ブログ記事1,613件
あの日のオルガン2019年2月22日(金)公開戦時中に多くの園児たちを疎開させ東京大空襲を逃れた保育園を、戸田恵梨香と大原櫻子のダブル主演で映画化。1944年、空襲が激しさを増す中、東京・品川にある戸越保育所の保母は幼い園児たちの命を守るため、親たちを説得し、埼玉の寺に集団疎開させる。あらすじ東京も安全ではなくなっていた1944年。戸越保育所の主任保母・板倉楓は、園児たちを空襲から守るため、親元から遠く離れた疎開先を模索していた。別の保育所・愛育隣保館の主任保母の助けもあり、最初は子ども
東京生まれの小三治師匠には、第2の故郷があるそうです。宮城県岩沼市、仙台の近くの街です。日暮里で左右に別れて北上する東北本線と常磐線が、再び合流する・・・。戦時中、ご両親の郷里の宮城県(岩沼)に疎開されていたそうです。(本名が)郡山なのに、岩沼とはこれいかに・・?戦中から戦後間もなく、幼い子にとっては、辛く悲しいこともあったでしょう。でも、ずっと愛した土地柄でもあったようです。あの飄々と語る小三治師匠が、岩沼のことを涙ながらに語るのを、何かで見たことがありました。河北新報の記事を
松坂屋本店からさらに下り、芦ノ湖元箱根港の向かいの、箱根駅伝のゴールのそばに駅伝ミュージアムがある。ここにはかつてシュミット別荘があった。パウル・シュミットはライカカメラやメルクの医薬品を輸入して財を成した。そして1906年、外国人として最初に箱根に別荘を建てた。別荘は戦後の1986年に箱根ホテルが経営する「レストランシュミットハウス」となる。箱根ホテルは先に書いたように富士屋ホテルの経営である。そして現在の「箱根駅伝ミュージアム」となるが、運営は引き続き富士屋ホテルである。現在のミュ
戦争疎開映画ベスト101あの日のオルガン正しいことをしているのかとの葛藤を抱えながらも、保育所の子供たちを親元から話して、埼玉県の田舎で疎開保育園を始めた保母たち。逃げ出すもの、地元の男性とあらぬ噂を立てられて帰らざるを得なくなったもの、自信を無くして落ち込むもの…そんな中でも東京では戦火が激しくなり、子供たちや保母の中にも家族を失うものが現れ、それを子供に伝えるのも保母たちの辛い仕事になるわけです。終わらない戦争の中で、生活も厳しい中、未来を支える子供たちのために使命感をもって子供
第二次世界大戦終盤のドイツ人を中心とした箱根方面への疎開をみた場合、彼らの受け入れ先として筆頭に上げねばならないのは、現在の富士屋ホテルチェーンである。主として次の施設が挙げられる。1富士屋ホテル(宮ノ下)2箱根ホテル(芦ノ湖畔)3富士ビューホテル(河口湖畔)4富士屋ホテル仙石ゴルフコース(仙石原)5箱根駅伝ミュージアム(箱根湯本)これらの内今回は河口湖畔の富士ビューホテルを除いて訪問してきたので、まずは富士屋ホテルに関し、美しい建物群を