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カルチャー杉並区【松尾芭蕉とおくのほそ道】…東京メトロ新高円寺駅から徒歩10分ゆうゆう梅里堀内館第1(金)10時~12時足立区【芭蕉の五大紀行文を読む】…北千住駅徒歩0分よみうりカルチャー北千住(ルミネ北千住9F)第1(月)13時~15時[北千住]松尾芭蕉の五大紀行文を読む「野ざらし紀行」「更科紀行」「笈の小文」「鹿島紀行」そして「おくのほそ道」・・・・。日本紀行文学の最高峰、芭蕉の紀行文を読み、大衆文芸だった俳句を芸術にまで高めた芭蕉の軌跡を学びます
お東の方を忘れていました。成実のトリは後にも先にも前回だけだったのですね。今回の秀逸・見どころは何と言ってもお東と御佐子の老け演技です。老けメイクではなく老け演技。お東と御佐子が身を寄せている山形の最上家は、義光の孫の代になってお家騒動のため幕府から改易を申し渡されます。江戸の伊達屋敷政宗「成実に折り入って頼みがある」伊達成実「ほぉ、嬉しいことを仰せじゃ」政宗「取り急ぎ仙台へ立ち戻り出陣の支度をしてはくれまいか」成実「えぇ、出陣じゃと」片倉子十郎「合戦にござります
十二月廿一日晴后曇、行程五里、熊本市。昨夜、馬酔木居で教へられた貸家を見分すべく、十時、約束通り加藤社で雑誌を読みながら待つてゐたら、例のスタイルで元寛さんがやつてきた(馬酔木さんはおくれて逢へなかつたので残念)連れ立つて出町はづれの若い産婆さん立石嬢を訪ね、案内されて住む人もなく荒れるにまかした農家作りの貸家へ行く、とても住めさうにない、広すぎる、暗すぎる――その隣家の一室に間借して独占してゐる五高生に同宿を申込んで家主に交渉して貰ふ、とても今日の事にはない、
十二月十九日晴、行程二里、川尻町、砥用屋(四〇・中)まつたく一文なしだ、それでもおちついたもので、ゆう/\と西へ向ふ、三時間ばかり川尻町行乞、久しぶりの行乞だ、むしやくしやするけれど、宿銭と飯代とが出来るまで、やつと辛抱した。宿について、湯に入つて、ほつとする、行乞は嫌だ、流浪も嫌だ、嫌なことをしなければならないから、なほ/\嫌だ。安宿といふものは面白いところだ、按摩さん、ナフタリン売、土方のワタリ、へぼ画家、お遍路さん、坊主、鮮人、等、等、そして彼等の話の、何とみ
十二月十六日晴、行程三里、熊本市、本妙寺屋(四〇・下)堅いベンチの上で、うつら/\してゐるうちにやうやく朝が来た、飯屋で霜消し一杯、その元気で高橋へ寝床を探しにゆく、田村さんに頼んでおいて、ひきかへして寥平さんを訪ねる、今日も逢へない、茂森さんを訪ね、夫婦のあたゝかい御馳走をいたゞく、あまりおそくなつては、今夜も夜明しするやうでは困るので、いそいで本妙寺下の安宿を教へられて泊る、悪い宿だけれど仕方がない、更けるまで寝つかれないので読んだ(書くほどの元気はなかつた
流山の秋元双樹と小林一茶付近には江戸時代の俳人・小林一茶に関連した建物が多いようです。一茶双樹記念館もそのひとつです。句碑が残されています。一茶が流山で詠んだ句。「夕月や流残りのきりぎりす」と書かれていました。双樹亭とよばれる建物です。こちらは一茶庵です。小林一茶は流山の俳人・秋元双樹のもとを、生涯で50回ほど訪れていたそうです。(撮影:2022.10.9)
いつもニコニコニコラスですトマトちゃん、トマトちゃんママ、アイアンパパと私でお散歩で『庚申庵』に到着しました十年に一度しか咲かないと言われる観音竹がありました🤭笑このお花がだんだんと色が変わってこんなピンクっぽくなっていくそう↓ボランティアガイドの方が説明してくれましたこちらの『庚申庵』は栗田ちょうどう様の庵です↓ちょうどう様の俳人番付は前頭ですねこの頃は小林一茶はまだ後ろの方ですねこちらは藤も綺麗なのですが、もう終わりを迎えておりました↓孫のトマトちゃ
コワモテネイリストさんから逃れて早くも半年。今お世話になっているネイリストさんは押しの強いタイプではないので、ゆるゆると果てしなくつづくような女子トークも楽しみになってきたところ。肝心のネイルアートは『お手入れはしています』くらいで十分。ネイルでも仕事でも詩歌でもなんでも、最後に勝つのは人だなぁと思います。最近、インスタに明菜さんの近景がやたら登場する。たぶん自覚なくググっているのだろう、インスタ氏が先回りしてほいほい送ってくれるのだ。それにしても明菜さん。復活を歓迎していいのか迷
本日8月19日は俳句の日!語呂合わせとはいえ、今ブームの俳句夏井いつきさんのプレバトでの切れの良い語り口がブームの一助を担っているのかも今日は千葉県富津市の俳人「織本花嬌」について彼女は小林一茶の句会に集い、その才を絶賛一茶が追悼の句を詠み、遺稿集を編纂しました彼女の句は日常を女性的な目線で詠んでいるにもかかわらず、ほんの少し色気を感じるんですよねいやらしい感じのものではなく微かにです同じ富津に住む者としてもっと知りたい!と思います「用のない髪と思へば暑さかな」これは夫
(神奈川県横須賀市長沢)あやめ草足に結ばん草鞋の緒松尾芭蕉(あやめぐさあしにむすばんわらじのお)今日は猛暑で外出せず。「海光」の編集・執筆に専念した。ほとんどの原稿が出来上がり、あとは「海光吟行」の企画を考える。10月に隅田川の「屋形船吟行」をしようと考え、今日、浅草の「屋形船」を仮予約した。問題は人数だ。屋形船を貸切るには18名以上確保しなければならない。これから勧誘しないと…。あとは句会場の確保…、結構大変だ。さて、冒頭の句は、「おくのほそ
M1ツアー20231300名収容のホールの3階席。さや香もヤーレンズもいないのに、M1ツアーと呼べるのだろうかとは思うけれど、ナイチンゲールダンスときしたかのの漫才が観れたからいいとしよう。遠い遠いあなたが眩しい。名古屋公演の定番おばけの前説どの席も同じお値段緞帳に手を焼いてゐる冬館漕戸もり
いつからか俯瞰とはこんな場面にも使うようになった。用法は正しいです。ですが、なんかもっとふさわしい言葉があるような気がずっとしている。言い始めたのは誰だろう。わからないけれど、詩歌人でないことは確かだ。柔らかな小骨が刺さる喉で「俯瞰」と今日も言うのだった種袋ゆび押しつけて心がはり漕戸もり
急遽仕事がバラシになったので歌集の批評会に出かけた9月のとある土曜日。すこし前に批評会についてはここでも書いたけれど、先日歌人ご本人と会う機会があったので改めてじっくりと歌集を読んでみた。既にいろいろな歌人が多彩な読みを紹介されていて、そのときの資料も手元にあるのだけど、できるだけそれらに傾かないように読もうとおもう。歌集月ふとりゆく神谷朋子を読む。結社かりんに所属の歌人、神谷朋子さんは教員をされている。教師から眺める生徒を(商品)というのは乱暴かもしれないが、品々を手に
三七短夜や乳ぜり泣く子を須可捨焉乎【語句】短夜:夏の短い夜乳ぜり(乳迫り):乳をせがむ須可捨焉乎:須く捨つる可き焉乎(すべからくすつるべきか)(反語)【季語】短夜(夏)【読み】みじかよやちぜりなくこをすてちまおか【意味】短い夏の夜が明ける。乳をせがんで泣く我が子を、捨ててしまおうか(いやそんなことはできない)… 【作者】竹下しづの女(たけしたしづのじょ)明治~昭和期の俳人【生没年】一八八七年三月
馬は走る。花は咲く。人は書く。自分自身になりたいが為に夏目漱石(1867年-1916年)夏目漱石(なつめそうせき、1867年2月9日〈慶応3年1月5日〉-1916年〈大正5年〉12月9日)は、日本の教師・小説家・評論家・英文学者・俳人。本名:夏目金之助(なつめきんのすけ)。俳号は愚陀仏。明治末期から大正初期にかけて活躍し、今日に通用する言文一致の現代書き言葉を作った近代日本文学の文豪のうちの一人。代表作は、『吾輩は猫である』『坊っちゃん』『三四
二七遠足のおくれ走りてつながりぬ【季語】遠足(晩春)【読み】えんそくのおくれはしりてつながりぬ【意味】遠足の列。遅れていた子達が走って、列が繋がった… 【作者】高浜虚子(たかはまきょし)明治~昭和期の俳人【生没年】一八七四年二月二二日~一九五九年四月八日(明治七年~昭和三四年)【略歴】愛媛県出身(今の松山市)。同級生の河東碧梧桐とともに、正岡子規から俳句を学ぶ。三高(今の京大)から二高(今の東北大)へ移り、中退。碧梧桐の新傾向俳句に対し、有季定型(五七五