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吉祥寺迄移動して来ました街の中心部に寺院が集中している四軒寺と云われるエリアを再訪まずは武蔵野八幡宮吉祥寺の氏神様として有名な八幡宮で五日市街道に面しています789年に坂上田村麿が宇佐八幡大社の御分霊を祀ったと伝えられます神田上水に建っていた井の頭弁財天への道標と庚申塔が参道入口にあります境内は1300坪の広さで欅や楠の大木があり繁華街の近くとは思えない佇まいです石灯篭手水舎自動水栓になっていました神輿庫中の神輿も見ることが出来ます西参道と鳥居がありますが出入りは出来ない
令和6年4月25日参拝飯田橋駅B1で地上に出て徒歩5分でした。喫茶店を出たら鳥居が見えた👀よく見たら社号標に〝筑土八幡神社〟だって。御朱印を始めた頃に来たっけヘ(゚▽゚ヘ)宮司さんとのやり取りしか記憶ないやいつかモーロクしたらあちこち巡礼してた事もスコーンと忘れてしまうんだろうなぁ。田村虎蔵先生顕彰碑(右)このタイプの石垣大好きε(๑´▽`๑)ɜ氏子さんの名前が彫ってあって、上の柱まで近隣の企業や個人のお名前がずらっと並んでます。石垣の上は何があるかというと児童公園。〽
本願寺に来ています。門前に車返(くるまがえし)という地名の由来を示す石碑が建っています。外灯の色が幽玄な雰囲気を醸し出していますね。元々は白糸村だった当地ですが、頼朝の奥州征伐の折、藤原秀衡の持仏(薬師如来)を畠山重忠に命じて移送中にここで野営をした際、夢のお告げがあったとのこと。この頃のエピソードとしてはあるあるな話ですが、当地に庵を結んで仏像を安置し、移送に使った車は元へ返せとのお告げでした。車返って、人力車だと崖を登るには困難だから引き返すといった意味かと思ってたけど
4/27は珍しく朝早めに家を出て、川崎市宮前にある神木山等覚院に向かいました。仁王門。金網で見難いですが…仁王さま。仁王門の天井画。仁王門をくぐるとこんな感じ。ツツジがとっても綺麗(^o^)少しずつ時期をずらして咲くので、全部一斉に咲くわけではないそうで…ツツジの見頃を見極めるのって難しい(^_-)手水舎。花手水〜御本堂。こちらは扁額に「冥顕」とある絵馬堂。石灯籠。庚申塔など。こちらは満開〜コーラルピンクが可愛い(^o^)稲荷社の方のツツジはもう終わったのか
地蔵寺門前のお地蔵さん。道標の他に板碑もありました。「觀應の板碑」とあります。観応年間に建てられたものということだとすると1350年代のもので700年近く前のものということになりますね。古い!そして状態がいい。八坂神社忠魂碑も今回のお遍路中たくさん見ました。徳島でよく見た里程標を兼ねた親柱「距市塲町一五二粁」とあります。反対側には「距撫養町一九〇粁」立派な石灯籠ちょっと読めないのですが「遍路みち」と漢字交じりで書かれているのでしょうか?何気なく撮った石碑なのですが日本
令和5年5月24日参拝景徳寺を出て能永寺に行こうと歩き出したところでさっき降りたバス停を見てびっくり👀高台に神社があるっ。しかもわりかし規模でかくね。見に行ってみよう歩道にかからない絶妙な位置に建つ一ノ鳥居!石段の踊り場でひと息ついて景徳寺を見る。背後に墓所があって実は広いお寺なのね。最後の数段がとても急で高所恐怖症にはキツ。上がったはいいけど帰りどうしよう‥。目ぇつぶって降りればいいかー!御祭神は速玉之男命と大山咋命です。かつて景徳寺にあった宝珠庵の守護神で地主神として
五反田のビルの一角に置かれた庚申塔、青面金剛石造。保存状態がいいです。元禄十年(1697)建立。●品川区西五反田2丁目13−8にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村プロレスランキング
八幡神社(はちまんじんじゃ)2018.12.15(土)八王子市南大沢に鎮座する南大沢八幡神社に行ってきました南大沢警察署のすぐ裏側に位置します。数台しか停められないけど駐車場も完備こんなところに神社がありましたか鳥居手水舎ちゃんと水が張られていて、それだけ参拝者が来られるんですね神社ワンコ!ハロちん♪参上~創建年代は不明ながら、古くから南大沢の鎮守神として祀られてきたようです。御祭神応神天皇風が吹いて歓迎されてる感じ~なんと、白龍ではないか本殿裏手にある祠
馬頭観音道路局部改良工事河川特改工事池には危険がいっぱい!!なので埋めました。中務茂兵衛の道標でした。前日の道標では「中司」姓でしたがこちらは中務。八十八度目とあるので最初期のもののようです。お遍路カフェ☜十ばんきりはた寺、八ばんくまたに寺ということで九番札所法輪寺に到着。近かったです。この日はお釈迦様の誕生日だそうです。切幡寺へ向かいます。是ヨリ教覺寺の石碑。何のための穴でしょうね。ちなみに覚の旧字の覺の字が異体字です。かんむりの中央のメメの部分が方に
長津田の丘陵地を歩いています。三叉路に、鳥居の建つ祠がありました。東名高速の横浜町田インターへの抜け道になっているのか、定期的に車が来るので、この写真を撮るにも少し時間が掛かりました。右に「凍結スリップ注意」の看板がありますが、この感じだといつかこの祠へも車が飛び込んで来そうです。ここも椿稲荷と同じく鳥居が低く、さらに祠も奥まった所にあるので、二、三度頭をぶつけながら撮った写真です。なんかちょっと心霊っぽくなっちゃったけど、これは紛れもなく庚申塔ですね。お米がお供えされていて
宿坊で6時半からのお勤めに遅刻ギリギリになって参加、7時朝食、7時半過ぎに出発しました。Day1のその1にも書きましたが今回のシリーズではお寺の山門より内側の写真は基本的に省略しようと思います。気になる方は現地で確認または検索してください。8番を目指します。こういう瓦はなんていうんでしたっけね。飾り瓦?火の見櫓もチェック。ごしよおおはし秘密基地?ミステリーサークル幼き日の二宮先生八番熊谷寺は右という案内が出ているのに台湾人グループが直進していったので、
4月25日根津神社のつづきです。つつじまつりを観終わって神社を参拝します。つつじ苑からみた楼門舞殿拝殿の正面参拝も行列でした。お友達は御朱印をもらうのでわたしが先に並んでいました。並びながら写真を撮影。手水舎唐門奥に拝殿がみえます。唐門の屋根お友達が戻ってきて話すには頂きたかった切り絵の御朱印は売り切れだったようでした。そんなに人気があるんだとびっくり。わたしたちの側にいた方のお話しだと切り絵御朱印は27日から再販されるとHPにあったそうです
1番から2番は1.4km、2番から3番は2.6km、3番から4番は5kmとここまでは倍々ゲームで札所間の距離が伸びています。とはいえ、この5kmで撮った写真が170枚。例によって取るに足らない(撮るに足らない?)写真ばかりとは言え取捨選択に悩みます。旧撫養街道の高徳線踏切手前の立派な道標。右大坂越とあります。讃岐方面へ向かう道のようです。左側の道標は「☞三番金泉寺五丁、☜四番大日寺五十丁」とありますが向きがおかしいです。本当は東西を差していたものを鉄道工事か何かの際にここに移設して南
今回も海シリーズ3回目前回の『熊野神社』から徒歩20分54号線を北上今津大橋を渡って右手の浜崎漁港の先に延びる砂洲:洲之崎にある八大龍王神社今津大橋からみた洲之崎橋を渡る手前今山の裾野でみつけたお札初めて見ました『道饗祭疫病退散御守り』~道饗祭(みちあえのまつり)~厄神・疫病が入らぬように6月・12月の大祓の後道の途中に食物を供え祈る祭。八衢
今回は舟鼻峠(旧道)と赤土峠です。舟鼻峠は国道400号の昭和村と下郷町の境にある峠で、トンネルが開通した為旧道となっており一般車は通行止めです。私が越えた2016年10月時点では通行止めのゲートは簡易的なもので、二輪車は通り抜けられるものでした(通行をお勧めは出来ませんが)。路面は全舗装でそれ程荒れてはおらず、問題なく走行できました。ただし、私は昭和村側から入り県道を金山沢側へ下ったので、本来の田島ダム側へ下る道の状況は不明です。また、私が越えてから三年が経過していて現在の状況は分かりません
秘境探索大入12大入おおにゅう幻の秘境花山天皇隠れ里花山(かざん)場所は愛知県北設楽郡東栄町東薗目大入愛知県道429号線古真立佐久間線(こまだてさくません)秘境探索大入11よりつづく『秘境探索大入11』秘境探索大入11大入おおにゅう幻の秘境花山天皇隠れ里花山(かざん)場所は愛知県北設楽郡東栄町東薗目大入愛知県道429号線古真立佐久間線(こまだてさくませ…ameblo.jp今回探索の目的地(花山神社)横庚申塔があつた町誌に載る庚申塔東栄町誌よりずいぶ
『日本史こぼれ話』-笠原一男・児玉幸多●こわい庚申(こうしん)さま✪道教からおこった庚申信仰は、平安時代に日本にはいり、以後、仏教・神道・修験道などと習合して日本独特のものとなった。もとは中国の道教の説によるもので、人間には三尸(さんし)という虫がいて、庚申の夜に抜け出して天帝にその人の罪悪を報告するというので、その夜は眠らないで夜明かしをする。これは平安時代から貴族の間では行われていた。近世には各地に庚申講がぞくぞくと生まれ、至るところに庚申塚や庚申塔がつくられた。庚申さまを信じ
『五霞町小手指』南栗橋駅~堀の内界隈南栗橋駅は埼玉県久喜市なのだが県境であり私の歩いた範囲は茨城県だった帰りの電車で調べると、五霞町小手指は割りと有名な大きな被差別部落だった元栗橋にも合祀された白山神社があり、隣保館も在るコトを知った1996年までは五霞村であり、現在も境界杭などには五霞村の記載が多い小手指に入る辻には庚申塔や馬頭観音塔などを高頻度で眼にする視界に入る風景は田んぼで時おり樹木が覆い繁る場所は概ね神社であるナンでも80年代~90年代は過激な暴走族が存在し埼玉県から
草津温泉の湯畑周辺の神社仏閣巡り致しましたので、見た場所などをご紹介します。金比羅神社ホテルスパックス草津の裏にありました。つまり、金刀比羅神社は湯畑と西の河原の中間付近に鎮座しています。正面からだと、もの凄く急な階段を上る必要があります。一部手すりがないので、注意が必要です。由来等は以下になります。金刀比羅神社金刀比羅神社創建は江戸時代後期の寛政9年(1797)、桐屋の主人高原長右衛門が讃岐(香川県仲多度郡琴平町)に鎮座する金刀比羅宮の分霊を勧請したのが始まりと伝えられていま
2月16日埼玉県さいたま市岩槻区。慈恩寺と三蔵法師の霊骨塔を訪ねていると小雨が降ってきた。急ぎ常源寺へ。この寺には「一石五輪塔」があるというのだが、残念ながら境内では発見できなかった。どうやら公開していないらしい。ああ、そう。気を取り直して「飯塚神社」へ。もともとはここも久伊豆神社を称していた。二の鳥居三の鳥居明治に他の神社と合祀し改称したものの、今でも地元では「久伊豆様」と呼ばれているそうな。ところで参道沿いに建つこの屋根と柱の
喜多見を探索しています。慶元寺の境内から延びる緑道。直角に折れ曲がって続きます。喜多見氷川神社の正面に出て来ました。1654年に、喜多見氏から寄進された二の鳥居。土台の部分が特徴的で、世田谷区の有形文化財に指定されています。祭神はスサノオと妻のクシナダヒメ、天照大神です。火災により焼失した社殿は、1990年に再建されました。龍石。祷善寺跡。氷川神社を後にして、北へ歩きます。途中で出逢ったタバコ店。灰皿もたくさん置かれ
4月26日は、今年2回目の「庚申の日」「庚申」とは、「こうしん」とも「かのえさる」とも読みます。天の氣「庚」は、7番目の金の氣地の氣「申」は、9番目の金の氣金と金が重なって、キンキンの日😆✨良い金が重なればいいのですが…お金の問題が重なったり、心がキンキンに冷えたり、金属でキンキン戦ったり…ちょっと注意が必要なんですよ。昔は、庚申の日に子どもが生まれると大出世する
この区間は遍路道標がたくさんありました。へんろ乃一???遍路界隈で有名なお姉さんに会えました。銀河系のような透かしブロック遠目には綺麗な花畑と思ったのですがブロッコリーの花でした(手前)。2階建て遍路小屋。ちょっと入りづらくて素通り。十一番藤井寺への歩き遍路用マップ。残念ながら品切れ中でした。精いっぱい直進案内を振り切るかのように右へ。これまで繰り返し繰り返し目にした看板のうどん屋さんにやっと来ることが出来たと思ったら「本日休業」。遍路道へ復帰十一者”ん婦じ以寺(十一
小竹町・八雲神社さんから、桜台6高稲荷神社さんに向かいました。途中で鳥居と社殿がありましたが、扉があって入れませんでした。社号標もありませんでしたので、お狐様がありましたので稲荷神社でしょうか?住所は、練馬区桜台3丁目16番3号でした。高稲荷神社さんに向かいました。途中に、庚申塔がありました。元の所在地(桜台2‐43)から移して来たようです。高稲荷神社さんに着きました。社殿は、一段上のようです。こじんまりと纏まっている
西本村稲荷から、地下をメトロが走る池袋谷原線(R441)までやって来ました。東京メトロの有楽町線と副都心線が線路を共有して乗り入れる平和台駅。先日、埼玉弁護士会長に就任した尾崎康さんと、その弟である豊さんが幼少期を暮らした街です。尾崎豊は練馬で育ち、小5で朝霞へ転校するも不登校となります。そのせいか、中学は朝霞から練馬東中へ通っています。その後、青学高等部へ進学して中退したのは有名な話ですね。おぉ~!尾崎が過ごした頃は一面キャベツ畑だった景色も、メトロが通るようになって
明けましておめでとうございます(*´꒳`*)皆さまにとって良い1年になりますように♡本年もどうぞよろしくお願いします♫12/28は八王子方面に用事があったので出掛け、午後からは八王子の少し先にある津久井湖周辺で御朱印巡りをしました。最初に向かったのは大覚山東慶寺。「峯の薬師」と呼ばれ、武相4大薬師の1つだそうです。参道入り口は舗装された車道ですが、途中から山道になります。参道口からかなり距離があり、本当にこの先にお寺があるのか不安になりながら山道をどんどん進みました💦