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このブログを始めたきっかけ私と同じ病気の人が余りにも少ないため、交流を始めるきっかけが欲しかったこと。私はメンタルが超超弱く、昔からすぐに諦めてしまうタイプの人間なので、おなじ宣告を受けていらっしゃる方がどのような気持ちで日々過ごされているのか、どうすれば諦めない気持ちが生まれてくるのか、自分を強く持てるのか、アドバイスやご意見を伺いたかった事が1つ。もう1つは、子供に向けてだ。子供の成長を見届けたいし、もちろん頑張るつもりでいる。だがそれは叶わない可能性の方が高い。私の延命治療に対
2022年8月11日〜14日昨日の今日で気持ちの整理はつくハズもないが、全員PCRは陰性で、夏休みだし、私を励ます為に実家に来てもらったんだからと、毎日出かけた。(私には思い出作り‥そんな気分だった)毎年お盆時期は、実家に弟家族・妹家族も大集合し、子供達も従兄弟と遊べるので大喜びだった。本来なら今年もそうで、皆でプールに行ったりするハズだったのに…。万が一私にコロナが移ると、15日の大事な病院にも行けなくなるため、みんな自粛してくれた。妹はこの夏の私の癌騒動で、就職が決まっ
同じ病室の空いたベッドに、とーっても明るい方が入院してきた。その方は私よりも先に入院していたが、ベッドの空きがなく、違う階に入院していたらしく、やっと本来の階に移れたとのこと。廊下でその方が、他の患者さんと話されているのを何度か見かけて、何でこんなカーテン仕切ってる様な状況で、元々知り合いでもないのに他の方と親しそうに話せるタイミングがあるんだろう?と不思議でもあり、その方と知り合いになりたいな‥と思っていたら、なんと同じ病室に引っ越してきてくれた!カーテンを閉めきっているので最初は気付か
帰省中。洗顔した後、坊主になりリビングの窓際で化粧水とかつけていたら、父が言った。「誰が来るか分からないから帽子かぶっておけ!」と。田舎だし、父や母の友達はピンポンなんか鳴らさずに「こんちわ〜」といきなり家の中に入ってくるし、子供の頃からそんな風景は慣れっこだった。だけど…私の坊主はそんなに他人に見られたくないもの??母も私の癌の事は、本当に親しい数人に話しただけで、近所の友達には言ってない。母が私の所に手伝いに来てくれ、不在続きだから、どうしたのか心配した近所の友達が母の携帯に
他県の転院先の病院へ行く8月4日の朝。手術前の元気な私と子供達の写真を残しておきたいと思い、家を出る前に写真をたくさん撮った。思春期中2息子も、普段なら有り得ないが文句も言わず何枚も一緒に写真に写ってくれた。小3息子は、私にギューッと抱きついてきたり、お腹に顔をくっつけてきたり甘えてきた。本当にかわいい大切な息子達だ。数ヶ月の間、旦那には大変な思いをさせてしまうが、「こっちの生活は大丈夫だから、自分の体の心配だけしていればいい。」と言って、私を安心させようとしてくれた。本当に有り難い
胃薬飲んでも喉の違和感は続いていた。消化器内科の町医者の先生に「胃薬飲んでも症状変化ない」「先生が仰っているようなストレスは特にない」と伝えてみたものの、「ストレスからくる喉のつかえ感はちゃんと病名もしっかりあるし、胃カメラで異常ないんだからストレスでしょ」と言われた。そうなのかなー、でもなんだかやっぱりおかしよなーと耳鼻科受診もし、ファイバースコープで喉も見てもらったが、やはり異常なしとのこと。そんなこんなで数ヶ月、ストレスからくるもの‥と言われ続け、消化器内科の町医者で胃薬をもらって飲
2月2日(木曜)8クール目のVAC療法のための入院当日。朝、真っ黒な便が出た!えっ、何これ⁉朝のうち3回便が出たが、3回とも真っ黒だ!出血??声がれも続いてるし、便が黒いのも気になる。入院し、病棟担当Drに声がれと便について報告。黒い便が出るということは、胃の辺りの出血が考えられるそうだ。胃の辺りで出血すると、腸を通る間に酸化され黒い便となるとのこと。明日の抗がん剤は取り止めになり、月曜朝イチで胃カメラをし、その結果次第で火曜に抗がん剤のスケジュールに変更。土日を挟むため入
1月28日夏からの癌騒動や抗がん剤による体力低下で、夏以来長男と次男の野球観戦は全く出来ていなかった。この日は体調も良く、そこまで寒い日でもなかったので、久しぶりに次男の野球練習を見に行ってみた。私の姿を見つけると、手を振って張り切って練習している姿に泣けてしまった。バッティングが上手くなっていた。コーチが私の所まで来てくれ「自分に自信を持てるようになれば大分変わるんだけどな。」と言っていた。野球を通して、次男の不安症が解消されることを願う。監督も来てくれ、目に涙を溜めて「大変
8月26日いよいよ、抗がん剤・VAC療法の開始。朝イチで体重測り、看護師さんに報告。夕方に再度体重測り、朝より1.5キロ以上増えてると利尿剤を注射するらしい。補液を全部で8本投与するため24時間?近くかかるので、1週目は入院が必須。抗がん剤は3種類点滴するが、それぞれの時間はそんなにかからない。旦那、母、妹からいつ始まるのか、体調はどんな感じか、と細かくラインが入った。始めての抗がん剤投与にドキドキしたが、案外サラッと終わる事ができた。大して気持ち悪くなることもなく食事も全て完食
本を読んで、少しだけ今の状況を把握?受け入れられる?様になってから、ほんの少しだけ周りが見えるようになり、私が入院している間、家族の手を借りまくっていることに目を向けられるようになった。他県の実家から高齢の母が足の痛みに堪えながら来てくれ、母と入れ代わりで他県の義姉も来てくれ、2人で交互に家の事、子供の食事、小3息子の学校の送り出しをしてくれた。夏休み中だったので、宿題のポスターやリコーダーの練習もあり、義姉が一緒に付き合って面倒見てくれ、立派なポスターが出来上がり写メが送られてきた。高齢
年末年始は実家に帰省し、弟・妹家族とみんなで一緒に過すのが毎年恒例だったが、今年は帰省せずに家族4人でゆっくり過ごした。旦那は物置きに溜め込んで見ぬ振りしていた私物を私に急かされ年末に処分し、私は窓拭きやサッシの溝をせっせと掃除し、抗がん剤が多少抜けてきているせいか、体が軽く調子良く過ごせた。調子良く過ごしている私を見て旦那は喜んでくれた。子供達は従兄弟と過ごせずブーイング気味だったが、そこは旦那が上手くなだめてくれた。大人数で毎年過ごしてたお正月も楽しかったが、家族4人でグータラ過すお
退院してからの1週間は楽しく過ごせた。やっぱり家が1番だ!親友が遊びに来てくれ帽子をプレゼントしてくれた。病気が発覚してからも時々ラインをくれ気遣ってくれて、心の支えになっていた。次男の大好きなマックの月見バーガーが発売されていたので、お持ち帰りで食べた。毎年月見バーガー食べてる写真撮ってたから今年も撮った。来年も笑顔で食べてる写真を私が撮るぞ!子供達の笑顔を見てるのが何より嬉しい。ずーっとずーっと見ていたい。布団を干したり、タオルケットや、シーツ、ベットマットと毎日何かしら大きい
2月3日(金曜)抗がん剤予定がなくなり、今日から3日間暇を持て余していた。こうゆう暇は私のメンタル良くない。妹に電話をかけた。マイナスなことばかり言ってたらマジで怒られた。「自分で悲劇のヒロインを作りあげている」と。母にも「脳は自分の思うように変化する。ダメだダメだと思ってれば脳はそう思い込む。良くなると思ってれば脳はそう思い込む。」と言われた。夕方、長男から熱っぽいと電話あり。37.3〜37.4℃とのこと。塾を休ませるか悩んだが、自転車で厚着して行けそうだから大丈夫との返事で良かっ
●入院9日目(抗がん剤18日目)体調もすっかり良くなり、本日1クール目の2回目の抗がん剤をして、明日の退院が決まった。来週1クール目の3回目を外来でやるのかと思っていたら、それは飛ばして2クール目の1回目を入院してやりますと先生は言った。はやっ、もう来週に入院かい!2クール目は順調に毎週出来るといいな。いやいや…まずは今日の抗がん剤後に1週間何事も起きず無事に2クール目を迎えられる事を願うのが先だった。抗がん剤は1種類だけの投与のため、30分くらいで終わった。吐き気なく、体調問題なし
◎10月1日(日曜)(VAC111日目)午前中、次男の⚾練習試合だった。今日は、いつも練習している小学校のグランドでの試合だったので、長男の返事は想定内だが一応声かけてみた…『行くわけないじゃん。』と一喝💦あっ、そうですか😅相手はこの近辺では1番の強豪チームなので『大差で負けませんように💦』…だ😅次男はファーストを守り、エラーもあったが声は良く出ていた👏強豪なだけに、守備が上手い!打っても全てアウトになり、我がチームの攻撃はあっと言う間に終わり回転が早い早い💧いつも(愛のある)怒