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こんにちは、世界を飛ぶパラレルキャリア乗務員YACHIです!(初めての方⇒プロフィールインタビュー動画))YACHIってどんな人?今年の桜は、遅かったですね。3月後半のフライトでヨーロッパのお客様少々残念そうでした。去年は、思いがけず3月20日ごろのフライトまさか見れると思っていたなかった桜が見れて嬉しかったのを思い出します。私の備忘録となりますが少し綴りたいなっと思ってます。時間が経ってしまっているけど、な
こんばんは。あなたのココロにぽっと灯りを。。。かのんです。よく頑張ったね。よく頑張って今まで生きてきたね。色んなことがあったよね。ココロが空っぽになったこともあったよね。感情を失くしたこともあったよね。何で自分だけが…って神さまを恨んだこともあったよね。周りが華やいで見えて持って行きようのない怒りが込み上げたこともあったよね。ひとりで抱えるには重すぎて。けれどひとりで抱えるしかなくて。勇気を振り絞って話してみたら理解されなくて。何度もココロを閉ざ
(岩手移住時代<昭和22年・65歳>の高村光太郎<1883-1956>)母をおもふ高村光太郎夜中に目をさましてかじりついたあのむつとするふところの中のお乳。「阿父(おとう)さんと阿母(おかあ)さんとどつちが好き」と夕暮の背中の上でよくきかれたあの路次口。鑿(のみ)で怪我をしたおれのうしろから切火(きりび)をうつて学校へ出してくれたあの朝。酔ひしれて帰つて来たアトリエに金釘流(かなくぎりう)のあの手紙が待つてゐた巴里(パリ)の一夜。立身出世しな
さて、ジュリーのライブも東京、名古屋、大阪と無事終了しました。そして皆さまのブログを巡り読ませて頂いてジュリーの様子、興味深いMCなど~今回参加できなかった私も十分堪能することができました本当に感謝しています、ありがとうございましたそういえば今回の名古屋のステージのMCでも亡くなったお父さんの年齢とそして、5月27日はお母さんの命日だったと話していますよね・・・さて、ジュリーのお母さんが亡くなった日の続きを書こうと思います。今回フォーラムへ行くこ
母と永遠の別れが来てしまった日曜の朝おはよーお母さんお茶飲みたいが?わかった明日市役所の人が来られて介護認定面談があるね生年月日言える?と話しとったらうんちがしたくなったってぇここでする?トイレでする?トイレに行くと言うけど歩くのは無理イスに乗せトイレまで押して行った便器に座ったり立ったりで疲れたようまたイスに乗せベッド側に戻っても立ち上がる元気なしでベッドにもたれかかる大丈夫?苦しいわもうすぐ弟
おじゃまします。なおぞうです。前回の投稿から遅ればせながら‥乳癌の定期検査結果は良好でした。よく読む絵本を暗記してしまった1歳の男女双子の育児奮闘中のシングルマザーです。林明子さん作「おつきさまこんばんは」手元になくても目をつぶっていても絵を思い浮かべ読むことが出来る私にとってなくてはならない大切な絵本です。生まれたばかりの我が子にこの絵本を読み聞かせていると何故だか2人とも声を出してきてまるで一緒に読んでるみたいでいつしか母ちゃんの後に続いて復唱するようになり
それぞれのやり方で、自分自身を解放し余韻を残す形で終わりを迎えました。ギジョンは、自分で髪を切りました。テフンからはメール”お父さんの誕生日にマッサージチェアはどうか””ノーノ―要らないわ誕生日はパスして下さい”ギジョン”分かりました””サンキューです”テフンは固いメールで、ギジョンは柔らかくでもメールを見る表情は、反対でギジョンは固い表情です。テフンがランチを食べている所にギジョンが入って来ました。「髪が...」とビックリするテフン「切りました」ギジョン「今
2日間とてもとてもDeepな自己探究のジャーニーを日本でしていました。1日目は私の心の救急箱、心友マヨちゃんが導くホロトロピックブレスワークで変性意識の世界を旅し…泣いたり、笑ったり、宇宙に行ったりトランスパーソナルな状態に達したり。昨年経験したクンダリーニ覚醒の時のヨニからの雷ビリビリ、宇宙まで昇天…に近い体験で、なんだか前回、前々回とは全然違った旅でした。ケビンおじさんがイルカになって海の向こうに虹が浮かんだり。母の死とバナラシのガンジス川で流した灯籠が浮かんで来
今日も遊びに来てくださってありがとうございまぁ~すはじめましての方へ・プロフィール・壮絶過ぎて最後まで読めないドラマの様なほんとにあった話愉しい人生を創りたい方はこちら・セッションメニュー・お取り扱い商品・人間関係に悩まなくなるために𝕝𝕟𝕤𝕥𝕒𝕘𝕣𝕒𝕞やってますお手数ですがよろしくお願いしますこの記事からスタートなのでまずこちらから読んでください。『ひと月の間に起こったこと①』今日も遊びに来てくださってありがとうございまぁ~すはじめましての方へ・プロフィール・壮絶過ぎて
今日は妙な夢だった。若いころに心底惚れぬいた女性がいた。片思いだったけどその人を好きになったせいでそのあとであった誰とも結婚に至らなかったほど好きになった女性だった。そして母も夢に出てきた。片思いの女性は若いままの姿。母は晩年の年老いた姿。でも母が夢に出ると安心感で満たされた。そこで目が覚めた。振られた女性と仮に結婚して歴史ができれば事情は異なったかもしれない。でもやはり母を失ったことのが大きかったと目が覚めて実感した。母はやはりしゃべらない。母と
今日はうちの弟のマヤ暦BD❣️みっこちゃん(私の母)が入院して余命が短いとわかってから弟も何度もお見舞いに来てくれた。みっこが亡くなって色んな手続きがあって二人で話すことが多くなって昔の弟と私の関係を思い出した。たった二人の姉弟。。二人とも結婚してなかなか会うことがなくなってたけど母の死をきっかけによくやりとりするようになりました。うちの子供3人は私の弟(おじさん)が皆お気に入り🤩なんならツボ!!面白さが半端ないw弟の子供達はいつものことだから慣れっこでシレーと
こんにちは✨ゲーム大好き、化粧品大好き、(オシャレじゃないけど)オシャレも好き、料理もお菓子作りも好き(片付けは苦手)な主婦トッチ〜です。夫と息子と娘の4人家族ずっと治したかった🦷アラフォーですが2023年4月から歯列矯正スタート▶️(私)そしたらまさかの息子も秋から矯正スタート予定🫠💸自分も色々とブログやSNSで矯正の情報を調べていたので、忘備録として矯正の事も書いていきたいと思います。『いまだに信じられないが母が交通事故に遭う。』こんにちは✨ゲーム大好き、化粧
今年で98歳やな、100歳まであと2年頑張ろうな。なんかおいしいもの食べに行こか?…亡くなった子供の歳を数えるという言葉がありますが、私は亡くなった母の歳を数えます。冷蔵庫に会ったパン粉は捨てました。パン粉は母の好きなカツやハンバーグを作るときに使っていたものです。もう作ることはないですね。揚げるときに使っていたこめ油も昨年12月から使ってません。よく使っていたすき焼きのたれも5本くらいそのまま。2月3月は炊飯器は一度も使っていません。でも今日はご
こんにちは🤗いつもいいねや、メッセージありがとうございます🙇今日は雨で雨だと気分もあがりませんね☔題名の件です🌳今日は久しぶりにヨガにいってきたいと思います❗元々体がものすごく硬くて将来寝たきりになりたくない!という思いからヨガをオンライン始めていたんですが母の死や離婚でやる精神的な余裕がなくなりさらに精神的なストレスで激ヤセしてしまったからか体が不調になってしまって💦💦短期間で七キロ痩せてしまいました特に上半身の痩せ方がすごくてあばら骨がクッキリ見えます💦ご飯も沢山
相続する財産が全部でいくらぐらいになるのかってどうやったら計算できるんだろう?だいたい大きな項目としては一般的に・家+土地(実家、山、田畑等)・預貯金・有価証券(株、投資信託等)・生命保険(死亡保険金等)・施設の入居金の返還金などが考えられます。これって、そもそも自分でできるん?私は、一体どこまで自分でやるんだろう、、(-_-;)だんだんそんな疑問がわいてきました。母は生前に「公正証書遺言」を作ってくれていたのでど
母の四回目の月命日を迎えました。母が亡くなってもう五カ月あっという間のようで、あの暑かった夏の日はもう随分前のことのような気がします。花よりダンゴ^^母の好きだったみたらし団子(醤油味)を飛騨の友達が送ってくれました当ブログ『それでも実家は売れました』は<シーズン1>2022年9月~2022年3月まで(実際は2019年3月~2022年3月までの振り返りを書いています)・2019年4月に母を富山の実家から私の住む関西へ呼び寄
こんばんは。あなたのココロにぽっと灯りを。。。かのんです。以前こんな記事を書きました。どうしてこんなにも空を見上げるのが好きなのだろう?と思いながら再び空を見上げて気づきました。それは自分であり宇宙と繋がるからなんですね。どんな私のこともこんなにも愛してくれてこんなにも包み込んでくれる。たくさんの人の価値観にもみくちゃにされながら生きていく中で忘れかけた本当の自分。そんなただここに存在しているだけでいい価値ある存在であることを思い出させてくれるからなん
医師の最後の診察が終わった後、母の部屋に残った私たち三人(私、旦那、息子)葬儀社への連絡は旦那に任せて私は親族への連絡をすることにしました。父が亡くなってから10年間富山の実家で一人暮らしをしていた母2019年3月に「もう1人暮らしを続けるのは難しいです」とケアマネから連絡があり私の住む関西に呼び寄せました。その時の様子はこちら↓『ケアマネさんからの長い電話』昨日の母に人生最悪と言われた日からのつづきです。ケアマネさんはゆっくり私を気
いつか。今忙しい。を辞めました。いつかのために。も。今会いたいから会いに行く✨これまでの実家に対してはついつい目の前の毎日に集中してついつい飛行機の予約を後回しにして…それでも母が体調崩してからは2ヶ月に一度帰省して連絡も増やして『夏休みまで楽しみー‼️それまで頑張って毎日乗り越えてね!』と母とメールした3日後に亡くなりました。もうすこし電話したらよかったもうすこし優しくしたらよかったもうすこし好きと言えばよかったもうすこし話を聞けばよかったもうすこし
生きていたら98歳。ニコニコしてつつじ園に行くだろうな。明日は一日泣いている気がする。おかあさん。寂しいよ
お久しぶりです。すっかりネコまみれな生活になってしまった我が家です…子供3人。ネコ4匹。夫が単身赴任なため、1人で7人の子育てをしている状況…ネコちゃんたちがかわいいことは間違いないのですが、想像以上に大変で、さすかに気持ちに余裕がありませんでも、そのおかげで気持ちが沈むこともなく過ごせているのかもしれません。私は時間に余裕があると余計なことを考えてしまうので、これくらい忙しい方が良いのかもしれないです。ネコと生活するようになり、心の癒しを与えてもらえるようにはなりましたが、それ
悪性脳腫瘍で大切な母を亡くしました。母の看病、介護をした経験から私の感じたことをシェアしたいと思います。この問題は政策に依拠するところも多いですが、大きな議論に広げるつもりはありません。ここではあくまで一個人の経験と感想をこれから苦労する方に向けてシェアしたいと思います。したがって、そんなことみんなが言い出したら?というツッコミや議論はひとまずご遠慮願います。母が闘病していた2014年末から2018年の夏、日本においては在宅医療が推奨されており、行政のオペレーションはもちろんのこと、ネットや
四十九日法要のお坊さんの手配を依頼した翌日、葬儀の時にお経をよんで頂いたお坊さんから電話がかかってきました。(お坊さん)「四十九日法要の確認のお電話をさせて頂きました。当日私が先に予定が入っておりまして同じ寺から別の者がお参りさせて頂きます」(私)「よろしくお願いします。場所はおわかりになりますか?」(お坊さん)「はい、ご自宅ですよね。何かご不明な点やご心配なことはございますか?」(私)「”過去帳”をまだ書
こんばんは。あなたのココロにぽっと灯りを。。。かのんです。最近テレビを観ながらよく笑うようになったなぁと思います。以前はバラエティ番組を観ても面白くないわけじゃないけれどだからと言ってガハハと笑うでもなくクスッと軽く笑う感じでした。それがこのところ気がつけば声を出して笑う自分がいてそんな自分に自分が驚いています。お母さんを失ってしばらくはバラエティ番組を観ることはまずなかったし笑いに感情が向かうこともなく何より笑うことそのものを自分に禁じていました。笑
夜中に目が覚めたのでもう一度寝るとまた変な夢を見た。母親を病院に連れて行って車いすを押していたのだが、なかなか駐車場にたどり着けない。ようやく車を見つけて駐車料金を千円札で支払うと、釣銭のところから万札が数枚出てきた。数えると8万5千円。母には黙って車を出して目が覚めた。
やっぱり、母に会いたくなる気持ちが定期的にやってきます。でも、思い出したらダメな気がして。なるべく母への思いは封印するようにして過ごしています。母がいなくなった現実にいる自分と向き合うのさえ辛いです。何もなかったかのようなふりをしながら生きていますが、時々、「私、こんな世界で何のために生きてるのかなー。」なんて思ったりしています。でも、前にも書きましたが、ただ、生きていくしかなくて。生きているというより生かされてますよね、本当に。生きてる意味がいまだにわからなくなり自分の気持ち
ピッコマで漫画配信中!「ぎふてっど」で検索オンラインサロンへのご参加もお待ちしています♪オンラインサロン/コミュニティ運営ならYOOR「ユア」YOORは、オンラインサロン専用トークルームを完備した、コミュニティやファンクラブ、オンラインレッスンの場として利用できるプラットフォームです。yoor.jp一度は医療の力によって蘇生された母。その蘇生すらしなければ良かったと後悔するほど、痛みで呻き続ける母を見ては胸が締め付けられました。この頃、一度夫が様子を見
ピッコマで漫画配信中!「ぎふてっど」で検索オンラインサロンへのご参加もお待ちしています♪オンラインサロン/コミュニティ運営ならYOOR「ユア」YOORは、オンラインサロン専用トークルームを完備した、コミュニティやファンクラブ、オンラインレッスンの場として利用できるプラットフォームです。yoor.jpいつの間にか10話も続いてしまった母の話仏壇を買って母を供養するようになってからは、私に『34』という数字を見せるようになりました。この過去記事に詳しく
死ぬ二週間前まで台所に立っていた母、少しずつ、少しずつ、昨日できていたことが、今日はできなくなる。ある日、階段を降りれなくなり、上がれなくなった。1人で行けていたトイレに、付き添いが必要になり、寝たきりになった。食事は何を食べても受け付けなくなり、嘔吐してしまう。水も。そんな時、本当に助かったのは、「氷」東城百合子さんの「自然治療」の本に、「何も受け付けなくなっても、氷だけは吐かずに食べられる」と書いてあった。本当にその通り
簡単に言えば「信じていないと気付いたから」です。物心ついた時には既に当たり前になっていた、読経や、書物、名誉会長のスピーチ、会員から発せられる言葉、空気感…実は、何ひとつ、納得していなかった。それに気付いたのが、40歳の時でした。きっかけは、自分がセクシャルマイノリティだと気付いたことでした。ざっくり説明すると、私の性自認はXジェンダー。男性の時も女性の時もあって、どちらとは言いきれません。そんな私は、男性と女性で、ハッキリとグループや役割を分ける学会の組織が、大嫌いでした。まず、そ