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もうすぐ恐怖のGWがやってくる。また月命日がくる…何回目だろう。最近だんだん夫の影が薄まっていくようなそんな変な違和感を感じることがある。悲しいのにこんなに苦しくなるのにどこかでこの悲しみに慣れてきている自分もいてああ、自分はもう何か月夫と会っていないんだろう。会えないことに慣れたくない…なのに…こないだ、ふと夫の口癖が口をついて出た。あー、これいつも言ってたな。久々に聞いたな。え?1
#コロナワクチン1回目6日後夫が救急車で搬送された私も救急車に同乗したが子供達は乗る事ができず真夜中暗闇の中玄関前に2人佇んだままだったその姿を見ながら救急車は動き出した大きくクルクルと点滅している赤いライトと救急車の中の小さい白いライトが暗闇の中で怖いくらいに光っているように感じサイレンの音も救急車の中で聞くとさらに不気味な気がした真夜中なので車はほとんどいなくスムーズに走っていたと思うでも走るスピードが物凄くゆっくりに感じて救急車の音だけが早く感じる
ある日の土曜日、子供達を連れて、少し離れたスーパーへ買い物に行きました。子供達と、何買おうか〜?などと買い物をしていると、「あ、Iさん!お久しぶり〜」と、長男とも次男とも幼稚園が同じ同級生のママであるM山さんに声をかけられました。(幼稚園は少し遠かったので、小学校の学区が違う)「お久しぶりです。」M山さんが「あれ?今日はパパいないの?いつも一緒のイメージなんだけど笑」咄嗟に「今日、仕事なんだ」M山さん「パパによろしくねー」その後も、夫と出会った会社の先輩が、近くまで来たから、と連絡を
夫は1年ほど入院をしていました。家に帰りたいと思っていた夫。だから夫の遺骨は、家に一緒にいます。無宗教の我が家。義母さんがキリスト教の為、亡くなる直前に急遽キリスト教徒になった夫。だから遺骨には十字架が。葬儀はドタバタしたものの心のこもった良いものになったので、わたしとしては結果満足です。きっと夫も苦笑いしていることだと思います。話はそれましたが…そんなこんなで夫は家にいます。かなりの存在感で。遺影と遺骨をみんなが見えるように1階の床の間に場所を作りました。夫に
思春期の男の子の気持ちがわからない。どう接して良いのか分からない。夫の仏壇に夜な夜な話しかける。「幽霊になって出てきて!!私、これからどうやって良いのか教えて。」毎晩お願いしても、出て来てはくれない。私には霊感もない。夜中の2時とか3時に不意に目が覚めると、突然不安になり、夫の死のフラッシュバックが始まる。倒れる3分前、あと3分したら自分は倒れてそのまま…とは思っていなかっただろう、倒れるその瞬間まで、何を思っていたかな?最後に見えた景色は何?突然倒れる…私も明日倒れるかもしれな
夫が亡くなってから朝起きてから夜寝るまでずっと夫のことを考えている。睡眠時間があるから正確にいうと24時間ではないけれど私的には24時間夫のことを考えているような感覚。テレビを見ても音楽を聴いてもどこかへ行っても何か食べても誰かと会っても全て夫に結びつき夫との思い出に想いを馳せる一緒にこんなこと話したなここではこんなことしたな変な話、仕事中でも頭の半分は夫のことを考えている正確に言うと考えてしまう、というのが適切かな。夫が生きていた時はもちろんそんなこと
夫の事故の前からずっと晴天が続いていた。大勢の方が来てくださった一般弔問の日も晴れていた。なので混乱なく進められて本当に良かったと思っている。でも、告別式の日、斎場へ向かう時突然の大雨慌ててマイクロバスに乗り降りしきる雨の中斎場へ向かった火葬が終わり、お骨を拾い再びホールへ向かう時には雨はすっかり上がり穏やかな日差しが降り注いでいた。あれは夫の涙雨だったのかな。これでお別れだよっていう…甥っ子や叔母はこの日キレイな虹を見たそう別に関係ないのかもしれないけ
我が家の高校生二人はあまり似てなくてどちらかと言うと長男は私似、二男は夫似だと思う。それでも目が違うので瓜二つというわけではないと思っていた。夫が亡くなって夫の私物をとりに会社へ行った時会社の方達が次男の事を夫にそっくりだとおっしゃっていた。他人から見るとそうなのかな?くらいに思っていたけど先日、二男の寝顔を見ていた時目を閉じていると鼻の感じ、まつげの長さ額から目にかけての感じ夫にそっくりだと気がついた。高校生になって、もう大人と同じ顔の大きさだから急
我が家は四人家族。なので、常に四等分する癖がついていた。ホールケーキは四つに切るパックのお刺身も四皿に分ける餃子を焼いたら4分の1ずつ食べる子供が大皿料理のおかずを「これいくつ食べていい?」と聞くと、夫はいつも「好きなだけ食べていいよ」と言っていたけど、私は「家族4人でしょ。考えて食べて」と言っていた。買い物する時も四人で分ける前提で買っていた。でもこれからは家族三人。いつものペースでは買いすぎてしまう。夫は牛乳が大好きだったので、毎回二本買っていたが夫がいな
先週、息子達のインフルエンザの予防接種のため小児科を訪れた時のこと小さい頃からお世話になっている先生も看護婦さん達も夫の訃報をご存知で行ったらすぐに受付で「大変だったね…」「頑張ってね…」などと声をかけられた。注射の前に先生と話した時に「◯◯家だから、耐えられる試練を神様が与えたんだと思うよ」と言われた。それは一見褒め言葉のような気はするけど全く嬉しくなく言葉を返せば私と子供たちがこの悲しみを乗り越えられなさそうならこんな試練は与えられなかったという事にな
世間の目が怖い。夫は交通事故で亡くなっていて当時、新聞やニュースでも報道されたので近所ではちょっと有名だ。なので、外へ出て近所の方と会うのがちょっと嫌だ。勝手にあの人のご主人まだ40代なのに事故で亡くなってお気の毒にまだお子さんも小さいのにみたいに思われてる気がして、世間の目が怖いでも仕事もしているし買い物とかいかないわけにもいかないし極力出たくないけど出ざるを得ない。そして運悪く知り合いに出会ってしまったらつい、気がついてませんよというフリをする
私は生きているので誕生日しかない。夫は誕生日と祥月命日がある。夫の誕生日は来月。夫の祥月命日は再来月。毎年、夫の誕生日が来るたびに思う。小さなカットケーキをお供えして、ビールをお供えして…お誕生日おめでとう。。。え?おめでたいのかな?もう、歳を取らない。何と表現して良いのか分からないが、変な気持ちになる。おめでたいのだけれど…、なんか違和感。生きていたら、どんな風になっていたかという想像すら出来ない。だって、貴方は37歳から歳を取らないから。遺影の中で微笑んでいる。この世に生を
よく、亡くなった人が側にいてくれるのを感じる瞬間があると聞きますが…今日息子と一緒にユニクロに買い物に行った時のこと息子が買おうかなと思っていた服のLサイズがちょうど残り一枚で試着した後、他の服と迷っている間に他の方がカゴへ入れてしまいました。それはそれで仕方ないので他の色にするか、別の服にするかあと見本でハンガーにかかっていたのもLだったので、まぁ、それでもいいかなんて考えていたら…その方がふと戻ってきてカゴからそのLサイズを棚へ戻したんです。私達の目
私も一緒に連れて行って↑近況です。先週、夫を送りました。闘病のブログを書いていました。書くことで自分の隠れていた気持ちが分かり泣くこと、冷静に見つめることが出来ました。これはアメブロを書いている他の死別された方々へのコメント用、自己紹介用のアカウントです。夫が入院してからずっと思っています。もしも逝ってしまうなら、私も一緒に連れて行って。私を置いて死なないからと言っていたのに。FC2ブログの内容をそのままアメブロにも更新していきます。私も一緒に連れて
夫が亡くなった後様々な手続きをしなければなりません。病院、葬儀、役所、学校、生活費などなどキリがないくらい襲ってきます。失意のどん底にいても母子で生きていくためには夫のいない新しい人生を歩んでいくためには必要な事ではありますが心身共に傷を負ってボロボロの状態でやらなきゃいけないのはとても残酷な手続きばかり何かにつけて戸籍謄本だの住民票の除票だの夫が亡くなったという証明書を求められるのは夫の死という現実を目の前で見せつけられることだからです。手続きをする度に「夫
#コロナワクチン1回目6日後夫が亡くなり警察で検死されている間ネットで見つけた葬儀屋に電話をした家に来てもらい警察への迎えから葬儀、火葬、繰上げ法要までのことを色々決めた一気に色んなことを決めなければならない花も、人も、場所も、時間も、飲食も…全く寝ていないので葬儀屋さんとの話し合いはほぼ上の空だったように思う頭がクラクラしているのに興奮してる状態パンフレットを見ながら決めるでも正解がわからない言われるままなんとか一通り決め細かい変更は随時、ということで一旦
初夢でダンナさんに会えたらいいなぁと思っていたら明け方出てきてくれた私のことを夫と息子達(なぜか幼少期)が車で迎えにきていて笑顔で手を振っていたそして、場面が変わって何か食べていて私はこんなことしてる場合じゃないから早く車に乗って帰らないとと焦っているところで目が覚めた久しぶりに夢に出てきたのは嬉しかったけどその分目覚めた時のショックが半端なくてあぁ、やっぱりいないんだ、という現実との落差久しぶりに心臓がきゅっとなって過呼吸になって涙がハラハラと流れ
私がブログを始めようと思ったのは旦那さんの自死を経験した中で感じたことや、現在までの歩みをアウトプットしたいという気持ちが出てきたから。そしてそれをシェアすることで、家族や近しい人、愛する人を亡くして今苦しみの渦中にいる人の心に、同じ道を通った者としてほんの少しでも寄り添うことができたら、と思っています。旦那さんが自死した後のことから書いていきます。亡くなった直後のことはかなり強烈な描写になります。それは別の機会に書くことにします。旦那さんの死後、遺体は検死のため警察に引き取られました。
1リットルの涙という本を読んだ事があります。ドラマ化されているのでご存知の方も多いと思いますが私は死ぬまで何リットルの涙を流すのかなとふと考えます。よく、涙が枯れるまでとか言うけれど涙は枯れません。泣いても泣いても身体中の水分は無くなる事はなく私の目からは涙があふれます。夫とのちょっとしたエピソードを思い出すたびにもう会えないことを思い知り泣けてしまいます。それは何年経っても同じことできっと死ぬまで夫を思って泣く事があるのだろうと思うのです。そ
死別ブログを読み始めたのは「夫の命が危険です」と言われて数日してから。もしかしたら明日明後日に夫がいなくなってしまう。そう思うとネットで色々検索してしまった。人様のブログを読むというのはもう長年のしている事だが死別ブログは一度も読んだことが無かった。その存在すら知らなかった。呑気に暮らしていた私は主婦のおしゃれな暮らしとか料理ブログとか、そんなブログばかり読んでいた。死別ブログは当事者にならないとなかなか巡りあわないだろう。母が夫である私の父を亡くしたのは60代になってから。
男の人あるあるかもしれませんが夫は何かを収集するのが好きでした。プロ野球チップスのカードとかクリアファイルとかキン肉マンのストラップとかまだ死ぬつもりもなかった夫の部屋には彼の集めたものがあふれていてそれを見るたびに切なくなります。夫が亡くなって人の一生の儚さのようなものを知りました。どんなに元気でも翌日亡くなるかもしれないということを知りました。なので毎日できるだけ後悔のないようやりたいことがあれば先に延ばさず過ごしていけたらいいなと思います。
我が家は私が家計の管理をしていたから日常的に夫の通帳からお金をおろしていた。もちろん自分の通帳からもお金を下ろすので夫の暗証番号自分の暗証番号をその時に応じて使い分けていた。今、夫がいなくなって夫の通帳からお金をおろすことがなくなったけれど、夫の暗証番号を忘れることが出来ない。自分の通帳を入れた時一瞬、どちらの暗証番号か迷ってしまう。多分夫の暗証番号は一生忘れられない…
自死遺族の私が、感じてること、思うことなど書いています。夫が他界したのは11年前。今までに感じてきたこと、今になって思うこと、時系列は乱雑になると思いますが、なるべく等身大で表現しようと思っています。自死遺族について書き始めたブログはこちら夫は友人が少ない(と本人が言っていた)年賀状のやり取りもそれほどなく葬儀は火葬のみでほぼ親族亡くなった知らせは喪中はがきその知らせで連絡を下さる方もいらっしゃった名前だけは知ってるけどお話したことがない方もお電話い
夫の交通事故の判決言い渡しがされた。検察の求刑通り懲役3年ただし5年の執行猶予付きつまり彼は今日から自由の身になった五年間、罪を犯さなければ三年の実刑もなかったことになるこれが私の夫の命の重さ飲酒運転だったけど逮捕されたタイミングで飲酒量は少ないとみなされ危険運転致死ではなく過失運転致死おそらく過去の判例から考えると適当な判決なのだろうと思うでも日本の法律は犯人に対して甘すぎやしないだろうか夫の命を軽く見過ぎじゃないだろうか私は納得がいかないけど検察が控訴
お盆は東京にいます。(東京のお盆は先月でしたが。)お盆や年末年始は心なしか街が静かな感じがして好きです。今日は図書館で読み物をする前にデニーズで桃パフェを食べました。隣のテーブルではおばさま集団が賑やか談笑。その中の一人のご主人が最近亡くなったようで「主人いなくなってスッキリした~☆」と明るく話されているのを聞いて、憧れの未亡人、、、なんだか羨ましくなりました。そして家に帰ってテレビをつけていると、今度は、ご主人に先立たれ食事も喉
毎年、年に数回献血車が職場にやってくる。私はその度にできるだけ献血するようにしていて今日がその日だった。私の後ろに別の課で親しい人が並んでいたので「何型ですか?」と尋ねたら私と同じB型だったので「一緒ですね〜」と言ったら「ウチは全員B型なんですよ」と。夫が生きていたら「ウチは私以外はO型なんですよ〜」と話が広がったのだけど、今は家族の話をする勇気がなかったので話はそこで終わってしまった。ただの血液型の話でもその先に幸せなファミリーの姿が見え隠れするといた
2024.1月夫の突然死あまりにも突然で正直、初七日までの記憶がほとんどないでも嫌な思いのみが昨日の事のように頭に残っていて…あの日あの時そして今に至るまで忘れない内に文字で残そう時間を重ねていくうちに薄れゆく記憶がきっとあるこれからの事も忘れたい忘れたくない葛藤しながらブログを書いていつかの自分の為同じ境遇にある方や読んでくれている方に何かしらの役に立つかもしれないいや、立たないのかもしれないわからない意味がないかも続けれるのかも不明でも書いてみる
隣人から回覧板が回ってきたボードには回す順番が書いてあって我が家のところには夫の名前が…ホントは私が訂正して次に回すべきなんだろうけど夫の名前を消すことができなかった次に回ってきたら直しますもう少し回覧板に夫の名前を残しておいてください
アメトピに掲載頂きました。私のblogは、いわゆるキラキラblogでもないですし、有益な情報がある訳でもなく(むしろ、フォロワーさん達のコメントで、教えて頂く事が多く助けて頂いています)したくはなかったけれど、兄の事故、長男の難病、次男の不登校、夫の死、ははの介護問題…一通り経験してもしも、同じような事で苦しんでいる方がいるなら、1人でも良いから、何か力になったり、寄り添っていきたい。最初は、義両親があまりにひどくて、備忘録としてblogを始めましたが、今年からは、上記したように、誰かの役
今日は初出勤朝の挨拶はおはようではなく皆さん、あけましておめでとう私はそれを言えないので小さな声で今年もよろしくお願いしますと返すのが精一杯何一つめでたくないけど今日はとても忙しくてあっという間に一日が過ぎた昨日買い物を済ませておいたから帰ったらカレーを作ろう。夫はカレーとお味噌汁は(お母さんより)私の方が美味しいと言ってくれていたもう食べてもらえないけどね明日からはまた普通におはようございますの挨拶に戻るちょっとホッとしている。