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モラ夫とふたりで食事をしていても、「今お父さんひとりでごはん食べてるんだろうな〜」「可哀想だから、一緒に食べに行こうか?」と私の罪悪感を募らせて、一緒に食事をとるように仕向けてきました。やっと同居から逃げたのに、ずっと私は縛られている感じがしました。私は、モラ夫家に嫁に入るために、結婚したのか。モラ夫家に尽くすために、結婚したのか。当時の結婚生活は、私の思い描く結婚生活とは程遠いものでした。モラ夫と協力して、ふたりで、新しい家庭を築いていきたかった。モラ夫家+
*・゜゜・*:.。.。.:*・゜*・゜゜・*:.。.。.:*・゜゜・*:.。.*・゜゜・*:.。.。.:*・゜*・゜゜・*:.。.。.:*・゜゜・オ・ヨンソに非難コメントが殺到、アン・ジェヒョンが直接謝罪まで◎ク・ヘソンがアン・ジェヒョンとの離婚の理由について「浮気のせい」と現在出演中の「ドラマ女優」との恋愛説を主張した中で、ク・ヘソンの暴露によりオ・ヨンソのSNSには非難のコメントが書き込まれ続いている。ク・ヘソンの暴露により、火の粉が飛び移ったもの。去る4日午前、ディスパ
家庭裁判所での離婚調停が決裂し、帰ろうとしていた私に男性の調停員さんと女性の調停員さんお二人が「いや~、あの人本当にダメですね」「まともな話が一切通用しないんですから裁判で戦うしかないです」「サッサと訴訟を起こした方がいいですよ」と笑いながら話しかけてきました。きっと「長年調停員をやっているけどあんなアホ見たことない」と思ったんでしょう。笑そして最後に「あなた、本当に苦労しましたね」「でも絶対大丈夫ですから頑張ってください」と、優しい笑顔で私を励ましてくれ
モラ夫と私は学生時代から交際を始めたこともあり、共通の知人が、多くいます。モラ夫は外面がとても良くて、周りから私は、あんなにいい人いないよと言われていました。あの人逃したら、もうお前にかまってくれる男なんていないよと言ってくる男友達もいました。冗談か本気か知りませんが、当時の私はもちろん、間に受けました。私なんかに誰も、見向きもしないんだから。と自分に言い聞かせていました。でも、よくよく思い返してみれば、ありがたいことに、私に好意を寄せてくださっていた方もいた
妊娠検査薬で、陽性が出たときのことです。モラ夫は自分の車だけではなく、母親の車のローンまで支払っていました。私は、妊娠がわかったので、これから仕事を探すにも苦戦することは明らかでした。そして、生まれてきたら、子どもを育てていく必要があります。モラ夫の母親は、働いています。親の遺産もたんまりあると聞きました。義父の退職金だってあるはずです。つまり、支払い能力があります。対して私は、車を所有していません。(しかし、車がないと不便な地域でした)結婚のために退職し、妊娠し
日記が1週間前になりましたので、ここからは今まで通りに行きます。~~~~~~~~~~9月13日日曜日朝、6時前に目が覚める。早く起きたから、先に朝食食べよ。ニュースを見ながら、フルグラを食べる。何かを造る気にはなれなかった。それから、自室に戻ってネットを見たり。みんな、頑張ってるな。北海道に行けなかったの、悔しいけど仕方ない。みんな頑張れ。それから、仕事の準備をして部屋を出る。息子の部屋に子供達が居た。娘に呼び止められる。「お父さんお父さん!」朝
私は、基本的にずっと家にいました。妊婦健診などでバスに乗ると「バス代(200円以下)がもったいない」と言われます。しかしモラ夫は頻繁に飲み歩き、連絡もなしに、タクシーで朝帰り。友人との旅行三昧。ブランド物の衣服購入。ゴルフや釣りなどの娯楽。私に節約を迫るわりに、自らがお金を切り詰めて生活する様子は、一切ありませんでした。私が仕事を探すにも、妊娠中であるため、今後の働き方について夫婦で話し合いをしたかったのですが、モラ夫は、「共働きしないとお金がない」と言って
私は、実家近くの家にいても関係を強要されることに疲れ、早く賃貸物件を探そうとモラ夫に持ちかけました。モラ夫は、私が結婚式で当初の予定よりも大金を使ったから、という理由で(実際はモラ夫の見栄により額がかなり大きくなりました)、私の浪費だと責め続け、物件探しを拒み続けました。この当時、モラ夫は家計を明かしてくれなかったため、私はモラ夫にどれだけお金があるのかが、全く検討もつきませんでした。でも、節約を強いるわりには羽振がいい様子だったことや、結婚前に年収について聞いて
外食の翌日、21時頃から、夜中の3時頃まで口論になりました。「男は立てるべきだ」「俺は長男なんだ」「俺が一言ったら、十を理解しろ」「言葉の裏の意味くらい読め」「知り合いから、ふふむはワガママだと言われた」「ふふむは、人をイライラさせる天才だよな」「もう、実家帰れば?」夜中まで、責められ続けました。私も、泣きながら闘いました。息が、苦しかったです。そして、心も。モラ夫は、話の軸ではない部分に執着し、揚げ足取りをするなどして、話を進ませてくれません。それなのに、
ある日、モラ夫から、クレジットカードを渡されました。憧れていた、家族カードでした。「できるだけ、これ使うようにして」ポイントなどを貯めるため、現金ではなくクレジットカードを使うように言われました。憧れだった家族カードをもらい、嬉しいはずだった私。でも、そんなことを言われても、使って良い目安の金額もわかりません。毎月何十万と請求がきていることは知っていました。でも、あの給与明細の給与が事実だとしたら、どこから支払っているのか・・・疑問や不安が入り混じった気持ちでし
友人が帰った後、モラ夫と私は口論になりました。「ふふむ(私)は、ワガママすぎる」「俺は核家族なんか好きじゃないんだ!」「◯◯(モラ夫の出身都道府県)では長男が実家に戻るものだ」「(この地域では長男が家に戻るのかどうか)その辺の人に聞いてみろ!」「ふふむは、我慢ができてなさすぎる」これが、モラ夫の主張です。じゃあ、「俺は◯◯(地域名)に住む長男だから、親と同居するのが当然だよ。それができないワガママな嫁なんていらないよ。」って結婚前に言ってほしかった。と、今となって
10月13日火曜日朝、遅めに目覚めた。ちょっと、昨夜遅すぎたかな。。。準備して一階へ。娘はもう学校へ行っていた。息子は超寝起きの顔。もそもそと朝食を食べている。僕も朝食。。。牛乳切らしてるの忘れてた。フルグラは食べれない。と言うか、フルグラがスゲー減ってる。巨大ネズミが居るな(笑パン一枚を焼いて食べて、仕事へ出た。新しいオフィス。まだなんとなく落ち着かない。出勤ログして、午前中はオフィスの整理。お昼は用事の為に外にでた。そのままついでに、昨日行ったラーメン屋へ再
10月10日土曜日朝、10時少し前に目が覚めた。何度寝したんだろ?スッキリ。息子は部活って言ってたな。一階に降りて、朝食を食べる。Mさんは寝てるな。少しテレビを見て、それから自室へ。日記書いたり、色々書き物が多い。少し自分の事をする。お昼少し前、一階から娘や息子の声が聞こえる。あ、息子帰ってきたかな。。。と、降りて見ると。。。息子、パジャマだったwこっちを見て、「えへっ」と言う。『まさかの。。。』と言うと「やっちゃった♪」まぁ良いんじゃない(笑子供達は
9月25日金曜日朝起きる。6時に目覚ましを消してる。安定の二度寝。気がつけば7時を回っていた。仕事着に着替え、一階に降りる。息子が朝食中だった。朝食を食べようとフルグラを出すと、Mさんが「牛乳無いんじゃ無いですか?」とか言う。イチイチチェックしてるのか。『昨日買ってきましたけど。』と答える。小さいな、この人。それが、なんだか息子の気分を害したらしい。僕が食べてると、「音ならして食べたり、肘ついて。人には言うくせに。」と突っかかってくる。『そう言うの、気
私は、これまでの人生、我慢強いと言われてきました。でも、モラ夫だけは、認めてくれませんでした。モラハラって、なんとも表現しづらいことで責められたり、話をすり替えられたりするので、友達に愚痴を言いたくても、「あれ?そもそもケンカの原因ってなんだったんだっけ?」となることもしばしば。思い出して友達に話すことができても、「え、そんなことで?」「私なんてこんなことがあってさ…」となることもあります。「こうしたらいいんじゃない?」と、それらしいアドバイスをもらうことも。相
モラ夫は、いろんな観光地に、友人たちと行っていました。帰ってくると、機嫌良く写真を見せてくれます。その観光地らしい服を買ったり、着物をレンタルしたり、女の子たちと楽しそうに写真に映るモラ夫。女の子が、可愛い服着て写真を撮っているのは、素敵だなあと思う反面、あなたのそのコスプレ、需要ないけど。ていうか、女の子たち、内心、この写真にモラ夫入れたくなかったんじゃないかな?(苦笑)というぐらい、不自然です。モラ夫が入ることで、映えない写真の出来上がり。他の男性陣
暴言を吐かれ続けていた私。無気力で、自己肯定感のカケラもなかった私。未来を見ようとしても、そこは真っ暗で。どこが前か、わからなかった。だから、前に進めなかった。ただ、暗闇でもがき苦しむ中で、私が唯一力を振り絞ったのは、スマホのメモに、モラ夫の暴言を書き記したこと。書き残せば、またメモを見たとき、辛くなる。書き残す気力も、ほとんどない。でも、何となく、直感的に。忘れてはいけないと思った。かけられた言葉。傷ついた心。うつになると、記憶力にも影響が出ると知ったのも
8月30日日曜日朝5時半に目が覚める。昨夜は久しぶりに酒を飲まなかったからか、目覚めが良い。Mさんはまだ帰ってないな。PCを立ち上げて、メールチェックして、書いたり。6時を回ると、Mさんが帰って来た。娘も起きて、一階に行った。しばらく自室で過ごす。息子も起きたみたい。8時少し前、一階に降りて朝食にした。フルグラを食べる。子供達も丁度朝食だった。食べ終わったあと、居間で少しテレビを見る。と言うか、ドキュメンタリーや映画、今後どんなのがあるか番組表を眺めて、面白そうなもの
9月29日火曜日朝、起きれない。布団が気持ちよすぎる。。。7時を回ってから目が覚める。ヤバいヤバい。準備して着替えて一階に降りる。息子はまだ居た。お話ししながら、朝食。フルグラを食べる。それから、出勤。バイクで行こう。職場について、準備して、それから出勤ログ。通常業務。。。とワークスペースに行くと、誰も居ない。。。あら?少ししてから思い出す。そうか、後期の行程に入ったから、スケジュールが変わったんだっけ。忘れてた(笑今日はワークスペースでの仕事は午後からだ。
私は嫁として、義父母の機嫌をとる役割だったようです。私が出かける必要がある際には、公共交通機関を使って行こうとしていましたが、モラ夫からは、義父母に送迎してもらうように言われました。実の親でもないのに、気軽に「迎えに来て」なんて、連絡できるほどの仲ではありません。公共交通機関を使う方が、よっぽど気楽でしたが、モラ夫は嫁を使って義父母の機嫌をとりたいため、結局毎回、義父母に送迎してもらっていました。私のことなのに、私の意思は関係ありません。放っておいてほしかったです
妊娠検査薬で陽性を確認した日の翌日、産婦人科へ行き、妊娠が判明しました。私のお腹に、子どもがいる。私は、母親になる。そう思ったら、やっぱり家計をそのままにしておくわけにはいかない、と思いました。月々の収支を明らかにして、豪遊するモラ夫は、お小遣い制にするなど、対処する必要があると。そして、私はモラ夫が実家近くに買った中古物件のローン、モラ夫の車のローン、義母の車のローンに不満を持っていたため、お小遣いの中から払ってくれれば、私も納得できると思いました。我ながらナイ
思いもよらぬ義理の両親との同居は、トータル1〜2ヶ月程度だったと思います。そんなもんかと思われるかもしれません。でも、私にとっては苦行でしかなかったです。心の準備ができてなかったというのもあるかもしれません。縁もゆかりもない土地で、頼る人、相談する人がいなかったのもあると思います。結婚に伴う引越しのため、退職もしていました。モラ夫とは遠距離恋愛で、私が引越しをしたので、私の友達はみんな、他県にいました。モラ夫の身内以外の人に話ができないのは、とにかく孤独で
調停不成立から半年以内に訴訟をおこさないと、もう一度、調停をやり直すようにと裁判所からいわれるらしくその半年をむかえようとしていました。弁護士さんからそろそろ訴訟をしないとまた調停からやり直すことになります。というメールが届きました。メールのやりとりで訴訟のお願いはしていましたが、契約書のやりとりはまだしていませんでした。夫の性格を考えると裁判であっても誰かに決められることが許せないそう考えるでしょう。難癖をつけて長引かせる可能性が高いのではないか子供の受験と重なってしま
判決日からひと月半ほど経った頃に、弁護士さんから電話があった。財産分与の支払いが確認できないので、強制執行するかどうかの確認だった。そもそも、離婚届が出されたのかどうかについての連絡は来ていなかった。私の方から確認しなかったのも悪かったが、てっきり、「相手方が離婚届を出しました」というような連絡をくれるものだと思い込んでいた。聞けば、約1ヶ月前には判決が確定していたのだという。相手方からの上告はなかったということだ。離婚届が出されたのかどうかについては、何も情報はなく、私が自
9月26日土曜日朝、6時に起きる。目覚めが良かったので、そのまま起きる。Mさんが夜勤から帰ってきた。ご苦労様。今日は仕事に行ってもやること無いから、休んでも良いんだけど。。。いいや、仕事に行こ。しばらく部屋で過ごした後、準備して一階へ。朝食を取り、テレビで天気予報を見ていたら、Mさんと息子が降りてきた。僕も、仕事に出た。出勤ログしてから、オフィスに戻る。ちょっと仕事で必要な物を職場に用意して欲しいので、要望書を書いて、書類整理したり。そんな感じで、午前中を過ごす。
先日、2回目期日を終えました。うちの弁護士の肌感覚として、相手方弁護士は、家事事件の知識がないそんな相手なので、話が噛み合わない所が多々あったそうです。裁判官子どもたちが父母両者と円満・良好な関係だったとしても、離婚するならばどちらかに親権者を決めないといけない。相手方円満・良好だから、離婚事由がない。裁判官だから離婚事由と親権は別。離婚訴訟なので、すべての争点を整理して尋問しないといけない。という感じ前回もこのように、とぼけるようなやり取りがあり、裁判官から注意が入りまし
モラ夫と不動産屋さんに行ったとき、実は、実際に内覧することができるお部屋が、ありませんでした。私はそのとき見れなかったお部屋を見に行くように、モラ夫に言われました。モラ夫は、仕事です。今となっては、モラ夫が休みの日に、一緒に行けばいいのに。と、思いますが、モラ夫は不動産屋さんの口車にでも乗せられたのでしょう。私はひとりで内覧に行くことになりました。見せてもらったお部屋は、1室だけでした。他のお家も、外観を見せてもらったりはしたけれど、実際にお部屋の中を見ら
私は、モラ夫の散財具合が疑問で仕方ありませんでした。どこにお金があるのか。じゃあ、あの給与明細は?混乱していました。全貌を明かしてほしかったです。しかし、モラ夫が家計を明かしてくれないことには、私は知りようがありません。ある日、モラ夫が、モラ夫名義の通帳を一冊、手渡してきました。「これ、管理して」「ここに給与が振り込まれるから」と。やっと、やっと私が管理できる・・・!モラ夫にも、私の気持ちが伝わって、モラ夫なりに夫として、父親としての自覚が芽生え始めたんだ、と思
モラ夫からの当たりは日に日に強くなり、モラ夫は、私が傷つく言葉をあえて選んでいるようでした。「顔も見たくないし、声も聞きたくない」「人生の邪魔でしかないんだけど、なんでここにいるわけ?」モラ夫は、妊娠中の私が息苦しいほど泣いている中、心無い言葉をかけてきます。共に歩んでいこうと結婚した相手から、人生の邪魔だと言われ、存在を否定された私は、ひどく傷つきました。これほど言われてまで、ここにいる理由はないと、思いました。家出をしたいと、思いました。ですが私には、気力
8月25日火曜日朝、起きる。寝坊した。目覚ましを止めた記憶が無い。7時半だった。直ぐに着替えて、荷物をまとめ、歯みがきをして家を出た。もう朝食は食べなかった。どうせ戻すしね。職場に到着する。と言っても、始業開始の30分前。それから前準備して、出勤ログ。あとは通常業務。お昼は安定のカップラ生活に戻る。結局おひとり様炊飯器を買おうと思ってたけど、電子レンジの方が汎用性が高いのでは無いかと言う意見を貰い、悩んだまま夏季休暇に突入した。確かに、レンジは米も炊けるし、冷凍