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我々東京ホルモンズはそーいえば秘密結社板橋のメンバーだったことを思い出したB食家集団である中華かさま@板橋「半」の宝庫の話現場から帰社する途中のメシコレが楽しみで仕事してるようなもんですがなんだかココんトコ忙しくってそれどころじゃありませんでしたつーこって超久しぶりの大好物ですどーお?渋いでしょ灯籠型カンバン良くないっすか?中華と料理でサンドする店名暖簾もステキ遊園地みたいなショーケースからは店主のお人柄を伺えますさて
🏢🏢🐻🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🏢🐻①遺跡のようなSEIYU、もんじゃみぽぽ今回から新しいシリーズをはじめるが、このシリーズは少し前に連載した「しもふり銀座」から滝野川を経て王子駅まで、続いて王子駅を降りて滝野川全域を散策して板橋駅まで……という一連の流れの続編である。今までの散策は旧中山道をメインにして、その周辺を巡ってきたわけだが、国道17号線から旧中山道が分岐している部分の「中程」を散策したつまり、旧中山道の最初の部分と最後の部分
2018年9月中旬の大宮散策の続き。「東光寺」を参拝し、旧中山道大宮宿を歩いた後は、「塩地蔵・子育地蔵」に向かいました。東光寺・旧中山道大宮宿のレポhttps://ameblo.jp/indyaki12/entry-12593228211.html旧中山道大宮宿を歩いていると、「塩地蔵尊子育地蔵尊」という案内板を発見。旅の途中、病に倒れた父を救うため、2人の娘が地蔵のお告げに従い塩断ちした、という伝説が今に伝わります。旧中山道から路地を入った所に
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼final廃業してしまった片流れの不動産屋国道17号線(首都高速中央環状線)のところで「きつね塚通り商店街」は終わっていたきつね塚の通りは当然、その先まで続いているが、常々僕が唱えている「広い道路は町を分断して結果として滅ばす」のとおり、その先には老舗っぽい酒屋が1軒残るだけで住宅街になってしまうあとは板橋駅まで行って、どこかで夕食を摂って帰りは高円寺にでも立ち寄って古着屋を回ろう…
白樺湖からバス旅を続けます。東白樺湖バス停の表示板。現在地ここからたてしなスマイル交通バスの立科町役場前行きに乗ります。バス停にある標識が路線図もあってわかりやすいです。10分前にたてしなスマイル交通のバスが来たので乗ります。15:10に発車。乗客は他にいなくて自分ひとり。県道40号線を上って行きます。立科スキー場を通過。リフトが動いていました。白樺林の中を。。峠(雨境峠)はいつの間にか超えて下りにかかっていました。平地に出るとまもなく終点です。
2017年12月9日醒井宿から鳥居本宿への中山道を歩くさわやかウォーキングに参加しています。醒井宿にある旧醒井郵便局舎にやってきました。1915年に建設されてから、1973年まで醒井郵便局として使用されていた木造2階建ての洋風建築です。ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計に関わったそうです。ウィリアム・メレル・ヴォーリズといえば、ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)を創立してメンソレータムを日本に普及させた実業家ですよね。1階は、休憩所として無料開放され
今から60年前の昭和36年(1961年)2月に撮影された元・新藤楼(しんふじろう)の玄関付近の写真です。当店の並びには、戦時中の昭和19年に閉鎖されるまで、板橋宿最大規模の遊郭『新藤楼』がありました。戦後は遊郭として復活することなく、この写真の中では、手袋・靴下・靴などが店先で売られています。右端の女性は、懐かしい買い物かごを腕に掛けています。立派な唐破風の玄関部分は、昭和47年の建物解体後、板橋区立郷土資料館に移築されて現在も見ることが出来ます。
旧中山道は群馬県以西に行けば古い道があるが、埼玉県内でも少しあります。国道17号、それは東京から高崎迄は中山道とも呼ばれている。中山道はもともと江戸時代に幕府により五街道のひとつとして整備された江戸から信濃・木曽・美濃を経由して東海道の草津宿までの街道で、参勤交代の道として多くの将軍が江戸へと向かった道である。この中山道も近年ではバイパスなどでかなり変わっているのです。ここは、埼玉県岡部町(現深谷市)です。旧17号国道から右へ分岐する旧道への分岐点です。現在地旧旧道も広い道だ
毎度ご訪問ありがとうございます前回の続き●新・旧軽井沢交差点17:50発周辺案内図を眺める真ん中が現在地右上の黄色〇が今回歩いた熊野神社の県境、途中まで下り坂にも関わらず50分かかってしまった案内図を見ると目的地の軽井沢駅まで残り1直線とあるが・・・右下が国道18号の県境、こちらは1年前に歩いた。県境の碓氷峠を越えてから、廃線跡や新幹線の線路を眺めて寄り道をしても、30分で軽井沢駅に着いた記憶がある※案内では「見晴台まで歩いて3.1キロ徒歩52分」とあるが
中山道の和田峠に関して(下諏訪宿から和田宿へ)京都側より和田峠を越える時には、皆さんは民宿みやに泊まるのではないかと思います。下諏訪駅から民宿みやまでのルートMapです。重要ポイントの写真ありVersionです。ご参考になれば幸いです。わかりにくい箇所は、補足のMapがあります。①~⑮ここからは詳細図です。①~⑮
上画像は、太田橋。太田宿は中山道51番目の宿場町。太田川(木曽川)の右岸に位置する、渡津集落でした。秋里籬島『木曽路名所圖會』(1805年)によれば、太田川驛の東にあり。舟わたしなり。木曽川の下流にて、早瀬なり。ただ、水谷敬「段丘上の渡津集落美濃加茂市」によれば、河川状態の変化に伴って船乗り場が上流に移っていった。天明以前は祐泉寺の下流から対岸の渡集落であったものが、太田橋のやや下流から対岸の今渡へ渡河することとなり、この船着き場の移動に
2018年4月28日さわやかウォーキングの続きです。奈良井の駅をスタートして奈良井宿で道草してましたが、中山道は、いよいよ鳥居峠に向けて山道に入っていきます。鳥居峠は、旧中山道の難所のひとつで、奈良井宿と藪原宿を結びます。峠の標高が1,197mなんだそうです。奈良井宿を抜けた中山道は、石の階段から山道に入っていきます。わっ、大勢いますね~最初は、皆さん意気込んでいます。中山道の石碑が時代を感じさせてくれます。途中に中山道鳥
おはよう☀ございます昨日、足を止めた「垂井駅」からスタートです🚶駅ロータリーに、鎮座する「竹中半兵衛」に、見送られて、駅前の道を真っ直ぐ🚶行きます😀突き当り左手から来る道が「中山道」右手が「垂井宿東の見付」で、右手の橋を渡ります🥹右手歩道の橋に入って行くと、橋桁に、西国シール橋を渡り右に行き、右手に入って直ぐの左側ガードレールに、西国シール(曲がる前に、欲しいシール)また橋を渡り🚶ここを左折「旧中山道」です🥹右手に「中山道追分」があります、右手の道は「美濃街道?」です?
2018年2月24日(土)の中山道歩きのその5です。当日の歩行ルート☟(歩行器よりは16㎞弱)。その4では轍のある雪道を歩いたところまでをご紹介しました(☟再掲)。その先、ちょっとしたスペースに「一つ家跡」の案内板があります。「ここには老婆がいて、旅人を苦しめたと言われている」などと書かれています。具体的に老婆は何をしたのかたいへん気になりますね。正確な位置は不明ながら、この辺りに三十六里目の一つ家の一里塚があったそうです。ここを一里塚に見立てて、三十六里、通過!
今は無き、AIを活用したおでかけスマホアプリ「Deaps」に登録したスポットデータを順次ブログに掲載します。せっかく登録した膨大なコンテンツ、さすがにもったいないので、ブログで見られるようにします。【槌馬屋の栗ふくをGoogleで検索】スポット:栗ふく(槌馬屋)所在地:〒508-0502岐阜県中津川市神坂馬籠4289最寄り駅:JR中央本線中津川駅からバス30分[SEQ:090]・槌馬屋(栗ふく)【岐阜県中津川市】馬籠宿の街道にある「槌馬屋」さん、こちらのお店の人気
「旧軽井沢」(略称:旧軽)なんで、「旧」なのか、知っていますか?昨日は、この旧軽から歩いてきました!「中仙道」を。「旧軽」は、なんと、中仙道「軽井沢宿場町」本陣一帯であったから、「旧」だったそうですよ。今でこそ、新幹線で一時間ぐらいで着いてしまう軽井沢も元を正せば、中山道の最大の難所「碓氷峠」を、超えるための宿場町だったそうです。私もこの後、「旧中山道・碓氷峠」を歩いてきましたが、「雨」や「雪」が降ったら、とても、歩ける場所で無いことを知りました。軽井沢宿と言うのは、「峠」の道
🏰🏰🏰🏰🏰🏰🏰🏰🏰⑮ディープな飲み屋街の外周を歩く商店街の全体が廃墟のような中央銀座商店街を象徴する巨大な映画館廃墟「オリオン座」の裏手にある、車も通れないような細い路地には、北関東でもっともディープと言っても過言ではない飲み屋街があるまず最初にオリオン座の真裏の路地に入ってみたら、たちまちその怪しくも毒々しい雰囲気に魅せられて、夢中で写真を撮りまくったまだ夕方の早い時間なので、飲み屋が営業するような時間帯ではなく、あたりにはひと気