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今回の内容は、壱が亡くなる前から「いつか書きたい」と思っていたことです。書きたい反面…楽しい内容ではない。壱のお郷を批判することになる。不快な思いをされる方もいるはず。…等々の思いもありずっと書くのをためらっていました。しかし、壱が旅立って4ヶ月経っても「書きたい」気持ちが変わらないので書かせていただきます。私の経験の話でありその経験から感じている個人的な思いです。長くなります。楽しい内容ではありませんので興味のない方はここで終わってください○┓ペコッ
応募いただいた皆様ありがとうございました。日程調整のご連絡させていただいております。お話できるのを楽しみにしています。次回募集は来月になります。わたしの子育てってネタが尽きないんです。たとえば、双子(次男三男)は、2歳半から療育を始め5歳で引っ越し。長男はその時転校になり、田舎から都会へきたこともあり抜毛症と円形脱毛症を併発。わたしの両親には、「双子のせいで長男が犠牲になっている。」と言われたことがあります。長男は、中学に入ると、
僕がマクロビオテックを知ってやり始めたのは24歳の頃です。当時、アメリカのボストンに住んでいました。丁度、アメリカの永住権が取れて、アメリカ生活にも慣れて、英語にも慣れた頃の事です。僕は、食生活を一変したのです。肉を辞めて、チキンや卵を辞めて、ダンキンドーナツに通うのを辞めたのです。アメリカではプライムリブが美味しかったですし、オイスターやロブスターなんかのシーフードはボストンはピカイチです。近くにはイタリア人街があって、ピザやパスタは最高でしたし、チャイナタウンも週一で通って
母の状態が謎だらけです。時系列でまとめますので、何か情報があれば教えて下さい…。2017年12月中旬発作が起き近所の内科へ→胆石があると言われ、近くの藤田保健衛生大学坂文種報德會病院へ紹介状を出される。すぐに受藤田保健衛生大学坂文種報德會病院診したら、入院→検査は年をまたいで1月上旬に、【胆嚢癌、ステージはおそらく3ぐらい】と告げられる。ステント留置術は、この病院で2回。胆道癌に強いドクター、名古屋大学医学部附属病院の、梛野先生に診てもらいたく、2018年1月15日、名古屋大学医学部
一昨日から急に腹水が溜まってきた様子で、お腹が苦しい💩をしたいけど出れないことが続いてて、夜中も3回、1時間ずつトイレで頑張ったけど何も出てこず寝不足のまま、今日入院しましたこれから長い戦いが始まります!!!!まずは腹膜炎退治から2週間入院予定。。。でも、私は10日の子どもの運動会を見にいきたいっ!!!!来年は見れないかもしれないからまぁ、私は不死身だけど子どもの今は今しかない
こんにちは!地味な更新のブログを見に来てくださりありがとうございます!先日、敬愛するブロガーさんのところで、気合いについて、やりとりをしていて、、私の中で勝手に気合いについての考察が始まりまして。人生で一番気合いを使ったのは何だ?というところからの出産レポです。いきなり陣痛室からですが(汗)思いつきブログですみません。その日、、、わたしは地獄にいた。。。夜中に破水してそのまま陣痛室に入ることになった私は、3つある陣痛室の真ん中で、両サイドから聞こえる阿鼻叫喚に耳
術後の体調がかなり悪くて、毎日寝たきりでしたが、今日初めて横にならずに1日過ごしました今、めっちゃしんどー💦娘が一人暮らしを一時解消して戻ってくるため、昼から部屋の整理をしていて、気づいたらいま(午後11時11分)になってた!!!頑張りすぎました🫠術後のお腹の激痛は本日5回ほどやっぱり、腹部をナイフでブスッと刺されたかのような痛みがあります特に腹部をねじるような動きをする時に痛みますやっぱり腹膜などの『癒着』なのかなぁ???不安😥💦明日はゆっくり寝とこう
こんばんは3月の結果を書く前に4月になっちゃいました💦今週末はお花見できるかなぁ🌸というのも先週診察に行った翌日(火曜)、いつものように1回目の排液をすると濁っている。乳白色。白濁。下敷き透けない(やらなくてもわかる)。どうゆう事??ちょっと下腹部が痛くて午前中横になってたんですけど病院に行くほどでもない感じ。通常通り、注液→排液2回目。濁ってるちょっと良くなったけど3回目も変わらずそんなこんなで排液がキレイになったのは金曜日。徐々
僕は今まで病気をした事がありませんでした。それは、若い頃に玄米を知ったからだと思います。別に僕の生まれつきの体質が特に強かったと言うものでは無いと思います。敢えて言えば、お母さんが偉かったか、おばあちゃんが偉かったか、と言う事だと思います。その僕がです!大体50台後半から、マクロビオテックを疎かにし始めたのです。まるで、コロナにでも、オミクロンにでも罹りやがれ!と言う勢いで、美味しい物を食いまくったのです。そして、オミクロンに罹りました。高熱が出て、本当に苦しかったです。
令和2年1月…現在のパパの事ですが、昨年12月に胆管がんの手術をして当初の予定では術後6週間ほどで退院と言うことでしたが、なんと10日で退院して来ました。まだお腹には管を一本つけたままの退院でした。こんなに早くて大丈夫なの?と逆に不安しかありませんでした。退院したその日と次の日はとても元気で簡単な料理も作ったり職場にも少し顔を出したりしてこれが11時間もかかって手術した人なのかと思うくらい元気でした。ところが3日目くらいから体調不良になり痛みがあると…食欲も無くなってきて股関節あたりが
【令和元年12月末〜令和2年1月中旬】一時退院後、一週間弱で胆汁漏れからの腹膜炎になったパパ…これで2回死にかけました!そのパパは腹膜炎の激痛に一生懸命耐えていました腹膜炎って物凄い激痛らしいですパパに言わせると、ちょっと動くのも呼吸をするのも痛いらしいです鎮静剤を使っても痛みは消えないそうです痛みが強くなると熱も上がったりしてかなり辛かったようですそれでもそんなに入院が長引く事はないだろうと軽く思ってたんですが…結局それからまた1ヶ月入院していました新しい年が明けても直ぐに
初日の夜はほとんど眠ることができず、ようやっと朝を迎えました。絶食により食事がないため、ただ寝て過ごすしかありません。自分なりに大腸憩室炎について枕元でスマホで色々調べてみました。・成人の10人に1人が大腸に憩室を持っていて、ある程度の条件(便秘、食べ過ぎ、運動不足など)がそろうと炎症になる可能性がある。・炎症が悪化すると穿孔(腸に穴が空くこと)により腹膜炎を起こし、大変なことになる。・腹膜炎(ウンチが腸から漏れる)とショックにより敗血症などにより死に至ることもある。・基
何種類かの誓約書にサインをしました。これから手術です。その前に、今回なぜ急に下血を伴う激痛が発生したか、という部分についてですが、どうやら炎症による穿孔(腸に穴があく現象)があったのは右下腹部の大腸の外側(お腹側)ではなく、内側(背中に向かっている側)だったようで、この部分だと造影剤を入れないと発見するのが困難なため、入院時に行ったCTでは発見できなかった、と説明されました。だったら最初から造影剤を入れてCTとってくれてれば良いのに、と思いました。誰だって思います。まず
今日は、とっても晴れて良さそうなお天気☀️外は寒いのか?わからないけど、ひな祭りでもあるから、昼食には、ひなあられが出てきた朝食のパック牛乳🥛は、飲めなくて返却ミルクココアなら、たっぷり飲めるのにそして、こちらは夕食🥢やはり、冬季は暖かい物が多い方が良いですね🙆さて、深夜からは絶飲食明日の検査に備え、辛い時間になりそう昨日今日と打って変わって、明日の検査後も6時間は絶対安静で、ベッドで動いちゃいけないと言われているので、暫し試練です本日は、午後にシャワーを浴び、鼠蹊部の剃毛もし
このブログを始めたばかりですがフォローしてくださる方がいてくださりありがとうございます年末年始はパパは病院です今月12月10日に11時間かかって胆管がんの手術をして癌を取りましたそれから10日後に退院して自宅療養をしていたのですが体調が悪くなって26日に再入院しました胆汁が漏れて腹膜炎を起こしていたんですものすごい激痛らしいです今はだいぶ落ち着いてきていますまた詳しくお話ししますそんなわけで、私と子ども2人と3人だけの大晦日となりますパパと知り合うまでは3人で暮らしていたので、
表あるものは裏があります。リターンやメリットの大きなものほどリスクが高くなります。何事においても、長所があれば短所があります。勿論、短所が長所になり、長所はイコール短所でもあります。マクロビオテックの問題は、難し過ぎるのです!難解だとも言えます。奥が深過ぎる。普通の人間の概念を超えていますし。宗教を遥かに超えた宗教でもあります。陰陽は果てしなく続くのです。より、高みに向かって。深く、広く、それが生命の神秘ですし、宇宙そのものなのです。私も、そこに惚れ込みましたし、一
【令和2年1月中旬〜1月23日】ようやく2度目の退院が決まりました!本当はもう少し入院して、体調が落ち着いてから次のステップの抗がん剤治療をしたかったそうですが、抗がん剤治療も通院でするとなると、その度高速で約2時間かけて通うわけで…それは厳しいので主治医の先生と相談して、主治医の先生が上の先生に掛け合ってくれて、元の地元の市立病院へ転院してそちらで抗がん剤治療をするようにしてもらいました。でも不安はありました!足の甲の浮腫みがある朝、肺の動きが悪くて酸素不足で酸素が必要夜になると
ご無沙汰しております。大腸憩室炎での穿孔から2年以上経過しました。その間、腸アニサキスに2回ほど感染したり(涙)、弟がリンパ腺の手術したり、親父が心臓の手術したり、おばあちゃんが亡くなったり、、と、病院に行くペースがとんでもなく増えてしまいましたが、おかげさまで憩室の悪化はなく、開腹手術後の腸閉塞もなく、元気に生活しております。食事についてもぶっちゃけ全く気にしないで飲んで、食べておりますが、検査結果も悪くなく。そういえば、先日同級生の母親が憩室炎で入院
落ちついたので、保険について申請を始めました。まず、会社で加入している健康保険の組合に高額医療費の申請をします。自分が勤めている会社ごとにフォーマットがあり、そこに必要事項を記載し、病院に依頼して発行してもらう診断書とセットして、総務部に提出します。これで費用全体の約8割は戻ってきますが、退院してからの提出だと、実際の振込は約3ヶ月かかってしまうようでした。事前申請制度を利用すると、退院の精算時には振り込まれるようです。何回も大きな手術をする場合は、精算時に100万円を超えたりするので
Sさーん!終わりましたよー!手術成功しましたよー!」という先生の言葉で目覚めました。手術開始から3時間程度。人工肛門設置せずに回盲部と盲腸と、炎症を起こしていた部分を切除しました。切除箇所は30センチ〜40センチ程度でした。終わってからしばらくは寝たきりです。初日の夜は4人部屋ではなく、個室で過ごしました。背中へ麻酔がぶっ刺さっているのと、点滴と、心電図と、ドレーン(体内の膿を出すもの)がお腹に2箇所ぶっといのが刺さっていて、かつ開腹部分もまだ切りたてほやほやのため
食事はできずに今まで通り点滴による栄養摂取。体重は入院時59キロでしたが、気づけば53キロ。体力は相当減っていますが、開腹手術をした後は、なるべく体を動かさないと傷のつながりも悪いし、何より腸閉塞になりやすいようです。いろんな人のブログを見ると術後の腸閉塞も相当に辛そうなので、避けるべく頑張って体を動かそうとしました。とはいえ、病院ですし、術後ですし、体に色々ぶら下がっているので、病棟を端っこから端っこまで(150メートルくらい?)歩くことぐらいしかできません。初日
謎の腹膜炎様の激痛から一週間終日、平熱になった日はありません大体37.5度位まで上がる日が多いです。今朝も37.4度ありました。痛み止としてカロナールを一日三回位飲んでるのでその効果がでている時間は、解熱効果もある薬なので熱が下がるようです。腹の痛みはまだあります。右肩前側も痛い。深く呼吸するとまだお腹痛いですが、若干マシになったかな?或いはこれも痛み止めのおかげかも。排便は、昨日辺りから一度に出せる量が増えてきたので嬉しいです。いきむと痛いのは変わらないので、もう最小限しか
消化器内科をやっていると年間数人の患者さんが、この診断に至ります。それは、ソケイヘルニアです。高齢男性が多いです。下腹部が、膨らんできた。これで受診します。立ったまま診察するほうが、わかりやすく足の付根付近がボコッと出っ張ります。これは、体の弱い部分が、経年劣化して重さを支えきれず、腸などが外に出てきてしまうのです。これは、時として、大変な事になります。脱出した腸が、阻血されてしまい、腐り腸に穴が空いて腹膜炎になるのです。その場合は、緊急手術になります。下腹部がボコッと出
腹膜透析を始めて、9ヶ月が経ちました。入浴パックを使い、湯船に浸かってお風呂タイムを楽しんでいます先日の診察時に主治医に、湯船に入浴剤を入れてもよいですか?と伺ってみると、答えはNOでした大好きな温泉に行けないので、せめて入浴剤を入れて温泉気分を楽しみたかったのですが😓確かに、パックがちゃんと貼り付けてなくパックの中にお湯が入った時のことを考えると、不安になりました。思いきったオープンシャワーも、まだできないままです6月には主治医から、出口部を出したまま髪を洗っても
ぴーちゃんの手術がおわり、担当医師からの説明を聞く事になりました。放射線治療を続けた大腸は折れ曲り破裂し、腹膜炎を起こしてしまい、切除するしか無かったそうでした。今回投与した抗癌剤にはアバスチンと言う薬を使っており、大腸にかなり負担のかかる薬だったと言う事でした。私は担当医師医師に、次の質問をしました。人工肛門になる事を本人は知ってるのか。年明けのMRI検査で、リンパの腫れと診断され、数値が低いのにアバスチンと言う、大腸に負担のかかる抗癌剤を投与した事が原因じゃないですか。前回先生は
【15日目】午前中、訪問看護師さんから電話がかかってきた。様子伺いかな?と思って電話をとると、開口一番小夏さん、大丈夫ですか?倒れてるんじゃないかと…ハッする。今日は元々は訪問看護の日だ!どうして?初めに病棟に上がっていろいろ聞かれた中に訪問看護のこともあって、入院したこと連絡しておきますねーって言わなかった⁉️夢?とにかく入院してることと、無駄足踏ませてごめんなさいと平謝り。気にしないでと言われるけど…今回、病院の不備多くないですかね。この看護師さんとは毎月1回2年近くのお付
パパが胆管がんの手術を終えて退院し…それから一週間もしないうちに腹膜炎を起こして再入院した年末年が明けても退院の目処は立たず…そんな頃だったと思います。お見舞いに行って病室でテレビや携帯を見ていた時に、とある記事を見つけました。それで中国の武漢で今の新型コロナウイルスの感染症が出ていることを知りました。ただ、読んだ限りはまさかこんなに大きな感染症になるなんて思ってもみなかったくらいの記事の内容でしたが、日本に来なければいいななんて思ったりもしていました。パパが退院したのが1月の22
ようやく病院に辿り着きましたが、ここがどこかは全く分かりません。でも、ようやくたどり着いたのです。もう大丈夫です。相変わらずの激痛は断続的に続き、僕はずっと大きな呻き声をうーうーと上げていましたが、僕の意識ははっきりしていました。しばらくして、内科医の先生がやっと観てくれました。うーん、これは1ヶ月の絶食やな!これが最初の言葉でした。僕への宣告は病名ではありませんでした。絶食1か月!僕「それくらい覚悟してます。」そこから、外科医の先生が病院に到着するまでが長かった〜。看護
発熱の原因がコロナだったとわかった時の姉の反応「なんだ、コロナかよ」近親者の中では唯一の医療関係に詳しい元製薬会社研究職の姉。仕事と子育ての合間に、話を聞いてくれて、心配してくれていました虫垂炎から腹膜炎を起こしたわたしのおなかからは、手術時の膿の培養で「緑膿菌」が出ていました・・先生には「緑膿菌に効く抗菌薬に代えたから大丈夫」と言われてました。もちろんそのことも伝えていたので、「続く発熱は耐性菌によるものではないか?」と思っていたそうです。あとで聞いたのですが、
【14日目】こんばんは〜。少し血液検査のことを。今回興味深かったのは、CRP炎症反応と白血球の数値でした。[日付時間CRP白血球]10/6(木)1:030.3010,41010/6(木)7:091.2410,68010/7(金)5:0818.0614,96010/8(土)6:2819.7812,51010/11(火)