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おじゃまします。なおぞうです。前回の投稿から遅ればせながら‥乳癌の定期検査結果は良好でした。よく読む絵本を暗記してしまった1歳の男女双子の育児奮闘中のシングルマザーです。林明子さん作「おつきさまこんばんは」手元になくても目をつぶっていても絵を思い浮かべ読むことが出来る私にとってなくてはならない大切な絵本です。生まれたばかりの我が子にこの絵本を読み聞かせていると何故だか2人とも声を出してきてまるで一緒に読んでるみたいでいつしか母ちゃんの後に続いて復唱するようになり
こんばんはご覧頂きありがとうございますmydeteアラフォー6歳と12歳の男の子がいます身長:160㎝足のサイズ:23.5㎝肌:ブルべ(多分)上半身細目下半身ガッチリ。肩幅広めです前回の記事もたくさんの方に見て頂いてありがとうございましたアメトピ掲載頂きました沢山の方に見て頂いてありがとうございました『【しまむら】可愛いすぎたドタイプな高見え春ニット♡/意外と早い次男のインフルB状況。
母の四回目の月命日を迎えました。母が亡くなってもう五カ月あっという間のようで、あの暑かった夏の日はもう随分前のことのような気がします。花よりダンゴ^^母の好きだったみたらし団子(醤油味)を飛騨の友達が送ってくれました当ブログ『それでも実家は売れました』は<シーズン1>2022年9月~2022年3月まで(実際は2019年3月~2022年3月までの振り返りを書いています)・2019年4月に母を富山の実家から私の住む関西へ呼び寄
早いもので母が亡くなってもう5ヶ月が過ぎましたお彼岸に納骨堂へ行ってきたばかりなのでお寺には行かずいつものように心の中の母と私との思い出話をしました誰もいないのに誰かと話すようにひとり言を言う私の姿は知らない人が見たら頭がおかしくなったと思われるかもしれませんちなみに娘は私に似てひとり言を言う派なので「普通でしょ」と言ってました😅過去の思い出は鮮明に昨日の事のように思い出されるのに半世紀以上も生きてくると新鮮なことにあまり出会えないからか現実の昨日の事は思
今朝、起きたら母の夢をみました♡母に会えました。どんな夢かと言うと、、、私が実家に帰ると病気になる前の元気な母が父と居間にいたんです!👩あれ?お母さん!!死んじゃったんじゃなかったっけ💦??👵まぁね。そうなんだけどさ👩???そこへ姪っ子二人が来ました。でも姪っ子に母の姿は見えてないようでした。そして母がいる場所を姪っ子が歩いて通ると、母の姿を通り抜けできたんです。透明人間みたいに。👩ばぁばのこと見えてないの??と聞く私。するとそこへ娘が来ました。👩ばぁば、そこにいるのわかる
なぜ最愛の人を失うとここまでとことん痛めつけられるんだろうかという疑問は持つ。犬だって猫だってこんなにぼろぼろにはならないだろう。
人生の転機はチャンス:ApplePodcast内の071.青山裕美さん(有限会社ラゴマジョーレ/ピース訪問看護ステーション)人生の転機はチャンスの番組、エピソード071.青山裕美さん(有限会社ラゴマジョーレ/ピース訪問看護ステーション)-2023年5月15日podcasts.apple.comお母様の病気が発覚し亡くなるまでそばで寄り添うことができて人生が変わった。一人の看護師から人が大切な家族と向き合える最後の時間を一緒に共有できるありがたい仕事に気づ
母の死を乗り越えて家族としての繋がりが描かれています。「俺があそこにいる時ここにはーー誰がいるかな」チャンヒ「私がいるわ」ヒョナ「俺たち結婚しよう」チャンヒ”故クァク・ヘスク”の火葬場でのチャンヒからの、プロポーズでした。火葬場の人から人工関節はどうするかと言われて別に包んで貰って、持ち帰りました。ヘスクは、人工関節を付けながら休む暇なく、働いていたんですね。家に帰って来て、遺骨を部屋に置きました。父は、無表情で横になったままなのでテレビのスイッチを付
「相続」のことを誰かに相談したいけど誰に相談したらいいんやー問題。➀知り合いにの知り合いに、そのまた知り合いの税理士さんを紹介してもらう(もはや知り合いではない、、^-^;)②ネットで無料相談をしてそうな税理士さんを探す(多すぎて選ぶ基準がわからない、、、-_-;)③「税務署」に真正面から電話して聞いてみる(ちょっと勇気いるよねー ̄▽ ̄)④困った時はとりあえず市役所に行ってみる(おばちゃん的発想^-^)という訳で、最初
無事に登記手続きが完了しました『いざ!相続手続きの第一歩』朝イチに入院費の支払いに病院へ。↓銀行へ葬祭費の支払いと水道料金の口座変更の手続き↓法務局へ法務局のサイトを見ても何が何だか…そんなんで大丈夫なのか?って自分…ameblo.jp何にもわからない状態からスタートした相続登記。法務局でいただいたチェックリストを元にまずは書類集めに市役所へ↓これを一気に集める!①被相続人の戸籍謄本・除籍謄本・改製原戸籍(亡くなった人の出生時から死亡時まで連続したもの)②被相
いつもお立ち寄りいただきまして、ありがとうございます。m(__)m前回投稿した日の翌日の夕方、母は息を引き取りました。正確には心臓の活動を停止いたしました。長らく、ここで母を見守りいただきました皆様には、心より感謝申し上げます。3月の初旬、病院が突然の面会禁止となりました。コロナ感染による発熱外来患者さんが増えた為との事でした。全国的にはコロナは下火になっている中、なぜこの地域だけ?と思いましたが、近くの海浜公園で行われたイベントが原因なのではないかと、個人的に考えます。この
2023年、年末、母が亡くなりました。この日なんと父が亡くなった日と同じ日。夫婦で同じ日ってなんかすごいなって思いました。私は地方に住んでいます。クリスマス前にちょっと用事があり普段だったら行かないのですが東京に行きました。その時、母と会いクリスマスケーキを食べさせてあげて一緒に過ごしました。認知症でわかっているのかわかっていないのか?私の名前〇〇ちゃんって呼んでもらえなかったな…最後呼んで欲しかったなでも最後に会えてよかったな。と思います。子供たちが帰省してくる
親が亡くなった後、出生から死亡時までの戸籍謄本の取り寄せは、初めにクリアしておきたいちょっと面倒な手続きです。私も今までに■父が亡くなったとき・銀行口座の払い戻し・実家の名義変更(父→母へ)・株式の名義変更(父→母へ)・生命保険の請求など■実家の介護用リフオームの補助金を受けるとき(家の名義が亡くなった父のままだった)■母の引越し手続きの時■兄の生命保険満期手続きの時(婚姻した兄妹は委任状が必要)■実家の売却のとき
いつもお読みいただきありがとうございます😊みなさまに、お知らせさせていただきたいことがあります。以前から、”もう1つの仕事をしている”と書いておりましたが・・・私の本ができました実は1年ほど前に、このアメブロのメッセージに、出版のお話をいただいておりました。ギャラクシーブックスさんという出版社さんからでした。会社について、色々調べると、多くのブロガーさんに、ダイレクトメッセージを送られて、共同出版しませんか?と勧誘されているとのことでした。あまり良くない
こんばんは。あなたのココロにぽっと灯りを。。。かのんです。よく頑張ってるね。そんな言葉を掛けられてもちっとも嬉しくない。それってどうしてだかわかりますか?それは頑張りすぎているから。もう頑張れないって薄々気づいているのに色んな言い訳を用意して頑張り続けているから。そして頑張りたくないことを頑張っているから。やりたくもないことを頑張ってやりたいことを頑張れていないから。これをしなければならないって頑張り続ける言い訳を用意するのは簡単なのにどうしてや
雲一つない晴天太陽の力ってすごいんですよね何度も太陽の明るさに助けられています葬儀は通夜なしの家族葬家族葬だからといって親族以外はお断りなんて事ではなく連絡を頂いた方は是非…とお越し頂きました🙇♀️一般葬にした方が良かったのかなでも生前、母は「家族葬でいい」と、言っていたのでその通りにしました母の死を知り駆けつけて下さった母の友人習い事の先生や生徒さん達母が「良くなったら、また会いたい」と、言っていた方が駆けつけて下さいました良かっ
最初の月命日でした。未だに心の整理はついていません。今回は母の腎がんについてわかっている範囲での時系列を書くことにしました。と言っても発覚、入院、最後の時までが短すぎるので、過去の関連の出来事も載せています。なるべく主観などは省き、出来事のみ書いてます。20??年(5年以上前)腸炎になり、近所の病院を探していたところ、徒歩圏内に内科・消化器内科のAクリニックを見つける。(※本人談)2020年春頃私(次女)と同居開始。近場の賃貸マンションへ引っ越す。すでにAクリニック
ピッコマで漫画配信中!「ぎふてっど」で検索オンラインサロンへのご参加もお待ちしています♪オンラインサロン/コミュニティ運営ならYOOR「ユア」YOORは、オンラインサロン専用トークルームを完備した、コミュニティやファンクラブ、オンラインレッスンの場として利用できるプラットフォームです。yoor.jp義父の蒸発した話も空耳で聞き流し、過去とはキッパリ決別した私しかし、母の魂は故郷から遠く離れた地で暮らす私についてきました私、霊感は全くありませんが
いつか。今忙しい。を辞めました。いつかのために。も。今会いたいから会いに行く✨これまでの実家に対してはついつい目の前の毎日に集中してついつい飛行機の予約を後回しにして…それでも母が体調崩してからは2ヶ月に一度帰省して連絡も増やして『夏休みまで楽しみー‼️それまで頑張って毎日乗り越えてね!』と母とメールした3日後に亡くなりました。もうすこし電話したらよかったもうすこし優しくしたらよかったもうすこし好きと言えばよかったもうすこし話を聞けばよかったもうすこし
2024/03/07(木)母が亡くなった次の日に「小さなお葬式」で認知度を上げているらくおうの営業の方と葬儀のプランを決めました。そのとき、母の体を整えるエバーミングというのに8万ほどの記載がありました。ただ、着替えるだけなのに!?とその時は思ってしまいました。全てのプランを決めて最後の確認の時にこちらでよろしいでしょうかご不明点などございませんか?と営業の方に聞かれました。お葬式の費用は83万ほどお坊さんにお支払いするのが13万。父も妹たちも黙っていました
こんにちは、世界を飛ぶパラレルキャリア乗務員YACHIです!(初めての方⇒プロフィールインタビュー動画))YACHIってどんな人?あっという間に3月今日は春分の日ですね。皆様お元気でしょうか。ほとんど更新もしていないけど多くはありませんが私のブログに訪れて下さってる方がいると思うとありがたいなって思います。ずっと前に少し書いていたブログも下書きにはいったまま何週間も過ぎてしまいました。その下書きに少し追記
癌になったことをどう、子供に伝えるか癌専門病院で冊子をいただいた。未成年の子どもがいるがん患者・家族支援|国立がん研究センター中央病院www.ncc.go.jp私の場合子供が小さいので物心つくまえからがんと一緒の生活になる。冊子の中には子供は「自分のせいでがんになった」と理解してしまう子供もいるとかかれていた。うちは、子供にもがんであることは伝えている。そのうちベラベラ喋らないかしら。(そのことは当時あまり考えてなかった)そもそも死に対しての子供の理解力はどれほどな
海猫2004年11月13日公開北海道の漁師町を舞台に、土着的な逞しさを持つ夫と繊細な心を持つ義弟との間で揺れ動く、若き人妻の心情を描いた純愛ドラマ。あらすじフィアンセの修介から、亡母・薫のことで一方的に婚約を破棄された美輝。ショックで失語症になった彼女は、故郷・函館の病院で祖母のタミから母の死の経緯について聞かされる――。薫が函館から峠ひとつ隔てた漁村・南茅部の漁師・赤木邦一のもとに嫁いだのは、80年代半ばのことだった。ロシア人の血を引く彼女は、村人たちに”青い目のお嫁さん“と歓迎され、
母はスマホはそこそこ使ってましたが、写真は全然撮っていませんでした。もともとそんなに写真を撮りたがるタイプじゃなかったのもありますが…なので母のスマホ、iPadともども写真はほとんど残されていませんでした。そんな母が珍しく撮っていたものが、ベランダで育てていた植物、あと自作の夕飯の画像。夕飯画像は1回撮ったきりでしたが、花は何枚か撮影した上、LINEのアイコンにもしていました。母は百合や赤い薔薇、胡蝶蘭といった派手目な花が好きだったのですが、1番撮影していたのがこの花。
ピッコマで漫画配信中!「ぎふてっど」で検索オンラインサロンへのご参加もお待ちしています♪オンラインサロン/コミュニティ運営ならYOOR「ユア」YOORは、オンラインサロン専用トークルームを完備した、コミュニティやファンクラブ、オンラインレッスンの場として利用できるプラットフォームです。yoor.jpいつの間にか10話も続いてしまった母の話仏壇を買って母を供養するようになってからは、私に『34』という数字を見せるようになりました。この過去記事に詳しく
母を亡くし、こんなにも「お母さんお母さん」と嘆いている私ですが、私はまさか自分がこんなにも母の死を引きずるなんて思っていませんでした。そもそも母が死ぬ日はもっともっと先の未来に起きる出来事だと思い込んでいたし、看護師として何十人、何百人もの患者さんを看取ってきた私にとっては、その時がきてもきっと冷静に受け入れられると思っていました。それに私たち親子は絵に描いたように仲が良い母と娘の関係というわけではなかったし、自立するのが早かった私は母がいないと生きていけないなんて思ったこともありませんでし
📷カバー写真はナンジャモンジャの木🌳東京都内在住37歳KLCにてPGT-A正常胚移植にて2021.11.26出産しました🐣🌷いつもお越しいただいている方🌷初めての方いらっしゃいませ〜ありがとうございます😗👍いいね😊👍くださった方々❤️ありがとうございます❤️*********不妊治療歴&PRは☝️コチラをご覧ください!※ただいまページ整理中です🙇♀️不妊治療のトビラ🚪を叩いたキッカケは☝️コチラからお願いします!***
高齢者が体調を壊すと7日間・・・在宅医療の医師は7日間と言い切るにほんブログ村にほんブログ村
もう3月。月日が流れるのは本当に早いですね。闘病生活が始まりもうすぐ3年が経ちます。私はずいぶんと体調が落ち着き、PTSDの治療で内服しているジェイゾロフトというお薬は75mgから25mgまで減らすことができました。PTSDの症状がひどかった頃は毎日毎日何もかもが怖くて気がおかしくなっていました。あまりの怖さに家から1歩も出ることさえできず、長い時間寝たきりでいました。毎日パニック発作だらけで死んだほうがマシだと本気で思うほど苦しい日々でしたが、最近では長距離のお出かけもできるように
「数日前まで出来ていたことが出来なくなる」っていう、癌の末期…というか終末期の話。最近ニュースサイトで見かけていました。これ。本当にそうなんですよね。うちの母に関して言えば癌と診断された11/21の時点で終末期でした。しかし、入院寸前まで寝たきりでもなく普通の生活をしていたし、入院後も立って歩けるし、トイレももちろん自力で行ける。だからこそ、「数日中に亡くなってもおかしくない」という医師の説明が信じられませんでした。12月に入っても母の様子はあまり変わらなかったので、奇跡的な回復