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ここのところ、体調が優れず風邪症状が続いています。次男が遺した薬を飲んでみました(あっ使用期限はまだ大丈夫です笑)でも、これを見ると思い出してしまうんです‥次男が亡くなる数ヶ月前の事です。たぶん、体調が悪かったのだと思います。この薬を買って飲んでいました。月曜になると頭が痛い(月曜って‥それ、絶対ストレス)首が痛い(寝違えたかな?)耳が聞こえにくい(Airpodsで爆音で音楽聞きすぎかな?)コロナかな?なんて冗談も言っていました。でも‥今思えば、全て前兆だったのかもしれません
過日のこと。オカン👵、施設へと行く。それについては、ケアマネさんと話し合いを何度もした。オカン👵にとって、実家🏠にて過ごすは最善。本人も居心地が良い。そこは分かっていた。でも、現状(タイミング)そして今後を考えると…オレ自身も「これでいいのか…」と自問自答を繰り返した🔁自責の念は、消えない。この選択が、どうなのかは分からない。オカン👵の以後の人生が、より良きものとなることを間接的とはなるが、後押ししていく。
別居後、しばらくは寝れない日々。本当にあまり記憶がない日々。この半年以上どうやって生きてきたか、混乱な日々でした。涙が止まらず、食欲はなく、ただ、日々の仕事やミッションをこなすだけ。とはいえ、仕事もたくさん休んだけど。離婚にどんな理由であっても、離婚後、子供がいる男性陣は自責の念にかられ、空虚感になり、心にぽっかり穴があく。その穴はかなり大きくて、大きくて、その穴の大きさを知ります。このブログは、離婚した男性の方々に少しでも共感して頂けらいいですが、このダサい気持ちを今結婚を
2022年。私にとっては世界がひっくり返るほどの衝撃に襲われた年でした。考えたこともなかった息子の自死。そのことが原因で家族が病気になったり、悲しみの形が違うことで不協和音が生じたり。毎日生きることが辛く生きる意味も見い出せずただ、フラフラと亡霊のように家と職場を行き来していたように思います。何かにすがりたい。助けて欲しい。グリーフケアや分かち合いの会にも参加して。そして、最終的にこの場所にたどり着きました。ひとりじゃない。孤独じゃなかった。寄り
羊水検査の結果が出て、2人で産むと決めてから1週間がたった頃、本で「出生前診断の陽性結果を受けて、中絶した人」の話を読んでいて、ふと羨ましく思っている自分に気がつきました。「この奥さんは中絶に納得してくれたんだなぁ」と...その想いは2~3日続きました。産むと決断したはずなのに!その頃は心底覚悟をできていなかったのでしょう。そこで改めて妻に「夫から「ダウン症の子を可愛がれないと思う」って言われて中絶したケースがあるらしいよ」とか「夫から「中絶するか。離婚するか。」って言われてたら、ど
テレビによく出てた有名な男性。その人が主催してるサイトにほんの数日入会してました。自死遺族の相談に答えてるけど、有料会員にならないと全てを閲覧することができなかったから。正直、ガッカリした。自分がこんな状況になる前は割と好きだった人だけど、実際は人の気持ちに寄り添えない人だと思った。そうよね、彼は今完全にお金儲けに走ってる。コンサート活動とかもしてるらしいし。自分のことを責めてしまう自死遺族に対し、「それはねぇ、自己憐憫でしかないです」と答えていた。愛する人が突然亡くなって、それ
~『人事との対面』③から続く〜初めての人はこちらからご覧下さい♪『『突然の逮捕』①<逮捕!!>』こんにちは2個目のブログは突然やってきた逮捕の話です。そのときは突然やってきました。ある朝、5時半頃私が出勤しようと家を出て、いつもの通勤道を歩いている…ameblo.jpマネージャー「何か君から伝えたいことはある?」そう言われたので私は私「仕事の事で、私が完全にかかえてしまっていた事が3つほどあります。それを伝えるので、部署の人にすすめて頂きたいです。あと、、どんな処遇で
優男なダンナ氏私がガンに入学してからずっと私のコピー人間ダンナ氏私が言って欲しい言葉をインプットさせたからいつも言ってくれる、優男。どうしても手術の日がカウントダウンで近づいてくるとナーバスになるもんでちょっとした事でイライラしてしまう言い過ぎてすぐ「ごめん。」の繰り返しその度に、優男は「良いんだよ!俺が悪いんだから。」自責の念にかられるでもさ、例えば「ラップの切れ目分からなくなった~あ~イライラするー💢」あのイライラするやつ。そういう時も「良いんだよ
先日の月命日いつものコメダは行かず、自宅でのんびりボ~っと花屋でお花は購入今月はかすみ草洗濯して掃除したり…普段の休日と変わらない過ごし方(^_^;)来月はモーニングコーヒーの外出くらいはしようかなこのブログも毎回似たような内容で目新しい日常もなく…愚痴を吐き、毒づき、虚しくなり、私は何をしているのだろうか(´・д・`)
『足りないもの』責任転嫁する事人の言葉に耳を傾けること自分自身を知ることそして自責の念を持つことameblo.jpわざわざ取り上げてくれてたけどあなた宛ではないのに・・・説明文まで入れてくれてありがとうございます😁
妻が亡くなって1年。正確にはもうすぐ1年2ヶ月になります。とてつもなく長いようであっという間に過ぎてしまった気もします。この時間の中、妻の笑顔を思い浮かべなかった日はありません。遺影の中で、最高の笑顔を見せてくれています。私は...心から楽しいと思えることが無くなりました。何をしても、最後には悲しい気持ちになってしまいます。どんなに笑顔を作っても、どんなに楽しく騒いでも、お酒の席で和気あいあいとしゃっべていても、それは現在の本当の私ではありません。同じ
今年も残すところ6時間を切りましたねあっという間の一年今日は大好きだった母方の祖母の命日。人は神様に生かされているそのことを身を持って私に教えてくれた日。そして、「親の死に目に会えないのは親不孝」の意味を間違って覚えている人の為に、今年もリブログさせていただきます。またかと思われる方もいらっしゃると思いますが、私のブログを初めて読んで下さる方の中に同じようなことで自責の念に駆られているかも?と思い毎年リブログしています。どうぞお付き合い下さいませ。そして、拙い私のブログを今年
今日は、友達とランチに。告知を受けてから初めて、友達と話す機会。口を開けば、気持ちと裏腹に涙が溢れ出て止まらない悲しさ怖さ悔しさありとあらゆる自責の念にかられてメンタルが限界普段、誰1人にも自分のことで涙を見せることがなかった私人の事で泣く事はあっても、私の事で泣くことは皆無に近い。母になんか絶対に見せない友達にも、子供にも。それだけ、プライドが高いのか、我慢強いのかわからんが誰にも弱さを見せれないだからいつも笑っている。そんな私が、今度ばかりは本当に辛い。とめどなく溢
母の医療事故(2020年1月22日)発生後、同じ〇〇医師(過失医)による医療事故が他にも多数発生していたこと、事故に遭われた他の患者様へ医療事故があったことすら説明していないこと、それどころか転院させたり退院させたりしていること、臨床工学技士からは手術への協力を拒否するというボイコットまで起きていたこと等、一気には書ききれないほど多くの「あり得ないこと」が起きていたことを複数の病院関係者から聞きました。「〇〇先生に医師を続けさせたくない」「示談せずに公にしてほしい」とも言われました。202
5月25日。今日は家内が亡くなってからふた月がたつ、月命日となります。とても静かで穏やかな早朝でした。そして今日は初めて直接お目にかかる、次女の嫁ぎ先のご両親が首都圏の某県からいらっしゃいます。次女の結婚はコロナ禍だったため、式も披露宴も行えないまま、私たち夫婦と直接顔を合わせることが出来ないまま今日まで来ていました。初めてお目にかかる機会が、家内の亡くなった後とは、本当に・本当に・残念です。本当は2人で、この5月に次女の嫁ぎ先の首都圏の某県まで出かける予定でした。時は無常
引きこもりの定義というモノがあります。就労や就学などの外との交流を避けて6ヶ月家にいる状態だと引きこもりになります。買い物とかに行ってても、引きこもりということになります。外との(社会との)繋がりが断たれた状態=引きこもりに。自ら望んで外との交流を断つこともあれば、そうじゃない場合もあります。思えば、妻は就労の意思は強くありましたが、なかなかうまくいかない状況でしたが、買い物にも行っていましたし、親戚とも会っていました。しかし、社会との繋がりという面では、孤独だったと思います…
こんばんは。感染発覚から8ヶ月が経ちやらなければいけない大切なことを忘れていることに気づきました。それは臓器提供意思登録の削除です。本来であれば感染が発覚してすぐに削除するべきだったのですが、当時は余裕がなくて頭が回らず気づけば8ヶ月も過ぎていました。残念ながらHIVに感染したことにより臓器提供は果たせなくなってしまったので今日、登録を削除しました。削除したとき今までに感じたことのないなんとも言えない喪失感に襲われ…なんでこんなことになってしまったのかなと今は
こんばんは。すっかり早く家に到着する生活になりました(今後は分かりませんが)。現在、職場として通っている場所が近いのです。2年前に父が車を手放すのでと、親の足になる為に買ったポンコツの軽4が自分の為に活躍しております。今までの会社員生活&専門学校生活は、午前7時に家を出て22時帰宅(家着)が当たり前でした。通勤(通学も)片道1.5時間でした。現在は片道30分もあれば(帰りは渋滞なのでもう少しかかる)なので、家に帰って、自分の時間はたっぷり確保できるのです。自分の進み
カルテ開示請求のお話し。前回投稿した記事の続きです。前回の投稿はこちら『カルテ開示請求に踏み切ったワケ』先日、夫のカルテ開示請求の手続きをしましたがそのワケを記録しておこうと思います。以前の記事にも書いていますが夫は2回目の抗がん剤の最中家に帰りたいと言って暴れ…ameblo.jp私は裁判を起こすとか話し合いをするとか病院側と争うつもりはありません。直接の死因となっているわけではないので法的にどうこうするつもりはありません。カルテを見て思うところがあればもしかしたらするかも
息子が空に帰ってから一年が過ぎた去年の今ごろは喪失感と自責の念にかられていた何もしたくなかったウルトラストレッチハイライズクロップドレギンスパンツUNIQLO一年たってもいや何十年たっても忘れられないし忘れてはいけないものだと思う毎日私は息子の遺骨ペンダントをしているだからいつも一緒にいる明日は母の日小さい頃息子が保育園で書いてくれた絵を飾ろうかなあの頃毎日一生懸命で小さな幸せに築かなかった二度とかなわないもう幸せがあるのかな生きていくって
ブログなんて書いたことなかったのに。少し書いてみようかと。でも、すぐやめてしまうのかな。わかりません。大切な大切な息子が2022年11月に自らの意志で天へと向かいました。遠い遠い天という国へ旅に出てしまいました。そう、わたしは自死遺族になったのです。その日から、私の世界はそれまでとは全く違う世界になりました。恐ろしいほどの深い悲しみ、猛烈な悲観と自責の念、たらればと回顧、喪失感とフラッシュバックなどなど今まで感じたことのない、大きな大きな苦しい闇に襲われて、あまりにそれが濃く大きく
生前、妻がとても大事に乗っていた愛車のエンジンを、亡くなってひと月たつ今日、少しだけかけてみた。車内には妻の香りがまだほのかに漂っていて、まだ生きているような錯覚に陥ってしまった。今日は晴れている。穏やかな5月2日火曜日。世間はGW直前なのに、心が塞ぎ込んだままの私がいる。
藤川めぐみのホームページ大切な方を亡くし大切な方の姿を急に失なった現実をそう簡単に受けとめられません。当たり前のことです。自分の中ですら整理がつかないのに周りからの目線も気になり弱い自分を見られたくない、見せたくないと気丈に振る舞ってしまいがちです。何もしていなくても涙が自然に流れるくらい気付いた心が更に萎縮して病になる前にまずは自分を愛でて労りそれでいいんだよ、大丈夫と心の緩和に繋がる何かを見つけていただきたいと願っています。遺族の分かち合いに参加したり
今週の火曜日から汗疹によりひどいことになってしまった娘の背中なのですが、少しずつ少しずつ良くなってきたかな?という感じです自分をぶん殴りたいくらい後悔した話↓『【閲覧注意】自責の念に駆られました~父と娘の2人旅後日譚~』日曜日、月曜日で娘との2人旅を楽しくできた私なのですが自責の念に駆られました↓ただ楽しくすごしていた記事『父と娘の2人旅③~完結~』スタート編↓『父と娘の…ameblo.jp昨日の背中の写真がこちら↓赤みがなくなってきたかなと思います今日がこちらの背中がこちら↓
世間では10連休の方もいた?!出かけたり、のんびりしたり、心身ともにリフレッシュが大切ですね。私は暦通りの連休、去年もGWは暦通り休めて、ありがたいのにありがたくないような複雑な気持ち。今回イベントの招待券が会社で配られたので、少し外出した。何かしら外出しないと、ずっと家にいれちゃう性格だし出かけてみた電車では旅行に向かうであろうキャリーケースやカバンを持つ方々を多く見かけた。今回、出かけた地域ではパレードもやっており賑やかそうだった。街中の人々は、家族連れ、夫婦、恋人、友人同
妻が亡くなって1年。この1年間は、毎週かかさず必ず週に1回はお墓参りに行っておりました。長時間滞在するわけではありませんが、常に綺麗なお花を活けていたかったのです。自分で勝手に決めたルールなのかも知れません。何かにすがりたい気持ちが、そうさせるのだと思います。幸いなことに、お墓が家から近いからということもあります。自責の念のやり場をお墓参りすることで、少しでも散らしたいと思っていたのかも知れません。妻の供養を願いつつ、私自身の為でもあったのだと思います。
車がなくなって子ども達はなんていうかなわたしは何て言うかな車内が広い車だったから子ども達もお気に入りだったんですよねあーあです実際手放すときがきたら本当に胸が苦しいです『さよならマイカー』手放す日が近づいてきました『【破産申請】胸が痛い車両返却手続き』とうとう送られてきました車両の返却手続きいつでも車を返却できるようにガソリンは1000円…ameblo.jp自分のやらかしたことが残念で仕方ありません毎回毎回自責の念
「忘れたい」と強く思えば思う程、「忘れまい」という強い記憶が出きていく。一部の限られた人を除いて、誰にも理解されないし誰にも癒やされない。口先だけの慰めの言葉は誰にも言える。そんなものは右から左へ抜けていく。。スーッと抜ければまだいいか、いつまでもいつまでも残ることもあル。心の傷とどう向き合えばいいのか。乗り越えるつもりはないが、自分の傷は自分でしか超えられない。くじけない心。リカバリー。にほんブログ村あ
月曜日ですね‥もうすぐ日が変わり火曜日になりますね。息子が亡くなったのは火曜日の朝‥なので月曜日から火曜日にかけて、未だに気持ちが不安定になります。亡くなって日が浅い頃は月命日よりも月曜日から火曜日の方が辛く苦しかったです。何度も何度も夜中に目が覚め、眠れないこともありました。時計を見ては「あの時はまだ元気だったのにな‥」「あの時はあんな会話したな‥」「あの時に頭が痛いと言っていたな‥」「側にいたのに助けてあげれなかった‥」「なんでもっと早く異変に気がついてやれなかったんだろう‥」と