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【このブログの記事及び写真を保存して、インターネット上に自動送信をおこなう行為を禁止します。同様の機能を有するサーバーへのこのブログの記事及び写真の保管、他サイトへのコピー掲載を禁止します】今日、こどもの日…義母から電話があり、息子を連れて遊びに来て欲しい、と懇願されてしまい、断るわけにもいかず、久し振りに主人と3人で行ってきましたよ大御馳走が並び、大喜びで歓待され、久し振りに楽しい会話が続き、以前からの確執も薄れていきました息子が嬉しそうだったし、その息子の姿
昨日、夫は娘一人を連れて義実家へせっかくのGWでありながら義母とランチをしただけのトンボ帰りその時間はわずか3時間ほど…不倫がバレたにも拘らず、開き直り女達との関係をやめずに今も尚頑なな態度を改めない夫その代償…私達夫婦の30余年は常に夫の義実家と共にあったと言っても過言ではない夫の弟妹達は事あるごとに家族を連れ義実家に集まったそれが今…私達家族だけがその輪から外れてしまった両親をとうに亡くした私には夫と子供達と義実家しかなかった(結婚前に義父母にされた仕打ちを
実母の攻撃しれっと爆弾投下散々なバトルの翌日。学校を休み、義実家で過ごす娘達のことが心配で。仕事どころではなかった。義母が夕方、逃亡した娘達を送って来てくれた。「孫達の逃げ場所にぐらいにしかなれなくてごめんなさい。でも、目の前で喧嘩だけはやめてあげて。」そう言われて、「すみませんでした。逃げ場所になってもらい、ありがとうございました。」そんなやり取りをしたと思う。(少し昔のことなのでうる覚え)その夜、母から電話があった。「お義母さんに電話したのよ。
玄関で息子がもたついた。元々がのんびりとした子なので、焦ると余計に上手くいかない。「早く!」私も慌てていた。背後では寝室にしていた和室で夫が暴れていて、今にも私たちの方へとやって来ようとしている。それを押さえる義父も必死の形相だった。何とか義父が押さえている間に外に出なければ、と思い息子を急かした。不器用な息子は急かされれば急かされるほど上手くいかないので、「裸足で良いから!外に出てから履こう!」そういって手に持たせた。その間も常に背後で夫が暴れているの
話が前後します。わかりづらかったらごめんなさい🙇♀️わたしと息子が発見され、瞬時に息子は略奪されました。それから夫と息子は夫の実家で生活している訳です。(話し合いの時に義父母が言っていました)体調も回復したわたしは夜、父の車を借りて住んでいたアパートに行ってみました。一度通り過ぎましたが駐車場に夫の車はありませんでした。見えないところに車を止め、アパートの部屋に向かいます。夫が来るのではないかと心臓バクバクでした。部屋は1Fです。近づいてびっくり‼️テラス
夫は、素を知られてしまうことを何より恐れていたように思う。「ふざけやがって!!!」その怒りは息子に向かった。物凄い勢いで隣にいる息子の元に行き、首根っこをつかんで持ち上げた。「止めてよ!もうそういうことしないで!」全力で止めに入り、今回は大柄な義父も加勢してくれたのだが、こういう時の夫はどこかリミッターが外れてしまっているのか、通常では考えられないような力を出す。私たちも必死だった。この力で投げられたら、息子は大けがをするだろう。義父も息子をとても可愛がってくれてい
閲覧ありがとうございます身バレ防止の為多少編集変更してあります記事は時系列ではありません主に過去の事結婚から子育て真っ最中の間の話を書いていましたが最近の話もありますアメンバーは身バレ防止の為記事を書いている方プロフィールをある程度書いている方お住まいの地域や年齢などわかる方を承認しています承認されない場合もご理解の程宜しくお願いしますビビリの為コメントは承認制としてあります誹謗中傷と感じた場合削除させていただく事もありますお返事出来
夫は常に不機嫌だったわけではない。激しい虐待をした後は、しばらくは同一人物なのかと疑うほど息子にも優しくしていた。優しくされると、このままずっと上手くいくのではないかと感じてしまうのだが、一定期間が過ぎたらまたモラハラ虐待をするという繰り返し。上手くいっているように見えても一時的なハネムーン期なのだから、すぐにまた状況は悪化するに決まっているのに。一定期間が過ぎればまた嵐がやってくるというのに。今度こそ大丈夫かもしれない、と希望を持ってしまった。なぜ期待しても
私たちは急いでホームに向かい、電車の来る方向に目をやった。まだ音は聞こえてこない。電光掲示板を見ると、あと5分は来ないことが分かった。その間に義父は余裕でこのホームに到着するだろう。相手の裏をかいて反対方向に移動するということを考えても良かったのだが、その時の私には余裕がなくて、何とか義父に見つからずに電車に乗りたいということばかり考えていた。仕方なく息子とホームに設置されているトイレに身を潜めようと思ったが、出てきた時に出くわしたらもう逃げ場がない。困ってあたりを見渡してい
義母に聞いた話義母がガンの手術をして退院し帰宅して数日後、休日に義弟が義母の様子を見に来たそうです義弟が来る前に電話があって義母がその電話を受けて魚を食べたいな、と思っていた義母は義弟に「こっちに来る時に魚を買って来て」と、頼んだんですって入院していたから、食べたいお魚でもあったんじゃないでしょうか頼まれた義弟は、お魚を買ってやって来ました。ところが義父は義母が義弟に頼んだ事を知らなかったようで義弟のいる前で義母を怒鳴りつけたそうです。「子供に頼んで魚なんか買って
夫がした仕打ちを何とか証拠として残さなければと思い、震える手でスマホを握った。周囲には十分に警戒していたが、その瞬間は撮ることに集中してしまっていたように思う。撮り終えた瞬間のことだった。ふと気づいたら斜め後ろに夫がいた。急に音もなくそばに来たので全く気付かなかった。想定外のことに、驚いて飛び上がりそうになったが、何とか平静を装った。証拠写真を撮ってることがバレたら何を言われるか。撮った写真は消されるだろうし、今後は更に警戒して証拠を残さなくなるだろう。
義実家に行って今の状況を打ち明けた後は、途中の大きな駅で下車して少しだけ時間調整をした。いつもより早く帰れば確実に怪しまれてしまう。こういう時、鈍い旦那さんが本当に羨ましい。夫は家にある小物等がほんの少しずれているだけでも気づくほどなので、バレやしないかと冷や冷やしながらの義実家訪問だった。記憶力も恐ろしいほど良いので、言い合いになった時には細かなあら探しをしてきて、どれだけこちらに非があるかを並べ立ててとことん攻撃してきた。だから、常に言い負かされていた。最初の頃は結婚
皆さん、こんにちは~(*´∀`)金曜日に焼いたドライフルーツのパン『【昨日の晩ごはん&今日焼いたパン^^】』皆さん、こんばんは~(*´∀`)本日2回目の更新です!^^『【罪悪感から?言われる前に差し入れ(^_^;】』皆さん、こんにちは~(*´∀`)今…ameblo.jpが、もうなくなってしまったので今朝は全粒粉のパン焼きました~(*´∀`)オーサワ石臼挽き完全粉(全粒粉)500g×3個セットオーサワジャパン全国一律送料無料条件
誕生日やクリスマスには、義父母もプレゼントを買ってくれた。私のお給料では大したものが買えないので、本当にありがたかった。でも、何を買うかで揉めることも多くて、今思い返してみると辛い記憶の方が多いように感じる。義父母も子どもの好みは分からないので、『一緒に買いに行こう』と誘われて出かけた日。事前に『こんなのが良いんじゃないか?』と夫からあらかじめリストアップされたものを渡された。それを見て、私はそれを息子が本当に欲しがるのかと疑問に思ったが。反論できるはずもなく
息子に携帯を持たせた。学校から私の職場の最寄り駅まで移動する時など、持っていないと不便に感じたからだ。急に仕事が終わるのが遅くなった時でも、携帯があれば連絡を入れられる。何も分からずに『お母さん来ないなぁ』と不安な気持ちで待つよりも、遅れる理由が分かっていた方が良い。手渡したその日から興味津々に色々な機能を試し、すぐにラインも使えるようになった。さすが今時の小学生!固定費が増えるのは痛いところだが、この際安全策を取っておきたいと考えて決断した。この携帯が
夢庵日立鮎川店·〒316-0036茨城県日立市鮎川町6丁目7−25★★★★☆·和食店maps.app.goo.gl一時帰省した娘と義父母が食事したいというので和風レストラン夢庵居酒屋でよく見る下足箱まとまって座れないのでしばし待ち案内され注文はタッチパネルファミレスはスタンダードになってきましたね自分は特製天せいろそば(3玉盛り)山盛りですそこそこイイ3玉は
モラハラ夫あるあるとして、人の好き嫌いが激しいというのはよく聞く話である。うちも例外ではなく、彼の中では明確に「敵」か「味方」かが区別されていた。きっと自分の考えと違うものには相容れないのだろうが、夫は極端すぎるのだ。本人の中では明確な線引きがあり、これを越えたらNGというのがあって、ごく親しい人でも越えることを許さなかった。まあ、意見の違う人に良い感情を持てないという所までは100歩譲って多くの人が経験していることとして、それよりも異常なのは、直前まで普通に接していた人でもほん
いつもいつも温かいお付き合い本当に本当にありがとうございますᐡ̳ᴗ̫ᴗ̳ᐡ♡今日はぼっち休みアパート私物の片付けやる場所は決めていた5人東方神起→JYJのCDやDVDを棄てる事当時仲間が沢山コピーしてくれた物は売ったりできないので棄てるしかない沢山棄てたよ((((;゚Д゚))))仲間に感謝しながら🍀あと、買った物は新品同様なので売ってみようかとサイトを見てみた写真集パンフレットファンクラブ会報かなり重い物ばかりやっぱり売る事にしよう車で聴
買い物のついでに兄がちょっとだけ実家に顔を出し、息子に声を掛けた。「これから買い物に行くんだけど、一緒に行く?」それを聞いた息子は大喜び。兄と買い物に行くのがとても好きなようで、いつもはノロノロと用意する息子が2~3分ほどで準備して出かけて行った。声がかかるといつもこんな感じで、覚えている限り断ったことは一度も無い。兄は夫と違って穏やかなので、安心できるのだと思う。夫だといつ怒るか分からないし、会話だって地雷を踏まないように気を遣う。何の不安も無く一緒に
夫や義父はとにかく必死だった。何とか息子の気を引こうとして、まるで戻れば良いことがあるようにアピールしていた。でも、夫に何を言われてもほぼ無反応な私たちを見て、焦った様子でもどかしそうにしていた。このチャンスを逃すまいと義父が懸命に『心配していた』というフレーズを連呼するものだから、余計に冷めた気持ちになって取り繕おうという気持ちも失せてしまった。あの家に帰ることの方が心配じゃないのだろうか。また息子が虐待されることは確実なのに、あなた達と離れていることの方が心配だなんてどうか
夏休み明けの初登校日、息子と私は始発の電車に乗り込んだ。こんなに早い時間なのに、意外と大勢の人たちがいるものだ。まだ朝も早いので、未だにこの生活パターンに慣れていない私はとても眠い。息子も眠たそうに目をこすっているが、電車が好きなので徐々にテンションが上がってきている様子だった。車窓から見える風景を眺めていると、何だかこれまでのことが夢だったようにも思える。夫が暴れて身の危険を感じて家を飛び出したこと。結婚してから初めて実家以外の場所に息子と宿泊したこと。家を出
夫とは一緒に暮らしていたので言わずもがなだが、義父母も週に数回は会っていたので、これまでは頻繁に顔を合わせるのが普通だった。だから、この日はとても久しぶりに感じて『本当に家を出たんだな』という実感が今さらながらわいてきた。お互いが納得してこのような形になったわけではないので、やはり気まずい。それは夫も同じだったようで、私たちを見つけた時も「久しぶり」でもなければ「元気だった?」でも無かった。聞こえないくらいのモゴモゴとした口調で「やあ」という感じで何かを呟いただけで、その後は終始無言
息子が一学期に使っていた文房具等の学用品は、ほとんどが破壊されてしまった。夫が力任せに捻じ曲げたり折ったりしたため、使えるものが無かった。一番驚いたのは、筆箱が見るも無残な形に変形していたことだ。『どうやったらこんな形になるんだろう』と思うくらい、原形をとどめていなかった。目の前でそれをやられた息子は、心にまた一つ大きな傷を作ってしまったと思う。大事にしていた筆箱だけど、もう使えるような状態ではない。中身ももちろん破壊されていた。鉛筆類や定規は折れ、消し
息子が一年生になった頃、新しい友達ができた。保育園の時にはいなかったような活動的なタイプの子で。自分とは違う部分に憧れているようにも見えた。入学直後の春頃はまだそれほど接点はなく、夏休みが明けたくらいから段々と仲良くなっていった。放課後に誘われることもしばしばあったのだが。夫は息子が友達と遊びに行くのを快く思わない。というよりも、全力で不機嫌になって時には直接「人が具合が悪いのに、よく遊びに行こうなんて思うよな」と嫌味を言った。そう言われてし
幼い頃から泣き虫だった。子供なら誰でも嫌なことがあれば泣くこともあるだろうが、私の場合には感動した時なんかもよく泣いていた。テレビの動物ものを見る時も、感動シーンが出てくると目頭を押さえずにはいられない。周りの知り合いの大変だった話を聞いた時も、自分が実際に体験したことでもないのに、感情移入してしまい涙がダーッと出てきた。そんな調子なので、夫から無視をされた時や怒鳴られた時、息子が虐待を受けている時にもあとからあとから涙が出てきた。止めようと思っても一定量が出て落ち着くか時
夫は生命保険に加入していた。独身時代から続けていたもので、結婚する時に「受取人を○○(私)に変更しようかな」と言われた。当時は特に何も考えずに「〇〇(夫)のしたいようにすれば良いよ」と伝えたのだが、後から考えれば恐らくこれはポーズだったに違いない。自分も家庭を持つのだから、自分の家族を優先するというポーズを取る必要があったのだろう。常に周りからどう見られているかを気にする人なのだから、友人たちと集まった時などに『家族を大事にしている俺』
別居中は夫のことをあれこれ世話しなくても良いので、そういった面ではとても楽だった。一緒にいる時は、日中に私が仕事をしていて自分は家にいる時でも、何でも私にやらせようとした。例えば歯医者の予約もそう。近場ですぐに診てくれそうなところを探し、予約をして欲しいと言う。日時まで細かく指定してきて、予約をする時には必ず今の症状を伝えて欲しいという。そんなに細々とした要望があるのならば自分で予約を入れた方が良いのではないかとも思うのだが、それは嫌だという。日中に義父母が家に来ていて大
夫経由で、義母が息子に会いたがっているとの連絡をもらった。私たちが家を出た時から、こうなることは分かっていた。一度夏休み明けの学校関連の物を受け取る時に会ったきりで。その時もほんの数分の再開だった。あっという間だったから、いつまでも名残惜しそうにしていた。あの日からずい分経つ。いつか顔を見たいと言い出すだろうとは思っていた。気持ちはとてもよく分かるのだが応えられそうにない。もし会うことになったら、夫も間違いなくついてくるだろう。せっかく上手く
日頃から口座をこまめに確認している。残高が心許ないというのが一番の理由。万が一引き落とされなかったものがあったら困ると思ってつい確認してしまう。我が家は非常にシンプルな家計。限界までコンパクトになっているので、無駄は無いと思う。引き落とされる件数も多くはなくて管理はしやすい。元々ズボラな性格の私は、口座を分けるということができない。たぶん、分けたら移動し忘れて引き落としができないものが出てきてしまうと思う。現在はほぼ一つの口座で全ての引き落としが行
義父母に手紙を出した数日後の夜の事私は、下の子と一緒にハンバーグ作りをしていたその時、電話が鳴った義母からだった一瞬、出ようかどうか躊躇した(ハンバーグこねてたし)けど、このままにするのも…と思い、出ることにした電話に出ると、義母の声がしたsakuraちゃん?今日ね、手紙届いてね・・・本当にごめんなさいね。何にも知らなくてごめんなさいね。●●(元夫)からは、「sakuraは何も悪くないから」てしか聞いてなくてね、