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母の死からようやく3年になろうとしています。なかなか気持ちに整理がつかない事も多いですが、乗り越えなくてはいけませんね母のことも書いていこうと思います。母は小さい頃からとても苦労しています。母は三兄弟ですが、実母の姉夫婦のもとへ小学校入学前に養女として預けられました。詳しい理由は分かりませんが、姉夫婦の息子さんが小さい頃に肺炎で亡くなっているのが関係しているのかなと思います。養母はとても厳しい人でまだ小さい母も毎朝、掃除やお手伝いをさせられていたようです。(母の葬儀後に近所の母の同級
4,5歳だった頃、父との会話「明日買い物に行くけれど、何か欲しい物ある?」と父に聞かれた。以前買って来てくれて美味しかった、「カワハギ」のみりん干しをもう一度食べたいと思った。そう答えると、「ああ、あれね、500円するから、500円よこしな」えッ??「物を買うにはお金がいるんだよ、タダじゃない。欲しいなら買って来てあげるから、500円」えーーー欲しい物を聞かれたから答えたのに??その当時、親戚からのお年玉か、たまに貰える100円か200
つづきその話と、私の家族の話は全く別なんだけれど、思うことがあって、友人の話を聞いていて、私がもしあの時、母親を介護をしなかったら、後悔していたのかな?ということを思った。友人は母親と距離を置きつつ、病院での家族会議や、手術の立ち会いや要所要所、肝心なところは顔を出していた。それ以外、家に行く訳もなく。食事に誘われても断る。母親は、気付いていると思う。交際を反対したから、家に寄り付かなくなったことを。でも、それについて何も触れない。友人
「相続」のことを誰かに相談したいけど誰に相談したらいいんやー問題こちらからのつづきです。↓『帰りに税理士会と税務署へ立ち寄ってみる』市役所の「市民相談」に行った後教えてもらった『税理士会』の事務所がすぐ隣のビルの中にあったので立ち寄ってみることに。(このご時世アポもとらずにスミマセン)…ameblo.jp市役所→税理士会→税務署と周った後、やはり知り合いに知り合いの「税理士さん」を紹介してもらった方がいいのかも、、と思うようになり、も
ユーロス・リン監督によるウェールズのミステリ映画。出演はケイトリン・スチュワート、ディファンド・ワイフォー、シャロンハフ・モーガン。<あらすじ>ナンとアナの双子の姉妹は、母であるエレナ・ウディグのことを調べているエベン医師を殺すために図書館へとやってきた。エベン医師は、エレナの伝記を書こうとしており、彼女の日記を調べていた。そしてある1ページを破りポケットに入れた。そこに双子がやってきた。計画通り実行していくナンとアナ。しかし、段取りが悪く、エベン医師の殺害は失敗。薬を盛られて死にかけ
こんばんは。あなたのココロにぽっと灯りを。。。かのんです。朝目覚めると意識せずとも決まりきった『いつもの』行動をされている方も多いと思います。私も朝目覚めて食事の準備が出来たらテレビをつけていつもの番組を観ていました。その番組を観ながら内容云々というより時間をチェックし今日のお天気をチェックしていたんですね。でも例の通訳さん関連のニュースを連日するようになってからその番組ではなく違う番組を観るようになりました。何が事実で何が真実かもわからない中色んな
小学2年まで住んだ家と、小3から住み始めた家がある。小2まで住んでいた家は、家の玄関というものがなかった。お店に入って、その奥のドアを開けると、家の台所になっている。とても小さい家だった。台所は3畳しかなく、食器棚は二階に上がる階段の途中に置いていた。家の壁の一部は、隣と共有していて、くっ付いていたので音が丸聞こえだった。今思えば、聞こえていただろうから、助けてほしかった。一階はトイレと風呂場と、洗濯機が置いてある。二階は、3畳、4畳半、6畳の3つの
こんばんは。あなたのココロにぽっと灯りを。。。かのんです。何の役にも立っていない。生きている価値なんて何もない。私なんていてもいなくてもどっちでもいい。それって本当ですか?お家は人が住んでいないと朽ちやすいです。誰かが風を通して陽の光を入れて手をかけるから長持ちします。お花や植物はどうですか?誰かが水やりをしたり夏には木陰へ冬には室内へと温度管理もして誰かが手をかけているから元気に育ってくれます。家具や家電はどうですか?車や自転車はどうですか?本
『申し訳ないんだけど、お葬式に夫を呼ぶつもりはない。知らせるつもりも…親不孝だということはわかってる。非常識だということもわかっているけれど。それでも、私は呼びたくない。』母にそう告げたものの子供たちにとっては父親です。子供たちに聞く必要がありました。私は母の死を夫に知らせたくないことお葬式に呼びたくない、ということを子供たちにも同じように話しました。そして、子供たちの意見を聞きました。『父親がきたら、色々と気になるし気まずいし、雰囲気悪いし、気を遣わないといけない
四十九日法要のお坊さんの手配を依頼した翌日、葬儀の時にお経をよんで頂いたお坊さんから電話がかかってきました。(お坊さん)「四十九日法要の確認のお電話をさせて頂きました。当日私が先に予定が入っておりまして同じ寺から別の者がお参りさせて頂きます」(私)「よろしくお願いします。場所はおわかりになりますか?」(お坊さん)「はい、ご自宅ですよね。何かご不明な点やご心配なことはございますか?」(私)「”過去帳”をまだ書
『母のこと』こんにちは。今日も見て頂きありがとうございます☺️いいねやコメントも本当に嬉しいです✨去年の夏、母が突然亡くなりました。毎日連絡とってたわけでもなく、たまに話…ameblo.jp昨日も見て頂きありがとうございます。続きです。母は結局一度も目を覚ますことなく旅立ちました。もう助からないとわかって亡くなるまでの日々は本当に辛く、なんで最初に聞いたときにすぐに会いに行かなかったんだろう、もう少し連絡取ってればとずっと後悔していました。突然の別れがあるとは頭ではわかっていましたが
母の命日を迎えました。GW真っただ中の日程、以前は愛知の母の菩提寺へのお参りにかこつけて岐阜を旅したり、お墓参りをはさんでダイビングに行ったりとなんだかんだGWらしい過ごし方をしてきましたが、一昨年くらいからお墓参りは混雑を避けてGW前に、そしてGWは自宅でのんびり過ごすスタイルとなりました。7年前、母の亡くなる前後の事。だんだん細かいことは忘れていくなあ。昏睡状態となった母の病院の近くのRoyalHostでお昼ご飯を食べながら泣いた事、TVで
ピッコマで漫画配信中!「ぎふてっど」で検索オンラインサロンへのご参加もお待ちしています♪オンラインサロン/コミュニティ運営ならYOOR「ユア」YOORは、オンラインサロン専用トークルームを完備した、コミュニティやファンクラブ、オンラインレッスンの場として利用できるプラットフォームです。yoor.jp母の葬儀は宗教葬でした。新興宗教の仲間が葬儀を取り仕切るので、宗教名簿から外れたと断言している私は何もすることがありません葬儀の準備の時、義兄が私の会っ
いつもひとつの記事が長くなりすぎて読み返すとき反省するので、短く区切るようにしています。長いと飽きるよね。つづき私は母親の面倒を見る義理はなかった。今になってそう思う。あんなに酷かった母親に、とっくに愛想は尽かしていた。私は母親の所有物として扱われていた。私は、母親の所有物じゃない。一人の人間で、自分の人生を生きる権利がある。病気で、ガンで、弱って、それまであんなに憎たらしかった人間が、天使みたいになっていっちゃって、ズルいと思った
こんばんは。あなたのココロにぽっと灯りを。。。かのんです。先日サインを受け取るコツはリラックスでも書きましたがみなさんはうっかり記念日を忘れてしまったことはありませんか?それが月命日とか旅立った人との間にある何かしらかの記念日とかだと忘れてしまったことに対して必要以上に申し訳なく思ったり『忘れていたこと=ダメなこと』として自分を責めてしまう方も中にはいらっしゃるのではないでしょうか。確かに私もお母さんの月命日を初めて忘れたときはすごく落ち込みました。
兄は意地悪だった。愛情を受けずに育つと、そうなるのかも知れない。小さい頃からケンカばかりしていた。小3で引っ越すまで、家と小学校が近くにあった。登校班で一列になって学校へ歩いて行く。その日は月曜日で、給食着が入った給食袋を持って登校した。小学校まであと少しというところで、先頭を歩いていた兄が、急に「あっ」と声を上げて、今来た道を走って戻って行ってしまった。その時は、何があったのかは分からなかった。その日、兄と私が持った給食袋が、逆だった。兄のを私が
小さい頃のことをよく覚えている。何が起きて、何を言われて、どう思ったか。仰向けで寝てるしかなかった0歳の赤ちゃんの頃、1歳の頃、2歳の頃の記憶も断片的だけれど、ある。言葉はしゃべれなかったけれど、言葉で考えていた。0歳のときお腹が空いて泣いて呼んだけれど、誰も来てくれなかった。そのうち「泣くと余計にお腹が減る」ということに気付き、泣くのを止めた。1歳のときは、カメラが嫌いだった。「あの黒い箱」と呼んでいた。もちろん言葉は出ない。よく分からないものを向けら
暴力を小さい子供にふるって良い理由なんてひとつも無い。殴られると脳が委縮し、青くなり、学習することよりも、傷を癒す方に体力を消費する。家を出て、母に帰って来いとしつこく言われ、しぶしぶ日帰りで帰った時、父に「お父さんが頭を殴ったから、私の頭は悪くなった」と、たどたどしく、でも精一杯伝えようとした。父は、「何言っているんだ?人のせいにするな。子育てに正解はない。100%正しい親なんてどこにもいない」と言った。父は、今80歳を超えている。現役で仕
母からガンになったと聞いた時、なーんとも思わなかった。「葬式の時、泣いたりするのかな」と思った。母から愛情を受けていると、あまり感じずに育ったからだ。それでも、やはり、母の死は、悲しかった。淋しかった。息をしていない、母の姿を見るのは、不思議だった。ただ、人の最後に死があるのは、「救い」だと思った。あんなに苦しくて、苦しくて、その先に、死がなかったら、あの苦しみの中にずっといなくてはいけない。何もかもから解放されて、母は静かに眠りに付いていた。葬式
死ぬ二週間前まで台所に立っていた母、少しずつ、少しずつ、昨日できていたことが、今日はできなくなる。ある日、階段を降りれなくなり、上がれなくなった。1人で行けていたトイレに、付き添いが必要になり、寝たきりになった。食事は何を食べても受け付けなくなり、嘔吐してしまう。水も。そんな時、本当に助かったのは、「氷」東城百合子さんの「自然治療」の本に、「何も受け付けなくなっても、氷だけは吐かずに食べられる」と書いてあった。本当にその通り
母方の祖母、ばあちゃんは良い人だった。田舎から電車とバスを乗り継いで、良く会いに来てくれた。お正月に来てくれていた時、おもちゃを巡って、兄とケンカになった。小学校に上がる前だった。母はおもちゃを取り上げて、そのおもちゃで私達を殴り始めた。「まったく、こんな物、買うんじゃなかった」と言いながら、おもちゃを振り上げている。ばあちゃんは、真剣に「こぉれやめろ!」と言って、母の暴力から守ってくれようとした。母はやめなかった。初めて、親の暴力を阻止してくれる
先日、胃がん闘病中だった母が亡くなりました。昨年6月に見つかってから1年弱でした。胃がんだと思っていましたが十二指腸癌でした。希少がんで予後が悪い癌でした。1年のうちに何度か入院しており、今回も熱が出やすく食事量が減っていたため入院していました。本人も今までと同じく退院する気満々で抗がん剤治療もまだまだ頑張る気でした。主治医も亡くなる3日前までそのように考えていたらしいです。ところが急激に悪化しました。遠方に住んでる私は最期にギリギリ間に合い会話もできましたが、さらに遠方に住んでいる
久々に文章を書こうと思います。みなさん「母ロス」という言葉を知っていますか?以前NHKのあさイチでやっていたのを偶然見たのですが、母親を亡くしたときに襲ってくる苦悩や苦しみを表す言葉だそうです。その時、それは精神的に弱い人の話で、自分にはそんなものはないんじゃないか?と思っていましたが、なんのなんの・・・今日はそんな母ロスを通して感じたことを書いてみようと思います。少し長くなりますが、これを書いたことで私自身ずいぶん気持ちの整理ができたのでもし良かったら読んでみてくださいね。12月4
父が亡くなった十三年前に初めて喪中ハガキを作りました。もう何年も前から両親に毎年頼まれていた年賀状印刷発送先の管理も私がしています。喪中ハガキも母に頼まれた文面で私が自宅で印刷する予定だったので郵便局へハガキを買いにいくと寒中見舞いや喪中はがきに利用できる切手部分が「胡蝶蘭」のデザインのハガキを案内されました。受取った私は少し違和感を感じて郵便局員さんにこう尋ねました。(私)「郵便枠が赤色じゃないハガキはないですか?」
あれから4ヶ月がたちました。最近は春の暖かい陽気に助けられている気がします🌸毎日毎日泣いて涙が出ていたけれど、最近は泣かない日もできました。先日、仲良しの友達とランチに行った際、母のことを話しました。泣いてしまうかな?と思っていたけど、泣かずに話せた自分に少し驚きました。お母さんも少しずつ安心してくれているかな?!とは言え、子供の学校のことなど話したいことがたくさんあって、お母さんがいてくれたらどんなに心強いかなと思う事もあります。今年度は仕事を休職すると決めました。娘の中学受験も
何事においても、気が滅入るくらい憎らしかった母が、病気になり、介護が必要になった時、寄り添った。死んでしまった時は、悲しかった。悲しかったけれど、しばらく経つと思った。ああ、これでもう、自分が大事にしていた物を勝手に捨てられることも、ダメにされることも無いんだ。そう思うと、ほっとした。母が死んで10年以上経った。何がきっかけかは分からない。母がしたこと、父の虐待を思い出すことが多くなった。それは決まって、夜ご飯の支度をしている時で、包丁
母の四十九日法要の後に送った父と母の写真つきのお礼状詳しくはこちらで↓『香典返しと故人の写真入りお礼状』母の四十九日法要の前後に葬儀の際に頂いたお香典にお礼の品を送る手配を始めました。親戚(父方と母方のいとこ)の家には百貨店のカタログギフトを友人にはお菓子…ameblo.jpもちろん対象をかなり絞ってお送りしたのですが受取られた方が各々どのように受け止められたかまではわかりません。(不快な思いをされた方がいらっしゃらなかったことを祈ります)た
友人の親族の方にガンができた。とても珍しいガンで、進行も速い。2年持ったのも、快挙だそうだ。そして、さらに珍しいガンになる。いわゆる転移ではなく、また別の種類のガンができる、「ダブルガン」と呼ばれるものだそうだ。初めて聞いて、とても驚いている。こちらの進行も速く、自覚症状が出てから持って3か月だそうだ。一度目のガンは、大腸にできた。二度目はリンパ腺にできた。腺がんと呼ばれるそうで、全く種類が異なるとのこと。友人の家族の仲は良好だった。彼女ができるま
年中、限られたお休みを最大限に使って旅行をしていたことはすでに過去。今は人混みを避けて旅費が安い時を見計らって旅行に行くので、GWはのんびり。せいぜい都内をウロチョロする程度。私のGWはあまりついていない。まず、父方の祖母が4/29に死去。当時私は父と祖母との3人暮らしで、17歳からの7年間、祖母が老人病院に入院するまでいわゆるヤングケアラーもどきの事をしていたので、祖母の死にはとても責任を感じています。そして、母が8年前の5/4に死去。毎年愛知の母の菩提寺ま
2016年6月1日、母が自死しました。それ以降、様々な困難に直面しています。正直この苦しみが死ぬまで続くのかなと思うと苦しくなり、何度も死にたいと思ってしまう瞬間があります。終わらせてしまった方が楽だという気持ちに駆られます。私には夫と2人の子どもがいます。母の母、つまり祖母も存命です。父も姉もいます。だから現実には死ねないなとすぐに思いとどまりますが、睡眠薬などがもし大量に手元にあったら発作的にやってしまうかもしれません。母が自死して3ヶ月経ちました。毎日毎日地獄です。あれだけいつ