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旧石鎚村中村集落内を通り抜けて、山上に続く道を上がっていくと、谷ヶ内という集落跡がある。初めて中村集落へ行ったとき、そこに暮らす曽我部M氏に谷ヶ内集落に行く道を尋ねた。谷に沿ってある道を行けば谷ヶ内集落跡に行ける、と指さしながら教えてくれた。後日、天気の良い日を選んで行った。諏訪神社前にある駐車場に車を駐めて、そこからは歩いて行かなければならない。中村集落までの山道は、手入れされていてきれいだった。曽我部氏が住んでいる所より上にある道は山肌を横切っていく道で、道上から土砂が崩れ落ちてきて
【20年11月1日探索・21年11月28日公開】現在地はこの辺道は向きを変え、まだ上っていく。石垣が上の段にもあるのが見えた。ここも集落があったのだろうか、ちょっと上を見てみよう。上の方に何か建物があるのが見えた。もう少し近づいた。どうも物置か何かなんだろうと思うが、けっこう怪しい立地だし、柱が建っている石垣も大丈夫なのか??建物がある方に近づいたらもっと大きな建物があった。洗濯機かな?廃墟は私の守備範囲外なんだが、外
鳥取屈指の紅葉の名所清徳寺から5km10分余り、右に進むと行き止まりの看板。意を決して入ってみると、人気のない家々が建ち並ぶ。崩れかかった廃屋。草木に覆われた建屋などが点在。時計の針が止まったかのような錯覚に陥る異界感。ここは山あいの限界集落のようにも見えるが、限界を超えた廃集落「柿原」。後醍醐天皇の行幸や不動院投入堂などにまつわる伝説が残り、かつて林業が営まれていたことが偲ばれる杉林に囲まれている。戦前までは30軒以上の世帯
【20年11月1日探索・21年11月26日公開】現在地はこの辺山梨県北都留郡丹波山村高畑国道411号線だ。丹波山村は東京都と接している立地なのに人口520人(2021年10月推計人口)しかいないという過疎化に悩む自治体だ。そんな丹波山だが、右前方から上がっていく道沿いに廃集落があるというので、行ってみようと思う。とりあえず、先に進む前に手前左なんだが・・・初心忘るべからず分水嶺という、よくわからない石碑があった。この石碑、裏側には邪魔ならどけてくれという意味合いの事
【20年6月21日探索・21年1月5日公開】現在地はここ埼玉県秩父市浦山県道73号秩父上名栗線だ。この細道の所を左折する。少し向こうにバス停が見えるが、これは秩父市営ぬくもり号のバス停だ。以前は西武観光バスの路線だったと記憶しているが、路線廃止を受け秩父市営になったと思われる。運行回数は平日上り5回、下り3回、休日も3.5往復と決して多くはない。今昔マップだとこの付近だ。秩父市名物のクマ出没注意看板を見ながら進む。少し上がっていくと、かつてはここにも家屋
◇マイナー廃キング『キュウハ沢のエンジン』◇マイナー廃キング『ユーシン渓谷』つづき2日目は10時に青梅駅で合流して奥多摩を攻めます奥多摩曳鉄線、鉄橋の上にトロッコ掘り尽くされた石灰鉱山を横目にじゃ、2日目行きますかっ倉沢のヒノキから倉沢廃集落へgogo(倉沢集落の説明は省きま〜すっ)各自探検タイムMIMIZUは前回、坂和さんち周辺だけだったので集落の上の方へうぉ〜『手動脱水の洗濯機』調べたら昭和29年頃に流通してたものらしい『理髪店の椅子』なんてステキな廃日和なんで
【20年6月21日探索・12月1日公開】現在地はこの辺岳集落へ向かう事は遠慮する事にし、このまま日向集落を進んで、再び県道に戻ろう。日当たりのいい場所なので山奥感はないが、イイ感じの家屋が並んでいる。実際どこの家に住人がいてどこが空き家なのかは観察もしなかったが、集落全体がひっそりしているという印象はあった。この先、下りになるようだ。これだけ折りたたまれた道が見える場所ってけっこう珍しいかも。この門の先の家は異様に鬱蒼としていた。空
記事にするのがたいぶ遅れてしまったが、4月1日に四か所の集落跡を探訪したので適当に書き連ねておく。【追記】再訪した記事はこちら→【廃集落・廃村】白岩集落再訪【飯能】2018年8月二度目の再訪記事はこちら→【廃集落・廃村】白岩集落再訪その2【飯能】2018年11月【白岩集落】この日、最初に目指したのは廃村・白岩集落。埼玉県は飯能市の山奥に存在する。ネットの情報によれば、炭焼き・林業などによって生計を立てていたとかどうとか。そして名前の由来にもなっていそうな「白岩」の存
【20年6月21日探索・11月30日公開】現在地はここ埼玉県秩父市浦山県道73号秩父上名栗線から逸れていく左の道を進んでいく。少し話が逸れるが、分岐地点から数十メートル戻ったところで秩父さくら湖の方を見ると・・・おおっ!こんな所にも「ねこ耳」がある。烏帽子型鉄塔の東京電力旧・安曇幹線の鉄塔だ。もう使用されていないが、まだここにも残っているんだ。話を戻そう。この道は秩父市道浦山2号線だ。この先に日向集落という限界集落があり、さらにその奥に岳集