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先週15日から17日まで長野方面を旅行してきました以前から行きたいと思っていた阿智村の花桃の里。阿智村は、日本一美しい星空でも知られているところです。たくさんの輝く星を見ながら息子の事を偲びたいとも思っていました。そんな折り、4ヶ月ぶりにうちに来てくれた親友と話していたら、一日早く長野県に旅行に行くというのです。親友夫婦は14日に蓼科に泊まり、15日に安曇野に行く予定、その日はそんなに急がなくてもいいので、私たちが15日に行こうと思っていた高遠城址公園で会うことにしました。高遠城址公
高森は旧山陽道の宿場町だったらしく、ゆっくり歩くその名残が散見されます。まず町の規模に比較して寺が多く、しかも立派。吉田松陰宿泊之地!は石碑だけ(笑)。高森本陣跡は門が残ってました。そして高森小学校隣の八幡宮。比較的平らな盆地内に小高い山が目立って、ワシの中では高森のランドマーク。この階段は無理じゃわ。何段あるんじゃろうか。ブラタモリ的散策が好きなんです。
2024年01月02日(火)最近、古民家を改修した宿に興味があり、そんな宿に宿泊したいと思いから「奈良井宿」に行くことに決めました。中山道沿いに、約1キロメートルにわたって江戸時代や明治時代の建築物が立ち並び、往時の面影を色濃く残す奈良井宿は、昭和53年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。「奈良井宿」は、中山道六十九次の中で、東海道と共有する草津・大津宿を抜いた純粋な中山道六十七宿中、奈良井宿は江戸側の板橋宿から数えても京側の守山宿から数えても34番目に位置する、中
🍱🍱😺🍱🍱🍱🍱🍱🍱🍱🍱😺⑤暗渠のカッパ様と駅前付近の古民家すっかり区画整理されてしまった岩槻駅前通りから日光御成道に出ると、かつての宿場町の風情は欠片もなく、こちらも道路拡幅のおかげで空虚な大通りが続いていたしかし、何棟かの古い商家や元警察署などは拡幅工事を免れるか、あるいは曳き家などのセットバックにより残されていたそんな街道の雰囲気は、元警察署の郷土資料館の並びある重厚な雰囲気の商家のあたりで終わり、そこから先はあまり面
土浦市の中貫には、江戸時代の頃に旧水戸街道と呼ばれる通りに中貫宿と呼ばれる宿場町があり、大名等身分の高い者達の憩い(宿泊及び休憩)の場となった本陣と呼ばれる施設がありました。中貫宿本陣。中貫宿の本陣は土浦宿の本陣と違い、宿泊する為の本陣ではなく、休憩する為の本陣だった様です。主屋部分は正面間口七間半・奥行五間半・寄せ棟造り茅葺き平屋建てで一部に中二階があります。屋根は茅葺を銅板で覆ってますが、主屋の正面に張り出した唐破風造りの二間半の式台付玄関等本陣建築を現在に残しています。元治元年(
県庁所在地の大津市。宿場町でもあり明治以前より4箇所の遊郭があった。その中の2箇所上柴屋と下柴屋と呼ばれた長等商店街に隣接した柴屋町遊郭。ここは滋賀県で一番有名だと言っても過言ではない遊郭があった場所。Googlemapでも水月楼と名前がでてくる。遊郭は経営者がよく変わるので時代によって楼名がちがうのもよくある話です。しかし私が訪れた6月またしても1ヶ月ほど前に解体されたであろう更地に。全国の遊郭ファンの間では知らない人はいないであろうこの遺構。見ることができず。幸
明日からしばらく雨予報なので曇り空のなか美山へ行ってまいりました安産祈願で丹波地方では有名な大原神社府指定重要文化財の絵馬殿そろそろ新緑の季節ですね途中で見つけたシャガの群生美山へやってきましたこの後バスでツアー客が来たので集落には入らず眺めるだけにしました春と秋の一斉放水は見ごたえがありますが、昨年から駐車場は事前予約制になったみたいです道の駅美山の看板と赤い橋バイク乗りの聖地道の駅
こんにちは今日は日差しが強くて、夏みたいです夕方の塾まで何も予定のない長男は、窓際で日焼けしてました私は午後から予定無しで、ホークス戦をラジオで聞きながら窓全開でゴロンとしてます(虫が増えてきたので網戸はしっかり閉めて)さて、先日、古民家で美味しいランチをしてきましたピアスペースのーてぃす�s�A�X�y�[�X�́[�Ă���-Google����g.co宿場町だった木屋瀬の長崎街道沿いにあるお店です明治時代に建てられたお屋敷の一角を借りて営業されているそうです
前の続きですまごめやでお蕎麦を堪能後腹ごしらえを兼ねて馬籠宿を散策です中山道は厳しい道ですのでしかも暑い😅妻籠宿まで歩くのは無理かなひたすらテクテクこの日は急に暑くてなって夏に戻った?て感じでテクテクあんちゃんもあえなくダウン抱っこ攻撃に負け坂道を抱っこで歩きましたが途中で挫折ワンコOKのお土産屋さんに逃げ込みました途中こんな無人売店んもありましたよ安いでも既に完売状態ですけどね紅葉には少し早かったので景観はイマイチでしたけどいい汗かいたよ・・・・紅葉の時期に
平成30年初の郵便局めぐり・・・・のハズでしたが、忌中なのでまだ出かけるのは自粛中です。言い出しっぺ不在のいつもの風景印仲間で郵便局めぐりを実施してもらい、台紙作成者のこちらの方に押印だけお願いしました。今回のテーマは宿場町郵便局めぐりの第2弾「日本橋と江戸四宿」です。少々くたびれた感じの風景印もありますが、比較的キレイに押されていました。どうもありがとうございました。17年前の同時期には、同じ局を一人でまわっていました。
4月8日(月)旦那が「前から行きたいところがある」と月曜日お出かけその前に10キロ走ってからね…と出たので出発が遅くなり…(私ものんびり構えてたしね😃)目的地着いたけど、あと10分早かったら…くらいのところで締め切られてた残念だけど、仕方ないから、違うところ観光しよう(今度リベンジだな)向かった先は熊川宿駐車場(無料)の前の家にはこんな可愛いネコちゃん桜の時期だし、なんだかとっても良い景色このお店、なんとこんなお家だったり流れてる小川も、本当良い雰囲気とっ
宿場町の中のカレーやさん。100年前のコーヒーに添えたコスモスも素敵
昨日の続きです。大手橋を渡り模擬天守に行きます。正面が三層四階の天守です。大手門です。午前9時に開館したところです。門左側の塀です。大手門横にある掲示板です。大手門の中に入ったところです。清州城の歴史解説板です。この鉄筋コンクリート三層四階の天守は模擬天守です。信長が住んでいた時は、おそらく2階の上に展望台のある、望楼型天守だったと考えられたので、望楼型になっています。設計図や絵図が無いので実体は分かりません。清州町が町制100年を記念
隠れた名作だと思っている『無用ノ介』(日本テレビ系列で1969年3月1日~9月20日放送)の第9話~14話を紹介。第9話「やってきた無用ノ介」片腕勘兵衛(安部徹)と呼ばれるショボクレ賞金稼ぎが、無用ノ介(伊吹吾郎)が倒した海坊主を自分がやっつけたと馬子(河原崎健三)に自慢したことから、故郷で英雄に祭り上げられます。そこに、海坊主の仲間三人が、復讐のために勘兵衛のいる宿場町にやってきて……今回からオープニングが全面的に変更。無用ノ介が野良犬殺法で3人の侍を倒すスローモーション映像に、芥川隆行
今日行った白井宿昔の宿場町堀の周りに八重桜が満開葉は桜餅につかわれる美味しそう^-^一輪欲しくなるような可愛い花でした!買ったお弁当でお昼してきました今日も花を満喫でした!
まるで江戸時代にタイムスリップ!?古い町並みの残る宿場町“大内宿”GW旅キロクぼちぼちはじめたいと思います先に行ったのは静岡県ですが特に理由もなく福島県からスタートです(理由ないんかい)今回突然決めた旅だったのでほぼノープランとりあえず前回三春の滝桜を見に行った時→★★★時間の都合で寄れなかった大内宿に行ってみることに福島の名所【大内宿】福島県南会津郡下郷町http://ouchi-juku.com/GW中だったのも
松尾芭蕉は千住から粕壁(春日部)迄、歩きました。草加宿も越谷宿も通過。道中宿場の越ヶ谷宿は文化年間(1800~)以降はとうだったなか?天保14年(1843年)の調べによると、戸数が1005件、町並みは17町34間で水戸街道とクロスする千住宿を徐くと、城下町だった宇都宮古河に次ぐ規模て宿場町としてはトップだつた街道筋にある旅籠屋等でもともとは道中の旅人に飯炊きや飯盛り給仕する飯盛●と呼ぶ●●がいた。この●●達が●●もどきの接待をするようになって、幕府は●●禁止令を出
2022年10月10日昔は体育の日でしたが、今はスポーツの日ですね。10月10日は、晴れの特異日とか言われていたのに残念な天気です。JR中央線のワンマン普通電車でトコトコとやってきたのは、奈良井駅です。この日は、JR東海のさわやかウォーキングの開催日でした。奈良井駅をスタートして、中山道の鳥居峠越えのコースを歩き、藪原駅がゴールの予定です。まだ、雨は降っていませんが、スマホの雨雲レーダーによると11時過ぎに雨が降る模様です。ささっと駆け足でゴー
江戸時代〜明治元年東海道五十三次興津宿旅籠分布図明治中期〜大正時代興津清見潟の別荘・旅館の分布図
前日の海からなるべく早寝して深夜2時に出発し木曽の宿場町の奈良井宿へ向かいました。先週の忍野はノンビリ走っても2時間程度ですが、今回は3時間以上の長距離運転中央道走行中の途中で走行距離が234567キロ達成奈良井宿の道の駅には6時半頃に到着先ずは私だけ単独で早朝の写真撮り。。。この時のレンズは24〜105mm人気ない静寂感タップリ。。。一旦車に戻って9時過ぎて奥様、長女と散策、レンズを変えて50〜500mmを装備
下記は私が書いた小説です。舞台は門司港、大津。京都は何故かイメージしなかった。スピリチュアル、ブラック企業などにいる悪質な連中との関係で苦しむ主人公が、どのように生きていけば良いのかを亡き父親の生き方を参考にして、自分なりの答えを見つけていくストーリーとなっています。空と海のキャンバスAmazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}その1の続き。橋本まで延びている淀川をイメージしている欄間。こちらは水車。回転率や末長く回り続けますように。の意味があるらしい。
熊川宿街道若狭地区に宿場町が作られたのは天正17年のこと。秀吉公から若狭領主に命じられた浅野長政が、軍事と交通の要所であると考えて宿場町をつくったのです。それまでは40戸ほどの小さな村だった場所に200超の住居を構える賑わいのある宿場町に育っていきました。コーヒー飲んでここでの目的の一つはコンニャクの買い物です主人が天の
2月11日旧東海道を辿る旅サイクリング。今日は静岡県掛川市からスタートだ。掛川宿は江戸から26番目の宿場町で、安土桃山時代の山内一豊が有名だ。城下町らしく、七曲りと呼ばれる街道の辻の静岡銀行には、功名が辻をモチーフにしたレリーフがあった。東海道サイクリングの下調べで、立ち寄りたかった馬喰橋の『もちや』さん。振袖餅が名物なんだって。残念ながら開店前で購入出来ず、行きたいトコリストに残しておく事にする。今朝の朝食は、『道の駅かけがわ』で取ろうと思っていた。1号
2021年6月26日国道19号線を北上して、寝覚めの床を観光した後、奈良井宿までやってきました。中山道六十九次の中で、東海道と重なる草津宿と大津宿を除くいた純粋な中山道の宿場は、六十七宿中になります。その中で、江戸側の板橋宿から数えても、京側の守山宿から数えても奈良井宿は34番目となる中山道の真ん中の宿場町なのです。木曽11宿の中では最も標高が高い場所にあり、また背後に難所の鳥居峠を控えており、多くの旅人で栄えた宿場町だったことから「奈良井千軒」と謳われたほどです。
2022年7月2日(土)7月1日に乗鞍エコーラインが開通。ちなみに5月の姿は~~畳平直下遠くから重機の音が~~雪に埋もれた道路を掘り返している最中今回の目的はルートか確認20人以上のライダーを乗鞍に送り込むのは至難の業松本から新島々経由に乗鞍高原に行くも、あの悪名高きトンネル群をどうするか?10本もあり難関、考え付いたのは~~~塩尻から乗鞍スーパー林道、白樺峠経由で乗鞍高原へ。車に自転車積み込んで、中央高速塩尻ICから奈良井宿へ雰囲気の良い宿場町これだけ
遠距離ソロツーリング予定が雨のために妻とのドライブに変更され、テンションはMAX。うむ、違和感バリバリだな読者諸君もそう感じたろ、スロットならビッグ確定やでいやこっちの話、それでこそ当ブログのファンだなすw雨って色んな計画をダメにするよね、観光地に行っても景色が見えなきゃ意味がないからね。仕方がないから食に目的を持っていく。「つくで手作りオリジナルの村」(野口語で道の駅つくで手作りの村のこと、おいw)でソーセージなんてどう?と聞けば、妻は「この雨の中南信州の山を越えるのはちょっと」と答え、
大原は、宮本武蔵の生誕地として知られるだけでなく、古くは旧因幡街道の宿場町として栄え、そのかつての大原宿の姿を残しながらも現在も人々が暮らし、歴史を繋いでいます。旧因幡街道大原宿岡山県美作市宮本951-1駐車場は、美作市大原総合支所駐車場利用50台因幡街道の大原宿は、かつて大名や幕府の要人が利用した「本陣」「脇本陣」はもとより、水路や道しるべなど、何百年もの間人々の往来と生活を見守ってきた歴史ある宿場町です。大原宿を散歩する時、ありがたいことに、「ふれあい広場」があり
2番目の宿場町「川崎」少し涼しくなったこの日のウォーキング。スタートはJRの川崎駅です。川崎駅前タワー・リバークの中にあるアートガーデンかわさきには、川崎浮世絵ギャラリーがあります。建物の外に出て、一番最初に気がついたのは、川崎市のマンホールのフタです。シンプルに表現されたデザインでした。川崎は、東海道五十三次で、品川に次ぐ2番目の宿場町でした。稲毛神社は江戸時代までは、河崎山王社という名で、この宿場町の鎮守様でした。お賽銭を入れて、いろいろお願いしました。
今週末は一泊で長野県の奈良井宿→妻籠宿→松本、の旅です。今朝は4時起きで電車を乗り継ぎ、まず奈良井宿へ。こんなに早く起きたのは何年ぶり?5時半の電車に乗って、JR中央本線の奈良井駅に到着したのが11時半。奈良井宿は江戸時代に整備された五街道の一つ、中山道のちょうど真ん中にある宿場町。全体像はこんな感じ。メインの通りに当時の街並みが残っているのですが、思ったより長い通りでした。日本最長の宿場町だとか。(南北約1km、東西約200m)趣のある街並み。江戸時代にタイムスリップしたよう。
今日から2泊3日で福島県内をマイカーでめぐる旅行にきました。最初の目的地は大内宿でしたが、あいにくの雨でした。江戸時代に栄えた宿場町とのことですが、かなり山あいの奥まった場所にぽつんとあるので、ビックリです。車でも大変なのに昔の人は本当にこんな不便な場所を歩いたのでしょうか?お昼時に着いたので、ここの名物のねぎそばとイワナのセットにしました。作法?に従ってねぎ一本を箸代わりにして3口ほどは食べましたが、やっぱり無理なので箸に変えて、ねぎはそばを食べつつ齧りました。次の目的地は日本100名