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奧山実秋作『旭将軍・源義仲公』4月12日に前作『伝教大師・最澄上人肖像』を思いの外早く完成させて、更に引き続き同月14日より「朝日将軍」こと源義仲公の肖像画の制作に取り掛かっている。我が家の宗教「天台宗」の開祖様の肖像を描いたのだから、歴史的な順序からしても我が奥山家の大昔の祖先と言い伝えられて来た源義仲公の雄姿を描くのが当然の経緯となった次第である。前回も書いた様に日本画の肖像では大抵の場合、人物を人形的な表現で描写する事、そして背景を描かず無地の
こんばんは♪優香です✨今日は午後から、夫と「倶利迦羅不動寺」までドライブ♪向かう途中に「道の駅倶利伽羅源平の郷」へ!店内は、こんな感じです。テラスで、のんびりティータイム。涼しくて快適です〜お好きな和菓子を1個選んでコーヒーとセットで税込200円です。🌱🌱🌱ここでは「アロマティカス」も購入しました明日、鉢植えしようと思います!✨✨✨敷地内にある「歴史資料館」も観てきました!「倶利伽羅峠」は、石川と富山の県境の峠で源氏と平家の歴史的な合戦の舞台です。「源平倶
楽しみながら中受対策!親の腕のみせどころこんにちは。お受験ワーママのいおりです。GWは、次女とふたりで、二泊三日で四国上陸してきました。子の興味を引くため旅のテーマは「さぬきうどん旅」ということになっていますが、実はコロナのあおりで長女より格段に旅行経験が少ない次女の勉強のため、私が企画しました。(就活で旅行会社も志望してたくらいの旅行好きなので、その辺は得意分野)それなりの費用と時間(貴重な年休!)をかけていく家族旅行、うちでは、「歴史や地理の実体験させる貴重な
家族とうまくいっていなかった時にマヤ暦に出会い、学び、楽に生きられるようになりました。マヤ暦で夢を叶える私になる次元上昇開運メソッド提供中シンクロナビゲーターもんどうかおり◆はじめましての方は【こちら】◆そもそもマヤ暦って何なん?って方は【こちら】◆フラーレンとマヤンジュエリーの販売はじめました【manikahau】***山口へ行ってきたよ~今回は友人へ会いに行く旅行きたいところがたくさんあるけどさすがに全部は行けない
『源平合戦』⚔️‼️(『治承・寿永の乱』)『一ノ谷の戦い』『一ノ谷の戦い』(いちのたにのたたかい)は、平安時代の末期の寿永3年/治承8年2月7日(1184年3月20日)に摂津国『福原』および『須磨』で行われた戦い。『治承・寿永の乱』(源平合戦)における戦いの一つ。【背景】寿永2年(1183年)5月の『倶利伽羅峠の戦い』で源義仲に敗れた平氏は兵力の大半を失い、同年7月に安徳天皇と『三種の神器』を奉じて都を落ち、『九州大宰府』まで逃れた。『倶利伽羅峠の戦い』htt
中間テスト終わり中間テストが終わりましたやっと!って感じたので、結構早めに勉強には取り組んでいたんだろうなテスト前から、テストが終わった後の遊びの約束をしていました。早速映画にリフレッシュとご褒美みたいなものよね。同級生男子たちや部活の後輩ともバッタリ会ったそうで。みんなテスト勉強お疲れ様でもねー、間もなく英検が迫っているのよ急かして申し訳ないけど、もっと過去問回しなさいよいや、この英検加点制度、本当に可哀想。でも本人が目指すところを考えるとやれるだけやらなきゃいけないという矛
昨日の記事の続きですが、あれからまた調べました。いつもの事ですが、本当のことは分かりません。オリオン星人とプレアデス星人は、昔から地球に来ていて世界一にその末裔が存在し、お互いにネットワークを作り密かにコンタクトしているとも言われています。平家がプレアデスの末裔、源氏がオリオンの末裔。スターウォーズのオリオン大戦のようですね。日本でも、プレアデス星人とのコンタクティが多いのもそのせいかも知れません。どうやら、最初に日本に降り立ったのはシリウス星人で青森県を中心に、下北半島
またまた能登の観察会でのお話……あるお宅のお庭に植えられていたクマガイソウ(上)とアツモリソウ(下)ですクマガイソウもアツモリソウも石川県では絶滅が危惧されているランの仲間ですアツモリソウは去年、ある場所で自生しているものを見ましたクマガイソウもとある場所には自生しているようです(絶滅危惧種なので場所は書けれません……ごめんなさい)アツモリソウという名前を聞いたとき「もしかして平敦盛からかな?」とは思ったのですがそのあところっと忘れていて今回クマガイソウというのもあることを
治承・寿永の乱、第45弾です。これまでの話はこちらから。今回からはしばらくあの頼朝さんは脇役。甲斐源氏のみなさまが話の中心になります。頼朝が石橋山の戦い(治承4年〔1180年〕8月23日)で敗れて箱根山中に潜んでいた頃、富士山の北麓でも戦いが行われようとしていました。駿河国の目代(もくだい)・橘遠茂(たちばな-の-とおもち)、大庭景親(おおば-かげちか)の弟である俣野景久(またの-かげひさ)は連合して、甲斐国へ向けて進軍。これは「以仁王の令旨(もちひと-おう-の-
さて平氏vs義経、その開戦の地はここです。今の兵庫県の加東市です。この加東市、全国的な知名度は皆無だといってよいですが、兵庫県民はかなりの確率でここを訪れたことがあるはずです。なぜなら加東市にはこれがあったからです!東条湖ランド!兵庫県民じゃないとピンとはこないかもしれませんがね、ポートピアランドと双璧をなしていた遊園地です。俺と同世代の神戸っ子で東条湖ランド行ったことが無い奴はおらんでしょ…つーわけで義経がさらに進軍したのは…鵯越!俺の実家の最寄り駅は神戸電鉄の箕谷駅とゆーところで
NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に便乗して、源氏と平家の最終決戦の舞台となった関門海峡の「壇之浦」を訪ねた。関門橋の手前の橋脚の右あたりが現在の「壇之浦町」だが、実際に船合戦が行われたのは写真の左側の海域だとされている。このあたりは関門海峡の一番狭い部分で、対岸まではわずか650m程しかない。源平の古戦場に臨む海岸は、「みもすそ川公園」として整備されている。下関育ちの私には、「御裳川(みもすそ川)」というゆかしい響きの地名は馴染み深いものだ。船合戦に敗れた平家側で
2018年3月18日屋島観光を続けます。かわら投げをした「獅子の霊巌」から時計回りに歩きます。屋島城跡と書かれた立て札がありました。屋嶋城は、香川県高松市の屋島に築かれた日本の古代山城です。南北嶺の山上全域が城跡とされていいて、山上の外周7キロメートルのほとんどが断崖で、南嶺の外周4キロメートルの断崖の切れ目に城壁が築かれていました。最近再現されたらしいので、ここもウォッチしてきましたよ。(その様子は後日ご紹介します)新屋島水族館もありました。新屋島水族
治承・寿永の乱、第42弾になりますこれまでの話はこちらから房総半島の国々、安房・上総・下総の三国をほぼ制圧下に置き、挙兵した当初に比べれば段違いの勢力を持つに至った頼朝ですが、千葉常胤(ちば-つねたね)が本拠地として勧め、河内源氏にゆかりが深い鎌倉の地へ行くには、まだいくつかの障壁がありました。その最大の障壁となったのが、武蔵国に割拠する武士団、とりわけ秩父党(ちちぶ-とう)と呼ばれる大武士団でした。秩父党は畠山重忠(はたけやま-しげただ)・河越頼重(かわごえ-しげよ
下関市は明治初年の市制開始時は赤間関市であったが、その由来が気になった。穴門国から長門国の時代、その由来から長門関とよばれた。また、同時に古くから赤間関とよばれていたらしい。では、いつから後者の赤間関が主流になったのか?やはり、源平合戦における平家の旗印の赤色にちなんだのであろか!また、名前の由来になった説の一つの紅石山が赤かったのは一帯が赤色の地質であり、赤間石も産出した赤い地域であり記憶に残りやすい名前であった為であろう。参考1長門関■世界大百科事典第2版の解説下関の古名で,