ブログ記事2,361件
きっと、多くの人は、現実世界での成功や幸せを望むものである…だから、四柱推命や算命学に興味がある人たちの間では現実の実行力が強い旺の星(天南、天禄、天将)がいいと思われがちで現実の星である自星や財星が宝物で牽牛星(正官)ももてはやされ…って本来、どんな星にでもそれに見合う環境、輝き方があるのです。というわけであんまり四柱推命や算命学界隈で注目されてないであろう精神の星の力とくとご覧あれ…!という話を、ネタが(不定期に)降りてくる限りどんどん書いていき
■ポプってニオってズッコケるその1朝、目が覚めると、外はまるで夕焼けのように全体がオレンジ色でキレイでした~『青春18きっぷ』でお出掛け~お盆休みやけど、在来線はさほど混んではないですね。糸崎駅で乗り換え。「SETOUCHITRAIN」がいました!「せとうちパレットプロジェクト」の一環で、瀬戸内の穏やかな海や美しい島々をイメージしたラッピング列車です。広島駅に到着!ブチ暑いけん!天気力エネルギーぜんかーい!!たちまちお好み焼食べます。広島駅前にある「広島
西川の人的補償で獲得した日高キャンプでは斉藤ともに1軍スタート登板機会も与えられるなど期待されましたが、2軍へ25日に行われたJR九州との練習試合に登板3回4安打2死球4失点と乱調そして、その日の登板でどうも負傷右内腹斜筋損傷の疑いで3軍行きとなりました19歳が環境大きく変わり、いきなり1軍キャンプ飛ばしていて無理もあったのでしょうそりゃあ黒田博樹に見てもらえる機会があるようなところだったからですね師匠・山本由伸がつける背番号18をドジャースでつけていたレジェンドです
1975(昭和50)年、広島東洋カープは、球団創立26年目にして、悲願の初優勝を達成し、日本中に、爆発的な「赤ヘルブーム」を巻き起こした。そして、それは広島の栄光の時代の幕開けでもあった。今回は、「マスコットで振り返るプロ野球史」の、広島編の「中編」をお送りするが、広島カープの黄金時代と、その後に長く続いた苦闘の時代を、「カープ坊や」と「スラィリー」という個性的なマスコットは、どのように見守って来たのであろうか?それでは、早速ご覧頂こう。<1970(昭和45)年に、スタ
黒田の心を動かした横断幕男気黒田が引退を決意したニュースは、瞬く間に日本中に流れた。黒田博樹といえば、2006年10月16日の広島市民球場のライトスタンドに掲げられた「横断幕」を思い出す。「我々は共に闘って来た今までもこれからも…未来へ輝くその日まで君が涙を流すなら君の涙になってやるCarpのエース黒田博樹」2006年秋、初めてFA権を取得した右腕に、ファンは広島市民球場のスタンドに横断幕を掲げ移籍を引き留めた。その行動に感激し、残留を決