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はい!どうも!『久々の・・・』はい!どうも!『今年初の・・・』はい!どうも!もう二月も半ばを過ぎていますが・・・今年初レブルで超プチツーリングに行ってきました!まぁチョット温かった…ameblo.jp前回で予告したとおりに焼山集落跡記事になります!山梨県道218号大菩薩初鹿野線を林道焼山沢真入ると右手に廃キャンプ場?見え、更に進むと八大龍王神社を過ぎて・・・焼山集落跡に辿り着きます!焼山集落跡は1980年代には離村して廃集落となったようです!確か
皇南輝です今回も、過去記事(リブログ)になります決して、ブログネタに困って過去記事を再掲載してるわけではありません。…というわけで、今回は前記事の続き『ダムに沈んだ村~後編~』になります。岐阜県の山奥にある巨大ダム湖のほとりにある廃集落へ、ひとり探索したお話…。そのとき、ちょっとばかり奇妙な体験をしたのです…廃集落(廃墟)って、なんか、そそられますよね!以上、皇南輝でした!それではまた~(´▽`)ノ☆短編小説(電子書籍)Kindle(Amazon)、楽天ブ
皇南輝です今回は過去記事(リブログ)になります。今から、4年前、山奥にあるダム湖の廃集落を探索したお話です♪興味ある方は、どうぞ~♪後編へ続きます(リブログ)(*´∇`)ノシではでは~☆短編小説(電子書籍)Kindle(Amazon)、楽天ブックスより~
はい!どうも!『北陸一人旅安定編』『ドライブインダルマ@京都府舞鶴市』はい!どうも!『北陸一人旅朝ごはん編』『北陸一人旅間に合うかな編』『北陸一人旅廃廃廃篇』『北陸一人旅ほっ…ameblo.jp続きになります!ってことで・・・行きたかった場所にやっと行けるワクドキ感!これから35㎞走れば目標の場所に着く!福井県道16号~国道162号~福井県道35号を通って・・・ちなみに2桁県道って主要地方道なので国道の次に重要な路なのだが!険道です!けどこれが
『北陸一人旅廃廃廃篇』『北陸一人旅ほっと編』『北陸一人旅発覚編』少し間が開きましたが、前回の続きになります!っで続きまして国の登録有形文化財のアカタン砂防堰群に!…ameblo.jpこの記事の続きになります!さぁてと次の目的地に行こう!時間はもう14時前・・・間に合うかなぁ!次の目的地は本来の3箇所の内の一番行きたかった場所なんですが、その場所は福井県大飯郡おおい町の山奥・・・知っている人は知っている廃集落の永谷集落!距離は約130㎞!高速道路を
『北陸一人旅ほっと編』『北陸一人旅発覚編』少し間が開きましたが、前回の続きになります!っで続きまして国の登録有形文化財のアカタン砂防堰群に!明治の堰堤群奥に見…ameblo.jp遅くなりました・・・続きになります!久しぶりの養老町!警察署から近くに養老ランドという遊園地があって、すんげ~昔に西陣の桃太郎がゲーセンに有るという情報を聞いて訪れて以来の養老町・・・スイマセン!パチンカスしか分からないですね・・・一応昨夜に宿である程度のルートを考え
追原の廃集落にある、大楓。大楓に呼ばれた気がして、…来ました。マジで、そう思ったんです。追原は、おっぱらと読みます。追原の集落自体は、江戸時代に入植が始まって、1967年に全ての住民が移住し、廃村になったそうです。昭和42年です。来る途中で、鹿と出会いまして、マジでびっくりしました。川を渡って、けもの道よりかはマシな道を登り、56年前に捨てられた集落へ。その集落の中心にある、樹齢数百年の大楓。千葉県にある、もののけ姫の世界です。川を渡った理由は…唯一、集落との往来で使ってい
【23年4月9日探索・9月17日公開】現在地はこの辺焼山集落に入ったようだ。このコーンから上に上がると謎の平場があり、ここから100m位先には家屋が見えた。この焼山集落は、普通に通行できる林道沿いにあるが、それでも現在ではすべての家がこの地を離れてしまっているようだった。同じ場所で右を見た。少し高い場所にもう1軒の家屋を発見した。林道沿いの家屋だが、前述しているがやはり空き家のようだった。母屋はまだ住めるのではないかといった見え方だ
【23年4月9日探索・9月16日公開】現在地はこの辺山梨県甲州市大和町初鹿野県道218号大菩薩初鹿野線だ。この先に分岐があるようだが、私は県道を逸れて焼山方面に行く。林道焼山沢真木線だ。この林道、全線走破するとけっこう壮大だなと地図では確認したが、今回はここから1㎞くらいしか進まない。昭和35年架橋の焼山沢橋を渡る。古くからある道なんだ。沢沿いには何か建物が・・・この建物はキャンプ場関係の建物だった。するとさっきのはバンガローか
歩古丹(あゆみこたん)は増毛町南部の海岸の地名。今は廃集落となっている。集落跡に下る道もう消え、国道231号線の歩古丹橋の南の沢を下ってたどり着く。歩古丹の上の国道が全通したのは1981年(昭和56年)、それまでは歩古丹への行き来は増毛から船、または大別苅からの山道を歩くしかなかったのだ。1.江戸末期の松浦図では「アエヘ・カル・ウシ」である。道路は増毛山道。2.明治28年の20万分の1道庁切圖には「アイペ・コタン」とある。大別苅から山道が通じている。3.明治30年の5万
歩古丹(あゆみこたん)は増毛町南部の断崖下にあった集落(廃集落)で、以前には道は通じず海から、または山道からのみ通じた漁業集落でした。まずはその地図上の変遷を見てみます。大正7年(1918年)の陸地測量部5万分の1地形図「雄冬」を見てみます。歩古丹に行くには別苅(大狩部)から山道を通って歩古丹への道が開けています。しかし主な交通手段は船舶でしょう。集落は浜に点々とある程度。次に時代はずっと下って昭和36年(1961年)発行の国土地理院5万分の1地形図「雄冬」を見ます
長野県飯田市南信濃の山中にかつて「池原集落」という小さな集落があったそうです。現在は地図からもその地名が消去されまさに幻の集落となりました。その集落に訪れてみました。池原集落は飯田市南信濃大字和田の池口川左岸の山中にあります。これは対岸から撮影した写真で写真の中央部付近が集落跡です。緩い傾斜地に作られた集落でかつては車でも入ることができたそうです。現在は道も部分的に崩れて徒歩でなければ行けません。池口川沿いの道から歩いて約1時間ほどで到着しました。
『素鵞神社を歓請した森は、往古より奇雲たなびき里人は奇しき雲と称し、何時の頃からかそれが地名に変わり、奇雲(くすくも)が楠窪(くすくぼ)に変わった。その楠窪村は中山川の南側に位置し、東は千足山村、西は鞍瀬村、明河村に接する。志古川を挟み山間の中腹に集落が点在する集落で往古より山岳信仰の山として石鎚蔵王大権現を三ヶ森に勧請し、その途次としてのゆえんは容易に憶測される。平地はほとんどなく小さな丘陵や傾斜地にある。集落は志古川を挟み西側に楠窪、角立(つのだて)、影浦、小谷、上城(うわげ)、東側に
鳥取屈指の紅葉の名所清徳寺から5km10分余り、右に進むと行き止まりの看板。意を決して入ってみると、人気のない家々が建ち並ぶ。崩れかかった廃屋。草木に覆われた建屋などが点在。時計の針が止まったかのような錯覚に陥る異界感。ここは山あいの限界集落のようにも見えるが、限界を超えた廃集落「柿原」。後醍醐天皇の行幸や不動院投入堂などにまつわる伝説が残り、かつて林業が営まれていたことが偲ばれる杉林に囲まれている。戦前までは30軒以上の世帯
もうこいつとは、今日でお別れなのでラストラン・・やってきたのは奈良県川上村瀬戸地区また、廃集落・・(>_<)バイクを下の道端に止めて、歩いて石垣で歩道を造った当時の道を歩いて登ります。(汗これが結構、急なんだヘビがお出迎え・・超ビックリ!廃集落・・到着・・・・当時は22世帯住んでたらしいが・・今は十数世帯の家が残っているだけで、それらすべて廃墟です。。><それは杉林の中にあったりします。。。廃墟お約束の廃自転車いつから乗らなくなったのか・・
今年は義母の初盆時代なのかコロナ禍だからか色々な事が簡素化されいい事なのか残念な事なのか。。。でも私的には大いに結構って感じですけど(^^;ゥフフでも義母の初盆ですし最小限の事はやりましょ~とわたくし(三男の嫁)、実家にやって来ましたここは空気良く自然溢れるとってもいいとこです義父義母が居るときはよく来ました(*´`)初盆、こちらの集落の風習は13日墓から家まで迎え入れ15日家から墓まで帰ってもらうその道しるべのために提灯に火を灯す風習が残っ
ここから飯田へは一般的には昼神温泉方面へ南下してR153で再び北上しますが、そこをショートカットする県道があります。長野県道8号線で、地図を見るといかにもヤバそうな雰囲気を醸し出しています。かなり昔に走ったことがあり、暗くて狭くて走りにくいという印象しかありませんでした。が、今回あえて再走してみたところ、狭いのは確かでしたが、それほど悪い印象ではありませんでした。道の状況は同じはずなので、の感覚が変わったのでしょうか?この県道沿いに大平宿という廃集落があります。ただ、当時の民家を飯
みなさん、こんにちわ。国道425号の尾鷲~下北山間のレポートの続きですよー。つーわけで、奈良県に入りました。その奈良県といえば、約100mごとに設置されてるキロポストみたいな標識。災害時連絡先と記されていることから察するに、何か災害が発生した時に、この数字を伝えれば管理者に伝わるということだと思うよ。県境を過ぎたら記念すべき1つ目を撮影しようと思ってたのでした。しかし、県境付近に見当たらず。そのまま進んだら1つ目を発見。しかし、すでに数字は『2』でした。
【21年12月5日探索・22年4月9日公開】もう2回の連載予定だったが、画像をもう少し絞り込んで1回にまとめる事にした。現在地はこの辺廃車があった先の道路はこんなだ。たぶん車道スペックではなさそうだ。先ほど2mの車幅制限標識の補助標識に書かれていた「1.8m制限」が謎だが、この先は軽自動車だってキツそうに見えた。さらにはこんな崩落もあった。通行者は相当少ないように見える。石垣がある先には・・・モノレール(モノラック)の「下部駅」があった。が
久留米競輪場入り口にあるドイツ俘虜慰霊碑久留米けいりん敷地内にある慰霊塔久しぶりの陸軍の野外講堂跡遥拝堂久留米城跡に創建された篠山神社。久留米城の石垣は全て残ってます。ヤバい!プチ廃集落を見つけてしまった‼️
【20年11月1日探索・21年11月29日公開】現在地はこの辺上の方には家屋があるんだが、それ以外に何かないものかをキョロキョロした所目に付いたのが・・・簡易水道あたりだろうか?こんなボックスがあった。では上の方にある家屋の方に向かって行こう。ところで、地理院地図には3つ、建物があるように描かれているが、探索日現在で残っていた建物は1軒だけのようだ。家屋の手前には石碑?石仏?があった。左2体は石仏、右のは「先」と読める1文字目以外は何が
さてと本日は、昨日の土曜日に実施した『関東の三老人』による『ミステリーツーリング・秩父廃集落リベンジ編』が無事に終了したお話。近頃の週末ホルホル渋滞を考慮し、集合時間の3時間前の7時にガレージを出発‼️途中、甲州街道が予想以上に渋滞していたので、ちょいと遅れて集合場所に到着‼️二週間ぶりの再会ですが、皆さん相変わらず元気そうで何より・・・この後、目的地へ向かい、険しい山道を登り、何とか廃集落探索を行い、無事に当該廃集落攻略が完了‼️そして往路でも寄ったお気に入りの喫茶店に往路も寄り
【20年11月1日探索・21年11月28日公開】現在地はこの辺道は向きを変え、まだ上っていく。石垣が上の段にもあるのが見えた。ここも集落があったのだろうか、ちょっと上を見てみよう。上の方に何か建物があるのが見えた。もう少し近づいた。どうも物置か何かなんだろうと思うが、けっこう怪しい立地だし、柱が建っている石垣も大丈夫なのか??建物がある方に近づいたらもっと大きな建物があった。洗濯機かな?廃墟は私の守備範囲外なんだが、外
さてと本日は、今年三回目(11月は二回目)の実施となる『関東の三老人』による『ミステリーツーリング・秩父廃集落リベンジ編』の前日譚。火曜日の勤労感謝の日に黒い悪魔で出かけた時は昼近くだったこともあり、ヒートテックとアプリリア社製のパーカーで出かけても問題なかったのですが、今回はガレージ出発時間も早いのでしっかりジャケット引っ張り出してジャケット不具合の確認からスタート‼️私が愛用するバイク用ジャケットは20代の時からイタリヤのダイネーゼ社製と決めているので、日本メーカーのものは一切なく、春秋
【20年11月1日探索・21年11月26日公開】現在地はこの辺山梨県北都留郡丹波山村高畑国道411号線だ。丹波山村は東京都と接している立地なのに人口520人(2021年10月推計人口)しかいないという過疎化に悩む自治体だ。そんな丹波山だが、右前方から上がっていく道沿いに廃集落があるというので、行ってみようと思う。とりあえず、先に進む前に手前左なんだが・・・初心忘るべからず分水嶺という、よくわからない石碑があった。この石碑、裏側には邪魔ならどけてくれという意味合いの事
【21年3月27日探索・6月30日公開】現在地はここ元・ホームなのかなという待合室のある「島」にはこんな看板もあった。これは尾盛駅で降りない観光客向けのものだろう。尾盛~閑蔵間にある関の沢橋梁の宣伝だ。大井川鉄道の駅にはタヌキの置物が多いんだが、ここ尾盛駅にもあった。奥大井湖上駅にもあった「タヌキ物語」、尾盛駅には第7話が書かれていた。駅名標と後ろに掲げられているのが駅発車時刻表だ。この建物は待合室、なんだが・・・建物横にも待合スペ
【20年6月7日探索・21年1月13日公開】現在地はここいったん中央の車道まで戻り、ここから薬師堂のマキと書かれた看板に従って左折する。この道をまっすぐ、中央に見える穴の方に進んでいく。何だか、異世界への入口のようにも見えるな。この竹やぶの先、右側には・・・ここが薬師堂の入口にあたる。焚火が見えるが、この周辺の清掃をされていた方が焚いていたものだ。ちゃんと管理されている事がわかった。では、中に入ろう。昭和39年、当時の
【20年6月7日探索・21年1月12日公開】現在地はこの辺鬱蒼とした林の先の方に祠が見えてきた。かつては社殿があったというが、現在では祠があるだけになっていた。この塚本集落は平成14年(2002)までは人が住んでいたが、堤外集落という立地のために堤内に引越しした。しかしながら、かつての住人のうちの何人かはこの場所に通勤し、この場所も最低限の管理が継続しているはずなので、荒れた感じはしない。よく見ると祠は2つあった。また、右側に控えめに建っているのは水神様だっ
【20年6月7日探索・21年1月11日公開】本日からの3日間は8年前に訪問したさいたま市の廃集落・塚本集落の再訪記事になる。現在地はこの辺差玉県さいたま市桜区大久保領家荒川の堤外になる。6月時点ではまだ県内のみ徘徊といった時期だったので、以前訪問していて気になっていた場所にもう一度行ってみようという事もしていた。先の方に現役に見える建物が建っていたが「ハンノキの里」というプロジェクトチームが管理しているようだ(自然観察会、クリーン活動等されている)。舗装が途切れる
【20年6月21日探索・21年1月6日公開】現在地はこの辺廃集落では踏んではいけないモノが転がっている事もあるので、足下に特に気を付けなければならない。地面を見ていると、これまた廃集落あるあるで、いろんな瓶が転がっていた。元、物置か?そして右に転がっているのは1槽の洗濯機か?ローラーで洗濯物の水切りをする、子供のころ使っていたのと同タイプだと思われる。カメなど、現代日本ではあまり見かけなくなったものが半分埋もれていた。栗山集落は2000年前後まで人が住んで