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病院で来週の入院について話した後、長男を連れて帰宅する。私が夕食を作る。炊き込みご飯、けんちん汁、餃子、大根サラダ久しぶりに豊富なメニューになった。妻もよく食べた。長女は風邪を引いたようで、アイスと梨を食べた。私も自分の分を食べた。食後は、大学の先輩、妻の職場の人から励ましを受けた。たくさん泣く妻とても嬉しそうだった。先輩は、地元の神社に護摩木を出してくれた。先輩のお爺さんが病気で危なかった時、ここにお参りして治ったそうだ。嬉しかった。午後9時頃に子どもたちを寝かせて
再発から現在(今日で入院6日目)までのことをを書きます。退院してから自宅療養をしつつ外来通院をしていました。7月に診察して頂いた際、採血は問題はなく1ヶ月後の予約をし帰宅しました。8月の外来で採血の結果が前回や退院時よりも低かったので焦りました。ですが担当医から再発ではないと思うと言われ、その日は帰宅しました。あまりに血小板と白血球が低下しているので注意深く過ごすようしておりましたが、8月の診察日から1週間程経った頃、猛暑のせいか?体調のせいか?微熱があったので、
つい今しがた、ピアニストのフジコヘミングさんが亡くなられたと。しかも膵臓癌、私たちの同病者じゃないですか‼️お歳がお歳なだけに闘病というよりはスーッと去ったのかもしれない。ただ、フジコさんは若い時から苦労の連続。ストレスも相当だったのではないかと推し量れます。膵臓癌て選ばれし者の病気なのかもしれない、何かを成し遂げる、何かを成し遂げた、何かを目標に強い意思を持つこの辺りがキーワードのような。しかし、すごい贅沢な悩みを言います💦TS-1副作用の味覚異常がやばすぎて、舌先がピリピリしてます
今日で入院6日目です。再発がわかってから今日まで振り返るとこんなに経ってる?と、、この1週間弱いろんなことがあり過ぎて記憶が所々ありません。僕の入院生活、自分自身の生活、僕の家のこと、ご両親とのこと、私の家族とのこと、全てにおいて気持ちの整理も要領良くも出来ていない中での日々。正直、、、辛いです。新しい病院は以前とは違いバスや電車でのアクセスになるので、慣れるまでが大変で。初発の時もそうでしたが、再発時も白血病は待ったなしで生活が一変する病です。闘
今日は少し時間があるので、僕が今後受けるであろう骨髄移植のことや心境を書きます。僕は(私の彼)急性骨髄性白血病です。少し前まで5ヶ月間闘病生活をしていました。年末の慌しいある日、耳や足の指に湿疹のような赤いできものが出来全然治らないので皮膚科に行きました。そこで、しもやけと言われて、いろいろ聞こうとしても相手にされず薬をもらって帰宅しました。それでも改善せず赤かった部分が豆大福の豆のような黒くなってきたので違う病院へ行きました。そこでは親身に
昨日,一昨日と鬼滅の刃がテレビでやってた。そう言えば去年の今頃も鬼滅の刃がテレビでやってたな…妻の介護をしながら見ていたのを覚えている…内容的には中々面白いストーリーだがどうしても妻と私の闘病をダブってしまう…主人公の炭治郎(鬼滅隊)と不完全ながらも鬼になってしまった妹の禰豆子を守りながら鬼と闘うストーリー。漫画なんで禰豆子は人間に戻ることが出来た…でも我々夫婦は鬼というalsに勝てなかった…ごめんよ妻よ…治してあげられなくて…昨日のテレビ見ながら泣いてしまった…「残された人間
父が帰ったあと、妻と子どもたちはテレビを見て過し、九時過ぎに就寝した。夕食もそれぞれ食べられるものを食べた。妻も雑炊などを食べていた。妻は、今日痛み止めを使っていないが、体調が良いようで台所の洗い物等をこなした。長女は熱が引いてきたが、長男は40℃になったので、解熱剤を入れる。この2人の症状は風邪なのだろうか。妻のガンがわかってから、心配性になっている。わからないけど、私と妻の悲観する様子を見て、体調を崩したとか…明日は日曜で医者があいていないが、明後日まで熱が続けば別の医者に連
まずは簡単な自己紹介。僕:30代半ば。外回りの会社員。昨年末に急性骨髄性白血病になり入院治療開始。なんとか無事に終わったが、自宅療養の2ヶ月半で再発。現在抗がん剤治療中。彼女の作ったご飯、ジャンプ、インディーズから最新まで無類の音楽好き。良くいえばのんびりして穏やか、悪くいえば鈍臭い右脳派人間。彼女:40代(いろんなことは秘密)料理とエヴァとゴジラと仮面ライダー龍騎が大好き。愛犬を子供だと思っていて溺愛している。邦ロック大好き。良くいえば頭が切れる才女、悪くいえば口
私達はブログを始める際に、内容について嘘はつかないという約束をしました。なので取り繕う文章を書くのも自分の気持ちに反しているので正直に書きます。今日、色々あって、僕との考え方や気持ちのすれ違い、僕の両親への理解が出来ず、このところ心に限界を感じてはいたのですが、僕の適当な性格とご両親の勝手な考え、行動に嫌気を感じ文句を言ってしまいました。私たちは結婚はしていませんが、先々一緒に暮らしていこうと話してもいたので、その流れの中で起きる彼の病気に関してはずっと寄り添ってきました。
以下、スマホのカレンダーアプリに書いていたその日の日記です。朝になってさらに体調が悪い。熱を測ったら37.3度だったり37.6度だったり。明らかな発熱。としおさんが、待てない!と言って病院に電話してくれた。かかりつけ医は自宅から1時間半。自力では運転できないので、としおさんが仕事を休んで連れていってくれた。いつも急に仕事を休ませて、本当に申し訳ない。😭コロナ流行で、明らかな肺炎症状だったので、隔離されて診察。先生たちも防護服。テレビで見たやつだ、と単純に思った。先生は私の症状を診
〜本日までの簡易まとめ。8月8日(木)10時病院データもらい新病院へ。新病院にて担当してくれる先生と会う。入院が決まり検査(採血→心電図)夕方前部屋に移動。18時夕食完食19時半シャワー23時就寝8月9日(金)7時起床体調問題なし8時朝食完食採血の結果届く(白1450赤14,0血5,9)11時半シャワー点滴用針入れる12時昼食完食14時半抗がん剤開始(寛解導入療法始〜8/15まで)18時夕食完食19時胃がムカムカす
今日は夏?っていうほど暑くなりました夏物が売れてウハウハのカマルです←やらしい(笑)さて今日は治療のまとめ最終です。腹水の症状、調子が悪い時どんな風にしていたか、転院のタイミングなど書いていきますまず腹水の症状です個体差やお水の量によっても変わると思いますが楓の場合です。・食欲はあってエサを咥えるのに飲み込めなくなった・呼吸が辛そうになり肩で息をするようになったエサを飲み込めなくなったのも息が苦しくなったのも腹水が臓器を圧迫したせいです。・空腹時なのにお腹がポッコリ
今年1月に退院した直後は、細かくしたおかずを何とか食べていたが、それから徐々に嚥下能力も落ちていき3月ぐらいからレトルトの介護食が主だった。私が出社しているときは必ずLINEで、これ食べたよと写真を添えて送ってくれた。今日はこんなに食べてくれたんだと安堵しながらLINEを見ていた記憶がある。時々むせこみながら、必死に食べていた。妻が言っていたことを思い出す、「食べるのも命がけ」って。何度か誤嚥して苦しんだことあったな。。私は背中をさすることしかできなかったな。。そんな時は、空腹でも食事を
こんばんは。今日は、本当に暑い日でしたね。そんな中、先週の術後3ヶ月目のCT検査の結果を訊きに行って来ました。実は昨日の夜まで、すごく嫌だった。もう悶々とすることもありました。しかし!飲んでしまいました。日本酒を。それでもう、何となく勢いがついたというか、成るようになる。みたいな気分に。で、猛暑の今日の午後、行ってきました。でも、待ってるうちにやっぱり色々と…考えてしまう訳です。早く順番になれ!と心で叫んだりして。漸く順番。緊張しながら主治医の前へ。画像と診断結果報
こんにちはご覧いただきありがとうございます今朝は5:30起床体調変わりないです明後日コナンの映画を見に行く予定。その前に長男と夜更かしして、過去のコナンをたくさん見る予定だった昨晩ですが、次男寝かしつけの間に2人とも撃沈起きたら5:00過ぎでしたそこからダラダラ朝ごはんもゆっくり作り結局朝食は7:00前今からは長男ベイブレードの大会&体験会へ連れて行って来ます大きな予定がなくともなんだかんだ忙しい連休です夕方には畑の続き。昨日は少し
『再生医療②』妻の細胞を摂取し3週間が経過。培養がうまく行き、3月上旬クリニックへ。何億倍にされた妻の細胞を点滴として身体に戻す治療を行うためだ。点滴の時間は1時間ぐらい…ameblo.jp妻の身体は確実にALSによって弱ってきた。。ラジカットも行い、次に前回1回目再生医療を行ったときにもう1回分、妻の細胞がストックされているので、この細胞を使いもう一度治療をすることにした。妻も私も可能な限り、なんでも治療を受け、少しでも進行が遅れることを願ってのことだ。都内のクリニックへ
5月1日は会社の連中からゴルフを誘われた。迷ったんだが家で引きこもっても余計なこと思い出すので行くことにした。私のゴルフは飲み会みたいなもんなので昼のアルコールと二次会以降もゴルフは3年ぶりかな❓️コロナと妻の介護で行ってなかったからね。実力的には上手くないです100切ったことないです。付き合い程度で飲みがメイン何で当日は雨であいにくだったんですが,結果は105でハンデ入れて4位でしたニアピン賞も頂いて3年ぶりで練習もろくにしてないので出来すぎですね以前もろくに練習しないで同じよ
朝、採血。どうか、いい結果が出て、退院できますように。午後、医師から血液検査の結果の報告があった。結果からいうと、退院できなくなった。(;;)ショックで涙が出そうになるのを、グッと堪えた。今回の急性増悪の原因だった肺炎の症状は、ほぼ改善されたとのこと。今は、命が助かったことと。そして、あんなに真っ白だった肺が完全ではないにしろ良くなったこと。それだけでも、喜ばなきゃ!それだけでも、どんなにありがたいか。良かった!本当に良かった!今回、退院出来なくなった理由は
子宮体癌の宣告を受けた後、他の人が公開している、闘病日記とか、子宮全摘出のブログとかは見ないようにしていた。なぜかというと、こわいから。それに、わたしと同じ50代や40代で、子宮体癌とか、子宮頸がんとかの闘病のブログを見ると、それらのブログ主さんの記事の中には、必ずといっていいほど出てくるのは、ご主人や家族のこと。今の私には、優しい言葉をかけてくれる夫はいない。入院するときも退院するときも退院後もおひとりさま天国状態。身近な友達も、ここ2年ほど、縁がな
コロナはやっぱり陰性でした。朝大分県と福岡県の速報を見ていたので、陰性だったんだとは思っていました。(生死の境にいるというのに、寝たままスマホ操作は意外と楽勝でした。としおさんにLINEもしていましたし、病気のことを調べまくっていました。)それでも、医師から陰性と聞くまではちょっとドキドキしました。仕事が接客でモール内となると、もしも陽性なら確実に自分がクラスターになります。本当に!陰性で良かったー!先生が言うには、私の場合はコロナの方が軽症ですんでたのだそうです。それでも、みんな
妻が自宅闘病中に、何度か妻へ見舞い客が来た。はじめは3月下旬頃だったろうか?高校時代の友人が一人で雨の中わざわざ来てくれた。初めてということもあり、妻も喜んでいた。2回目、3回目と高校時代の友人、それから大学時代の友人と。ゴールデンウイークは勤めていた会社の友人。妻の顔を見ても楽しそうであった。筆談もスラスラと筆が進む感じだったみたいだ。以前妻が「たくは友達がいっぱいいていいな~」なんて昔言われたことがあったが、そんなことはない、妻の方がいっぱいいるよって、思った。。
朝6時の血糖値が68。再度採血しても68。低すぎるらしい。高いと糖尿病?高くないなら安心!と思っていたら、低くても良くないことを知った。血糖値をあげるために、グルコレスキューという甘いゼリーの小袋をもらった。一口目のあまりの甘さにむせた。入院から10日おやつを食べてなかったので、これはもう私にとっては甘くて美味しいゼリー💕にしか思えない。チュルチュルちょびっとづつ舐めた。甘いって素晴らしい💕心まで幸せになる。気がする。グルコレスキューの後の血糖値は121。よかった。落ち着いた。
慶応病院に転院することが決まったので、今度は住む場所を探す事になりました。出来れば娘が大好きな、ディズニーリゾートの近くがいいと思いましたが、慶応病院がある信濃町からは遠くなってしまいます。悩みましたが、病院に行くのに、娘が余計な体力をつかうのはよくないと思いました。また東京の電車の混雑は凄まじく、ラッシュ時に車椅子で乗るのは無理だ、と夫が言うので、できればタクシーで行ける範囲で探す事にしました。(東京は駐車場もとんでもなく高いので自家用車は手放すつもりでした)
かなり凹む出来事あり。彼には戦友がいます。ほぼほぼ同時期に同じ病気で治療入院していた方。お互い無事に治療が終わり、退院後も交流がありました。一言で言うと優しさ、思いやりに溢れてる方。自分の病気ときちんと向き合い、勉強している努力家。こんなに他人のことを考えられる人はこの世にいないのでは?と思うくらいの方です。今回の彼の再発では本当に支えられていて、奇跡を起こしてくれた方なのですがそんな方が本日の外来で今後再発する可能性が高いと言われたそうです。
【初発乳がん多発性骨転移発症しステージ4を宣告されました。異変に気づいてからの葛藤や苦悩や治療についてを綴っていきます】よくガンに罹患した方が抗がん剤治療を避ける話を聞く何故なら毒であり、がん細胞のみならず正常細胞も傷付けてしまう辛い副作用が沢山出てくる私も抗がん剤治療の際に看護師さんが防護服に身を包み作業されている姿を見てギョッとしたそんなものを身体に入れてるのかと、、、そりゃあ恐ろしいわけででもそのくらいの毒じゃないとガンは殺せないほどなのです私のガンの増殖は凄ま
ブログをはじめて3カ月が経ちました。2019年11月に腹膜がんと告知されてからブログがなくてはならない存在になりましたがまさか自分が発信する側になるとは不思議なものです。1年後に再発しなかったらブログをはじめることはなかったかもしれません。備忘録として闘病日記や資料を見返しながら少しずつ進んでいます。実はブログをはじめるにあたり決めていたことがあります。それは1嘘はつかない2儲けない3個人情報に気をつけるです。私がブログを読むときに気になっていたの
4月27日。K病院へ。紹介状は連名になっていて、上にいる人の方が偉いだろうなんて、特に深い考えもなしに予約していた。後から調べてわかったけど、予約をとっていたN先生はK病院の整形外科の一番偉い人だったww番号が呼ばれ、診察室に入る。紹介状の画像データをみた瞬間、N先生の顔付きが変わった。まっすぐ歩けないでしょ、物が重複して見えるでしょ、手足の力が入らないでしょ、物が飲み込みにくいでしょ、頭が痛いでしょ、など、いろんな今の症状を言い当てられ、手足の力の入り具合や歩行などチェ
完全な雑談です。僕と私の共通点は音楽です。私は邦ロックが大好きで、僕は邦ロックからインディーズまで幅広く好きです。ナタリーやタワレコで働いたら?と言うくらい知識も豊富な僕です。そんな私達が最近こっそりハマっているアイドルグループがあります。その方々とはジャニーズのSnowManです。おじさん、おばさんすっかりハマってしまいました苦笑それまではアイドル全くスルーだったのですが、YouTubeを観てダンスの上手さやオリジナル曲のかっこよさ、動画のワチャワチャ
*子宮頸がん闘病ブログはじめました。自分自身の記録の為に。。。.....いつも思う家族の有難さ。主人娘両親弟夫婦には感謝しかありません。感謝と共に病気になってしまい申し訳ない気持ちでいっぱい。そして今までの手術や治療時に親身に関わってくれた知人友人達にも。改めて感謝します。本当にありがとう。......子宮頸がん現在までの流れ2010年子宮頸癌ステージ1b期当時42歳S大学国◯医◯センターにて2月広汎
昨晩は3日耐えていた就寝中の胸部痛が我慢の限界となり、ナースコールを押した。コルセットで胸郭を締め付けられているような絞扼感で呼吸が苦しかった。しばらくなくなっていた胸膜炎の症状、ビーズを撒かれてその上を転がされているような不快感も戻ってきてしまい、就寝中の呼吸が辛かった。呼吸が苦しいのは相変わらずなのでベッドはフラットにはできなくて15度くらいにしているのだけど、それでももう苦しくて息ができない。当直の先生と看護師さんが対応してくださり、12誘導、胸部レントゲン、心エコー、血液検査をし