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退院してからの1週間は楽しく過ごせた。やっぱり家が1番だ!親友が遊びに来てくれ帽子をプレゼントしてくれた。病気が発覚してからも時々ラインをくれ気遣ってくれて、心の支えになっていた。次男の大好きなマックの月見バーガーが発売されていたので、お持ち帰りで食べた。毎年月見バーガー食べてる写真撮ってたから今年も撮った。来年も笑顔で食べてる写真を私が撮るぞ!子供達の笑顔を見てるのが何より嬉しい。ずーっとずーっと見ていたい。布団を干したり、タオルケットや、シーツ、ベットマットと毎日何かしら大きい
大切な人を「みる」と言うこと近所の整形外科から大きな病院の紹介状を受け取り、受診日を待つ休日の出来事。我が家は決して裕福な家庭では無いため、遊びに行くのはもっぱら近所の公園が定番である。この休日も何処の公園に行くか考えていると、「このまま日常が送れないかもしれない。」と嫌な予感が脳裏をよぎった。口に出したくない不吉な予感のため何も言わず、いつもなら行かない「遊園地」に家族で行こうと嫁に提案してみた。お金のかかる遊びにいつも反対の嫁だが、この時は二つ返事でOKが出た。嫁も薄々嫌な予感
今日から抗がん剤2クール目で2泊3日の入院。●本日の採血結果問題無しのため、明日の抗がん剤にGOサイン。採血以外やることなくてヒマをもて余しながら、AmazonPrimeのドラマや映画見て過ごす。●入院2日目。VAC療法1日目。今回も吐き気なく食事は完食できた。鼻の奥がツーンと痛い。前回もそうだった。訴える程ではないが、これも副作用か?今回はシャックリがさほど気にならず。台風で子供達の登校が2時間遅れたらしい。兄が弟を起こし、学校に持ってく水筒の準備もしてくれた。中2の兄の協力
2022年8月8日。手術に向けての検査1日目。心電図、心臓超音波検査、呼吸機能検査をした。検査は滞りなく終わった。腫瘍のせいで飲み込みにくいせいもあり、食欲はなかったが、栄養つけなければダメ!と先生に言われていたので、母が色んなバージョンでお粥を作ってくれ、無理やりにでも食べていた。夜、お風呂に入ろうとした時に、お腹にポコッと丸い出っ張りを見つけた。ん?何コレ?鏡で見ると丸い大きなしこりがはっきりと確認出来た。今まで気付かなかったぞ。何だコレ??食欲無く、体重も4キロ近く落ちて
●4クール目VAC療法後、4、5日目はフラつきはあったが、次男の学校の合唱祭にも行け通常生活が送れていたが、6日目辺りから急に悪化してきた。・体に力入らず歩くのも大変。・上半身が筋肉痛の様な症状で痛い。・両手指先の痺れが強くなってきた。・お箸を持つことすら重い日がある。・少し動くと息切れ動悸あり、とにかく疲れる。・1日中寝たきりの日もある。・服着るのも大変で椅子に座りながらがやっと。・動機が激しく横になると心臓の音がバクバク聞こえる。11月8日はこんなフラフラ状態の中での外
◎4月22日(土曜)(VAC12日目)夜中に寒気し37.9℃で電気毛布をかけてもらい、解熱剤の点滴もした。今朝は36.5℃まで下がっていた。日中頭痛はあったが夜には消えて37.0℃。1日中ベットの上だが、昨日より調子が良いのを感じるし、看護師さんからも顔色が昨日より良いと言われた。抗がん剤向け食事だけでは足らず、昨日買ってきてもらったオニギリやヨーグルトを追加で食べ、おやつにはハッピーターンをボリボリ食べまくっている退院する頃には間違いなく更に太っているであろう😅今日は長男の授業参観
日常は突然終わり、非日常に変わる。2022年7月12日(火)この日を境に私と家族の日常が終わった。数日前から薄々と感じていた嫌な違和感。この違和感はしばらく後のブログで書きます。この日、その違和感をお医者さまから認めたくない現実として突きつけられた。「このデキモノは進行が早く悪性の可能性が高いです。癌の一種、肉腫と思われます。」時は戻り、数時間前。息子の背中のデキモノが大きくなり、前日に撮ったMRIの結果を聞きに大学病院へやってきた。待合室で待っていると通路の影から
他県の転院先の病院へ行く8月4日の朝。手術前の元気な私と子供達の写真を残しておきたいと思い、家を出る前に写真をたくさん撮った。思春期中2息子も、普段なら有り得ないが文句も言わず何枚も一緒に写真に写ってくれた。小3息子は、私にギューッと抱きついてきたり、お腹に顔をくっつけてきたり甘えてきた。本当にかわいい大切な息子達だ。数ヶ月の間、旦那には大変な思いをさせてしまうが、「こっちの生活は大丈夫だから、自分の体の心配だけしていればいい。」と言って、私を安心させようとしてくれた。本当に有り難い
11月23日(VAC療法5クール目)今回と次回のVACは3種類1回のみで3週間間隔だ。体重増加なく利尿剤使わずに済んだ。昨日主治医と話し、気持ち沈んだままで、ガン友達に胸の内をラインした。「先生の患者で6年生きた人いないなら〇〇がその記録を作ればいいのよ!そう先生に宣言しなさい!みんな頑張って今生きてるし、余命宣告されたのを越して生きてるじゃない、余命なんてあてにならない!〇〇が3年以上生きて記録更新していけばいい!」「癌になったんだから遅かれ早かれ他の人より嫌でも先に死ぬ!だから今死
1月28日夏からの癌騒動や抗がん剤による体力低下で、夏以来長男と次男の野球観戦は全く出来ていなかった。この日は体調も良く、そこまで寒い日でもなかったので、久しぶりに次男の野球練習を見に行ってみた。私の姿を見つけると、手を振って張り切って練習している姿に泣けてしまった。バッティングが上手くなっていた。コーチが私の所まで来てくれ「自分に自信を持てるようになれば大分変わるんだけどな。」と言っていた。野球を通して、次男の不安症が解消されることを願う。監督も来てくれ、目に涙を溜めて「大変
●10月11日入院継続したまま3クール目に突入(VAC療法1日目)今回から抗がん剤の量を少し減らす事になった。嫌でダダをこねても、そこは先生達の判断にお任せするしかない。体重は朝と夕で+1.2キロのため、利尿剤の投与なく済んだ。吐き気もなく食事は完食。今回は、抗がん剤食を選択してみたところ、量が足らずにコンビニで買い足して食べた。次からは通常食にしよ。義姉が昨夜から来て子供達の面倒を見てくれ助かっている。本当に感謝だ。●VAC療法2日目抗がん剤減らしたせいか、昨日鼻の奥のツーンや
とほほ。4月1日のエコー検査でグレーな診断が出てその後CTで不思議と異常なしと言われていた右腹腔部分。5月20日にエコー検査が有り…やはりレポートとしては前回のエコーと同じ事書かれてるんだよねーとの主治医からの話。画像上血流は見えないしアクティブな感じも無いからCTとかで今後変化が無いかしっかり見ていこう、と話がまとまったはずでしたが…帰り道に主治医から電話の着信アリ(もうその段階で恐怖❗️嫌な予感しか無い)やはりエコー技師さんがモノが写ってるって言うんだよね、MRIで見た方が良いって言
●入院7日目(抗がん剤16日目)夏に癌が発覚してからの日常をつらつらと書いているため、なかなか現在までに進まず、どうでもいいような内容はすっ飛ばしたいのだが、子供達が今後読んだ時に、あっ、あの時そうだったな…と思える日だったので書きとめておく事にした。9月10日は15夜だった。去年は安い3本入りのお団子を買って長男と食べたが…写真は撮ったかな?次男はお団子が嫌いで食べれない。長男は中学生になってからは、写真を嫌がり撮らせくれる機会はめっきり減った。思春期だから当たり前の反応だ。それで
VAC療法7回目後の日常は、以前のブロクにも書いたが、ネットやブロクを検索しまくり最悪な状態を連想して自ら負のループに陥り、鬱っぽくなっていた毎日だった。ブロクで、余命3か月から10年以上生還した人はセカンドオピニオンで命が助かったとか、セカンドオピニオンで新たな治療法を提案され今も生きてるとか、民間療法で改善したとか、奇跡に近いような内容がもしかしたら私にも当てはまるんじゃないか⁉と考え出し、妹や旦那にセカンドオピニオンやってみたい、民間療法も検討してみたいと言ってみた。2人とも、はぁ⁉と
年末年始は実家に帰省し、弟・妹家族とみんなで一緒に過すのが毎年恒例だったが、今年は帰省せずに家族4人でゆっくり過ごした。旦那は物置きに溜め込んで見ぬ振りしていた私物を私に急かされ年末に処分し、私は窓拭きやサッシの溝をせっせと掃除し、抗がん剤が多少抜けてきているせいか、体が軽く調子良く過ごせた。調子良く過ごしている私を見て旦那は喜んでくれた。子供達は従兄弟と過ごせずブーイング気味だったが、そこは旦那が上手くなだめてくれた。大人数で毎年過ごしてたお正月も楽しかったが、家族4人でグータラ過すお
・4月2日(日曜)(VAC13日目)次男はWBCに関わって以来、野球スイッチが入り「プロ野球選手になる!」と言い始めた😅あるあるだが‥😅午後から練習のため、午前中は旦那とキャチボールしたり、WBCの録画見たり、YouTubeで投げ方、打ち方の動画見たり、やる気スイッチが半端ない👏長男は1日練習。今夜から2泊、野球仲間の家にお泊まりに行くので、ルンルン🎵練習後、急いで身支度し出かけて行った。ちゃんと勉強道具も持ったようだ。今年は受験だから頑張れよー👍😉日中、ネットで遠隔転移あ
抗がん剤5クール目(11月23日)と次回の6クール目は3週間間隔なので、血球あげる注射がいつもの毎日注射のフィルグラスチムではなく、ジーラスタ1回だけで済み、毎日病院行かなくてよいからとても快適だった。母が手伝いに来てくれ、毎日散歩した。1時間散歩できる日もあった。癌にならなければ、母とこんな時間を過すこともなかったんだろうなーと思いながら散歩したり、診察の度に妹が病院に来てくれ一緒にランチしてから別れるが、こんな風に母や妹と頻繁に会える事を嬉しく思う反面、そりゃ癌にならずに、これから先時
8月4日。転院先の大学病院に到着。私の両親、弟、妹も心配して病院まで来てくれた。家族の顔を見たらホッとした。コロナ対応で付き添い人は2名までのため、旦那と妹が付き添い人となり、両親と弟は長〜い時間駐車場で待っていてくれた。名医との初対面。話し始めて数分で、いかにも仕事が出来そうな先生というのを感じとれた。私の知り合いの医者からある程度説明は聞いていた様だが、昨日肉腫という事が判明したと伝えたところ、とても驚いた様子でこう言った。「てっきり扁平上皮癌だと思って治療方針を考えていたが
大学病院で一通りの検査が終わった。胃カメラの生検は早くても10日くらいはかかるとのこと。ここに紹介状を書いてくれた病院でも生検はしたが、その結果はきていないそうだ。大学病院の先生が問い合わせをしない限り、先生同士で基本的にやり取りはしないようで、イラッとしてしまった。私は早く結果が知りたいのに。CTとPETでは、喉に6cmくらいの腫瘍があるが、他への転移はなかった。先生に、下の子がまだ小3であること、子供を残して私は簡単に死ぬわけにはいかないことを涙しながら伝えた。先生もお子さ
◎10月3日(火曜)(VAC113日目)再発してた。お腹のシコリは3週間前は変化なかったのに1cmくらいになってた。VACからたったの3ヶ月、113日で再発確定。早すぎる、いくら何でも早すぎだ。明後日PETで10日に入院して細胞診で、そのまま入院して上手くいけば13日頃から新しい抗がん剤を始める予定。喉は画像上何ともない。私もつかえ感は感じてない。「なら、今はお腹の所だけでしょ?そしたらお腹だけ切って下さい!」と先生に言ったが、「他の所にもまだ見えてないだけで癌が潜んでる可能性
・3月29日(水曜)(VAC9日目)今回の帰省で1番楽しみにしていた、結婚前の職場の同期2人と会った。かれこれ、この2人とはもう28年の付き合いになる。夏に癌が発覚し遠隔転移が分かり私が錯乱状態だった時、入院中に気持ちが落ち込んでどうしようもなかった時、子供達を残して死にたくないのにどう考えて気持ちの整理をつけってたらよいか分からない時、鬱になった時、この2人に泣いて相談していた。私にとっては数少ない死ぬ前に会いたい人の2人だ。今日も泣いて話せないかと思ったが、1つも涙流すことなく、最
一年前の今日、泣いて嫌がるこうがを手術室に送り出しました。「これで治るから!」と。ちゃんと説明して納得するだけの時間がなかったから、ほぼ無理矢理。原発の右鼻に腫瘍が再発し、腫瘍を全摘できれば根治が望めるとの説明を受けて、迷わず決めた事でした。朝から夕方までかかった手術は無事成功。腫瘍は全摘でき、残存腫瘍は無しでした。ですが、この手術でこうがの右鼻は無くなり、顔の真ん中に穴が開きました。でもこれで根治するなら、、と『全摘できた』と聞いて、ちょっとホッとした気持ちもありました。
AI療法の副作用でネガティブな事ばかり書いてきましたが、肝心の腫瘍への効果ですが、効いていると思います。抗がん剤を始める直前に、胸とおへそに触って分かるほどのしこりがあったのですが、治療から1か月経った今、胸のしこりは触ってもわからない状態になり、おへそのしこりは3cmくらいのモノが1cmにも満たない大きさになっています。どちらの腫瘍も明らかに小さくなっています。CTを撮らなくても腫瘍が小さくなっているのが触ってわかるので嬉しいです。膵臓とお腹の中にある腫瘍にも効果がある事を願
手術に向けての3日間連日の詰め込み検査が始まった。両親が病院に付き添ってくれた。検査を待っている間、傷病手当の事を調べたり、もし私が働けなくなった場合のお金のやり繰りなど、まだそんな事で頭がいっぱいだった。「そんな事心配しなくても、今までの貯蓄もあるし、パパはしっかり働いているんだし、お金なんてどーにでもなるから!そんな心配しなくて大丈夫だから!」と両親に言われたが、全くそんな言葉は私の心に響かず、子供に不自由させたくない、やりたい事は全部やらせてあげたい、塾だって今まで通り通わせた
・2月21日(火曜)(VAC15日目)一昨日から時々、腰に刺すような痛みがあり、今日は外来受診日だったので先生に伝えた。背骨叩いてもピンポイントでここという部分はなく、骨転移だとピンポイントで痛みあるらしい。左右の腰を叩いてもここというポイントもなく、転移していると腰をひねった時とか何か動作が加わる時に痛みが出てくる様なので、今は様子見となる。私の場合は座ってる時に痛みを感じる。少し貧血気味でHg9.0だが、外来で抗がん剤出来た。母と妹が付き添ってくれてたので、お昼は中華に行ってあん
・2月9日(木曜)(VAC3日目)9年近く連絡をとっていなかった友人と会った。会った瞬間からそんな長い期間会わなかった空気感なく、癌の話をしても泣くより笑ってる時間の方が多かった気がする。ホントに色んな話しをした。友人とのこの感覚が懐かしいと感じながら、連絡をしたきっかけが今誰に会っておきたいか…だったが、音信不通となっていた事がずっと気になっていたんだから、こんな病気になる前にもっと早くに連絡すれば良かったと後悔した。次回も会う約束をした。またこうやって昔みたいに戻れた事が本当に嬉
●入院4日目(抗がん剤13日目)本来なら昨日が1クール目の2回目の投与日だったが、当然できるハズもなく…でも下がってた血球は上がってきたと先生からの嬉しい報告。肝臓の数値が高値となっており、高いままだと抗がん剤の量を検討する可能性もあると言われたが「それだけは嫌です!」と伝えてみた。どうか肝機能、改善してくれ!シャワーしたら髪の毛が絡んで団子状態になり、自分で解けずどうにもならない!院内の床屋さんに連絡してもらい、もう面倒くさいからマルコメにしてもらった。落ち武者状態からスッキリ!
2022年8月17日病院に入院した。4人部屋だっだ。コロナのため、カーテンでそれぞれ閉めきられており、どんな方が入院してるのかさえ分からない。トイレに行く時に運良くすれ違えれば軽く会釈する程度だった。入院したての私は不安と絶望しかなく、カーテンで仕切られたベッドにこもっていると、気が変になりそうで、このまま鬱になるんじゃないかと思った。看護師さんが話しかけたり、色々聞いてきたりしてくれたが、「うるさい!あなたは健康でいいじゃない!私の気持ちなんて誰にも分からない!」と心の中で思って
11月22日明日VAC療法5クール目突入のため前日入院。メンタル不安定。夕方主治医に聞いてみた。「今抗がん剤してる意味が分からなくなってきた。お盆の頃ここに来た時は治療方法あって嬉しい、頑張ろう!と思えたが、今はいつ抗がん剤が効かなくなるのか、不安で毎日仕方ない、寿命はどれくらいなのか?」横紋筋肉腫の寿命はやはり2年程度が一般的とのこと…やはりその程度なのかとショックを受けた。「凄く小さくなったら放射線はしないのか?」→粘膜や皮膚がただれたり副作用も大きく、1回しかできない(やれて
銀座みやこクリニック院長の濱元誠栄です。トリプルネガティブ乳がんの方からこのような質問をいただきました娘さんも病気になられたようでリー・フラウメニ症候群という現代医学では予防法も治療法もない遺伝性疾患が疑われています遺伝子検査をすべきかどうか?私の考えを聞かせて欲しいとのこと結論から先に言ってしまうと子供が大きくなってから調べるかどうか話し合うが私の考えですこの話を深彫りしていく前に見てほしい動画があります短編ドラマ「知ること、知らないこ