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①よりさて、良順先生の自伝に、ちょうど150年前のこの頃の「歳様とのエピソード」が書かれるのは「噬臍録」(仮にA)・「蘭疇」(仮にB)・「蘭疇自伝」(仮にC)「ただ我儕の如き無能者は快戦国家に殉ぜんのみ」という有名なセリフはC(蘭疇自伝)に書かれるもので「我輩は已に死神にとりつかれたる也。死すへきときに死すれば、即ち可なり」が、オリジナル(A)の言葉となる事は、先日書いた通りです因みにB(蘭疇)では「我れ等、戦ふて快く死せんのみなり」となっております。ただ
昨日の記事に、個人的アドバイスメッセージ、ライン、ありがとうございますm(__)mやはり色々とやってみたのですが、Outlookは使えず…ひとまずネットからのヤフーメールは問題ないので、少し使いづらいですが、しばらくそのままにしておきますさてさて、もうひとつ。昨日のかわいい「大脱走」。描かれている人の「答え合わせ」をして欲しい旨のコメントと、メッセージでも頂きました。作者・ご本人のTwitterから、ざざっとご紹介しますね榎本武揚、澤太郎左衛門、荒井郁之助、榎本
今日は、鬼の新選組副長の土方歳三が箱館戦争で戦死した日。土方歳三は、幕末期の幕臣、新選組副長。蝦夷共和国陸軍奉行並。諱は義豊、雅号は豊玉、家紋は左三つ巴。新選組時代には、局長・近藤勇の右腕として組織を支え、戊辰戦争では旧幕軍側指揮官の一人として各地を転戦し、またいわゆる「蝦夷共和国」では、軍事治安部門の責任者に任ぜられて指揮を執った。明治2年(1869年)5月11日(6月20日)、戊辰戦争の最後の戦場になった箱館五稜郭の防衛戦で戦死。享年