ブログ記事30,825件
我が家は、夫が7年以上前に突然いなくなり、その後まったく連絡が取れなくなって失踪してしまいました。子供が上の子は2才、下の子は0才のときでした。今現在も、連絡は全く取れませんし、どこでどうしているのか、生死すら不明な状態です。車だけは当時、富士の樹海の中で見つかりました。夫がいなくなった当日から現在までの経過は、今までのブログに載せているので、もしよかったら、読んでみて下さい。今日は、遅い時間からの夜勤なので、雨が降っているし、家でゆっくり寝た。子供たちが学校から帰って来る時間が近
24日の金曜日はお父さんと買い物に行って来た。前の日の23日に一人でアコレに行って全身筋肉痛だった。行きたくなかったんだけど…。お父さんは相変わらず体調不良でベッドで横になっている。少し外に出たいと言うから一緒に行く事にした。団地の駐車場が遠いからアコレに車で行くなら歩いてもそんなに変わらないけど…どうも車で行きたいらしい。駐車場まで歩いてから車でアコレに行って来た。いつもはアコレの駐車場に停めるけどアコレの駐車場はすぐ裏にあるのにお店の入口から遠い。面倒だから路上に停めるとお父
鬱病と診断された時、にわかに受け入れられませんでした。例えば、身体の不調で有れば血液検査や諸々の検査で数値として表れる。この数値だから、貴方はこんな病気に罹患していますよと。私を診断した先生は、何か検査をする訳でも無く幾つかの質問をし私がそれに答える。例えば、私が嘘をついていたらどうなのだろう。嘘は付かなくても、ジャロに訴えられる程オーバーな表現をしていたらどうなのだろう。最初お世話になった大学病院は、甥姪っ子が医療に携わっていた。姪っ子曰く詐病は分かると。甥っ子曰
決しておすすめしませんが私が拒食症から回復してこれたのは荒療治の効果も大きいです。その荒療治とは、仕事です。まだバリバリの拒食症だった頃(この表現、昭和って笑われた)つまり筋力がなくなり自宅二階に上がることもできず500mlのペットボトルさえ重くガチガチの鬱状態だった頃あえてハードな体力仕事に就いたのです。食べる理由を作るために。自分1人の努力だけではどれだけもがいても食べれなかった。だからこそ食べなければならない状況に自分を追い込みました。長くなるので続きはま
奈良の実家に来てます。3年半近く、実家メインで療養生活を送ってました。その期間、気晴らしや具合悪いわたしを少しでも元気つけようとして両親がちょくちょくいろんなお寺や自然の場所に連れ出してくれてました。しかし、向精神薬がたんまり入ってた私は具合も悪く、頭もボーとしていてあまり記憶に残ってません。元気だった頃は外出や旅行が大好きでした。ジムに通い、ダンスを習い、山の会に入り登山をして、冬はスキー。海外旅行もちょくちょくしてました。そんな生活が「うつ病」とや
“その日”私は仕事から帰ろうと足早に帰路についていた少し日暮れの早くなったある秋の夕方ちょうど肌寒くなってきたころ少しでも早く家に帰ろうと駅からの道のりを急ぐ私なぜなら今朝から夫の様子がおかしかったからだ何を言っても上の空それはほぼいつもどおりなのだけど午前中から連絡がとれないお昼にも、3時の休憩にも連絡をするもののいっこうに返信がこない(おかしい)LINEの既読もつかないまま私は終業時間を迎え帰路についていた「今日は金曜ロードショーで平成
前回の続きですが、長女姉の話を聞いて私は昔レストランで目にした夫婦のことを話しました。もう何十年も前の話です。とあるスキーリゾートで夕食に出かけたレストランで、視界に入った中年カップル。多分に夫婦と思われ。旦那さんはスラリとした多分にハンサムな方に入るいでたち。そして向かいにいる女性は旦那さんよりは若いかもしれないけれど、肥満体でした。大きな丸々とした顔と身体で豹柄のワンピースだかコートだかを着用していたのを覚えています。驚いたのは、その旦那様の表情が「絶望」
こんにちはUMIで心の勉強修行中の、かほです。我が家に起きた不登校の経緯を、時系列で書いているシリーズ今日は14回目です。不登校の経緯①~不登校になる前~不登校の経緯②~不登校の前兆~不登校の経緯③~学校に行けなくなった日~不登校の経緯④~無理やり登校させる~不登校の経緯⑤~スクールソーシャルワーカーに会う~不登校の経緯⑥~娘の目に恐怖の色をみる~不登校の経緯⑦~人生のどん底期~不登校の経緯⑧~情緒不安定からの一斉休校~不登校の経緯⑨~娘、荒
しばらく更新できず申し訳ありませんでした今は3回目のがんセンター受診も終えたところです今回の内容は初めてがんセンターを受診して起こった事の続きです初めてのがんセンターはとにかく待った2回診察室に入ったのですがどちらも3時間以上待った血液検査で結果がすぐに出たものを聞くだけなのにでもその血液検査のせいで時間を要したそうです診察室には夫と一緒に入ったのですが、途中で旦那さんちょっと外に出てて下さいと言われ私1人になったところで最近輸血した?いいえHIVが陽性なんだよね何のこ
ずっと鬱状態。毎日が辛かった昨日は検査結果を聞きに🐢さん病院へ行ってきました。天気悪すぎて気分もガタ落ち診察室に入るとCT画像に印が丸い物体に印がついていました。ああ、やっぱりもう足がガクガク泣きそうでした。左に何かあるなぁと思っていたところ今回はちゃんと見えていました。2cmくらいの丸い物体まだ再発とは確定できない。前回と大きさ変わらないし、術後によくあるリンパが膨らんで見えてるのではないかと。先生、次回のMRIはここを念入りに見るようにオーダー出していましたそれ見る
人生の坂…上り坂、下り坂、まさか(ま坂)…その、まさか…が、今回の乳がん宣告人生の経験する、まさか、だとしたら、違う、まさかが、良かったな~、と思ってしまいます💧乳がんとわかり、『なんで、私が…乳がん』『まだ、40才…人生の折り返しにも来ていないでありろう私が、なんで、今、乳がん…』『なにも悪いことしていないし、人生真面目に一生懸命生きてきたのになぁ…』『パパとの楽しい老後は?孫の子守りをしたかったのに…』などと、嘆いても仕方がないようなことを、考えてしまいます気持ちの浮き沈みが激しいだけ
─────────────────────>>最初から読む『その時、は突然やってきた「日常が崩れた日」(あと615日)』“その日”私は仕事から帰ろうと足早に帰路についていました少し日暮れの早くなったある秋の夕方ちょうど肌寒くなってきたころ少しでも早く家に帰ろうと駅からの道のりを…ameblo.jp─────────────────────「おはよう!」その日も彼は元気に仕事に行った職場でも挨拶が評判らしく「俺は元気だけが取り柄だから!w」そんなことをいつも言っている
●初めての方へ内容がわからなくなってしまうと思いますので、できるだけはじめのお話から読んでいただけると嬉しいです。▼はじめのお話▼『その時、は突然やってきた「日常が崩れた日」(あと615日)』“その日”私は仕事から帰ろうと足早に帰路についていました少し日暮れの早くなったある秋の夕方ちょうど肌寒くなってきたころ少しでも早く家に帰ろうと駅からの道のりを…ameblo.jp─────────────────────▼前回の話はこっち▼『25,
●初めての方へ内容がわからなくなってしまうと思いますので、できるだけはじめのお話から読んでいただけると嬉しいです。▼はじめのお話▼『その時、は突然やってきた「日常が崩れた日」(あと615日)』“その日”私は仕事から帰ろうと足早に帰路についていました少し日暮れの早くなったある秋の夕方ちょうど肌寒くなってきたころ少しでも早く家に帰ろうと駅からの道のりを…ameblo.jp─────────────────────▼前回の話はこっち▼
今日は訪問看護の日でした😃まだ始めたばかりなので緊張しています💦人見知りなので、病院の心理士さんとお話しする事に慣れるのも3年くらいかかりましただから自然な感じでお話するのも時間かかるかなぁそしてアイドル時代から好きだった菅井友香さん(ゆっかー)の写真が届きましたファンミーティングで好評だった為、オンライン販売したみたいです。私もゆっかーに会いたかったどの写真も可愛くて決めるの難しかったよ〜
もうないかと思ったけど3月1日付けで異動になった半年会社を休んだし鬱状態からの復帰で発達障害見つかったしそら異動も仕方ないしかしショックだった私は仕事が出来なかった異動になっても当然だけど結局捨てられたので悲しかったもうこれ以上悲しい事が起きませんようにみんなに明日お菓子を配り餅入りモナカどうでもええか新部署にも少しお菓子を配る私にはこれぐらいの事しか出来ひんみんなに迷惑をかけた急に昼から帰ったもう仕事が出来る状況ではなかったとにかく辛かったな
絢水です❤︎🐝𓂃𓈒𓏸︎︎︎︎今日もblogを読んでもらえると思うと嬉しいです🤗ありがとうございます🤗今日もいいね!をありがとうございます🤗フォローしてしてくださった皆さん!ありがとうございます🤗ほんとに嬉しいです🤗こんにちは~~🎶ただ今、脂肪が燃焼中🔥感情が先、現実が後。はいItisAyamiwhoisdatinghimwithacarefreeTwinRay.Ehi,TwinRay,buongiorno!Comestai?Stai
昨日は、鬱で本当に辛かったです。鬱になると、何もできなくなってしまい、寝たきりになります。昨日も、せっかく息子が体育祭の代休でお休みだったのに、ソファーで寝て過ごす時間が多くて、申し訳なかったです。息子に、「ごめんね、体調、悪くなってしまって。」って、言ったら、息子、「大丈夫だよ。ちょっと寝た方がいいよ。何も考えなくていいよ。」って、言ってくれて、本当に優しい子だなって涙が出そうでした。トラゾドンやリスパダール、眠剤のエバミールとフルニトラゼパムを飲んで、ソファーで横になったら
こんばんは〜まだ希死念慮があるけど一日一日生きてます。タイトルの通り夜の過食に悩んでいます。飲んでる薬が食欲亢進されたり代謝が落ちるのでそのせいもあるのかな❓調子崩す前はしばらく過食が治まっていたので安心していたんだけれど。冬はスキーとか好きだし嫌いじゃないんだけど日照時間が短くなるので鬱になりやすくて冬になると調子崩してる感じです。今日はここまでにします。読んで下さりにありがとうございましたm(*__)m
乳がんの手術から一年が過ぎました。昨年は、小細胞肺がんの再発や転移にビクビクしながら、乳がんのホルモン療法の副作用にやられてしまった!の一年でした。乳がん術後2ヶ月後の5月〜ホルモン療法内服薬タモキシフェンと注射薬を併用して開始。副作用は身体に出るというより精神面に出てしまって辛くて参りました。主な症状として◎イライラする◎憂鬱◎鬱状態〇ホットフラッシュ〇目眩特に◎3つが酷くて、イライラはちょっとしたことでもイライラ…イライラ…して自身でも困りました職場で人の悪口ばか
夫の不倫発覚後二人目、三人目と不倫が発覚全員、証拠を取った探偵の費用今考えると、もったいないの一言精神状態はたぶん、鬱状態朝は子供の朝食やお弁当を作る送り出したら眠気がスゴいそのまま寝てしまう事もたびたび夫の会社の仕事などやる気にならない会社は休みがち友達とランチに行ったり呑みに行ったり映画観たり買い物したりとにかく気を紛らす証拠を取るまでは夫の前では普通にしていたでも一人で泣いていた車の中お風呂の中会社のトイレの中証拠も取れて、さあこれ
私のお友達にいつも前向きで会うたびに元気をくれる子がいるのですが先日、彼女とご飯に行きました。適応障害になって落ち込んでいる私をとても心配してくれてその日は庭に咲いている薔薇の花を集めて花束にして持たせてくれました。お部屋に薔薇の花を飾り少し癒された気分で数日間過ごしていると彼女からメールが来ました。彼女はエクササイズ系のスタジオを運営していて何回かレッスンに参加したことがあるのですが今回のお誘いはスタジオのインフルアンサー的な感じでレッスン内容を投稿してみない?
今日は私自身のことを書こう。双極性障害の私。前にも書いたように、今は下向きが続いている‥。何もやる気が出ない。やることができない。あれもしなきゃ、これもしなきゃ、とやらないとと頭の中で焦るだけで身体は動かない。昨夜は大学生の息子が晩ごはんを作ってくれた。食材の買い出しは、娘が仕事帰りに買ってきてくれる。私は‥辛うじて洗濯の干し入れくらいだ。(これもかなり億劫に感じている)甘えなのか?甘えだと思われても仕方ない‥目に見えないこの病気は、同感し合うことも難しい。私には自
最近起き上がれる時間がどんどん少なくなって来ている。横になってても痛いんだけど…。でも横になってても何もやることないしつまらない。スマホも熱くなるからあまり使えないし。。。早く死にたいというのは本音です。スマホからブログ書けたらいいのに…。今度練習します。
─────────────────────>>最初の話から読む『その時、は突然やってきた「日常が崩れた日」(あと615日)』“その日”私は仕事から帰ろうと足早に帰路についていました少し日暮れの早くなったある秋の夕方ちょうど肌寒くなってきたころ少しでも早く家に帰ろうと駅からの道のりを…ameblo.jp※ノンフィクション─────────────────────前回のお話はこっち『5,無くなる会話とヘビースモーカー(あと446日)』──────────────────
彼の休みを使って、信州の旅へ行って来た。目的は、善光寺・・・かつて住んでいた街の寺院当時、私たちは死産したBabyの法要を依頼した観音様の縁日18日は大僧正の出仕日で個別供養ができるB氏が探して予約した当時最初にやってきたBabyは、12週になる前に流産してしまったエコーしか残っていない。ショックだったけど、これも縁かも?とまだ何とか持ち堪えた供養をどうしようかと立ち直った矢先今度は双子ちゃんがやって来た・・・3ヶ月が過ぎ、順調に育っていたけどもうす
◎8月18日(金曜)(VAC67日目)先日「一年前の今日」のブログを書いた。その辺りから、ずっとメンタルが何かダメだ。去年のお盆前に転移が分かって、そこから転院し入院して抗がん剤が開始になるまで怒涛の日々だったけど、その時何日に何してたかを今でもはっきりと思い出せる。この時期が私のターニングポイントだったから、色々と思い返してしまう。泉ピン子が「人生心残りはもうない。」と言ってる記事を見た。そんなコト言える人生がうらやましいよ。私は子供達の事を考えると、心残りだらけだ。次男は
他の方(サレ側)のブログを読むと、配偶者の不倫が発覚した時、誰かに相談できた人と相談できなかった人がいる。自分は相談できなかった方だろう。いや、最初は相談できなかったけど、後になって相談した、かな。ただ、相談したことが正しかったかどうかは分からない。妻の不倫が発覚した当初、私はそんな事を誰かに相談するなんて考えられなかった。職業柄、周囲に知られることに抵抗があった。自分の親には相談する気はなかった。友達に相談しようか悩んだが、結局できなかった。誰にも相談できず、一人で悩み苦しんだ
あれは3年前の春の事。もう少し痩せたいと思い、炭水化物制限ダイエットを始めてしまいました。秋には身長157センチの私が、38キロ程の体重に。その頃の写真を見ると情けないったらありゃしない。痩せこけてるし、老けてるし、顔色も悪い。覇気がないのですよ。体力も落ちましたしね。脂肪だけで無く、大事な筋肉も落としてしまったのです。元が食いしん坊で炭水化物が大好きなのに、頑固な所がある私は頑張り過ぎてしまったのです。炭水化物を含む三大栄養素をバランスよく摂る方が賢明だと思い知らされる記事に運
鬱病……私は鬱病の経験があります。ですが、、私は若い頃から「鬱病」って、精神病…自分が弱いだけだろ?なんとでもなるでしょ?そんなの病気じゃない!……そう思っていました。前妻との離婚調停中、私は精神的に乱れていたのです。自分ではわかっていない…「自分も悪い部分があった」…「あの女はヒドイ!」…「子供に会いたい」…頭の中でこんな感じでグルグル回ってるんです。私の表情と態度は、一日の中で違っていたようです。自分を攻撃…俺が悪い周りの人を攻撃…あいつが悪い!俺は悪くない!……