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どうもわたしです明日はね明日は24回目の結婚記念日です24年前の明日父さんと私は永遠の愛を誓い合った24年前の今日は嬉しくて嬉しくて眠れなかったのをよく覚えてるすごく、すごーーーく幸せだったこんなに早く結婚記念日をひとりで過ごす日が来るなんて思ってもみなかった父さんはわたしと結婚した時45歳だったから金婚式は無理かもだけど銀婚式は絶対にできると思ってた10年目は記念に沖縄旅行に行った25年目は新婚旅行でいったハワイに行きたいと思ってた新婚旅行を思い出すと
大量出血により夜間病院へ。しかしピヨちゃんはしっかりとしがみついてくれていました。振り返り記録、前回の記事⑩大量出血、そして病院へ死産までの振り返りまとめはこちら◆◇死産までの振り返り◇◆12週を超えると流産の心配はぐっと下がります。妊婦ならきっと誰もが一度は耳にした言葉。「12週の壁」流産する時期は93%が12週までに起き、12週以降の流産は7%以下になる。さすがに7%の方には入らないだろう。あんな大量
私が学生の頃は深夜放送全盛期。民放のオールナイトニッポンか、セイヤングか、パックインミュージックか。ラジオのチャンネル回して大忙しでした。午前3時になると「オールナイトニッポンの2部聴きたいけど、寝ないと明日起きられないなあ」と。そしてその時間になると父の部屋から「歌のない歌謡曲」が流れてました(父は父で深夜放送を聞いてました)。そんな中学生高校生時代。AM放送は楽しく聴いて翌日学校でそのネタでみんなで盛り上がる。そういう楽しみ方でした。でもFMは「一人で楽しむもの」。少ないナレ
今日は家族全員休みだから寝坊しようと思ってた。でも早朝に目が覚める。31年前の今日もお腹が痛くて早朝に目が覚めた。そう…今日は次男の31歳の誕生日。病院に着いた時はもう頭が出かかっていてあっという間に生まれてきた。大きな目で辺りを見回してたあの時の顔。今でも鮮明に覚えている。幼稚園までは本当に悪戯っ子でクレヨンしんちゃんそのもののクソガキだった。「このバカタレ〜‼︎」毎日怒ってた。すると「僕、いりこ⁉︎」と私の顔を覗き込む。言葉の遅かった次男は「おりこう」を「いりこ」と言っ
そんなこんなでクマオと付き合うことになった。私は、14歳も年下のクマオと付き合っていくことに最初のうちは警戒していた。それでも付き合っていくうちに、クマオの真面目な気持ちを知ることになる。クマオはブランクのあった10年間、一度も私のことを忘れたことはなかったと言った。私の車をどこかで見かけたら、同じ曜日の同じ時間帯にそのあたりに行ったこともあるとさえ言う。「あの時、実は・・・」という答え合わせは、恋愛が成就した二人の熱い寝物語だ。当然、私たちは会うたびにセック
たまちゃんの流産についての記事はこれで最後です。今回、たまちゃんは、私に沢山のことを教えてくれました。・私がお母さんになれる可能性があること。・実は、つわりで結構辛かったこと。たまちゃんが居なくなってから、体が軽くなり、ご飯が美味しくなって…吐きはしなかったけれど、つわりで体はキツかったんだって事が分かりました。「ママ、頑張り過ぎだよ」って…。だから次の妊娠では、辛かったら気のせいや我慢しないでちゃんと休もうと思います。・たくさんの頑張りをくれました。たまちゃんは、ただひたすらに
前向きになりたい。そう思ってました。キラキラと素敵に生きたい。ネガティブな自分なんて大嫌い!と。でもねー、ネガティブになるさね〜すんげー経験しちゃったんだもの、心折れない方が不思議だよね〜幸せだな、という日がとても増えました。良いこと会をして笑い合える。仕事の話で盛り上がる。デートの約束をする。居酒屋デート、買い物デート、映画デート、今度はUSJに行く。天気の良い夜に、スコーンとカフェオレを持ってベランダに出る。みんなでカフェオレ飲みながらお月見をする。夫のアルコール摂取
ミキ本人です。女にとって晴れの舞台の結婚式私にとっては…忌まわしい記憶となりました。結婚式の後私は親友たちとのプチ二次会を終えチビミキとホテルの部屋にいた。すると、姉と義兄と話し終わったタクヤが戻って来て言った。タクヤ「ミキ・・・色々聞いてきた。ごめんな。ごめん。俺、ちゃんとするから。」ちゃんとする、か‥‥その言葉を信じる事が出来たらよかった。それより本当にタクヤが努
前回、楽しくて心地が良かったので1ヶ月後にリピートした。女風を利用し始めてからセラピストさんをリピートするのは始めてだったリピートしたいと言った時もセラピストさんの方も「俺でよければ歓迎します」と言ってくれたし、他のお客様に比べて私は短い時間しか予約を取れないけど出来るだけ一緒に居られる時間は確保したリピートしたセラピストさんのお客様はお泊まりが多いそれでも気にせずにその時間を楽しんでたから幸せだったセラピストさんは向上心が強く、真面目な所もあり私の前では優しかったし施術も満
バァバね…なんだか去年より今の方が不安定みたい…去年は地に足がつかない感じでフワフワと過ごしていたのだと思う…時間が過ぎていくほどママとキミ達に会えないのを実感しているせいなのかもしれない…待っても…待っても鳴らないママからの📱…毎日会っているのに…用事がない時でも「バァバ〜?」って📱して来たのに…待っても…待っても来ないママの車…毎朝「おはよう!」って来てくれていたのに…バァバね…毎日が幸せだった…こんな感じで…ずっと…ずっと続くと思っていたよ…
「余命1カ月」。今夏、そう医師から宣告を受けた千葉県船橋市の男性がいる。「残された日々とどう向きあえばいいのか知りたい」。しかし、がんを克服した人の話は多々あれど、死を覚悟した人が必要とする情報がほとんどない。「治らないがんもあるのに」。やせ細った体から言葉を絞り出して話す男性が、自身の命をかけて取材に応じ、死と向きあう心のうちを明かした。「治らない人のための情報」がない東京で医療機器関係の仕事をしている田端健太郎さん(46)8月27日、医師から「余命1カ月」と告げられた。約1年に及
ドラマ見てたら彼との日々を思い出した。あんなこと言ってくれたな二人でこんなことしたな。あんなことも言ってくれたな。ほんと、優しかったな。私にとってすごく素敵で、かっこよくて、尊敬できる彼今はどうしてるの?ほんと、優しすぎる人だった。甘やかしてくれたね。甘えすぎたね
なんでだろ。今夜はやけに彼を思い出してる。何度も最後のメールを見てるいまだに、未読わからない。
もう一度話をして断ろうキープするなんて、都合よすぎはダメ。決めた彼以外はほしくない。明日よる会います。二人で話。距離を縮められないといいけど。。私は流されやすく、すぐ受け入れる。
最後の日の勤務が終わりました!出勤すると夜勤者から胃ろうのおばぁちゃんが痰絡みあり、頻脈発作。もう一人のおばぁちゃんは夜間に嘔吐し喘鳴があると!嘔吐したおばぁちゃんは心不全の持病があるため病院へ受診する事になりました!私は最後の受診の付き添いに!回診に来られる先生の病院へ!先生にも本当にこれが最後です!と挨拶して来ました。午後から介護職員さん達が入所者さん達と一緒にお別れ会を開いてくれました。一人のおばぁちゃんが私に手紙を書いてくれました!内容は私が始めた野菜作りへの感謝の言葉でし
彼なしでは辛すぎる悲しい会いたい誕生日が近づくにつれて彼に対して気持ちが大きくなるこれが区切りなのかな。。おわりにしなきゃいけないよね不倫に未来、将来なんてない。私たちだけは、違うとおもってた。連絡きたら気持ちは再燃するのかな
家族としてしか見れない。性的対象として見れない。30代後半になった頃に夫から言われた。前半の頃だってほとんどセックスはしていない。1番していたのは学生の時だろう。それでも多い方ではなかったけど私という人間を好きになってくれてからのセックスだったから、幸せだった。アプリでの出会いはそうではない。