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じゃあどこの癌だったらいいのかなんてない。癌になんてなりたくない。ただ、なんでよりによって顔なんだろう…なんで希少癌なんて呼ばれる癌なんだろう…他の癌と違って洋服で隠せない、人目にさらされて、日常生活も社会生活もかなりの困難を伴う…考えたってどうにもならないんだけど頭頸部癌て…顔の癌て…癌て…癌てさ…ホントなんなの?
月に一度だった抗がん剤治療がいつからか2週間に一度になった告知の段階で希少癌のステージ4末期がんと言われた夫の闘病生活標準治療もなく終わりのない手探りの治療数値に思わしい変化は見られずお薬を少しずつ変えながら良くも悪くも現状維持時としてその現状維持も限界があるものですちょうど50回目の抗がん剤治療を終えた時主治医に呼ばれたのです窓のない白
標準治療のない希少癌すなわち治療方針が定まっていないお医者さまも正直手探り状態そんな状況ならばセカンドオピニオンを受けたいと思うもの。診断や治療選択などについて第2の意見として違う医療機関のお医者様に求める「セカンドオピニオン」セカンドオピニオン先の選択は自分の病気に関して名医がいる、症例数が多い等が概ね基準になると思います。となると希少癌の夫の場合は?そうです!選択肢がほぼ無いに
既に転移している進行がん、末期のステージ4余命は1年…それだけでも頭が真っ白になる告知内容だったのにその上希少がんときた何がなんだか何が起きているのか先生の言葉に頷きながらも何を話しているの…時間止まったかのようなあの日今でも思い出すことがあります告知からしばらくして夫の希望もありセカンドオピニオンを受けました希少癌ということは症例が少ないということです当時唯
辛くて苦しくても頑張っている患者本人を前に家族は涙を流したらダメですか?どうして泣いてるの?と単純に気になって声をかけられただけなのにそう言われてから夫の前はでは決して泣くまいと強く決心したことを覚えていますでも本人の前では泣かずとも込み上げることがなくなったわけではありません夫が告知されてから日課のジョギングはやめようと思ったのですがそんなことしている場合じゃないし
今は亡き大切な人に聞いてほしい話がある時や思いが募った時は特別なお線香を焚いてみましょうあなたの心を安らかにし亡き大切な人があなたに寄り添っているように感じさせてくれます贅沢なお線香の香りに包まれていると亡き大切な人を近くに感じられますわたしは自分で作ったお線香でいつも会話しています特別なお線香を焚くことは亡くなった方に向けた想いを形にする一つの方法ですね======
今でも時折思います夫の闘病中周囲の方々が「あなたがダウンしてしまったら大変だから…」心配してくださってよくかけられた言葉ありがたいなと思いつつ自分のこと気にしていられないよなとも時々思っていたのも正直なところです治療などで辛くしんどく苦しんでいる姿を見たらわたしなんてとやっぱり思ってしまうんですこれが俗にいう家族は第二の患者という所以かもしれませんね一番苦しいのは患者本人こ
医療は日々進歩していますもちろん、がん研究も同様です治験がはじまりました保険診療に認められましたとか目にしたり耳にしたりすると今まで暗闇を彷徨っていた人に希望の光が見えてくるんだなあと明るい気持ちになりますそれと同時に亡夫のような希少癌はどこまでも置いてけぼりだなと感じるのが正直な気持ちです仕方ないですよね症例数が少ないんですから研究するには到底無理頭では分かって
こんなことを言ってあげればよかったこう答えればよかったそんな思いが強く残る…病室で死期が近づく夫今日明日に亡くなっても不思議はない状況だと主治医の先生が仰れ周囲は気遣いから私にとにかく後悔のないようにどこまでやったところで前述の感情は残るのです後悔が薄まることはなく本人に正解を聞きたいと、この期に及んで思ってみても…大切な人を亡くし遺された人
もしも、今近くに何か苦しんでいる人がいたら心から寄り添ってみましょう支えるというよりも共に静かに時間を過ごすことがその人にとって最も癒しになるかもしれません。微力な人でも、病気の人でも力強い存在になることができます。ただそっと傍にいること時には言葉を探すことができなくても寄り添うことで一緒に苦しみを乗り越えることができます。人とのつながりは時に言葉や行動よりも存在そのものが大切です
がんの告知をされて思考回路がストップし少し落ち着きだす数日後現実と向き合いだし何故自分が?原因は?多くの人が先ず辿り着くのが「食事」ではないでしょうか。「これ参考にしてみて」と親族から渡された一冊の書籍。そこにはがんになりやすい食べ物が羅列されていました奇しくもほとんどが亡夫の好きなものでした普段であればあれこれ健康を考えて好物を避けた食事を用意したら夫の性格か
家族以外の人には夫の病気のことは伝えないと決めて共に闘病する日々時に目の前に立ちはだかる壁一つ越えてはまた現れる壁何度も壁にぶち当たり終わりのない日々一筋の光さえ見えない出口のないトンネルを進むほかない毎日今でも友達によく言われるんです辛い日々を送っていること一切見せずいつも悩み事や愚痴を聞いてくれていたよね本当は泣きたいのにヘラヘラ笑ってごめんね
ちょうど50回目の抗がん剤治療を終えた時主治医の先生から治療を少しお休みしましょうと言われてからどんなに辛く苦しくても足を止めてしまったら…という恐怖から現状に向き合えずにいたいえ向き合おうとしていなかったのかもしれませんそこで、私たちは治療をお休みすることに決めましたでもそれは、諦めではなく方向性を変更するという決断でしたそして、治療中の闘病とは異なる闘病の日々を送ることになりまし
悪性黒色腫切除から1年経過しました。あっという間だった1年…その間に定期健診とCTも受けていたけれど、いまのところ異常なし。かと言って、切除した部分はまだまだしびれ感、物を持った拍子に物を落とす、どこかにぶつけると出血するなどなど…また、ここ最近朝晩冷えてくるとジンジンっと切除痕が痛い。そしてこの痛みがある時にトラウマのように思い出してしまうのが、術後の強烈な痛み!とても不安になってしまうものですね。(もう痛みはないけれど)1年過ぎてメンタル的にも強くなり、仕事も少しレベルを
先日、臨床4年目の定期健診に入りました。以前からちょっと気になっていた爪切除後のベビーピンクの皮膚の部分...よく見るとふわぁっとところどころに糸のようなものが(糸よりも細いのでほんとうによく見ないとわからない)生えている。定期健診で担当医に尋ねると「毛ですね」、わたし...だってここの皮膚は鼠径部から植皮した皮膚なのであって...もともと、わたしは脱毛サロンへ通っている友人たちに羨ましがられるくらい毛深くないのでこんなところから毛が生えてくるって神秘的でこの産毛のような毛たちが
癌になると多くの人が感じる事どうして自分なんだろう?何か悪いことした?何がいけなかっただろう?当事者はいろいろな思いが真っ白になった頭の中をぐるぐるとめまぐるしく溢れるでしょうそして家族が思うのがわたしたちのために無理を強いていたかも食事にもっと気をつかっていたら心身の不調に気づいてあげていれば自分を責める思いが真っ白になった頭の中をぐるぐるとめまぐるしく溢れます
現代では不治の病から徐々に完治する病へとなりつつある「がん」がんの告知をうけたらそれぞれ沿った治療方針が決まっていきます。完治がほぼ存在しない末期がん。治るではなく病気の状態が、一時的に軽くなったり、なくなったりする寛解(かんかい)することはあります転移もある進行がんで末期がん完治はない病のための積極的治療…誰でも一度は耳にしたことのある癌の三大治療法のひとつ抗がん剤治療
「少し治療お休みしませんか」無機質な部屋で主治医の先生の第一声言葉に詰まる私たちに「少し休んでからまた再開したらいいですよ」50回を数えた抗がん剤治療で健康な細胞が悲鳴を上げていたようですこのまま抗がん剤治療を続けても続けなくても…良くも悪くも現状維持だったということは治療をストップすればそれは進行するということ先生の言う少し休んでから…は
闘病スタートして間もなく夫の前で涙した時があったんです何で泣いているの?とボソッと夫に言われて夫の前では泣いてはいけないんだな今思えば夫は単純に聞いただけだったと思うのですが隣で支える者は泣いている場合ではない泣くことすら許されないんだと私は勝手に思い込んでしまったんですね「泣いたら全部が壊れてしまう」という思い込みから私はずっと我慢を続けまし
希少癌を告知された時点で標準的な治療はなく手探りで治療するしかありませんでしたほんの僅かな一筋の光を求めて漆黒の闇の中歩き続けました一筋の光が手に入ることはおろか一瞬でも目にすることなく進んでいると思っていたのは単なる錯覚にすぎず私たちは同じ場所でただただひたすら足踏みをしていたのかもしれません「治療を少しお休みしましょう」主治医から言われてそう思わざるを得ませんでした
日本人の2人に1人がかかるといわれるもはや国民病「癌」本当のところその信憑性は何とも言えませんがとめどなく分裂を繰り返す異常な細胞がん細胞は誰でも持っていると言われます。そう思うと誰しもが癌になり得るのは納得します。夫の闘病中よく思ったんです。2人に1人が罹患するんだったらそれを支える家族はどれだけいるんだろうって夫、妻、子供父、母、兄弟…患者の数の何倍、何十倍もい
闘病中、様々なことがありました患者さんが精神的に不安定になるのはよくあることというよりメンタルを正常にし続ける方が困難です病室で何かが癇に障り物凄い勢いで「帰れ!」と言われ意固地な私は実際に帰宅してしまい…夫は更に逆上言葉と気持ちが裏腹なこと多々あるタイプの夫でしたがいつまでも張り上げる怒鳴り声を病室で受け取り続けてはいられませんでした
明日の命が…というわけでななくても闘病生活を送っていることは家族も同じ患者さんにはやりたいことやろうよ好きなことやろうよと言えても家族はつい我慢していませんか?家族も好きなことしても良いじゃないですかそれは必ずしも患者さんと一緒に過ごさなくても自分自身が笑顔になる好きなこと思わず時間を忘れてしまうこと患者さんだって家族の無理している姿は見たくないんで