない?」って体勢変える度に聞いてくれる。横向きのあれ松く○し結構好きなんだけど脚のこととか中のこと気にしてくれる。この優しく聞いてくるこの声がまたたまらないそれから色々変えて最後は普通のに戻して疲れてぐったりして体が密着するのがすっごく嬉しくて背中をぎゅーってする。この時点でもうだいぶヤバいみたいだけど離れたくなくて「まだダメ」ってつい言っちゃう。でもつらそうだか
そんなこんなでクマオと付き合うことになった。私は、14歳も年下のクマオと付き合っていくことに最初のうちは警戒していた。それでも付き合っていくうちに、クマオの真面目な気持ちを知ることになる。クマオはブランクのあった10年間、一度も私のことを忘れたことはなかったと言った。私の車をどこかで見かけたら、同じ曜日の同じ時間帯にそのあたりに行ったこともあるとさえ言う。「あの時、実は・・・」という答え合わせは、恋愛が成就した二人の熱い寝物語だ。当然、私たちは会うたびにセック
〜波瀾万丈な人生に終止符を〜大塚まりりんです❤︎今日もブログを読んでくださり、本当にありがとうございます✨🙏✨やっぱりまだ『侑來を失った悲しみ』の方が『侑來と出逢えた喜び』を上回ってしまって、自分は弱いなぁと感じています。。。もし、今から半年前にタイムスリップ出来るとして、でも結局侑來が7月29日に亡くなる運命なのなら私は戻りたいとは思いません🥲もちろん会いたくて会いたくてたまらないのだけれど、結局再度失う苦しみを味わうなら。。。侑來の妊娠が分かった際に義母に産むことを強く反対されま
前回、楽しくて心地が良かったので1ヶ月後にリピートした。女風を利用し始めてからセラピストさんをリピートするのは始めてだったリピートしたいと言った時もセラピストさんの方も「俺でよければ歓迎します」と言ってくれたし、他のお客様に比べて私は短い時間しか予約を取れないけど出来るだけ一緒に居られる時間は確保したリピートしたセラピストさんのお客様はお泊まりが多いそれでも気にせずにその時間を楽しんでたから幸せだったセラピストさんは向上心が強く、真面目な所もあり私の前では優しかったし施術も満
6月4日、二人の天使ママになりました。先生と旦那と話し合って、点滴を辞めて翌日、21wラストの日に自然にお産になりました。22wまで行って延命措置をしたくなかった。助からないのに小さな体を痛めつけたくなかった。奇跡的に生きて産まれてくれたから、22wまで頑張って延命したら良かったのかなって思ったりもした。けどしなかったおかげで抱っこさせてもらえた。産声聞けた、腕の中でお空にかえしてあげられた。後悔なんて計り知れない、この選択で良かったのかもわからないけど、二人に出会えて本当に本当
幸せだったんだ私だって旦那さんがいたんだよ
ミキ本人です。女にとって晴れの舞台の結婚式私にとっては…忌まわしい記憶となりました。結婚式の後私は親友たちとのプチ二次会を終えチビミキとホテルの部屋にいた。すると、姉と義兄と話し終わったタクヤが戻って来て言った。タクヤ「ミキ・・・色々聞いてきた。ごめんな。ごめん。俺、ちゃんとするから。」ちゃんとする、か‥‥その言葉を信じる事が出来たらよかった。それより本当にタクヤが努
旦那と出会って15年。本当に沢山の辛いこと、幸せだったことがありました。私が一番辛かった時、家族の誰でもなく、旦那はつねに私のみかたであり、支えてくれました。15年の間に、私は、子供を授かることも、抱くことも諦めていた私に、自分の子供をもう一度抱きたいと思わせてくれました。そして、10年目に子供を授かることができました。子供を授かってからも、切迫早産、産まれてからも、心臓に穴が空いているなど、沢山のことがありました。どんなときも、喧嘩もしながらつねに14年一緒にいてくれてありがとう。15年目