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再生医療を終えた後,今度は中国鍼灸も受けた。都内某所にあり,ホームページにALSにも効果があると書いてあった。当然どこまで効くか分からないが藁をも掴む思いであった。ここも妻が探してきた。「たく、ここ調べて」私は直ぐに電話した。予約は思いのほか簡単に取れ3月中旬に受診。都内まで車で都心と言うこともあり駐車場料金がバカ高い最大料金が設定されてて2時間停めても3000円位取られる…仕方ないか…受診し先生から発症してから2年くらい?って言われたけど,まだ1年経ってませんて答えた。妻の現状は私の腕を
心臓血管内科受診後、婦人科外来へ。先週までの検査結果が出ているようで、おそらくそれに関しての詳しい説明があるであろうとドキドキ思いの外、検査が長引いた為、見込みでの予約時間とはいえ、予定よりも1時間以上遅れてしまった外来医長S先生のアナウンスコールがかかり、指定された診察室へ入り、先ずは予定より遥かに遅くなったことへのお詫びを申し上げる。それに対し、👩🏻⚕️検査なので、全く気になさらないで下さい☺️どこまでもお優しい🥰先週までの検査結果を記した説明書を渡された。それに基づき
*子宮頸がん闘病ブログはじめました。自分自身の記録の為に。。。.....いつも思う家族の有難さ。主人娘両親弟夫婦には感謝しかありません。感謝と共に病気になってしまい申し訳ない気持ちでいっぱい。そして今までの手術や治療時に親身に関わってくれた知人友人達にも。改めて感謝します。本当にありがとう。......子宮頸がん現在までの流れ2010年子宮頸癌ステージ1b期当時42歳S大学国◯医◯センターにて2月広汎
こんにちは☔️ジムチョウです毎日長々と書いておりますが、今日もジムチョウ闘病日記にお付き合い下さい🙏子宮全摘手術を受ける事が決まってから早3ヶ月。毎日レミルナ💊を服用しているため、出血🩸が完全に止まっています✨あまりにも体調が良いので「もしかして治っちゃった?」と勘違いしてしまいます(全く治っておりません)明日から入院そして手術が待っているそう思うと急に不安が押し寄せてきました何かに取り憑かれたように👻腹腔鏡で子宮筋腫の手術を受けた方のブログを読み漁り、怖い内容を見つけて読
前日はほとんど寝れなかった。。妻もそうだろう。。これからどうなっちゃうんだ。。不安しかない。。車を運転しながら、そんなことばかり考えながら、病院の駐車場へ。平静を装いながら、妻の待つ病室へ行った。なんて声をかけたかは覚えてない。荷物をまとめていたところ、担当の看護士がやってきて難病の手続き等、今後の対応を説明された。心の中では、難病の手続きってことはALS確定ってことかよ!と思いながら、ほとんど看護士の説明なんて聞いちゃいない。その資料読むから、さっさか出て行ってくれないかなと思いな
こんにちは☁️ジムチョウですジムチョウ闘病日記もいよいよ入院まで進みました✨今日も宜しくお願いします🤲さぁいよいよ入院です。入院期間は7日間の予定。14:00までに病院に来て下さい🙏とのことなので友人が病院まで送ってくれました🚗✨異常にハイテンションのジムチョウ✨7日間の入院予定ですが、バック1個なんて荷物が少ないでしょ?🤣もともと旅行時に荷物が少ないジムチョウですが、今回は病院レンタル品をフルに活用したので、バック1個で収まりました病院はコロナ感染防止のため面会禁止でした。
今朝書いたブログのつづき。結局紹介された気管系の病院でも分からなかった。。今思えば、来年1月に予約している大学病院を生真面目に1月まで待ってないでさっさと行けば良かった。。それだけ私には妻の病気に対しまだ何とかなると思っていたのかも。。結局はALSと診断されれば、早いも遅いもないのだが。容態はさらに咳込が激しく、言葉も筆談となってしまった。今度は妻の勤めていた病院に、ほかの気管支系の大学病院を紹介してもらった。今までの経緯を説明した。先生曰く、気管をカメラで確認したし、おそらく気管
3月も下旬に差し掛かり妻の歩行がだいぶ弱々しくなってきた。このころリハビリと称していた散歩も出来なくなり、外出は車椅子を使っていた。家ではなんとか壁伝いで移動は出来ていた。そんな状態だが頑張って鍼治療は通っていた。当日は首から下半身からの鍼治療。診療室へ入った妻からしばらくして、うーんうーんと訴えてるような声が聞こえた。待合室で待っていた私に、助手の人が奥さんが呼んでますって言ってきた。治療を受けていた妻へ声をかけると、メモパッドに「心臓がバクバクするから止めたい」とパッドを差し出した。エ
今年1月に退院した直後は、細かくしたおかずを何とか食べていたが、それから徐々に嚥下能力も落ちていき3月ぐらいからレトルトの介護食が主だった。私が出社しているときは必ずLINEで、これ食べたよと写真を添えて送ってくれた。今日はこんなに食べてくれたんだと安堵しながらLINEを見ていた記憶がある。時々むせこみながら、必死に食べていた。妻が言っていたことを思い出す、「食べるのも命がけ」って。何度か誤嚥して苦しんだことあったな。。私は背中をさすることしかできなかったな。。そんな時は、空腹でも食事を
日曜久しぶりに床屋に行った。何ヵ月ぶりだろう❓️3、4ヶ月ぶりに行ってきた。全く行ける状態じゃなかったし…この床屋は私と同い年夫婦がやっている。お世話になって30年近く❓️かな。若い頃の多かった髪の本数と今のめっきり少なくなった本数よく知っている夫婦だね最近は2代目息子も一緒にやっている。妻も顔剃りでお世話になってました。当然妻の病気も知っていたし、闘病中も知っていた。亡くなった時は葬式屋の冷暗所まで来て,顔を見に来てくれた…昔は我々夫婦同士で呑みにも行った。そんな間柄なので
今日,年下のボスと面談があった。来期なんですが、プロジェクトの担当としてグループ長をしていただきたいのですが如何ですかとの内容。実は3年前もグループ長を拝命され激務のため外れた経緯があった。会社もその辺は分かっているんだが、私の今の立ち位置を見れば仕方ないとも言える…奥さんのこともあるからその後どうですか?とボス。私の今のメンタルの落ち込みを正直に話した。果たして業務に耐えられるかどうか,こればっかりは何とも言えない…そうですか、今度一杯行きましょう。とボス。何だか軽いなって感じだ
妻の形見は妻がしていた腕時計…初めは妻の結婚指輪にしようか悩んだ。だが私が持ってしまうと天国に行った妻が出来ない。そう思って,お骨と一緒に妻の結婚指輪を入れた。天国に行っても指輪してね。当然私も指輪は外さない。これで妻とつながっている。妻が旅だった後,妻がしていた腕時計がトレイにずっと置きっぱなし…これを形見にして,はめようと思った。自動巻きのロレックスエクスプローラ。実は元々私の物だったが結婚当初にあげたものだ。まさか戻って来るとは…1日付けてて,なぜか半日置いて止まってし
病院内の一般外来食堂で昼食を済ませ、婦人科外来に戻ったのがちょうど午後2時頃。暫くして名前が呼ばれ、指定された診察室に入ると、今度はまた別の女医で、外来医長のS先生。血液検査の結果をプリントアウトされた用紙を見せられながら、引っかかった数値があるという。引っかかったとしたら、それは貧血だと思っていた。何かで検査をすると、必ず基準値よりLowになる項目がそこだったから…ところが、貧血は見事に改善されていて見事に基準値内(おそらくノニジュース摂取効果か🙌🏻)であった。引っかかったのは…ま
こんにちは今回は右心カテーテル検査の不安と体験談というテーマで書いていきますカテーテル検査の流れも書いてあるので読むのがつらい方はスルーしてください医学的なことは分かりませんが少しでも多くの人に右心カテーテル検査とはどういうものなのか、安心して検査を受けるにはどうしたら良いかを伝えられたらと思い、書くことにしました最後まで読んでもらえるとうれしいです右心カテーテル検査の不安肺高血圧症と確定診断を受けるためには「右心カテーテル検査」を受ける必要がありますまた、肺高血圧症と診
妻の進行は思っていた以上早かった…1月にalsと診断され,6月にはほぼ寝たきり状態…ケアマネさん始め看護師さんたちも一生懸命対応していたが対策が追いつかない…障がい者手帳ももらってなかったしね…苦渋の決断で取りあえず小規模多機能型居宅介護施設にお世話になることにした。本当はデイサービスで夜は私が介助しようとしたが腰痛が酷く月曜から金曜まで泊まりでお世話になることにした。本当に妻には申し訳ない気持ちでいっぱいだった…ただここは看護師が夜は不在になることなので,ここはあくまでも繋ぎの施設で
初めまして。先日最愛の妻が進行性の難病「ALS」で旅立ちました。。。正直まだ受け入れることが出来ません。毎日が苦しく、涙が出ます。ALSとは筋萎縮性側索硬化症が正式な病名、全身の筋肉が動かなくなり最後は呼吸筋も動かなくなり、死に至るそれは苦しくひどい病気です。間近で見ていて、妻がどんどん日増しに身体が動かなくなるのを見ているのが辛かった。でも私以上に辛かったのは妻です。「頑張ったね」って言いたい。「もう苦しむことはないからね」って言いたい。妻が患わなかったら、正直ALS
こんにちは早くも2つ目のブログを書きます昨日投稿した私の病気「肺動脈肺高血圧症」のお話読んでくださった方ありがとうございました今日投稿するのは「闘病のはじまりと副作用との戦い」どんな闘病生活を送っているか薬のこと副作用のこと副作用との付き合い方などなど発見したことも踏まえて書いていきたいと思います闘病生活のはじまり「肺動脈性肺高血圧症」と診断された翌日からさっそく治療が始まりましたまずは飲み薬の治療になりますオプスミット(10mg)というお薬を1錠朝食後飲むよ
妻が退院してすぐに妻からこのクリニックの再生医療を受診したいと言って来た(もちろん筆談だが)。調べたら都内某所。自宅から車で1時間ぐらいなのでそんなに遠くはない。妻からLINEで予約した。今更思うんだが、すでに妻は事前にこういった所を調べていたんだなと。。私はただ悲しんでいただけ。。難しい説明はできないが、再生医療とは元気な細胞を患者に戻してあげて、侵されている細胞を再生し進行を抑制する可能性があるとのこと。もちろん自由診療。もしかして効き目があれば妻も元気になれるかもって、少し気が
妻が旅立って1か月が経ちました。あっという間だったのかな。。毎日涙枯れることなく泣いている。。苦しいし辛い。そう言えば、闘病の記憶が歩けなくなった6月から旅立つまでの1か月半は鮮明に覚えているけど、それ以前の記憶が曖昧。。胃ろうまでのブログは書いているけど、その後の記憶があまり覚えていない。なんなんだろう。。でも妻が闘病した記憶はちゃんと書かないと。。
はじめましてちょうど一年前に大腸癌ステージ4が発覚手術不可能で、抗がん剤治療に入り二ヶ月後には腸閉塞疑いアリで、急遽手術へ大腸癌braf600E遺伝子変異陽性、肝臓、肺、大動脈リンパ転移ステージ4確定となりbravf600E遺伝子変異陽性の為治験の治療へ約6ヶ月後、今年春には耐性ができその後、MSI-High検査で3%の確率での陽性が判明し現在キイトルーダー治療に入りました。これまで癌治療されているいろんな方々のブログを拝見してきましたが私の様な、種類の癌細胞も珍しく
6月8日に大学病院へ妻の定期健診があった。交通手段は、自家用車だが車いすからの移乗が大変。。玄関からスロープを設置し車へ移乗。車のシートへ移すが、妻の身体はほとんど自由が利かないので、私の力でやっと移す感じだ。。なんとか車へ移乗は出来たが、自家用車ではこれが最後であった。次回からは介護タクシーを頼んだ。大学病院へ到着。相変わらず待合室は混みあっていた。車いすで長時間の待ちはキツイ。。妻がモゾモゾしだす。。体勢を整えてあげて、肩、首回りをマッサージしてあげたり、背中を掻いてあ
2017年7月16日(月)夜中痰がイガイガ喉にくっついて呼吸をすることさえ苦しくなりました。喉の腫れで気道が圧迫されていたのです。去痰薬とかうがい薬とか何でもいいから出してくださいって看護師さんに言ったら医者がいないので朝まで待ってほしいと言われてしまい…呼吸が苦しいってこわいです。多分呼吸苦って1番死を連想しやすい気がするんです。私はこのまま喉がむくんで(咽頭浮腫)気管切開されたらどうしよう…そしたらもう喋れなくなっちゃうな…ってずっと考えていました。指に
お昼は帰らすに、デスクで昼食館内レストランの「中華雑炊」(職場まで出前してくれる)1年以上ぶり、これで午後からもがんばれる٩(•ᴗ•٩)体調は、昨日の点滴が効いて、今のところ大丈夫あと半日、もってくれ~ランキング参加中(*ˊᗜˋ*)♡↓↓↓ポチッとしてくれたら嬉しいな(*´꒳`*)にほんブログ村にほんブログ村gooブログも連載中↓↓↓カナの闘病日記-にほんブログ村腎癌、喘息、アレルギーと日々の生活について、徒然なるままに書き込みます(о´∀`о)bl
まずは簡単な自己紹介。僕:30代半ば。外回りの会社員。昨年末に急性骨髄性白血病になり入院治療開始。なんとか無事に終わったが、自宅療養の2ヶ月半で再発。現在抗がん剤治療中。彼女の作ったご飯、ジャンプ、インディーズから最新まで無類の音楽好き。良くいえばのんびりして穏やか、悪くいえば鈍臭い右脳派人間。彼女:40代(いろんなことは秘密)料理とエヴァとゴジラと仮面ライダー龍騎が大好き。愛犬を子供だと思っていて溺愛している。邦ロック大好き。良くいえば頭が切れる才女、悪くいえば口
昨日、妻が闘病中お世話になった訪問看護師の責任者の方が妻の仏前にお線香を上げに来た。私は仕事だったので母親が対応した。仕事から帰宅し仏壇の所に行くと、ユリの香りがした。仏壇に立派なお花が供えられてた。あ~そうか今日訪問看護師さんが来る予定だったな。そう思いながら妻の遺影を見ていたら,母親が起きてきた。今日訪問看護師さん来てくれたよ。泣いてお線香上げてくれたよ。それだけ言って自分の部屋へ戻って行った。そんな言葉を聞いた瞬間咽ぶ感じで泣いた…ありがとう訪看さん妻のために泣いてくれて
こんにちはご覧いただきありがとうございます今朝は5:00起床体調変わりないです土曜日日曜日畑の様子初めてのズッキーニが実をつけましたきゅうりもまだそんなに大きくなっていないのに早くも実が出来ています結果ぎ見えると俄然やる気が出ますね今日は朝から公園へ。そろそろ帰りたいですが、「帰らない」と子どもたち。楽しんでいます闘病日記MG~memorablegrwoth~MG①/MG②/MG③/MG④/MG⑤MG⑥/MG⑦/MG⑧/MG⑨/MG⑩MG⑪
なんだかなぁ…度々そう思う年数が経つとまわりからは悲しみも薄れ娘の話題も消えさり過去になるまわりも間もないどん底絶望にはとても関心を示す私自身もリアルな壮絶状況を語るよりフラッシュバックや後悔やいまの気持ちを語るばかり間もない頃は娘の病気についてや壮絶闘病を詳しく語ることは無理だった辛すぎて辿れなかった時間が経ち今更ながら娘の病気を調べたり診察時に担当医からもらったMRI画像とそれについて説明した用紙を閲覧したり少しずつだけど頭や心で思い浮かべ
『自己紹介』妻と私の異世界生活私会社員性格理系男子マイペースの草食大学脳科学系の研究大学院植物の遺伝子組み換えの研究妻派遣社員性格天真爛漫の天…ameblo.jp-発症から1年5ヶ月後-この頃の妻の調子は、幻聴を聴こうとする癖があり、ほぼ毎日、「10年以内にお前は死ぬ」「お前の料理のせいで旦那も死ぬ」「ネットで部屋やお風呂の様子を配信している」「旦那を好きな人がいっぱいいる」「別れて他の若い人に譲れ」と聴こえてくるようで、調子が悪い日は完全に信じ
胃ろうの手術が終わり、高齢の母親にも初めのころは自宅で胃ろうをやってもらっていた。ただし、やはり母親ではポンプの押し込みが力がないので苦労をしていて、これは無理だなと思い、訪問看護師さんに平日の朝昼お願いすることにした。私は、仕事が終わってから毎晩の胃ろう、土日の三食をすべて私が行った。だんだんとボディーブローのように効いてきたのが、マッサージ。。手が腱鞘炎になって来た。。妻の身体がALSによって気持ち悪くなってきて、頻繁にマッサージを要求してくる。この前、当時の妻のLINEを見
私のblogは娘の闘病日記です。避けては通れない終末期の様子も書いています。辛い症状があっても懸命に生きようとした娘の事を綴っています。★2023.02.03(金)・0時40分目が覚めてゼリー半分食べる・2時05分水を飲んでからゼリー半分とイチゴミルク🍓🥛を飲んだ。水を飲む時は、もうコップを持つ事が出来ない娘には、妹が探して買ってきてくれたペットボトルキャップが便利だった。ストロープッシュ式ペットボトルキャップペットボトルキャップ350ml500ml(ペット