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◆関東大震災が女学生の意識を変えた?こんにちは、山村です!以前に、「明治末期の女性の若さと結婚」というテーマで、当時の令嬢の結婚について書きましたが、今回は、昭和初期の令嬢を取り上げます。明治末期のお嬢さまの結婚について簡単におさらいすると、裕福な家に生まれて、女学校に通う「令嬢」は、数えの17から19歳ぐらいで結婚するのがあるべき姿。公家や華族、資産家など上流階級の令嬢が通う学習院女子部では、女学校にいる10代なかばのうちに結婚が決まって、続々と退学していっ
金曜日に平和島骨董まつりに行ってきました。ゴールデンウィークではありましたが、午後だったせいかそれほど混んでいませんでした。外国人のお客さんはやはり多いですね。特に中国の方たちは熱心に商談している姿が目立ちました。私はといえば、人魚グッズはなかったけれど絵葉書を3枚買いました。これはその中の1枚です。季節外れですが、スケート遊びの子どもの絵葉書。時代は昭和初期かな?女の子のしているマフはどの程度流行っていたのでしょうか。明治時代の絵葉書でもたまに見かけます。オシャレだけどスケートで
◆昭和初期の美容師は、4か月で一人前に!こんにちは、山村です!前回まで、昭和初期の令嬢についてとりあげましたが、今回からは、同じ昭和初期の働く女性の仕事について、ご紹介しましょう。昭和初期に、女性が働く動機はさまざま。嫁入り前の数年働いて、結婚の際に持参する着物を増やすのが目的のお嬢さまもいれば、生計の補助、生活そのものを支えるために働く女性もいました。そんななかでも美容師は、その前身の江戸時代の女髪結いの頃から、女性が自活できる仕事でした。下
大きめのガーネットが留められたリングです。造りやデザイン、そして合成石ではなく天然石が使われていることから、おそらく大正初期ごろのものと思われます。爪が桜の花びらになっているところが一味違うお洒落度を感じます。大きめの石でありながらアームは細身です。石の透明感が本当に綺麗です。石座のアップです。下に置いてみました。桜爪がよりはっきり見えて可愛いですね。ほぼ真横です。アームは光琳波のようなデザインです。裏側です。刻印です。「K18」とあります。指
◆昭和7年の脱毛クリーム。海水浴に行く女性をイメージした広告です!こんにちは、山村です!今年も暑いですね~まだ7月なのに最高気温37度(東京)とか、勘弁してほしいです。みなさんも体調を崩さないよう頑張ってくださいね今回は、前回に引き続き脱毛の歴史を、昭和初期の新聞記事や雑誌から、振り返ってみました。江戸時代や明治時代には、着物を着ていて気にならなかった腕や足、ワキなどの体毛。しかし、洋装の女性が増えてくると、ワキ毛を意識した美容アドバイスが出てきました
今日はこどものころに、母が作ってくれた食べ物とレストランのおはなしを。ニラ豆腐こどもの時に母が作ってくれたあったかいスープ。材料はニラ、生姜、鶏ひき肉、豆腐、ごま油、塩、固形スープ炒めたひき肉とニラと生姜に豆腐を加えて、塩ベースのスープで軽く煮込んだだけのものなんだけど冬場にこれを食べると身体がめちゃくちゃあったまってうまい。ちょっとテールスープみたいな感じも。このスープはいまもよく家で作るんだけど、スープをご飯にかけて食べるのも美味しい。とにかくニラと豆腐と鶏ひき肉の相性が抜群
◆圧倒的に多い趣味は「音楽」でした!こんにちは、山村です。このところ、昭和初期の女性について調べています。大正末期から昭和初期は、モダンガールとよばれる女性たちが、最先端の洋装や化粧をしていた時期。モダンガールが話題になった頃に、洋服を仕立てて、洋風メイクができた女性の多くは、経済的に裕福な家庭のお嬢さまが多かったと思われます。そうしたお嬢さまの暮らしぶりは、『婦人画報』などの、女性誌から知ることができます。今回は、昭和5年の『婦人画報』4月号にある
着物を手に取ると、「いつの時代に作られたものなのか」と考える。いつ頃、どんな人が、どんなふうに着ていたのか。どんな場所に着て行ったのか。この着物のことをどんなふうに思ってたのか。なんてことを。一部を解いてコートにしようと画策中のこの着物。斬新な色合いだから結構新しいのかなぁ、なんて思っていました。「モミだから古いんじゃない?」と母。モミ?なんですか、それ。「胴裏がそんなに赤いの、最近ないやろ?」あー!確かに。そういえば今の着物の胴裏って白とか、ベージュ?この赤い生地、「
◆"厚化粧の標本"と言われていたタイピスト、でも実際は?こんにちは、山村です!今回は、昭和初期の働く女性の中から、タイピストをとりあげました。タイピストは、手書きの書類や口述をタイプライターで清書する専門職地道な仕事と思われがちですが、化粧やファッションが派手だったと書かれた本もあります。ここでは、なぜそんな話になったのかを考えてみました。タイピストの仕事はもともと、英語やドイツ語など外国語を清書するのがはじまりでした。外国語に堪能でないとできないため、その
身近な人の死、大切な人の死。出来ることなら直面したくないことだけれど、直面しなければわからないこと、心の底から理解できないこと、そして直面して初めて変われることって、あると思うんだよね。ほんとは直面なんてしなくてもちゃんとわかればいいのに。私の好きな、大正から昭和一桁生まれ世代の方々。決して望んでないはずだけど戦争を経験し、大切な人とのお別れを余儀なくされた方は少なくない。しかもかなり若い頃に。とても悲しいなんて言葉だけじゃ表現できないようなやりきれなさを感じつ
1週間に6日間着物を着ているいっちゃんです。Iwearkimono6daysthisweek.10月24日火曜日はいっちゃんは着物は着ていません。October,24TuesdaymydayoffandIamnotcomingtoworksoyoucannotseekimono.よろしかったらウェブショップをご覧下さい。↓https://shikiantique.theshop.jp/Pleasecheckmy
2017年2月4日愛知県知多半島の常滑に来ています。陶磁器会館から、やきもの散歩道を散策していますついに、お目当ての土管坂にやってきました。30年前に来たときは、土管坂があっただけなのに、今はいろいろと整備されていました。ふるさとの坂道にも選定されているようです。右側は、昭和初期の焼酎瓶を積み上げてありますし、左側には、大きな明治期の土管が積んであります。坂道の床には「ケサワ」という土管の焼成時に使用した捨て輪の廃材を敷き詰めているよう
2022(令和4)年2月27日に撮影した、柳井市駅南公園(旧古開作児童公園)に静態保存されている、C50-125号機です。柳井駅は南側へ柳井機関区が広がっていた関係から北側にしか改札口がなく、南側が再開発された現在でも南口は作られていません。それ故に、駅舎とセブンイレブンの間に線路を潜る地下道が整備されており、地下道を歩くと直ぐこの公園へ着くことができます。C50形蒸気機関車は、国産初の大型旅客機8620形の後継機として1929(昭和4)年に登場しましたが、開発設計当初は8650形と