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妊娠が分かってからは、ふじたクリニックには毎週通い、1週間分のオルガランの注射をもらいに行っています5週後半ごろからつわりが酷くなっていき、毎日トイレと薬と注射とごはん以外はベッドで寝たきり、、という生活を送っておりますまだ2週間も経っていないのにすでに体重が4キロ落ちてしまい、フラフラで母に付き添われてクリニックまで必死で通っていました一昨日クリニックに行くと、先生からとにかく栄養をということでビタミンの点滴をしていただきました🥺そして、私の今の状態から本当に1時間以上
死産までの経過|子宮内胎児死亡皆さん、こんばんは。今日は死産までの経過について話そうと思います。まだ1ヶ月健診を終えていないので病理の結果待ちですが、私の場合は産まれた時に胎児側の臍帯が明らかに捻れ過ぎて細くなっていました。医師から死産の原因として「臍帯過捻転による死産です。」と告げられました。私は看護師ですが、産科領域は経験がない事もあり、どちらかと言えば妊娠経過に異常がある場合には染色体異常を想像していました。臍帯過捻転とは想像もしていなかったので、原因が分かった瞬間、助かる可能
はじめに・・・死産につながる話です。不安に思う方、不快に感じる方、辛い方はここで引き返して下さいね。前回は、子宮内胎児死亡の原因説明を受けている所までを書きました。詳しくは↓先生からの説明の続きです。そして次は今後の出産方法についての話になりました。母体の安全を第一に考えるならやはり経膣分娩がいいとの事。私は、「もともと無痛分娩を希望していたくらいなのに、こんな気持ちでは陣痛に耐えられないと思う。出産が怖い」という不安な気持ちをエコーを終えた後すぐに先生に話していました。この病院では無
3/29に出産をし、丸2週間が経過しました。あの壮絶な3日間の日からあっというまに…わたしは絶賛産後休暇中です🥲入院前はバリバリ仕事していたので、急に休まなければいけなくなり毎日何をしていいかわからず家事をメインに天気がいい日はお散歩をしたり、買い物したり、リフレッシュするように心がけて過ごしています。(というか、何かしていないと悪いことばかり考えてしまう…)この休み期間にPCOS(多嚢胞性卵巣症候群)のことをもっとちゃんと調べようと思って、毎日パソコ
はじめに・・・死産につながる話です。不安に思う方、不快に感じる方、辛い方はここで引き返して下さいね。前回の記事はこちら↓エコーにて赤ちゃんの心拍停止がわかりました。妊娠34週6日の話です。先生に「ご主人にも説明したいので連絡とれますか?」と聞かれました。私は涙を拭きながら「すぐに電話します。」と伝えました。先生は「ゆっくりでいいですよ」とエコー室を離れ、1人の時間を作ってくれました。涙がどんどん出てきましたが、涙を拭き、呼吸を整えました。旦那に電話をかけます。「もしもし、病院終わ
一睡も出来ず朝になった。とりあえず母にもう一度電話しないと、と2階に上がって電話をかけた。赤ちゃん死んじゃった…と泣きながら伝えた。母がものすごく楽しみにしていることを知っているから、つらかった。2回の化学流産・稽留流産のことも知っていて、その度にがっかりさせてきたから、今度こそ喜ばせてあげられると思ってたのに、今回が1番ダメージを与える結果になってしまったと思った。一階に行くと夫が起きていて、ゴミ捨てに行ってくれてた。夫の顔を見て涙が溢れた。2人で抱き合って声を出して泣いた。夫がこんなに泣
19週でお空に還ったピヨちゃんピヨちゃんへの想いと現在の妊娠について綴っています◆死産の記録について(子宮内感染・羊水過少(CAOS))→ピヨちゃんと歩んだ道◆赤ちゃんと過ごす最後の時間のために(残せる物、してあげられる事、プレゼント)→もしも天使ママ・パパになったら◆死産後の経過について→胎盤遺残と生理◆不育症の検査・治療について→不育症まとめ※流産・死産についての記事です。現在の妊娠についての内容も含まれます。「天使ママ」
久々の投稿になってしまいました。実はずっと記録して保存していた記事が全て消えてしまっていて復旧作業をお願いしていますが出来ていなくて。。いつになるかわからないので、もぅ半分諦めました、、。※2018年6月16日、38週2日でお空に送った赤ちゃん、くぅちゃんの死産の記録です。思い出しながら書いてます。妊婦さんや辛いと思う方はご覧にならないようにご注意ください。■2018年6月24日(日)くぅちゃんがお骨になってからお経をあげたりできていなかったので、実家で祖父、祖母と父の月命日に来て貰ってい
いよいよ朝から促進剤を投与する。確か5時半くらいには起きていて、息子の名前とその由来を紙に書いた。私たち以外にも名前を呼んで由来を知って欲しかった。そして、その由来を見れば私自身、つらい時も頑張れる気がした。思い出の花の花言葉から一文字漢字を使っている。花言葉は「希望」「前進」「常に前向き」暑さにも寒さにも負けず、何度も咲いてくれた花。困難に負けずにきれいな花を咲かせて欲しいと名付けた。妊娠8週の時点で、もうこの名前で呼んでいた。大好きな名前だ。ママも君に負けないきれいな花を咲かせる人にな
安定期に入ると体調が良くなったので夫婦で色んなことをした3月には中山寺へ安産祈願へ行ったり4月には沖縄の宮古島へ新婚旅行も行った妊娠中なのでお酒は飲まず泳がずだったが景色を見ているだけでも楽しめるほど良かったそして、5月に入ったばかりの娘の3Dエコー顔も出来上がっていて、とっても可愛かったここまでは、何もかも順調にいっていたこのまま何事もなくうまくいくと思っていた5月25日仕事終わりに妊婦健診の為、いつもの産婦人科へ行ったこの日で26週3日を迎えたいつも通りエコーをし
昨日、旦那さんと火葬の事や棺、骨壺の話をしました棺は病院で用意してもらう箱をそのまま棺にしようと…木の箱は焼けた時に燃えかすが赤ちゃんの骨と混ざり分かりにくくなるとインターネットで書いてあったので、小さな赤ちゃんは紙の箱がいいとか…病院に白い紙の箱だと言うのでそれがいいかな?と言うことになりました真っ白なのでシールや手芸用のお花を貼ったりしようかなぁ…と100均に行って買ってきました骨壺はネットで見ながら可愛い物を探していました送料が気になるし、実物が見たかったので、市内の仏壇屋さん
昨日は死産後1ヶ月健診でした。あの病院に行くのはものすごく気が重かったけれど、決して悲しいだけの思い出ではない病院。健診で4Dエコーで息子に会えるのを楽しみに通っていた病院。幸せな思い出もある。だから行かなくちゃ!と気持ちを奮い立たせて行ってきた。配慮してくれて、外来のない日曜日にしてくれたんだけど、この日に退院するご家族とたくさんすれ違いました玄関で写真撮影するご家族…裏口から棺を持って泣きながら退院した私たちと違いすぎて眩しかったいつか私も向こう側に行けるだろうか…健診の内容は…悪
入院5日目(死産から2日目)。主治医の計らいで試験を受験しました。やれる限りのことはやりました。夕方病院に戻りました。翌日には退院予定になっていました。赤ちゃんとゆっくり過ごせるのはあとわずか。その日の夜、赤ちゃんに会いたいと申し出ると小さな棺(の箱)がコットに乗せられて病室に連れてきてもらいました。その光景だけで涙が出ました。ほかの赤ちゃんたちと同じように扱ってもらえたねよかったねそう思いました。ずっと「ゆっくりお話できなくてごめんなさいね」とおっしゃっていた担当看護
会陰はやはり避けてしまっていたようで、縫う処置がされたり、導尿をされたりした。息子に会えた喜びで、痛みはそんなに感じなかった。熱が37.9℃出ていたが、それもあまり感じず。胎盤を見せてもらった。見た目には何も異常がないらしく、「33週にしてはご立派な胎盤です!」と助産師さんに言われた笑分娩室でしばらく過ごしたあと、許可が出て息子と夫と部屋に戻った。家族3人で過ごせるんだ、嬉しい短い時間だけど、嬉しい。部屋に戻ってすぐ、ベッドを折り紙でいっぱいにしてあげた。音楽も引き続き子どもが好きそう
※稽留流産の記録です。悲しい内容を含みますので、見たくない方はUターンしてください。今回の記事ではエコーの画像も出ますのでご注意ください。こんばんは。前回はかなり長い記事を書いたにもかかわらず、沢山の励ましのコメントといいねを下さって、本当にありがとうございました。本日稽留流産の手術をしてきました。麻酔の影響などで記憶が曖昧な部分もありますが、今回の妊娠の記録として残しておきたいと思います。今回もかなり長い記事となっていますので、ご了承ください。手術のため、前日の21時以降は絶飲
午後になりお昼ご飯はパスタを食べて、その後はソファーでゴロゴロしながら楽天で赤ちゃんのものをたくさん選んで注文していた。マンスリーフォトを撮りたいな〜と思って、マンスリーカードを選んでいた頃だったかな、15:30くらいだったと思う。「あれ、朝めちゃくちゃ動いてたけど、最近胎動あったっけ…?」これまでも何度か不安になることがあったけど、横になっていたらすぐに返事をするかのように動き出してくれて、「心配しすぎか〜」ということがあったので、この時はまだ今回もそうなると思っていた。だけど、お腹を
入院2日目の18時頃。保育園帰りの長女、夫、母と病室で過ごしていたところ処置に呼ばれました。まだ笑顔で「行ってきまーす」という余裕がありました。朝に入れたラミナリアを抜いて子宮口の状態を確認しまたラミナリアを入るだけ入れる処置です。処置室、もう何度目なのか、内診台へ。子宮口は1.5センチとのこと、朝の1センチからまだそれだけか。消毒、ガーゼを抜き(毎回必須の行程だけどこの2つだけでも相当な痛さ)大小4本ずつのラミナリアを抜いていきます。!!!!!!朝とは比にならない痛さ。
自分の気持ちを整理するために、また息子のことを記録しておくために、始めたこのブログ。こんなにアクセスがあると思っておらず、つらつら思うがまま書いてます読みにくかったり、あまり良くない表現があったりしたら申し訳ありませんこの日の朝にラミナリアを抜いて、バルーンを入れたんだったかな?1時間おきくらいに、なんか飲み薬も飲んでお腹が張ってくるか機械をつけて測ってた。グリグリ内診も何回かあってめちゃくちゃ痛かったな。でも、痛みは息子を亡くしたという現実に比べたら全然耐えられたな。確かお昼くらいの時点で
私自身に起きた、死産の記録になります。似たような症状だからといって、同じ結果になるとは限りません。妊娠中の方は不安になるかもしれまん。また、辛い内容が含まれています。天使ママさんは辛い記憶を呼び起こしてしまうかもしれません。ご注意願います。死産後、ピヨちゃんと思い出の時間を過ごしました。旦那も病院に到着し、親子3人で過ごす最初で最後の夜です。振り返り記録、前回の記事㊱みんなの天使死産までの振り返りまとめはこちら◆◇死産までの振り返り◇◆
今日でちょうど死産から1ヶ月です。子宮内胎児死亡を告知され入院した日は、雲ひとつない青空でした。退院日と火葬の日は、しとしと雨でした。ですが、死産の日の天気はいくら考えても思い出せません。個室でカーテンの開け閉めは自由にできたはずなのに。経緯をブログに綴ってきてだいぶ落ち着いたと思ってはいますがまだ記憶に蓋をしている部分があるのかもしれない。それか、死産の日は天気どころじゃなかったのかもしれない。赤ちゃんが生まれた日の天気、覚えておきたかったなぁ。(長女のときは快晴でし
はじめに・・・前回の記事にあたたかいコメントを寄せて下さった皆様、ありがとうございました。「ありがとう、ありがとう」と涙が流れました。それでは、続きを書きます。死産に繋がる話ですので、見たくない方はお戻り下さいね。前回は、子宮内胎児死亡を告げられ、家に帰ってきた所までを書きました。詳しくは↓朝を迎えます。本来ならこの日、娘の「先天性十二指腸閉鎖」のオペについて、セカンドオピニオンに行く予定でした。娘のために、万全の体制でオペに備えたいと思っていました。オペが上手だと情報を得た小児外科
夜はほとんど眠れないまま、入院2日目の朝を迎えました。朝イチで処置の続き。ラミセルを抜いて(抜くのも痛い!)この時点で子宮口は1センチ。「昨日は当然だけどしっかり閉じてたからね、一晩でこれはいいペースです」「今から入れられるだけ入れます。我慢しきれなくなったり気が遠のきそうになったらすぐ言ってください」気が遠のく!?そういえば昨夜の処置でも処置中に血圧測定もありました。そんな処置を麻酔も痛み止めもなしでやるなんて…(この後の処置からは痛み止めを使ってもらいました。)
ここまで読んでくださりありがとうございます。出産翌日3/30のお昼前には退院することができ、病院で発行してもらった死産届を役所へ提出しに行きました。その次の日3/31は棺に入れるおもちゃや帽子などを探しに行きました。初めてアカチャンホンポに行き、パパママで選んだくまちゃんのミトンを購入🐻(帽子用として買ったけどそれでも大きすぎた。笑)周りには幸せそうな夫婦や家族が多くて…ちょい涙目…我が家には猫もいるので、似ている猫の人形を雑貨屋で購入しました。
私自身に起きた、死産の記録になります。似たような症状だからといって、同じ結果になるとは限りません。妊娠中の方は不安になるかもしれまん。また、辛い内容が含まれています。天使ママさんは辛い記憶を呼び起こしてしまうかもしれません。ご注意願います。「子宮内胎児死亡」を告げられ、人工誘発分娩の処置に入りました。陣痛らしき痛みが来たので、分娩室へ移動しました。振り返り記録、前回の記事㉚分娩室へ死産までの振り返りまとめはこちら◆◇死産までの振り返り◇◆
入院3日目の朝。前夜破水したと伝えたら飛んできて一晩そばにいてくれた夫は、長女を保育園に送るために一度帰宅しました。前夜に助産師さんに簡易トイレを使うよう言われていたのでそれを使うとゴロッとなにかが出てくる感触がありました。!!??もしかして、赤ちゃんが出ちゃった…??おそるおそる見ると処置の最後に膣に入れたガーゼが出てきていました。縦長にしぼったような形で長さは5,6センチはあったような。これが入っていたのかと思うとそりゃあ痛いよね…とも思いました。今日はお産の予
私自身に起きた、死産の記録になります。似たような症状だからといって、同じ結果になるとは限りません。妊娠中の方は不安になるかもしれまん。また、辛い内容が含まれています。天使ママさんは辛い記憶を呼び起こしてしまうかもしれません。ご注意願います。妊娠16週で子宮内感染、切迫流産により入院。妊娠17週で羊水過少、流産・死産の宣告。妊娠19週で心拍停止、死産。ピヨちゃんはたくさんの思い出を残してくれ、そしてたくさんの人の愛に見守れ、旅立ちの準備に入りました。業者へピヨち
息子に家の中を案内した。ここが一緒に寝てた部屋だよ、ここがお風呂だよ、お風呂ではよくしゃっくりしてたよ。お庭にも出た。お庭でサッカーしたり、プールしたり、砂場も作ってあげたいなと思っていたし、今育ててるピーマン・枝豆・じゃがいもは大きなお腹で一緒に植えた。パパは息子の為に、庭の芝生をすごいきれいにしてくれてたから、芝刈り機を使ってる所を見せたいらしく、見せてあげてた息子は蹴れないけれど、パパとママ2人でパス練習してるところを見せてあげた。次は一緒に蹴ろうね天国で練習してねパパとママの結
20時〜いきみ始めましょうとのことだったが、19時の時点で無痛分娩ではあったけど、めちゃくちゃ規則的にいきみたい感覚があった。息子の頭が出てこようとしている感覚…あれは私の子宮が頑張っているだけなのか、息子の魂がまだいてくれて、一緒に頑張っていてくれてたのかな…?音楽は、息子と聞いたり遊んだりしたかった音楽をかけた。はたらくくるま、おばけなんてないさ、はらぺこあおむし、月ようびはなにたべる?、ブンバボンなどなど…中でも「にじ」が好きで、夫と私で口ずさんでいたら、助産師さんも歌ってくれて、息子
私自身に起きた、死産までの記録になります。似たような症状だからといって、同じ結果になるとは限りません。妊娠中の方は不安になるかもしれまん。また、辛い内容が含まれています。天使ママさんは辛い記憶を呼び起こしてしまうかもしれません。ご注意願います。「羊水過少(慢性早剥羊水過少症候群:CAOS)」「成長の遅延」「脳室拡大」を診断され、流産・死産を宣告されました。でもピヨちゃんの命を信じ、絶対に諦めない強い心で声を送り続けました。振り返り記録、前回の記事㉓ピヨちゃん
私自身に起きた、死産までの記録になります。似たような症状だからといって、同じ結果になるとは限りません。妊娠中の方は不安になるかもしれまん。また、辛い内容が含まれています。天使ママさんは辛い記憶を呼び起こしてしまうかもしれません。ご注意願います。流産・死産宣告を受けながらも、絶対に助かると諦めないで信じていました。しかし、「子宮内胎児死亡」を告げられてしまいました。かけつけた母は一旦家に帰り、旦那だけ病院に泊まりました。振り返り記録、前回の記事㉕全てが止まっ