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以前あげた記事。ちょいちょい更新していました。以前は『死産までの振り返り』というタイトルでしたが、『ピヨちゃんと歩んだ道』に変えました。また、死産後の経過については別記事にまとめる事にしました。死産までの振り返り記録を綴っておりますが、結構細かく書いているので読みづらい(飽きる?)かと思います。何か情報を求めてたどり着いた方もいるかと思うのでここに完結にまとめます。また、自分の備忘録としても書いているので、
こんにちは今週末は朝早くからカンナムで健康診断を受けて来ました。勤務先の病院でも出来ますが夫が会社経由で勝手に予約してくれてました普段病院で働いていながら健康診断を受けた事がなかったのでこれを機に定期的に健康診断を受けなきゃなと反省しました1月最初の1週間は私がフェローを始めて以来一番忙しかった1週間でした出産が普段の3倍はあった気がしますさすが年始平和な出産もあればコロナの防護服を着て汗だくになりながら行った出産もあればあと5分到着が遅れてたら救急車の中で産まれてただろ
はじめに・・・死産につながる話です。不安に思う方、不快に感じる方、辛い方はここで引き返して下さいね。前回の記事はこちら↓エコーにて赤ちゃんの心拍停止がわかりました。妊娠34週6日の話です。先生に「ご主人にも説明したいので連絡とれますか?」と聞かれました。私は涙を拭きながら「すぐに電話します。」と伝えました。先生は「ゆっくりでいいですよ」とエコー室を離れ、1人の時間を作ってくれました。涙がどんどん出てきましたが、涙を拭き、呼吸を整えました。旦那に電話をかけます。「もしもし、病院終わ
タイトルの通り、火葬から2週間。今の身体の状態、心の状態を記録身体の回復って早い…と感じています。私は38歳ですが、妊娠前は趣味のスポーツを多い時は週4(やり過ぎ笑)でやっていて、大きな怪我や病気もしたことがなく、仕事も保育士(保育園で働く前は7年ほど学童保育だったので、小学生とサッカー・野球・鬼ごっこ・一輪車・竹馬とか毎日していました。)で、体力には自信があります。妊娠中も、死産の前日までマタニティスイミングでめっちゃ泳いでいました(これは死産の原因になってないのかな…?)。5月29日
2023年5月29日(月)PM8:482576g46㎝のかわいい男の子を産みました。33週6日で心拍停止と診断され、34週3日での死産でした。2回の化学流産、1回の稽留流産後、やっとここまで育ってくれて、元気に産まれてくる想像しかしていなかった。4年間の不妊治療、2回目の顕微授精でようやく来てくれた息子でした。今は泣くことしかできませんが、少しでも前に進むため、気持ちの整理をするために、ブログに綴っていきたいと思います。
さすがに寝不足だったのか、覚悟が決まったのか、今までよりは眠れた。息子を火葬してしまう前に、お別れまでに出来ることをしてあげなくちゃ、そしてこんな結果になってしまったけれど、私たちにたくさんの幸せをくれた息子との思い出を悲しいものだけにしたくない、それしか考えていなかったと思う。今出来ることを考えていた。・手形足形をとるかわいい色紙・スタンプ台(産院には赤しかないとのことで、男の子だから夫が水色を選んでくれた。)・折り紙(産まれるまでの間、息子を思ってたくさん夫婦で折って棺に入れた。動物・
はじめに・・・死産につながる話です。不安に思う方、不快に感じる方、辛い方はここで引き返して下さいね。前回の続きです。いつもと違う胎動を感じていながら私は寝てしまいました。詳しくはこちら↓↓↓妊娠34週6日の話です。(妊娠9ヶ月)朝を迎えます。トイレに行くとオリモノが更に増えていました。「これはおかしい。何かに感染しているかもしれない。」そう思いました。胎動に意識を向けますがやはり少ない、弱い胎動・・・。不安が募っていきました。「これは、胎動じゃないんじゃないか・・・この動きは自分の
PM8:482576g46.0㎝かわいい男の子が産まれました。33w6dにしては、大きく育ってくれていた。見た目は普通に赤ちゃんだった。ポカーンと口を開けていて、寝てるみたいだった。苦しそうな顔をしていなくて、少しホッとした。2600gって…普通に外の世界でも生きられたよね。どうして亡くなってしまったんだろう。そう考えてしまうと、いまだに息が上手く吸えない。臍の緒は夫が切った。子宮内胎児死亡の診断を受けて4日目に出てきてくれたので、息子の見た目がどんな感じなのか少し不安だった。とこ
死産後のチェックに行ってきました!相変わらず悪露は微妙に続いております。子宮内に少し血の塊が残っていましたが、胎盤?に血流は無くなっていました。先生が「吸ってみるか〜!」と言って、吸引?で子宮内の血を処置してくれました。エコーで綺麗になった事を確認◎「子宮の中がきれいになっているので、今回の事での受診は終わりです。」・火葬が終わって骨が残った事。・死産〜産後まで痛みはほとんど無い事。を報告すると、すごく大きな声で、びっくりして、喜んでくれました!(笑)・死産ってどれく
妊娠14週で医大に転院することになった。この日は初めての診察。夫と2人で向かった。待合室を見渡すと、お腹の大きい妊婦さん、鼻にチューブを付けた乳幼児を連れたお母さんなどいろんな方がいた。医大に通うくらいだから、みなさんそれぞれ何かの事情を抱えて必死に通っているんだと思った。どういう気持ちで乗り越えてきたのだろう。医大ではこれまで通っていた産科と比べ物にならないくらいじっくりエコーを見て、1時間くらいかけて詳細に状況を説明してくれた。説明されたことは・膀
無事に生まれてきてくれた双子ちゃん。産声をあげる事は出来なかったけど、確かにここに存在する。大切な、大切な、私達の可愛い双子ちゃん。ガーゼのベッドの上で二人並んだ双子ちゃん。第2子ちゃんの半分程度の大きさの第3子ちゃん。心拍確認できなかったけど、きっとこの子は心拍があった。時期が合えば、1度は心拍が確認できた子だっただろう。見た瞬間にそう思えました。そして意外と大きかったです。旦那は可愛い2人にメロメロ。可愛い可愛いの連呼です。親ばかだな~と思いながらも、とても嬉しかっ
息子の死産の原因は臍帯巻絡ということになってる。確かに息子は、お産の途中で臍の緒を切らないと出てこれないくらい、首に臍の緒が巻かれてた。でも、4回も妊娠しててこんなに偶然ダメになってしまうことなんてある…?調べれば調べるほど、臍帯巻絡で亡くなることは本当に稀だと出てくる。1回目の化学流産、2回目の胎嚢確認後の流産は、流産にカウントすらされず、おそらく卵側の染色体異常だろうと言われた。3回目の心拍確認後の流産の時にも同じことを言われ、お医者さんが言うならそうなんだろうな〜と疑いもしなかった。
可愛い娘が誕生してからもちろん産声はなかった2019年9月9日21時34分❁︎娘誕生❁︎首を上げて必死に赤ちゃんを見た「可愛い…♡」まず第一声本当に可愛い赤ちゃん!そして可愛いと言った後にすかさず「おっきい…笑」とボソリ夫も姉も“頑張ったね”とか何とか声をかけてくれてたけどあまり記憶なし…笑出産の達成感と娘の姿を見るのに必死だったすぐに娘が別室へ連れて行かれ同時に、後処置があるので…と、夫と姉も部屋から出された連れて行かれる娘…廊下から夫の大きな泣き声が聞こえ、遠くな
産休が5月26日?までなので、残すところあと2週間となりました。最近のわたしはというと…メンタルが崩壊していました(^_^;)というのも、いろんなことが重なっておかしくなっていました😇・自分は不妊かもしれないという漠然とした不安、焦り・お産後40日以上たっているものの生理が来ない・Xでたまたま予定日が近かった人の検診ポストを見た(お腹の子が無事だったら同じくらいの週だったな…と)・妊婦の友人ポストがまぶしい(マイホーム購入、妊婦検診におわせ、お
そして、周産期死亡というものがあるそうで。妊娠22w以降~早期新生児の間に亡くなること。(早期新生児がいつまでかは分かりませんが…。)2022年は2,527人だそうです。22w以降の死産は2,061人。早期新生児死亡は466人。無事に産まれることのできる週数(22w以降)に、死産となってしまう事もあるんですよね。22w以降の死産は全体の妊娠(出生+死産数)と比較し、2,061/785,925人となります。全体の妊娠の0.2%。2000人に1人?死産全体と比較すると2
息子に家の中を案内した。ここが一緒に寝てた部屋だよ、ここがお風呂だよ、お風呂ではよくしゃっくりしてたよ。お庭にも出た。お庭でサッカーしたり、プールしたり、砂場も作ってあげたいなと思っていたし、今育ててるピーマン・枝豆・じゃがいもは大きなお腹で一緒に植えた。パパは息子の為に、庭の芝生をすごいきれいにしてくれてたから、芝刈り機を使ってる所を見せたいらしく、見せてあげてた息子は蹴れないけれど、パパとママ2人でパス練習してるところを見せてあげた。次は一緒に蹴ろうね天国で練習してねパパとママの結
午後になりお昼ご飯はパスタを食べて、その後はソファーでゴロゴロしながら楽天で赤ちゃんのものをたくさん選んで注文していた。マンスリーフォトを撮りたいな〜と思って、マンスリーカードを選んでいた頃だったかな、15:30くらいだったと思う。「あれ、朝めちゃくちゃ動いてたけど、最近胎動あったっけ…?」これまでも何度か不安になることがあったけど、横になっていたらすぐに返事をするかのように動き出してくれて、「心配しすぎか〜」ということがあったので、この時はまだ今回もそうなると思っていた。だけど、お腹を
ディズニーを歩き疲れてクタクタの体はすぐに眠りにつくことが出来ました。ふと夜中、夢を見ました。以前も書いたことあるのですが私が家族に囲まれて赤ちゃんを抱いて微笑んでいる夢。しっかり新生児の赤ちゃん。とてもかわいくてみんな笑顔。けど…その夢の中で『まだ4ヶ月早いのになんで生まれたんだろー?』って言っていました。けど生まれた姿はしっかりした赤ちゃんで笑っていました。その夢がそこで終わり、上半身がガクブル震えて起きました。どうやら暑くて布団を剥いでしまい着ていたホテル備
この日は息子のお誕生日会をすることにしていた前日に夫が色々買ってきてくれて、飾り付けをした。ハッピーバースデーの歌を歌って、お寿司を食べた夫がお誕生日に職場でもらったカタログギフトで、妊婦さんでも飲めるようにとノンアルコールのワインを頼んでくれてた。6/10の入籍記念日に飲もうと思ってたけど、この日に開けた3人でお祝いのケーキも食べた玄関前には息子と一緒にお世話したお花がいっぱい咲いていて、どうしてもそこで家族写真を撮りたかったから撮った3人でお揃いのTシャツを着た棺を外に出してる時に
破水後、看護師さんに代わって、助産師さんがかけつけてくれる。痛い!?と聞かれるも、痛みはなし。ついでに便は出ていないけど便意も無くなったことを伝える。助産師さんはいきなり大焦り。トイレ流した!?と聞かれる。ああ、はい、流しましたと伝えると…、あちゃ~という顔をされて、「赤ちゃん出ちゃってるかも…」と言われる。事の重大さに気づいてパニック。旦那も顔面蒼白。必死で破水の時に手で股をおさえて赤ちゃんを抑えようとしたこと。看護師さんは便器の中を見ていたこと。私自身も確認して出
先程、産院から入院費用に関しての連絡がありました。合計金額を聞いてびっくり。え?そんなに安くて良いんですか…?というお値段。天使ママの先輩方のブログを拝見させていただき、結構良いお値段を請求されるんだな…と思っていました。が、本当に逆にびっくりするようなお値段でした。「一時金の戻り分があると思うので、よろしければ次回の受診までに書類の準備が出来ますか?」という内容の連絡を下さいました。上の子の時は一時金を大きくはみ出していたので、一時金の残りを請求?と、???と
7/7の七夕が息子の予定日だったので、ここ最近情緒不安定でした死産から1ヶ月が過ぎ、落ち着いている時間も増えてきたものの、予定日や月命日周辺はダメみたいです。月命日・月お誕生日(心拍停止の日を命日、産まれた日を誕生日としました)には、骨壷カバーを作ったり、おもちゃをプレゼントしました。予定日には、お花とドーナツをあげました。7/12は四十九日。納骨する予定は今のところないし、水子供養もしていないけれどいいのかな?夫が高校の時仏教系の高校だったらしく、俺が般若心経唱えるからそれでいいでし
昨日は死産後1ヶ月健診でした。あの病院に行くのはものすごく気が重かったけれど、決して悲しいだけの思い出ではない病院。健診で4Dエコーで息子に会えるのを楽しみに通っていた病院。幸せな思い出もある。だから行かなくちゃ!と気持ちを奮い立たせて行ってきた。配慮してくれて、外来のない日曜日にしてくれたんだけど、この日に退院するご家族とたくさんすれ違いました玄関で写真撮影するご家族…裏口から棺を持って泣きながら退院した私たちと違いすぎて眩しかったいつか私も向こう側に行けるだろうか…健診の内容は…悪
この日は初めての妊婦健診である12週健診。『んじゃ、ちょっくら赤ちゃんの様子見に行ってみるわ〜!』と明るく夫に声をかけて家を出た。産科に着いて体重血圧測定、採血。病院の検査で初めてなんだかワクワクした。しばらくして超音波検査室に呼ばれる。今までは経腟エコーだったので恥ずかしさと痛みにじわじわ耐えてたけど今日から経腹エコーになるのでこれまたワクワクした。エコーを見ながら女性の先生が『あら、これは足ね。一生懸命動かしててかわいいね〜』と声をかけてくれる。そ
家に着いてからの記憶があんまりない。母に電話してもこの時は出なかったような気がする。日曜日までに気持ちの整理をして、日曜日にもう一度病院に行きそこで分娩のスケジュールを決めましょうとの話だったけど、この時に夫と「家にいても気持ちの整理なんてできないし、前にも進めないし、もう明日にでも病院に行った方がいいんじゃないか」と話したと思う。夫が作ってくれたうどんを少し食べて、この日はソファーで一睡も出来なかった。同じ経験をした人の情報を、スマホで探していたと思う。人生でこんな悲しいことがあるんだ
※死産に関する内容です。少し前のことを振り返りながら書いています。少しリアルタイムの話をはさみましたが、こちらの記録の続きです↓『職場へ報告』※死産に関する内容です。少し前のことを振り返りながら書いています。入院の準備を終え、夫の車に乗る。あ、職場に連絡しなきゃ。。。言いにくいなぁ。。私は美容師で、…ameblo.jp病院に着いて手続きを済まし、病棟に案内された。部屋は4人部屋と個室があったが、不安や悲しみを抱えたまま周りに気をつかわないでいいように、看護師さんの助言もあって個室にしても
はじめに・・・死産につながる話です。不安に思う方、不快に感じる方、辛い方はここで引き返して下さいね。病院に向かった所まで書きました。詳しくは↓妊娠34週6日の話です。病院に着き、休日窓口で受付を済ませました。病棟ナースが迎えに来てくれるとの事で、待ち合いベンチに座って待ちました。その間、心の中は心配でソワソワしている自分と、大丈夫、大丈夫、心配し過ぎなだけだよねと思っている自分、両方の気持ちを感じながらお腹を撫でていました。看護師さんが迎えに来てくれました。病棟に向かう途中、私は
はじめに~※自己紹介はこちらから⇒★当ブログへのご訪問ありがとうございます。いいねやコメント、また読んでくださるだけでもとても励みになっています。こちらの記事は、2019年秋に私が経験した妊娠17週での後期流産(死産)について綴っています。私の個人的な経験や考えを書いておりますが自分の心の整理をするとともに、まだまだ情報を得づらい後期流産・死産のことを少しでも多くの人に知って頂ければ、同じ経験をして悩んでいる方のお役に立てればと思っております。多く
私自身に起きた、死産までの記録になります。似たような症状だからといって、同じ結果になるとは限りません。妊娠中の方は不安になるかもしれまん。また、辛い内容が含まれています。天使ママさんは辛い記憶を呼び起こしてしまうかもしれません。ご注意願います。絶対に諦めない強い心で、ピヨちゃんに声を送り続けていました。でも、心音の確認が取れず、エコーで診てもらうと、「心拍が確認できない」と告げられました。振り返り記録、前回の記事㉔全てが止まった夜。心拍停止(1)死産ま
とうとう息子を火葬する日になってしまった。ほとんど眠れなかった。この日は、前日の夜から大雨だった。息子が泣いてるのかな、お別れが寂しいのかな、大丈夫かな朝、母乳を絞ったらまだちゃんと出た。たくさん飲ませてあげたかった。また会った時のお楽しみだね。コットンに染み込ませて袋に入れた。息子の棺に入れてあげようと思った天国でたくさん飲んでね。雨の中、夫と2人でお庭のお花を摘んだ。息子と一緒に毎日きれいにお手入れしてた思い出のお花たち。来年はお腹の外で一緒に見れるね、と思ってたのになぁ…最後に胎