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昨日、夫は娘一人を連れて義実家へせっかくのGWでありながら義母とランチをしただけのトンボ帰りその時間はわずか3時間ほど…不倫がバレたにも拘らず、開き直り女達との関係をやめずに今も尚頑なな態度を改めない夫その代償…私達夫婦の30余年は常に夫の義実家と共にあったと言っても過言ではない夫の弟妹達は事あるごとに家族を連れ義実家に集まったそれが今…私達家族だけがその輪から外れてしまった両親をとうに亡くした私には夫と子供達と義実家しかなかった(結婚前に義父母にされた仕打ちを
実母の攻撃しれっと爆弾投下散々なバトルの翌日。学校を休み、義実家で過ごす娘達のことが心配で。仕事どころではなかった。義母が夕方、逃亡した娘達を送って来てくれた。「孫達の逃げ場所にぐらいにしかなれなくてごめんなさい。でも、目の前で喧嘩だけはやめてあげて。」そう言われて、「すみませんでした。逃げ場所になってもらい、ありがとうございました。」そんなやり取りをしたと思う。(少し昔のことなのでうる覚え)その夜、母から電話があった。「お義母さんに電話したのよ。
義母に聞いた話義母がガンの手術をして退院し帰宅して数日後、休日に義弟が義母の様子を見に来たそうです義弟が来る前に電話があって義母がその電話を受けて魚を食べたいな、と思っていた義母は義弟に「こっちに来る時に魚を買って来て」と、頼んだんですって入院していたから、食べたいお魚でもあったんじゃないでしょうか頼まれた義弟は、お魚を買ってやって来ました。ところが義父は義母が義弟に頼んだ事を知らなかったようで義弟のいる前で義母を怒鳴りつけたそうです。「子供に頼んで魚なんか買って
本日もお読みいただきありがとうございます😊義母の誕生日が近いので、プレゼントを買いに高島屋へ行ってきました人混みの嫌いなはお留守番。(あさイチで行きましたら、そんなに混雑していませんでした。)義父母はともに90歳二人で元気に暮らしています。アリガタヤー10年前に一戸建てを手放し、現在はサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)暮らし。と言ってもサポートのある普通のマンションです。あっさりした親子関係の夫と義父母。こんなんでよいの?と思うのですが、仲は良いんですよ💓まぁ本当
夫は生命保険に加入していた。独身時代から続けていたもので、結婚する時に「受取人を○○(私)に変更しようかな」と言われた。当時は特に何も考えずに「〇〇(夫)のしたいようにすれば良いよ」と伝えたのだが、後から考えれば恐らくこれはポーズだったに違いない。自分も家庭を持つのだから、自分の家族を優先するというポーズを取る必要があったのだろう。常に周りからどう見られているかを気にする人なのだから、友人たちと集まった時などに『家族を大事にしている俺』
とにかく長い一日だった。私たちの運命を決定づけた日でもあった。朝一番に義父から夫に電話があり、「今日行くから」とのこと。予定通りに話し合いができそうだと安堵した。「今日来るってさ」と夫も自分の親が来るのは嬉しそう。これからどんな話し合いが始まるかも知らずに。これがうちの親だったら何を言われるか………。きっと全力で迷惑しているというアピールをしたことだろう。午前十時ごろに我が家に到着した義父母は、当たり障りのない世間話から始めた。確かに急に切り出せるよ
度重なるモラハラに耐えかねて、とうとう義父母に『これ以上一緒に居るのは難しい』と伝える決心をした。事の発端は、夫が息子の文房具を滅茶苦茶に破壊したこと。首根っこをつかんで放り投げて、あわや柱に頭をぶつけそうになったこと。この二つが大きい。定規は割れて鉛筆は折られ、筆箱もぐちゃぐちゃになっていた。物凄い力で破壊したことが分かり、このパワーが息子に向けられていたらと思うと心底ぞっとした。今回も息子に非があるわけではなく、夫が悪いことは誰が見ても明らかなのに、当の本人は決して自分の非を
荷物は何処にあるのだろう?アパートからの帰り道、考えました。わたしの洋服とかは捨てたなそう思いました。家具などの大きいものも複数あったので義実家には置けるはずがありません。あ、義父の会社の倉庫だ‼️トラックもあるので、難なく運び出したでしょう。わたしが勝手にアパートを出たのだから処分されても仕方ありません。でも、結婚のお祝いにいただいた物などは残っていればいいな‥そう思っていました。それにしても知りたいのは引っ越しした時期です。早々にわたしに見切りを
夫と義父母は、何とか息子を丸め込むことができれば同居の方向に進むと考えていたに違いない。しかし、予想外の抵抗にあってかなり落胆していた。私に対しては憤りかな。母親なら息子を説得して家族三人が安心して暮せるように考えろ、という気持ちがあったようだが。ストレートには言わず間接的にチクチクと攻撃してくるので、気づかないフリをした。息子が頑として譲らないので、結局その日はお開きになり、義両親は残念そうな様子で帰って行ったのだが、その後の夫の荒れ方はとても酷かった。
切迫早産の時も。勤めていた会社の経営が立ち行かなくなり、閉鎖することになった時も。夫は仕事を切らさないようにしつこく言ってきた。いざという時、専門職だったらまだ簡単に見つかると思うのだが。新卒で入った時のスキルはもう役に立たない。数年で辞めてしまい、事務職に移ってしまったし。事務職を希望する人は大勢いた。ひと枠に十人以上もの応募が来ることも多いようで。私の受けた会社は『一日で応募を取り下げた』と言っていた。切迫早産の頃は夫も『万が一辞めること
食事を終えた後、ショッピングモールに移動して必要なものを買い揃えた。実家に戻る選択をした時から、当分家に帰れないことは分かっていた。だから、しばらくの間はこちらで暮らせるものを用意しなければならない。幸い息子は夏休み中で、戻らなければならない予定もない。問題は私の方で、職場までとても遠いので毎日通うのは現実的ではなかった。始発で出ても、会社にギリギリ間に合うかどうか。終業後は、定時退社をしても実家に着く頃には8時半を過ぎている。毎日のこととなると通勤費も不安で、手持
初登校日は、何とか始業に間に合った。懸念していた宿題関係も無事に提出でき、その日のミッションの大半をクリアできた。残る心配事は下校時のことだったが、まさか終わる時間も分からないのに待っていることはないだろうと思っていた。それが甘かった。夫と離れたことで、私の緊張もだいぶ緩んでしまっていたようだ。初日の学校が終わり、息子が校門からお友達と出てきたところで見慣れた人物が声をかけてきた。夫と義父である。息子は姿を見た途端に固まり、何も答えられなくなったようだ。二人は
夫と義父母との電話は、実は聞こえてしまっていたので気まずかったが、義父母はそれを知る由もない。いつも通りに話しかけてくれて、歯切れの悪い私に義父は「なんか今日は元気ないな」と言った。お昼時なので皆で食事をするのかと思ったら、夫がすぐそこのコンビニまで買い物に行ってくると言う。これは非常に珍しいことだ。一人で出かけると体調が悪くなった時に大変だからと、近所の公園までの散歩でさえ誰かと一緒に行こうとする人だ。そそくさと出かけている夫を見送り三人になると、義父がいきなり「も
以前、失踪騒ぎを起こした義弟の奥さんだが、その後何事も無かったかのように戻ってきた。義父母は『面の皮が厚い』などと散々文句を言っていたが、義弟は嬉しそうだった。義弟に対して裁判を起こすという話も無くなり、それはそれで良かったのだと思う。奥さんが納得して戻ってきたのなら、外野がとやかく言うことではない。夫婦間のことは、その当事者にしか分からないこともあるし。周りは一安心してやっと穏やかな生活を送れると思っていたが、戻ってまたすぐに上手くいかなくなってしまった。そして義弟の鬱
実は、義父母宅に着くまでの間もまだ迷っていた。今ならまだ引き返せると何度電車を降りようと思ったことか。突然来たら驚くだろうな、とか。限界だと言われてもどうしろと言うのかと戸惑うだろうな、とか。うちの親と違って夫が暴れるのをたびたび目撃しているので、ある程度は免疫があると思うのだが、ここまで切実に訴えようとしたことが無かったため、それほど切羽つまっていると感じてはいないはず。いつもは義父母がうちに来てくれるので、私が義実家に行くこと自体がとても珍しい。きっと顔を見た瞬間何事かと
平日のホテル住まいは本当に疲れた。仕事をしているとある程度は気が紛れるのだが、今の状況を職場の人たちに知られてはならないと思って気を使った。(いつも通り)を心掛けていたので、普段と変わらぬ様子で定時に上がってホテルに向かう。帰りには、途中のスーパーで値引きされているお弁当と飲み物を購入していた。部屋に入ったら真っ先にシャワーを浴びて、スッキリしたところでテレビを見ながらご飯を黙々と食べる日々。シンと静まり返った部屋で、一人で食べるご飯はちっとも美味しくなかった。
夏休みの宿題だけを受け取るつもりだったのだが、その時に夫から渡されたものがあった。「これ」と言われて目の前に差し出されたビニール袋を見た時、もしかしてと思ったがやはりそうだった。入っていたのは筆箱や鉛筆、消しゴム等の文房具だった。私たちが出ていく直前に夫から壊された物たち。それらはもう使い物にならなくて、『このままでは学校に行けない。二学期はどうするのか』と非難したら「そんな物、持って行く必要はねーよ!!!コイツはちっとも勉強しねーんだから!!!」と言っ
LULUのブログへようこそ2年弱にわたる夫のW不倫が発覚。発覚から1年半。自分自身の再生に向けて、日々のこと書いています。どうぞ宜しくお願いします。[主な登場人物]私:パート勤め(家業とは別)2児の母夫:自営業(夫婦とも40代)事務員A:30代後半、既婚4児の母夫の会社の元従業員夫のW不倫相手で春に退職しかし、退職後も最近まで夫と連絡を取っていたことが判明今までの経過の詳細はこちら娘達の決断娘達出て行く娘達は、2人とも中学
とうとう我慢ができなくなって義両親に相談に行き、我が家に来てくれることになったが、実は義両親の悩みは我が家のことだけではなかった。夫の弟に関しても問題を抱えていて、そちらも非常に大変なことになっていた。見た目は似ていないが兄弟二人とも同じような性格で、やはりモラハラの気質があった。そして家族を苦しめる言動をしていた。義弟の奥さんが「いつも酷いことを言うんだよ~」と言っているのを聞いた時には、彼女も気の強い方だと思ったのでどっちもどっちだと思っていた。でも、後から分かってしま
義父と息子が帰宅した時、ちょうど夫が大声で怒鳴りながらテーブルをバンッ!と叩いたところだった。夫のいやらしいところは、本当に怒りで叩いているというよりは、こちらを威嚇して思い通りにするために怒って見せているというところだ。分かっていても、大きな音がすると体が飛び上がるくらいに驚いてしまうのだが。息子は先ほどまでのテンションが嘘のように一瞬でシューっと元気が無くなって、ただただ黙って事の成り行きを見守っている。こういう時の息子は、シックスセンスの子役の子のように囁くように話す。それで
こんばんは❗ご訪問&「いいね」本当にありがとうございますm(__)m今回は、“死”とか“お葬式”の話です。そういうのがお嫌な方は、ソっと閉じて下さいませ。m(__)m今回は「義父母が同日に逝った話とダマサれた感のある葬儀費用と‼️」について書いていきます。早速ですが、今日の写真です。これね👇予てより施設に入り、義父母ともどちらもかなり弱ってはいたのですが、先週、ダンナと義弟(お見舞いは2人限定で私は翌日行く予定だった)が義母のお見舞いに行ったところ、義父が息をしてないという連
息子が一年生になった頃、新しい友達ができた。保育園の時にはいなかったような活動的なタイプの子で。自分とは違う部分に憧れているようにも見えた。入学直後の春頃はまだそれほど接点はなく、夏休みが明けたくらいから段々と仲良くなっていった。放課後に誘われることもしばしばあったのだが。夫は息子が友達と遊びに行くのを快く思わない。というよりも、全力で不機嫌になって時には直接「人が具合が悪いのに、よく遊びに行こうなんて思うよな」と嫌味を言った。そう言われてし
こんにちは前回の続きです『ご近所トラブルから住宅購入した我が家①』こんにちは今回は今のお家を購入した時の話ちなみに我が家は築28年の中古住宅です数年前まで同じ校区内の市営住宅にいた我が家当時はあまり夫のお給料も良くなくて私も…ameblo.jpとにかく騒音に注意しながら過ごすことが日常となり、特に夜は足音を立てないようにそろりそろりと歩くようになりました子供たちは幼稚園児と未就園児で、音を立てずに歩くなんて無理と思いながらも「そーっと歩いて!そーっと!!!」というのが口癖にそれ
夫経由で、義母が息子に会いたがっているとの連絡をもらった。私たちが家を出た時から、こうなることは分かっていた。一度夏休み明けの学校関連の物を受け取る時に会ったきりで。その時もほんの数分の再開だった。あっという間だったから、いつまでも名残惜しそうにしていた。あの日からずい分経つ。いつか顔を見たいと言い出すだろうとは思っていた。気持ちはとてもよく分かるのだが応えられそうにない。もし会うことになったら、夫も間違いなくついてくるだろう。せっかく上手く
買い物のついでに兄がちょっとだけ実家に顔を出し、息子に声を掛けた。「これから買い物に行くんだけど、一緒に行く?」それを聞いた息子は大喜び。兄と買い物に行くのがとても好きなようで、いつもはノロノロと用意する息子が2~3分ほどで準備して出かけて行った。声がかかるといつもこんな感じで、覚えている限り断ったことは一度も無い。兄は夫と違って穏やかなので、安心できるのだと思う。夫だといつ怒るか分からないし、会話だって地雷を踏まないように気を遣う。何の不安も無く一緒に
別居中は夫のことをあれこれ世話しなくても良いので、そういった面ではとても楽だった。一緒にいる時は、日中に私が仕事をしていて自分は家にいる時でも、何でも私にやらせようとした。例えば歯医者の予約もそう。近場ですぐに診てくれそうなところを探し、予約をして欲しいと言う。日時まで細かく指定してきて、予約をする時には必ず今の症状を伝えて欲しいという。そんなに細々とした要望があるのならば自分で予約を入れた方が良いのではないかとも思うのだが、それは嫌だという。日中に義父母が家に来ていて大
息子が一学期に使っていた文房具等の学用品は、ほとんどが破壊されてしまった。夫が力任せに捻じ曲げたり折ったりしたため、使えるものが無かった。一番驚いたのは、筆箱が見るも無残な形に変形していたことだ。『どうやったらこんな形になるんだろう』と思うくらい、原形をとどめていなかった。目の前でそれをやられた息子は、心にまた一つ大きな傷を作ってしまったと思う。大事にしていた筆箱だけど、もう使えるような状態ではない。中身ももちろん破壊されていた。鉛筆類や定規は折れ、消し
夫とは一緒に暮らしていたので言わずもがなだが、義父母も週に数回は会っていたので、これまでは頻繁に顔を合わせるのが普通だった。だから、この日はとても久しぶりに感じて『本当に家を出たんだな』という実感が今さらながらわいてきた。お互いが納得してこのような形になったわけではないので、やはり気まずい。それは夫も同じだったようで、私たちを見つけた時も「久しぶり」でもなければ「元気だった?」でも無かった。聞こえないくらいのモゴモゴとした口調で「やあ」という感じで何かを呟いただけで、その後は終始無言
夫がした仕打ちを何とか証拠として残さなければと思い、震える手でスマホを握った。周囲には十分に警戒していたが、その瞬間は撮ることに集中してしまっていたように思う。撮り終えた瞬間のことだった。ふと気づいたら斜め後ろに夫がいた。急に音もなくそばに来たので全く気付かなかった。想定外のことに、驚いて飛び上がりそうになったが、何とか平静を装った。証拠写真を撮ってることがバレたら何を言われるか。撮った写真は消されるだろうし、今後は更に警戒して証拠を残さなくなるだろう。
日頃から口座をこまめに確認している。残高が心許ないというのが一番の理由。万が一引き落とされなかったものがあったら困ると思ってつい確認してしまう。我が家は非常にシンプルな家計。限界までコンパクトになっているので、無駄は無いと思う。引き落とされる件数も多くはなくて管理はしやすい。元々ズボラな性格の私は、口座を分けるということができない。たぶん、分けたら移動し忘れて引き落としができないものが出てきてしまうと思う。現在はほぼ一つの口座で全ての引き落としが行