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貯水槽、下水槽です。これらのバラックは、周辺のポーランド人を追放し奪った家屋のレンガで作られました。収容施設のほかにじゃがいも皮むき作業場、厨房、浴場、新来者受付場などもありました。収容施設の1つの内部です。1つのバラックにこのような3段の蚕棚が60あり、180の寝台は4人用でしたが、実際は6、7人を入れていました。寝返りもうてません。洗面所。浴場施設。こちらは13番バラック、子どもの棟です。この絵は収容者の子どもがのちに描いたものだそうです。収容者は藁の上に枕なしで寝ました。
今日は最大のユダヤ人殲滅施設、アウシュヴィッツへ。クラクフからバスで1時間40分、オシフェンチム(当時はドイツによりアウシュヴィッツと名付けられた)にあるアウシュヴィッツ強制収容所に到着です。バスの中ですでにこうやって連れてこられたユダヤ人の絶望を感じます。アウシュヴィッツIで暫定入場し本屋で日本語ガイドブックを購入し、アウシュヴィッツIIにバスで向かいます。1941年秋にアウシュヴィッツIから3キロメートル離れたブジェンカ(ドイツ語でビルケナウ)村の近くにポーランド人の村民を強制追放し
時間がなくゆっくり見て回れずもう走り回ってます🏃アウシュヴィッツ初期の頃は藁の上に重なりあって夜を過ごしていました。写真にあるように収容者古参者が排泄の時間を短くしたりなど様々なルールを作って命令したりもしました。虐げられている人たちの中でまた虐げる順位を作る。排泄場所は収容人数に比べて不足していました。衛生設備も十分ではありませんでした。秩序維持責任者、なんと古参の収容者いわゆる棟監の住居です。奴隷の中でも奴隷を統括し始め主人に手なづきおこぼれをもらう。私も命のためならしないと
ツィクロンB使用済みの空き缶の山です。親衛隊員がガスマスクをしてツィクロンBをまくとそこにいた人たちは呼吸困難をきたして死亡します。ガス室に入る全裸の女性の写真です。ガス室に入る前に全裸にさせられていました。死体を移動させて焼却するのはユダヤ人収容者が特命労働体として担わされていましたがそのユダヤ人収容者が命がけで隠し撮りしたものです。アウシュヴィッツ収容所博物館では『14歳未満の子どもの入場はすすめておりません』と注意書があります。これは成人の(しかもシニアの)私にもショックが大き
アウシュヴィッツ強制収容所内部を中谷剛さんの案内で見学する・・・。(2022.09.24)悪名高き、『ARBEITMACHTFREI』、労働は自由への道働けば自由になるのスローガン。『ArbeitMachtfrei』は強制収容所建設か
「関心領域」を観てきました。Fan’sVoiceさんの独占試写会が当たり観せていただきました。(@fansvoicejp)ストーリーは、何もない画面に段々と鳥の声が聞こえてくる。画面が開けると、青い空と美しい川辺で遊ぶ家族の光景が。家族で水遊びに来ているらしい。そして家族は家に帰っていく。黒いドイツ車で家に着くとそこには大きな家に豪華な庭。美しい花が咲き乱れている。幸せな家族の日常がそこでは営まれている。可愛い子供たちは元気に遊び、学校へ通い、妻は優雅にガーデニングを楽しむ