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シュード・ニルヴァーナ(偽涅槃)集中的瞑想が深まり、洞察期への変化が見られはじめるようになる段階で、すばらしい喜び、至福の感情、魅惑的な恍惚感、強烈な開放感が湧き起こってくることがある。この状態は、瞑想の最終的ゴールであると間違えられることが多く、その意味で、シュード・ニルヴァーナと呼ばれている。この体験は、瞑想実践のプロセスにおいては、非常に重要な意味を持つものであり、それ自体は何ら道から外れたものではなく、瞑想が進んでいく過程におけるごく自然な現象である。しかし、この体験は、強烈な幸
ひろみんのゴールデンウイーク突入しましてん今日はあそこへ明日はあそこへ幸い雨予報は2日間だけ妖怪アメフラシ返上か!調子乗ったら雨が降るひろみんです😍こんちくわ♥ご刻印・ご朱印の後ひろみんもう一つ行きたいとこあるこれは岡山県民のよーこちゃんも知らんかったんやで🤭ててーん✨なんやろ…ちと怖い😅?https://g.co/kgs/KJtvc8A⬆これで見れるんかな😅ちょっとようわからん仏陀涅槃の壁画読み方ぶつだねはんのへきがで調べたら辿り着きまっ
全譯『大方廣佛華嚴經』巻上(江部鴨村訳,昭和9年)序4〜6頁いわゆる仏説と伝えられている多くの経典のなかで、華厳経と好個の対照をなすものは法華経と涅槃経とである。と言うのは、仏陀の面目は成道と、転法輪と、涅槃との三方面から考察される。成道とは「さとり」であり、転法輪とは「おしえ」であり、涅槃とは「死」である。歴史上の仏陀は伽耶城附近の菩提樹のもとで不滅の大道をさとった(成道)後、世の迷えるもの、悩めるもの、安んぜざるものを普く救わんがために、四十余年間を随時随処におしえを説き(転法輪)、
全譯『大方廣佛華嚴經』巻上(江部鴨村訳,昭和9年)序6〜9頁大(おおい)に華厳経と涅槃経とを対照して見るに、華厳経の説法は菩提樹下から出発し、涅槃経は娑羅樹のもとの説法である。菩提樹は大覚をあらわし、娑羅樹は入滅をしめす。すなはち前者は『生』の象徴であり、後者は『死』の表象である。それゆえに華厳経と涅槃経との対照は生と死との対照でなければならない。だが、菩薩樹下の生とは何んであろうか。娑羅樹下の死とは何んであろうか。菩提樹下の生が単なる肉体の生でないことは言うまでもない。それは小
苦しみの原因心を自分だと思い込んだままだからトラウマとか過去生とか星回りとか具体的な原因を探してしまう祟りとかね(笑)心はSTORYを創作する私にSTORYを体験させるそれが心だから心を自分だと思い込んでいる限り私はSTORYを自分だと思い込むただ心は私に付属されたSTORY体験装置だとわかると私は私だけになれるこれが目覚め心がSTORY体験装置だとわかるとSTORYは、うねりは、アトラクションになる怒っている自分、悲しんでいる自分、楽しんでいる自分、
こんにちは。お読み頂き、いつもありがとうございます。九八さん、法の供養を本当にありがとうございます。ゆみさん、九八塾の皆さん、本当にありがたいご縁に感謝しています。無上甚深微妙の法の身、明明たる本心にのみ、心を制することで安心、信頼がさらに増し、、心を転がし、観念、自他、妄想に移すことが自然とできなくなり、、平和自体であり、、本当に本当にありがたいです。。。夫が、中学生の息子に対する思い、不満、心配などから、憤りに変わり、私に愚痴ることが最近何度かありました。以前
こんにちは。いつもありがとうございます。九八さん、ゆみさん、いつもありがとうございます。九八塾の皆さんのブログも、ありがたく読ませて頂いております。心を制することから、心意識、言葉が、本当にただの観念の説明、戯言であることがハッキリし、騙されなくなり、力がどんどん失せて、、前後、説明なき五感の活動の大信頼に引っ張られ、本当に自然と‘永遠の空の安楽‘と為し、何よりありがたく、尊く、大安心に包まれ本当に誰と何処で何をしていても、何があろうと、どんな思いがふと過ろ