ブログ記事8,306件
この方のお母さんのように施設で亡くなられた人は、かなりの人数いたのだと思います施設で働く人も打つように圧をかけられたかもしれないし入所者の意思を尊重しないまま打たせている状況に違和感を持った人もいたと思います逆に、自分が打つことも含め何の疑問も罪悪感も持たなかった人もいたでしょう外部と切り離された狭い世界で何が行われていたのか想像すると恐ろしいです母の死に納得がいかず、施設の介護記録と施設の担当医にカルテの開示をお願いしました母のワクチン投与、聞い
母の呼吸が止まった後も私は母の手を握り、顔を見つめていました。「母は、私を待っていてくれた」「私の手の中で旅立っていった」そう思うと涙だけがただあふれてきて声を出すこともできず時計の時刻を確認することもできませんでした。しばらくしてふと顔をあげると少し離れた場所で静かに泣いてくれているサ責さんと目が合いました。私がうなずくと、隣にいた看護師さんが近くまできて母の「脈」を確認します。「医師に連絡してきます」そう
こんばんは。あなたのココロにぽっと灯りを。。。かのんです。明日はお彼岸の中日。お墓参りに行かれる方も多いかも知れませんね。お墓参りに行くにせよ。お仏壇に手を合わせるにせよ。ココロの中で旅立ったあの人を想うにせよ。悲しい辛い想い出ではなく愛する人の笑顔が想い出されるような時間であって欲しいなと思います。こういった日だからこそ蘇る想いもいつも以上にたくさんあるでしょう。泣くつもりなんかなくても自然と込み上げてくる想いをガマン出来ないかも知れません。けれど共に過
2016年6月1日、母が自死しました。それ以降、様々な困難に直面しています。正直この苦しみが死ぬまで続くのかなと思うと苦しくなり、何度も死にたいと思ってしまう瞬間があります。終わらせてしまった方が楽だという気持ちに駆られます。私には夫と2人の子どもがいます。母の母、つまり祖母も存命です。父も姉もいます。だから現実には死ねないなとすぐに思いとどまりますが、睡眠薬などがもし大量に手元にあったら発作的にやってしまうかもしれません。母が自死して3ヶ月経ちました。毎日毎日地獄です。あれだけいつ
ピッコマで漫画配信中!「ぎふてっど」で検索オンラインサロンへのご参加もお待ちしています♪オンラインサロン/コミュニティ運営ならYOOR「ユア」YOORは、オンラインサロン専用トークルームを完備した、コミュニティやファンクラブ、オンラインレッスンの場として利用できるプラットフォームです。yoor.jp母の葬儀は宗教葬でした。新興宗教の仲間が葬儀を取り仕切るので、宗教名簿から外れたと断言している私は何もすることがありません葬儀の準備の時、義兄が私の会っ
母の四十九日法要の前後に葬儀の際に頂いたお香典にお礼の品を送る手配を始めました。親戚(父方と母方のいとこ)の家には百貨店のカタログギフトを友人にはお菓子をお送りしたのですが商品の選定や注文は全部旦那がしてくれました。今何が流行ってるのかやたら詳しい旦那はこの手のことはまかせて安心です^^私が気になったのは、そこに同封するお礼状の方でした。遠方の親戚から現金書留で送られてきたお香典を受取ってすぐにお礼の電話はしたのですが
母の誕生日だったから。でもおかずはタマゴかけご飯に味付け海苔に佃煮。いずれも母がニコニコして食べていた。食べながら涙が止まらない。衰えれば衰えるほどあなたへの愛は深まっていたんですね。失って3か月。悲しみは深まるばかり。以前は楽しいと思っていたことが楽しくなくなった。何をしても楽しいことなど何一つない。母が横にいればそれだけで安心して何があっても楽しかった。生きているのがめんどくさい。
こんばんは。あなたのココロにぽっと灯りを。。。かのんです。大丈夫。そう言うと他人事だからそんな風に簡単に言えるんだと思われるかも知れませんね。不安を抱えている人にとっては現状のどこにそんな大丈夫と思える要素があるのだと怒りすら覚えるかも知れません。けれど他人事だから自分とは関係のないことだから安易に大丈夫と言っているのではありません。大丈夫とは信じると同義語です。今は不安にかられ目の前が暗闇に見えていてもいつか必ず光を見つけられると信じているから
あっという間に母の命日から5ヶ月。早い。毎日がすごいスピードで過ぎていく。5ヶ月も経つのに、まだ母の入院時の荷物が整理出来ない。何かをする気力が全然ない。どうしよう。まだ毎日を生きるのに精一杯。泣かない日はない。でも、夜寝る時に急に悲しくなって号泣することは減ったよ。お母さんがいないことが、普通になってしまった。
何とか母の四十九日法要までにやった手続きは、昨日までにお話したSTEP3の➀~➄まででした。■STEP3届け出➀母の生まれてから死ぬまでの戸籍の取寄せ…(★)↓②「法定相続一覧図」の作成…(★)↓③市役所での手続き(14日以内)…(★)↓④携帯電話、NHKの受信料の解約…(★)↓➄遺言書の確認↓⑥銀行・証券会社などの口座の凍結、相続手続き↓⑦生命保険の解約・受取手続き➄
母が亡くなった後にやる大切なことの一つに■STEP5残された家族の生活を整えることがありました。そう、一人残された「兄の生活を整えること」です。きょうだいとはいえ、私には兄が「母の死」をどう受け止めているかということまではわかりませんでした。もちろん寂しいし、悲しいだろうけど兄は母の看取り期にも葬儀の間も思ったことをほとんど口にださなかったし泣くこともありませんでした。私の兄は、30歳を過ぎてから障害者認定を受けて高
市役所ではできなかった手続きで急いでやらなければいけないものに年金の停止手続きがありました。この手続きが遅れると、亡くなった人の年金が支払われてしまって今度は返還の手続きをしなければなりません。市役所での様々な手続きはこちら↓『市役所の中をグルグルまわって手続きする』母の「出生から死亡までの戸籍謄本」について電話で問い合わせをし、法務省のHPを見ながら②「『法定相続一覧図』の作成はもうちょい落ち着いてからにしよう、、…ameblo.jp市役所は自転
母の誕生日に思い出すのは母と旅行に行った数々の場所。家になかでの母の様々な笑顔。だめだ。おかあさん、おかあさん、おかあさん。。。枕や抱き枕、そしてマットなど部屋中であるものを抱きしめ、母が横になっていったソファーやベッドの上で転げ回って号泣。ずっと見なかった生前の母の写真を見て大声をあげて泣いた。亡くなって3か月。苦しい日々が続く。
夢の中の母はしゃべらない。私は母と話をしたいのに。苦しみは増すばかり。哀しみは深くなるばかり。お母さんとの時間が煌めく時間だったと今頃になって気づくなんて。だったらもっともっと大切にすべきだったと毎日後悔している。10回旅行に連れて行ってあげたことよりも20回旅行に連れて行ってあげなかったことで詫びたい気持ちでいっぱい。私は前にも書いたけど死後の命は信じていません。でも機会があれば手を合わせて思い出の中にいる母に「ごめん」と謝っている。母の世話は私の命
昨日は母の四十九日の法要を行いました。亡くなってから42日目なので本当の49日目は、2/19です。母の兄妹、父の兄妹、母の甥、姪が来てくれました。お経を聞いていると自然と涙が流れてきます。天国へ行って欲しいけど、心はずっとそばにいてね。今まで通りずっと家にいてねと心でお話ししました。食事中、この場に母がいてくれたらどんなに楽しいだろう。お話し好きの明るい母なので、会話が弾んでまわりがどれだけ楽しめたかな、なんて思いました。姿は見えないけれど、きっと母も同じ空気を感じてくれていたと思い
お役所関連の手続きが終わったら次は民間サービスの解約手続きです。こちらは手続きせずに放っておいても誰も文句は言ってきませんが、停止するまで、お金は黙って引き落とされ続けていきます。コワイコワイ、、(^-^;最低過去一年分の引き落とし状況を母名義の通帳で確認しておきます。母は住宅型有料老人ホームに入居していたので、月々の支払いで一番金額が大きいのはホームの利用料でした。その中には、・部屋で使用した光熱費(電気・水道)・食費も含
どれくらい時間を待ったか忘れたけど火葬が終わり、大好きな母は骨になった。火葬炉から出てきた母は肉体が完全になくなり、ただのスカスカの骨になっていた。もう涙は出なかった。お母さん。やっと楽になれたんだね。素直にそう思った。祖母は、「骨になった娘なんて見たくない!」と泣き、骨拾いには参加しなかった。葬儀屋の職員の指示に従いながら、私たち家族と親族。みんなで丁寧に骨拾いをした。子供たちにも、「ばぁばの骨を拾ってあげてね」と声をかけた。少し怖がってたけど、当時9歳、7歳、4
ピッコマで漫画配信中!「ぎふてっど」で検索オンラインサロンへのご参加もお待ちしています♪オンラインサロン/コミュニティ運営ならYOOR「ユア」YOORは、オンラインサロン専用トークルームを完備した、コミュニティやファンクラブ、オンラインレッスンの場として利用できるプラットフォームです。yoor.jp私が病院にひと月以上滞在していた頃、医師から「今日、明日が山場だ」と言われました。そこで叔母の家を出て、再び個室のソファーで24時間待機し、状況を見守り
母の部屋の片づけた翌朝ベットから起き上がろうとするとお尻から右足にかけて強烈な痛みが走りました。(えっ?筋肉痛?イヤ、、そんなんじゃないな、、)やっとの思いでベットから起き上がると、次は階段です。左足に体重をかけてなんとかそろりそろり歩くも立ったまま階段を下りるのは無理でお尻と手を床についたままリビングまでやっと辿りつきました。アラ50の私ですが、ここ数年は食事や運動にも気をつけ年に一度の健康診断はオールAの優等生(う
市役所の「市民相談」に行った後教えてもらった『税理士会』の事務所がすぐ隣のビルの中にあったので立ち寄ってみることに。(このご時世アポもとらずにスミマセン)昨日からの続きです↓『市役所の市民相談で税理士さんに会ってみる』「相続」のことを誰かに相談したいけど誰に相談したらいいんやー問題。➀知り合いにの知り合いに、そのまた知り合いの税理士さんを紹介してもらう(もはや知り合…ameblo.jpピンポーン♪ドアの横のインターフォンを押すと中から一人の女性が
7年前に車を買った時に迷ったことがあります。それはナンバープレートを私の誕生日にするか母の誕生日にするか。結局自分の誕生日にしたのだけれど今後悔しているのは母の誕生日にすればよかったということ。どれだけうれしそうな顔をしただろうかと思うと悔やまれる。色も赤にすればよかった。母の誕生日に思ったこと。母さん、生きてほしかった。
ピッコマで漫画配信中!「ぎふてっど」で検索オンラインサロンへのご参加もお待ちしています♪オンラインサロン/コミュニティ運営ならYOOR「ユア」YOORは、オンラインサロン専用トークルームを完備した、コミュニティやファンクラブ、オンラインレッスンの場として利用できるプラットフォームです。yoor.jp義父の蒸発した話も空耳で聞き流し、過去とはキッパリ決別した私しかし、母の魂は故郷から遠く離れた地で暮らす私についてきました私、霊感は全くありませんが
母は、生前に私たちのために「公正証書遺言」を残してくれていました。遺言書を作成したときの話はこちらで→テーマ◇資産整理・公正証書遺言遺言書の中には「遺言執行者=私」と指定されています。遺言執行者とは、簡単にいうと相続が遺言書通りに実行されるよう手続きを行う人のことです。2時間ドラマみたいに凄腕弁護士とかは誰もやってこないのね、、全部自分でやります(^-^;父が亡くなった時には「遺言書」のようなものは全くなかったので相続人であ
前のブログの続きですさて、無事に産まれNICUを退院したKUーちゃんは一ヶ月後に、初めてお家へ帰りました。母親を早くに病気で亡くした私は、里帰り出産などはせず、全部自分で面倒を見ていました。主人も帰りも遅く、フラフラになりながらおっぱいをあげて、ミルクをあげて、沐浴をして。。もう必死でした。「自分の子供が可愛い」⬆︎こんな事を思う余裕すらありませんでした。とにかく、寝ない!!何故泣いているのか?なにを伝えたいのか?!さっぱり分かりません◉こんなにも睡眠がぶつ切りになると
昨年まではたとえ二人だけだとは言え高めのショートケーキを買って祝ったものだった。誰と話をしないまま、何もなく終わろうとしています。母を看取った後に、自分も逝きたかったという思いがよぎる。親子に深い愛を与えた神は残酷だ。私はずっと神には手を合わせ日々の糧と命に感謝をしていた。しかし日々の糧も味気なく、命の持っていき場がないくらい寂しくてつらい。神に感謝することがなくなった。母の誕生日がこんなにつらいものになるものだとは昨日まで思わなかった。
平成が終わった年の1月31日に、母を看取りました。小腸癌で、発見時はすでにステージ4。主治医からは緩和ケアしかないと言われながらも、癌の統合医療を専門にしている弟のおかげで、さまざまな治療ができました。最期は、母が結婚する前に長年勤めていた病院に入院させていただき、親友の看護師さんと、父がつきっきりで看病してくれました。私も片道500キロの距離を車を走らせ、お見舞いに行ってました。ある日、病室の母が、「雪が☃️みたい」と言いました。起き上がる力はもう無かったので、ベッドを起こすと「
父と母が障害のある兄のために残してくれた兄がこれから生きていくためのお金それは、今後の生活費であったりいずれ誰もが必要となる医療や介護の費用ともなりうるお金でした。兄は自分名義の銀行口座をいくつか持っていましたが今までのものと一緒にしてしまうと「知らん間になくなってたー」となっても困るので新たな口座を作ることにしました。(兄は使うより貯めることが趣味のような人なので誰かに騙されたりしない限りはたぶん大丈夫なんですけどねー)
というわけで、母が死んでから今日でまるっと1年がたったわけで、叔母には「ーーさんの1周忌がすぐですね、天気が良い日に伺います」と言われたけれども、きてどうするのかというと、まだ骨壷が置いてあるだけで、2mくらい続く腰くらいの高さの本棚の棚板の上の端にコツンと置いてあるわけで、なんとなく骨壷感が酷かったので、クリスマスに100均で買った、シルバーと緑で、ところどこに赤い飾りがついて、いかにもクリスマスなツリーにかけるワサワサしたライン飾りを上にばさっとかけたままのやつがあるだけで、そこの隣に
母が入院して10日が過ぎた頃やっと病院から電話がありました。(看護師さん)「医師から病状の説明があります次の日時の中で、ご都合の良い日をお選びください」きたきた退院の連絡ですね^^(私)「えっと、一番早い日時でお願いします」だってこういうのは1日でも早い方がいいでしょ3日後の午前10時を指定しました。病院へ行くと母のいる病棟の面談室に案内されます。ここまで来ても、会えんのかしらまぁ
作秋に母が亡くなって空き家の片づけを少しずつやっています。それで気が付いたのですが、数十年住んだ家にしては、物が少ない・・・もっと前に亡くなった父の遺品はわりと残っているのに、母の持ち物が少ないのです。というか、服飾品と書籍以外はほとんど無い!!生前言っていた母の言葉を思い出しました。「あなたたちに迷惑かけたくないから、少しずつ片づけているのよ」普通だれだって、一時的にハマった趣味の物とか、ごちゃごちゃした私物とかって、家にありますよね?母のそういうものが、何も無い